時間を少し遡ること30分前。

僕は例の病院にいた。


目的はただひとつ、南の担当医・水湖一海に直接話を聞くため。

相変わらず南とは連絡がとれない。行方も分からず、ただがむしゃらに情報をかき集める毎日。
この土日で起きた事件の処理にもうまく手が回らずむしゃくしゃしていた僕は、ついに部下には任せず自分で動くことにした。



「水湖医師を呼んでくれるかい?」

「あっあなたはヒバリさ…!あの、しかし…今院内は例の事件で搬送される患者が多く…!人手も足りないため水湖先生もオペに回されているかと!!」

「だから?言い訳してる暇あるなら放送でもなんでも使って早く呼びなよ」

「ひっ…!」


受付の看護師にそう告げる。僕の顔を確認するなり青ざめた顔で捲し立てるそいつに向けていた目をすぅと細めた。
南の居場所だけじゃない、調べで彼女が外科医であることは知っている。こんな状況なら尚更手術やら経過観察やらの対応に回されて多忙なのも十分に考えられる。だからこそ、だ。今回の事件の犯人について幾らか情報が得られるかもしれない。

まぁ、風紀の奴らが散々調べ回してるからもうほとんど有力なものはないだろうけど。


「雲雀さん、お呼びかしら」

「!」

「大丈夫よ、今日はそれどころじゃないから」

「……どういうことだい」

「ついてきてください。…話は私の診察室でさせて」


他人の言うがままに従うのは僕の性に合わないけれど、ここで反抗していたんじゃ埒が明かない。僕は大人しく踵を返した彼女の数歩後ろをついて歩く。

まだ朝だというのに、院内は医者や看護師がバタバタと慌ただしく走り回っている。騒がしいそれに耳を塞ぎたくなったが、思ったより早く目的地に着いたので部屋に入り後ろ手に扉を閉めた。静寂が室内を埋める。


「……ねぇ」

「分かってます、謝らなければならないことがあるって「どういうことだよ」……、」

「これ≠ェ此処にあるって、どういうことだよ」


部屋に入ってすぐに、僕の思考は苛立ちやモヤモヤとした黒い感情で埋め尽くされた。
水湖医師のデスクに置いてあったもの…──血染めになった南が愛用していたスケッチブックを見たことで。


「黙っていたことは謝ります!!でも、話を聞いてほしいの!!」

「僕は謝罪が欲しくてわざわざ来たんじゃないんだよ」

「……っ、」

「言えよ、」

「だから話を、」

「南は何処なんだよ!!」

ガァン!!



デスクを殴り付ける音が一際静寂を破るように響く。
左拳が僅かにヒリヒリと痛んだ。

ビクリ、怯えるように体を跳ねさせた目の前の医者は、泣きそうな顔をして呟いた。


「…っいない、んです…っ!!」



こんなに血を出して、痛かっただろう。
以前の夏祭りで、樹木に突き飛ばされ叩きつけられただけで、あんなにもがくがくと震え怯えていた。
声を押し殺して泣く姿が痛々しすぎて見てられなかった。

一人だったところを襲われたんだろう。…怖かっただろうに。


胸が痛くて、傍にいてやれなかったことが悔しくて。
そんな僕の心にぽっかり、穴を開けるかのように、虚しく響いたその言葉。


「いなく……なった?」

「確かに、昨日の消灯時間まではいたんです…、二階の個室に偽名で入院させていて、今朝朝食の前に諸々の体調確認をしようと部屋に入ったら…、ベッドが、空っぽで…」


ふらふらと、自分の椅子に座る水湖医師。
苦虫を噛んだようなその表情から、彼女の言葉に偽りはないのだと悟る。

手で勧められた回転椅子に座る。多分今の僕はあっけらかんとした間抜けな顔をしているのだろう。


「骨に4ヵ所損傷、臓器付近に内出血多数、大量出血による貧血、その他すり傷切り傷痣等々…それが羽無ちゃんが先日運ばれてきた時の状態でした」


棚からカルテを取り出して、捲りながら小さく呟く。
そんなに、ボロボロに。一番酷くて、赤ん坊が初めて僕を訪れたときの爆風に巻き込まれてやった捻挫くらいしか僕は、彼女が怪我をしたのを見ていない。
事故でなく、彼女の大嫌いな暴力で。つん、と胸が痛んだ。


「ここ一週間で、ギプスから包帯になって、歩くのもやっとだったのに…、大体、まだ完治してないのにあんな身体で出歩いたら、また悪化しかねないのに…っ!」

「……ねぇ。その、南が入院してた病室、見せてくれない?」

「…っ、…え…?」


自分を責めるように話す水湖医師に、先程怒鳴り付けたものよりずっと静かに話し掛ける。

数秒僕をじっと見つめて、諦めたように眉を下げて「分かりました」彼女は立ち上がった。




***




「今朝からそのままの状態になっています」


案内された場所は、真っ白な箱のような病室。
点滴もない。本当に真っ白だ。

白いカーテンがひらひらたなびく。窓が全開だ。ここから南は脱出したらしい。


「さっきのスケッチブックは…私が朝思わず持ち出してしまったもので…。後は本当に、そのままです」


そう言って差し出された、乾いて黒くなった血がこびりついているスケッチブック。
表紙の血を暫く見つめて、特に期待もせずページを捲った。


黒いマジックペンで書かれた、いくつもの言葉たち。
南の心。嘘も本当も、まぜこぜになって散りばめられた、彼女の思いの塊。

相変わらず丸っこい字体のそれは、所々血で滲んでいて、それを見るたびに眉間に無意識に皺が寄る。


暫く白のページが続く。これで終わりか、そう思い最後の1枚を捲ると、先程までとは違った鉛筆で書かれた細く弱々しい文字たちが姿を現した。


ひばりさんへ

「っ!!」


呼吸することも忘れて、文字を目で追った。


ごめんなさい。すこし、かんがえるためにひとりにしてほしかったんです


怪我のせいでうまく力が入らないのだろうか。全て平仮名、しかも所々ふにゃふにゃに歪んでいる。

謝罪理由は、ここ一週間の無断欠席についてだろう。
考えるため、に?何のことだろうか。

あたし、おむかえがきたら、ここをはなれます。やっぱり、つらいから。にげることを、ゆるしてください


話が唐突すぎてわからない。迎え?君は何から逃げるの?…──僕?


さいごまでいえなかったので、ここにのこしておきます


あなたがこれをよむひがくるとはおもわないけど、と書かれたその下に、大きく空白をあけて一際小さく、弱々しく書かれたそれを見て、僕は柄にもなく胸から込み上げる何かが眼球の奥をツンと刺激するのを感じた。








あなたが、だいすきです





うん。


僕も、







ぱさり。

スケブを閉じて、空っぽでシーツがしわくちゃになったままのベッドの上にそっと置いた。


「…本当なら、羽無ちゃんが話すべきなんですけど」

そう切り出した水湖医師の方を振り返る。すると彼女は、僕の横を通り過ぎて、ベッドの横に備え付けられた小さな机の引き出しを引いた。

かさり、と取り出したのは、何やら細かく文字が印刷された一枚の紙。


「これは、羽無ちゃんの手術承諾書です」

「…手術?なんのだい?」

「彼女の声帯を、一時的に復元し使用可能にするための」

「…?何故? 南の声帯は回復に向かっていたんだろ?」

「それが、」


水湖医師が告げた、南の病状。

酷い炎症が突然起きた。しかも、放っておけば声帯が機能しなくなるようなもの。
炎症が起き続けている今、彼女に出来ることは2つ。

1つは、手術によって一時的に声帯を治すこと。でも10年後には二度と機能しなくなる。
もう1つは、止痛薬と抗炎剤を投与して治療法が見つかるまでなんとか現状維持で繋ぐこと。


紙には、どちらの方法にも丸がつけられていない。

サインもされていない。手付かずのまま引き出しの中にしまいこまれていたようだ。


南が考えたい≠ニ残していたのはこのことだろうか。


「今朝は止痛薬も抗炎剤も投与してないんです。…あの子、喋ってないといいんだけど…これ以上悪化したら薬でも抑えられない」

「…ねぇ」

「…はい」

「……南は、…どうして怪我を?」


自分でも驚くほど声が弱々しいものだった。


「……暴行を加えられたから、」

「そんなの分かってる。…相手は、二人組の女子かい?」

「!…会ったことあるんですか?」

「一度だけね。その時は未遂で終わらせたけど」


紙を引き出しにしまいながら僕を振り返る水湖医師。
黒髪の女子と、ダークブラウンのツインテールの女子。嫌でも覚えている。夕陽に映える髪の煌めきは、南の栗毛の方が幾倍も綺麗だったように思う。


「あの二人は、小学生の頃クラスの一人の男の子に片思いしていて…その男の子が片思いをしていたのが、羽無ちゃんだった。きっかけはそれだけ、でもいじめだしたら止まらない。抵抗しない羽無ちゃんをいたぶるのが楽しくてしょうがないんでしょうね…、もしくは羽無ちゃんの全てが気に食わない。だから暴行で憂さ晴らしをする」

「下らないね。実に弱者らしい思考回路だ」

「……こっちはたまったもんじゃないですよ」


下唇を噛み締めながら、若干低い声音で小さく呟く。
彼女の南に対する思いは医師から患者に対するものより幾らか上重ねしたもののように感じられる。


「…羽無ちゃんは、」

「?」

「貴方に、自分がいじめられていたことを隠したかった、みたいです」

「…どうして?」

「それは、私の口からは語れません。羽無ちゃん本人から聞いてください…ただ、これだけは言わせて」


ひとつ呼吸をして、白衣のポケットからかさりと一枚のメモ用紙を取り出した水湖医師。
僕の正面に向き直ると、じっと目を合わせて見つめてくる。
緊迫したその雰囲気にやや僕も気圧されて、表情は変えずとも背筋を冷や汗が撫でていく。



「羽無ちゃんを、


小さくて弱いあの子を…、嫌わないであげて。否定しないであげてください…っ」


手渡されたメモ用紙。開けば、黒曜ヘルシーランド≠ニ一言、それだけ書かれていた。


「これは…」

「…隣町に続く新国道から逸れたところにある古い道路があるでしょう?そこにある、今はもう廃れて機能していない複合娯楽施設です」

「どういうこと?」

「羽無ちゃんの居場所、です…」

「!!」


開け放たれた窓辺に歩み寄ると、水湖医師は遠く山並みが続く隣町方面を指差した。僕も少し近付いてその先を見る。
山と山の間に小さく見えるそこには、塗装の矧げた看板に黒曜ヘルシーランド≠フ文字が。


「羽無ちゃんは、迎えが来ると…言っていました」


スケブに書かれた小さくて儚い言葉を思い返す。


「ボロボロのあの子が薬も何も無しに脱走出来る範囲なんて限られてます。距離的に…ちょうど彼処くらいまでしか」

「どうやって特定したんだい」

「まず、一時的に脱走しても、幾らか休息をしなければ羽無ちゃんが持たないという点から、隠れ家になって尚且つ見つかりにくいため。そして、昨夜人をおぶった若い男がそっちの方へ歩いて行ったのを見た看護師が居たため」

「……、そう」

「一瞬しか見なかったらしいし、曖昧すぎて信用ならない情報かもしれませんが…私に出来ることなんて、これくらいしか」


ぎり、強く拳を握る彼女。力を込めすぎて指が白くなっている。

僕は、そのメモ用紙をポケットに無造作に突っ込むと、ベッドの上に置いたスケブを一瞥して病室の扉に手をかけた。


「…っ雲雀さ、」

「他人の頼みを聞くなんて不本意極まりないね」

「でもっ!羽無ちゃんは…っ、」

「まぁでも、安心しなよ」


ガラリ、扉を開く。
後ろも振り返らずに、僕は小さく小さく、呟いた。


「利害の一致、だからね」


ガラリ。

閉めた扉の向こうから、「お願いしますね、」と柔らかい声が聞こえた。




ねぇ、南。


君って、こんなにも思ってくれる奴がそばにいたんだね。僕は今改めて思い知ったよ。
じゃなきゃ、僕はこんなに落ち着いた気持ちで学校へ戻る道を歩けなかった。


君は何を恐れて、何から逃げようとしているの?

まぁ、逃げるなんてことこの僕がさせないけどね。


嫌だと手を振り払われても、僕は君を追い続けるから、覚悟していて。



たすけて、と叫んでいる君の隣へ、
今すぐ駆け付けてやるから。



***

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