それから意識を取り戻して、大怪我ではあったものの命に別状はないと
うみ先生から聞かされた。やっぱり、いじめられていたのをずっと黙っていたことを怒られた。


入院が何ヶ月も続いて、退院してからも学校に出られなくて家で安静にして、
何もすることがなくて眠ると、何がどうしてなのか、
かなりの確率であたしは精神世界へと行くことができた。

骸がいないときにそこへ行った時もあった。
そんなときは、いつもは彼が座ってるベンチの中央にちょこんと座って、
いつも彼がじいっと見つめていた方向を見つめたりした。
あたしにはそこにある景色しか見えないし、綺麗だとしか感じられないし、
やっぱり骸と同じ景色を同じように感じられないんだ、とため息をついたりもした。

彼のいないときに精神世界にいるのはとっても退屈なもので、
生き物は草木に花々しかいないからあたしの相手をしてくれるものはこれといって何もなかった。
ただベンチの真ん中に座って、彼はいつ来るのだろうか、今日は何を話そうか、
そればっかり考えて時間をつぶした。

骸はなかなか自分のことを話してくれなかった。
誕生日も、年齢も、血液型も、身長も体重も好きなものも嫌いなものも、
現実でのことも、友達のことも、家族のことも、将来の夢も、なんにも話してくれなかった。

あたしは自分のことをたくさんたくさん彼に話した。
誕生日も、年齢も、血液型も、身長も、体重は秘密にしたけれど、好きなものも嫌いなものも、
現実では大怪我をしていることも、友達と呼べる女の子なんて片手で数えるほどすらいないことも、
両親とはもう随分顔を合わせていないことも、将来歌をたくさん歌いたいことも、全部全部話した。

骸は最初は興味なさ気に半分以上聞き流していたけれど、
あんまりにもあたしがしつこく話しかけるものだから根負けしたのか、
そのうち目線だけでもこちらに向けて聞いてくれるようになった。


「今日は何を話すんですか」

「え、聞いてくれるの!?」

「聞かなくても勝手に話すくせに」

「そうだけどっ。…いつもあたしが話し出すまでずっと黙ってるから」

「……………たまには、」

「うん」


退屈しのぎに相手をしてやってもいいかと思いまして。


そう言うと、骸は少しずつ、ほんの少しずつ自分のことを話すようになった。
でも、名前だけは最後まで教えてくれなかった。

自分には前世が六道を廻った記憶があること、左目にそれが宿っていること。
話が難しくてちょっとしか分からなかったけど、彼はやっぱり特別なんだと理解した。

一度だけ眼帯を取って見せてくれた左目は、右目のインディゴとは違って、
燃えるような綺麗な赤い色をしていて、網膜に“六”の文字が刻まれていた。
これは血の色なんですよ、少し脅すような声音で彼が言うと、あたしは迷わずに
綺麗な火の色だよ、真っ赤に燃える炎の赤だよ、にっこり笑ってそう言った。
彼は少し驚いたようにして目を見開くと、そうですかと言って眼帯を付け直した。
顔は、少し笑っていた。嬉しかったのだろうか、瞳は火の色だと言われたことが。


「ぼくの名前は六道骸です。」

「ろくどう、むくろ?」

「はい」

「不思議な名前だね、」

「よく言われます。」

「でも、」

「はい?」

「むくろ、ってなんか、あったかそうに聞こえるなぁ」

「………むくろって漢字知ってます?亡骸です、死体って書くんですよ」

「でもなんか、うーん、なんでかなあ、」

「やっぱり君はおかしな人だ」

「違うよ、……あ、多分、」

「なんですか」

「あたし、あなたが優しくてあったかい人って知ってるからだ。」

「なんですかそれ」

「むくろむくろむくろむくろ」

「何回も言うな」

「うん、やっぱりだ」

「…………、」

「むくろは、やさしくてあったかくてかっこいい男の子の名前なんだっ」

「…………よくそんなこと言えますね。」

「なんで?」

「恥ずかしくないんですか?」

「全然。」

「……………クハッ」

「…………え、なにいまの。笑ったの?」

「なんです笑っちゃ駄目ですか」

「ううん、笑い方可愛いなって」

「………やっぱり君はバカだ」


どうして僕はこんなやつに名前教えてやったんでしょうかね、
明らかに馬鹿にした感じで言われてむっとしていたら、


「何故羽無なんかに…」

「あ!」

「…………なんです今度は」

「名前!」
「それがなんです………あ、」

「呼んでくれた!」

「………………………今の、ナシにできませんか?」

「できません」




骸はね、最初の頃は本当にあたしの存在を無視するようなことしてたのに、
なんだかんだ言ってうるさいだとかだからなんですとか相槌打ってくれてたし、
ひとつ年上でお兄ちゃんなのもあってか何かと相手をしてくれるような人なの。

それからは時々羽無って名前で呼んでくれるようになったし、
骸って呼んでも何も言わなかったし、ぱいなぽーって呼ぶと拳骨が飛んでくるようになった。


よく構ってくれるようになった。ふざけてなのかよく口説かれるようになった。
抱きしめてくれたりした。膝枕もさせてくれた。骸は、やっぱりあったかい人だった。



傷も完治して精神的にも落ち着いてきて、
ほとんど精神世界に行けなくなってきた頃、骸は言った。


「前にも一度話しましたよね、僕がマフィアってこと」

「聞いたよ。……ひどいことされたの?」

「いいえ、違います。……僕、悪いことしたんです」

「なにしたの?」

「言えません。だけど、僕はマフィアだから、悪いことをしたから檻に入れられることになったんです」

「………もう、会えないの?」

「あなたもじきここへ来れなくなるでしょう、だからいったんお別れです」

「いったん?」

「迎えに行きます」

「………うん?」

「必ず、迎えに行きますよ、羽無」

「……うんっ」

「…僕には、必ず成功させたい計画というものがあるんです」

「どんな?」

「現実世界を、ここみたいに綺麗にする計画です」

「へぇ」

「だからその時は、僕と一緒に来てくれませんか?」

「……………骸?」

「羽無が一緒なら、きっと大丈夫な気がします」

「………あたし、骸のことは大好きだよ。一緒にいたいよ」

「クフフ、それは嬉しいですね」

「でも、骸が悪いことをするなら、あたしは止めるからね。怒るからね」

「そうですか」

静かに、寂しそうに笑った骸の手を、そうっと握った。
その時の感触が、今でもやんわりと思い出せる。

いつも通りぬるま湯のような体温に、細くて長い、骨々とした手の感触。
いつもと同じ骸の手なのに、なんだかあの時だけは、冷たく壊れやすいもののような、
強く握ったら塵になって消えてしまうような、そんな感触だった。

骸が何か大変なことをしようとしていたのはなんとなく分かっていた。


いつも一緒にいたから、彼が現実世界の大人たちを恨んで憎んでいることは感じて知っていた。

現実世界で酷いことをされるのだから、ここにいる間は楽しいと思えるように、
嫌なきもちにならないように、骸と一緒にいた。

でも、それでも強い骸はきっと何かをするから。
その時は、彼のことを少しでも分かってるつもりのあたしが止めてあげなくちゃ、って。
そんなことしなくてもいいんだよって教えなくちゃ、って。


それでも骸は、やっぱり、何か≠するらしい。




***



南と通信が途絶えてから、もう一週間以上経つ。

新たな問題が、僕の脳内を支配して、彼女のことを二の次にさせようとしている。


「委員長、また次の被害者が…」

「最初に被害に遭った奴はまだ口も聞けないのかい?」

「いえ、ただあまりにも突然すぎて、犯人の容姿などをあまり記憶していないと…」

「はぁ………使えないな」

「申し訳ありません」

「並中の周りに不審人物は?」

「今のところ、それらしい人物は」

「……そう…」



執務机の上にどっさりと山積みになった資料の束に嫌気がさして、
僕は席を立った。――――………南がいたら、
こんなのあっという間に片付けてくれるのに。

換気のために開けていた窓へと移動して、綺麗に磨かれたサンに肘をつく。
今は体育をする生徒もいないし、ましてや休み時間でもないから静かなものだ。
頬をすり抜けていく秋風は、まだほんの少し温かみを帯びていて、
終わりきっていない夏を思わせた。



「もういいよ、君も町内の見回りに戻って」

「へい。ですが南の捜索は…」

「僕がやっとく」

「………分かりました。南の情報が入ったら連絡します」

「そうして」

「失礼しやす」


控えめに応接室の扉が閉められる。
まだ一週間。もう一週間。
たったこれだけと言うべきか、すでにこれほどと言うべきか。
南を見かけることすらない日々が淡々と過ぎていく。

空しくなるから、電話もやめた。
どう考えても怪しいあの病院にも風紀の者を手配した。
見回りの風紀の人間の人数も増やした。
町中で南を探し回っているのに、これっぽっちも情報が入らない。



「…………はぁ」

この何日かで、ため息をつく回数も増えた。
欠伸の回数も増えたし、眠気だって毎日半端無い。
南がいないだけで僕の仕事がこんなにも増えるなんて。
僕は、あの子に色々と任せすぎていただろうか。
依存、しすぎていただろうか。


いるとばかり思っていた存在。
いなくなるなんて、考えたこともない存在。
南、羽無。


もう、手放さないと、心に決めたのに。




僕は、彼女のほうから離れた時のことを、

これっぽっちも頭に入れていなかった。







応接室に漂う、珈琲の香りに混ざった甘ったるい匂い。
彼女が好むココアの、匂い。


今じゃそれもしない。
当たり前だ、僕はココアなんて甘いもの飲まないし、淹れる必要もない。



だけど…、


あの鼻につくようなべったり甘い匂いでさえ、
南の存在を示していたと、今更気付く僕は、どこか抜けているんだろうか。

ココアの匂いはそんなに好きじゃないけど、南がココアを飲んで、
ほくほくと微笑む姿は、嫌いじゃなかった。むしろ、






望んだら捕まえられたのだろうかと、何もない空気へと手を伸ばして、それとなく掴んでみた。
指と指の間を風が吹き抜けただけで、何も捕まえられなかった。





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