***



そこは、まさに幻想世界。

美しい花々が、生い茂る木が、まるで季節を感じさせない。

御伽噺の世界の、中みたいに。




あの日よりも、ずっと成長した大きな背中。
でも、見紛うはずもなく。

藍色の綺麗な、さらさらの髪、特徴的な髪型。
最初にあのことを言ったら、ものすごい剣幕で怒られたっけ。



ふと気が付いたら、あたしは木陰で横になっていた。

見覚えのある景色に、辺りを見回した。


少し離れたところにあるベンチに彼は、いた。




「……………おや、お久しぶりですね」

「……あ、」

「もう、随分この世界には僕一人でした」

「…………」

「顔、忘れてしまいましたか?」


首を横に振る。

忘れるはずのない、右目が真紅の彼。

“六”の文字を、瞳に刻んだ、彼。


「………むく、ろ…」

「憶えていましたか。…羽無」

「骸も、あたしのこと…、憶えてた?」



はい、と小さく頷く骸。

ベンチの横をこつこつ、と人差し指の爪で鳴らすので、そうっと近寄って、座った。
背、伸びたなぁ。前は、大体同じだったのに。ずっと高いや。

すらりと伸びた足を優雅に組んで、もう一度骸は「お久しぶりです」と言った。
そして、


「あまり…容姿に変化がないですね」

「童顔って言いたいんでしょ、」

「いいえ。可愛らしくて僕は好みですよ」

「……そういうのはいらないよ…」


あの時は、少し幼い顔で口説かれたからさらりとかわせたけど…、
今みたいに成長して、大人っぽくなった顔で言われると、さすがにドギマギしてしまう。
まったく、無駄にいい顔してるんだから。
よくよく考えれば、綺麗でかっこいい人、あたしの周りにいっぱいいる気がする。


ここでは、あたしは怪我のことも忘れて自由に動ける。
実際この世界にいる間、あたしは包帯もギプスもつけていない。
身に纏っているのは、薄い白のペラペラのワンピースだけ。


「あなたがまたここに来たということは…、」

「……うん。また、怪我したの」

「怪我をしたのではなく、させられた、のでは?」

「……………うん、正解」

「………また、いじめられたのですか?」

「……いじめられたのとは、ちょっと、違うかな…」


そうっと頭を撫でてくれる骸の大きい、細い手。
あったかくて、安心する。

骸はすごい。あたしのことなんでもお見通しだ。
あたしがもともと嘘をつくのが下手なせいもあると思うけど、
それにしたってここまで隠し事が出来ないのは不公平だ。

骸だって、心配するくせに。



「…………羽無」

「なぁに?」

「……きっと近いうち、あなたを迎えに行けます」

「!……駄目だよ、脱獄なんかしちゃ!」

「止めないでください。これは、三年前あなたに会う前から決めていたこと…簡単に揺らぎはしません」

「そ、それでもっ」

「勘違いしないでください」


骸の声は、優しくて綺麗だ。
初めて会ったばかりのときは、物凄く殺気を帯びていたけど。
今は、お咎めの言葉も、怒ってても、全然怖くない。
涼しい秋の風みたいな、そんな感じの、声音。


骸があたしの方を向いたから、あたしも骸の方を見る。
必然的に、目が合うわけで。

言葉は冷たいのに、拒絶しているみたいなのに、
声音も、瞳の色も、ふんわりと優しい。


「僕は、いわば殺人鬼です。いつまでも感情の通う普通の人間と思わないほうがいい」

「…………骸は、そんなことしないよ」

「クハッ、まったく……」

「じゃなかったら、三年前だってあたしのことずうっと相手にしてくれなかったはずだもん。
骸は優しいから、そんなことしない、……と、思う」

真っ直ぐ彼のオッドアイを見つめた。
一度僅かに目を見開くと、骸は前髪を掻き揚げて顔の向きを前方へと戻した。
懐かしい、個性的な笑い方。これを聞いて初めて、ああ骸だ、なんて思う。


「あなたという人は、変わらずお人好しだ」


目をつぶってそう呟く骸の横顔はとっても画になる。
それと同時に、儚く消えてしまいそうな錯覚すら覚えるから、怖い。



この世界では、あたしは持病を無視して声を放つことが出来る。
歌だって歌える。でも、歌わないのは、ちゃんと“現実”で歌えるまでとっておきたいから。



「羽無は…、」

「うん?」


またこっちを向いて骸が話し出したので、視点を合わせて首を傾げてみる。
でも、しばらくあたしをじっと見つめたまま骸は、硬く口を引き結んで続きを言おうとしない。
なぁに、と問いかけても、黙りこくったままだ。


「………羽無は、」


骸がもう一度同じことを言うから、こくり、頷いた。

骸の鮮やかなオッドアイがゆらゆら揺れて見える。


「………僕に、会いたいと思いますか?」




会いたい。


会いたいよ、骸。




夢の中でじゃなくて、きちんと現実で話をしたい。

会いたい。




「………あと数日したら、」


ぐらり。


世界が歪んでいく。



やだ、まって、まだ、まだ、

もう少し、お願い、骸と、

話をさせて、お願いだから





「……――たに、―えます………」


なに、聞こえない。

もう一回言って、むく ろ



「その日まで、」



待っていて。


彼は、そう言ったのだろうか。


最後まで聞き終わる前に、意識は暗黒の闇へと落ちていった。



***



「…………っ!」



ぱちり、目を見開く。

呼吸は比較的落ち着いているのに、心臓がどくどくと速く脈を打っている。
唇が僅かに震えていた。…今日は、運ばれてから二日後の朝。

身体を起こして、1/4ほど血が染みて汚れてしまったよれよれのスケッチブックに手を伸ばす。


最後に書いてある文字は、有香ちゃんと葵ちゃんに向けて書いた、

【学校は?】

だった。





がっこうは?


学校。

京子も、花も、ツナくんも、獄寺くんも、山本くんも、

草壁さんも、雲雀サンもいる、並盛中学校。



行きたいな。皆に会いたいな。

でも、こんな姿見せたくないな。

京子が、また泣いて心配しちゃうから。
ちゃんと治ったら、顔出そう。




雲雀サンには……、会えなくなる前に、お別れする前に、会っておきたいな。

草壁さん、あたしがいない分のお仕事お願いします。ごめんね。


会いたいな。

皆に、会いたい。


おや、お久しぶりですね


骸にも、会いたい。


また、いじめられたのですか?



優しく笑う、綺麗なあの人。

三年前も、小学校の時二人にいじめられたあの時も、
病院に運ばれてから意識が戻るまで、長い長い夢を見た。

彼とあの世界にいる夢を、見た。




夢の中では自由に動けた身体を、現実ではボロボロの身体を見下ろす。


左手は二・三本骨にヒビが入っているため使えない。ギプスで固められている。
肋骨のうち右側の一本に、あと少しでヒビが入るくらいのダメージ。
こっちは本当に軽かったので、もうほとんど治っている。周りの筋だとかはまだ痛いけど。

内臓付近の内出血、といっても要は痣。それがお腹だとか背中だとかにたくさんあるだけ。
もうそこまで痛くはない。まだ歩けはしないのだけど。

貧血はまだ治りがまちまちだ。病院食のため治りは早いほうだと思うけれど、
それでも時々身体を起こすだけで頭がくらくらする。

すり傷切り傷に関しては、傷はもう塞がって瘡蓋の状態だ。
一つか二つはまだ塞がってなくて、ガーゼを貼っているけど。


今のあたしの身体はこんな状態。
もちろんまだ散歩にも出させてもらえない。
大体はベッドの上で起きているか寝ているか、だ。


病室の窓を見る。


窓は開け放たれていて、涼しい風がカーテンを揺らす。
その向こうには、本格的な秋に向け紅葉し始める木々が見えた。


数日後、骸はあたしを迎えに来る。


夢だ嘘だと思っていたけれど、やっぱり、




お別れは、現実になるんだろう。



***



骸に初めて会ったのは、三年前、あたしが小学五年生のとき。


今までひそひそと目立たないようにされてきたいじめがピークを迎えて、
あたしへの物理的な暴力が形になった月だった。

呼び出されたところへ行けば、女子が掃除用具を集団で握り締めてる時もあったし、
今までなくしていて困っていたものが、あられもない姿で放置されていた時もあった。

一番酷かったあの日、あたしは病院へ運ばれたのだ。

たしか、今日みたいな夏と秋の境界線みたいな季節の変わり目の日だった。

またかと体育館倉庫へ出向けば、目隠しをされ状況が掴めない間に
両手首と足首を縛られて、埃だらけの汚い倉庫の床に転がされた。
それからは、今までのとおり、殴られ蹴られ、道具を叩きつけられ、罵声を浴びせられ…。
真っ暗闇で身体に植えつけられる痛みと恐怖は、今までのものとは段違いだった。

あのひとたちがあたしに言っていた罵声は、覚えていても、思い出したくないものばかり。
思い出すと、痛みも、孤独感も、恐怖も、全部全部甦ってしまうから。


あたしの何が気に入らなかったんだっけ。

容姿、性格、声が出ないこと、クォーターであること、
親が普段いないこと、男子に囲まれていること、いじめてもいじめても人前で弱音を吐かないこと…。

言い出したらきりがないようなことを、いつまでもいつまでも言われた。


結局そのいじめの主犯というか、大体の犯人が有香ちゃんと葵ちゃんだったから、
二人は違う遠い町の学校へ飛ばされた。

それからはほんの少しずつ皆との関係も良くなっていって、もともと友達だった子は
入院中お見舞いに来てくれたりしたし、男子たちの呼びかけもあって、六年生になって
ようやく学校に行けるようになった頃には、皆とも仲直りできた。



意識不明の重傷で運ばれたあたしは、気が付くと着たこともないような薄手の
ひらひらの白いワンピースに身を包んで横たわっていた。
ここが天国なのかな、なんて思ったりしたけど。
だって、あんまりにも現実味のない景色に包まれて、怪我ひとつない綺麗な身体でいるんだもの。

状況を掴めないでいると、ふと自分以外の呼吸音が聞こえて、誰だろう…なんて胸中で呟きながら
辺りを見回したら、風に揺れる藍色の綺麗な髪が、ひょっこりベンチの背もたれから覗いていて、
あのひとかな、そう思いながら立ち上がった。

真っ白なワンピースよりも白いベンチに腰掛けるのは、当時のあたしと同じくらいの年頃に見える男の子。
不思議な髪型がまず目について、次に、吸い込まれそうな藍色の右の瞳。
左目には眼帯がしてあって、怪我してるの、そう聞いた覚えがある。


「おや、ここに僕以外の人間がくるとは」

「あなた、だれ?」

「見ず知らずの君に名を名乗るつもりはありませんよ」

「いいじゃない、別に。あたしははな、南羽無っていうの」

「君の名を呼ぶつもりもありません」

「………変わってるんだね、髪形といい」

「もう一度同じことを言ってごらんなさい、二度と言葉を紡げなくしてあげます」

混じり気のない殺気を視線、声音、彼の全てから向けられて、体全体がすくんだ。
でも、この人は殺気だけで、何もしないんだ。皆みたいに、殴ったりしないんだ。
そう思った途端、怖くもなんともなくなってしまった。

彼が髪形について気にしていることは理解したあたしは、わかった、そう一言呟いた。
そこで、彼の言葉で気が付いた、普通に話せてる、と。

目を真ん丸く見開いて動かなくなったあたしを見て、男の子はまた不機嫌そうに顔をしかめて
なんなんですかと口を開く。返事をしないあたしにはぁとため息をついてまた前に向き直る。



「…………話せてる、」

「それがなんですか。当たり前でしょう」

「当たり前じゃないの!はっ、話せてるの!!!」


うるさいな、そう呟いて目を細めた彼に一方的に理由を話した。
生まれつき声帯が弱いこと、もう何年も話していないこと。
よくよく考えれば、あの世界にスケッチブックは存在していなかった。

興味なさ気にそうですか、さらりと流した彼に怒るでもなく、
だから当たり前じゃないんだよ、嬉しいの、そう結果を告げた。


そうっと彼の隣に座った。変な目で見られたけど、彼の髪形を変な目で見てやったらおとなしくなった。
相当気にしてるみたいだったからこれからはほっといてあげようと思った。


「ここはどこ?」

「精神世界です」

「天国じゃないの?」

「は?」

「だって、あたしここに来る前に、」

「死んだんですか?」


あっさり言われて、そんなこと、ない…と、思う…けど、…。と口を噤む。
あれだけ酷く怪我をさせられたのだから、もしかしたら本当に死んだのかもしれない。


「ここは、死に掛けたり死んだりして魂が彷徨う場所です」

「じゃああなたは、」

「僕は生きてますよ、ちゃんと」

「でも、じゃあなんで?」

「質問ばかりですねあなたは。」

「…ごめんなさい」

「……僕は特別なので、好きなときにここに来れます。」

「へぇ…特別、」

「…………」

「すごいんだね!えーと、……眼帯くん!」

「……、は?」


だって、名前教えてくれないから。
それともぱいなっぷるくんがいい?
……眼帯のほうでいいです。
そう?じゃああなたは眼帯くんね。
あなたは………、
羽無って教えたでしょ。
……名前なんか呼ばなくても会話できますし。
あまのじゃく!南国果実!
もう二度と話せなくなってもいいんですね?
やだっ!
じゃあだまりなさい
眼帯くん眼帯くん、
なんですもう、うるさい人ですね
ごめん
………いいから、続きは?
眼帯くんは、ここで、何を見てたの?何が見えるの?



綺麗な世界、です。


そう言った彼の瞳は、なんとも言えない輝きを放っていた。
遠い遠い夢の話をしているような、けれどしっかりと先を見据えているような、そんな眼差し。
当時のあたしは所詮子供だったので、綺麗な目、としか感じられなかったけれど。





僕は、ずうっとここにいたいんです。

いればいいじゃん。特別なんでしょ?

眠っている時にしかこちらにこれません

嘘つき

うるさいですね

なんでここにいたいの?

だって、









ここは、どこのどんな世界よりも、一番綺麗なんです。
現実にはない、うつくしさがあるんです。




僕はいつか、現実をこんなふうに綺麗にしたい。



あの日のあたしは、そっか、叶うといいね、呑気にそう相槌を打っていた。

それは、彼の素性を、彼の現実≠知らなかったから出来たこと。



***




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