目が覚めると、そこは見慣れた病室だった。



「羽無ちゃん、意識が戻ったのね」


声のするほうに視線を向けた。うみ先生だった。
椅子に腰掛けて、カルテを書いているらしかった。


「骨に4ヵ所損傷、臓器付近に内出血多数、大量出血による貧血、その他すり傷切り傷痣等々」

「………………」

「これまた酷くやられたね。例≠フ二人でしょ?」


頷いた。


「まったく…、緊急手術するこっちの身にもなってほしいわ」

「…………」

「あ、羽無ちゃんじゃなくてあの二人にね。羽無ちゃんみたいな女の子、
ここまでぼろぼろにするなんてあの人たちの気が知れないよ」

「…………」

「痛々しくて、医者の私でさえ青筋立てちゃうじゃない」

ため息、そして、安堵のため息。

うみ先生に具合を聞かれる。
返答できなかったので、痣とかすり傷で済んだ右手で筆談。

点滴の、しずくが落ちる音、無機質な機械の音、それからペン先が紙を滑る音。



【頭が重たくて、ガンガンして、当分枕から起こせそうにありません】

「そう…、多分頭は倒れた時に打ち付けただけだと思うんだけど…、心配なら検査するわよ?」

【大丈夫、そこまでじゃないから。それと、】


続きを書くはずの手が、ピクリとも動かなくなる。

言うべき?でも、もし悪くなっていたら、もう治らないと言われたら、あたし、あた し



「どうして黙っていたの」


ふいに、部屋に響くうみ先生の声。

怒ってる、でも、この怒り方、前にも見たことがある。


「喉の調子がおかしいって。しかも、大分前からでしょう」


そうだ。


あたしが、いじめられてることを黙っていて、



あの二人に大怪我をさせられて運ばれた時、

あの時、うみ先生はこんな風に怒ったんだ。


「羽無ちゃんの意識が戻ってから診ようと思って、まだ何もしてないけど」

心配そうに眉を下げて、瞳も、今にも泣きそうなくらい揺らいで見える。
口調は強めで、何も見ないで声だけ聞いていたら、ものすごく怒られている感じがある。


「喉のほうは?症状」

【  痛いです 】

「どんな風に?」

【焼けるみたいに、熱いの】

「………そう…、」


あたしの病気は、なかなか症例がないらしい。
喉の病気だってたくさんあるにもかかわらず、ここまで治りが遅い病気は
なかなかないと、うみ先生に初めて会ったとき教えてもらった。

生まれつきなのもあるし、今までに見られない症状も時々あって、
うみ先生はあたし以外診察しか外科医の仕事はしていないし、
逆にいつもこの病気について研究してくれている。
資料をかき集めて、ひたすら研究してくれている。



あたしの周りには、優しい人たちがたくさんいてくれる。

だから、有香ちゃんや葵ちゃんみたいにあたしのことを本気で嫌う人がいても、
あたしは生きていられる。大切に思ってくれる人がいるから、生きられる。


「羽無ちゃん治りは早いほうだと思うの。多分一週間もすれば歩けるようになるでしょ」

【 ありがと う。 あのね、うみ先生】

「ん?」

【絶対に、伝えないでほしいひとがいるの】


うみ先生がカルテを近くの机の上に置いて、椅子ごと寄って来る。
そうっと、頭を撫でてくれる。
途中撫でられる感触が違ったから、多分包帯が巻かれているんだろう。


「………………雲雀、恭弥さんね」


優しい声音。

こくん、頷くのと一緒に頬を水滴が滑った。
景色が揺らいで見える。ああ、もう、あたしの馬鹿。泣き虫。


「さっきね、副委員長の草壁さんから電話があったの」

目が大きく見開かれる。そんな、まさかもう連絡が、

「羽無ちゃんの行方を聞かれてね。診察に来ただけって伝えておいたよ」

胸の奥がぎゅうって、苦しくなる。
口パクでありがとう、うみ先生がいつものことよと微笑んでくれる。

「……どうせ、まだ三年前のこと=A雲雀さんに言ってないんでしょ?」

「………」コクリ

「…いつか必ず、話さなくちゃいけないときがくるのに?」

「…………」

「力を使う彼の隣にいるっていうのは、そういうことなんじゃないかな」

「……………っ」

「………ねぇ羽無ちゃん」


目を瞑ったら、涙が溢れてきた。
涙が溢れれば溢れるほど、胸の奥が痛くなる。


「嘘を、つく必要はないんだよ」





ごめんなさい、ごめんなさい。

でも、




あたしが弱いことを知って、彼はなんて言うと思う?


なんとなく分かるの、



「弱い草食動物には興味ないよ」


きっとあのひとのことだからこんなことを言うに決まってる。





だから、嘘をつかせて。

まだ彼の近くにいたい。


だけど、雲雀サンと有香ちゃん達が会ってしまったから、
きっともうすぐ、






あたしは、お別れしなくちゃいけないんだ。



雲雀サンに、嫌いだと言われる前に、





─────………







「委員長、やはり南の居場所が掴めません」

「そんな筈はないよ、彼女が血塗れで倒れていた目撃情報は僕にだって入ってるんだから」

「しかし、彼女の主治医ですら、診察で訪れただけだと…」

「言い訳はいい。僕のところには彼女が見つかった=Aその報告しかするな」

「委員長……っ」

「さっさと捜索を続けなよ。それとも、君が僕の苛々を解消してくれるの?」

「い、委員の者総出で捜してきます!!!」



騒々しくドアを閉めて、廊下を走る草壁の足音だけが聞こえる。
あいつ、廊下は走るなって常識も分からないのか。あとで咬み殺そう。







昨日帰宅してから彼女と連絡が取れなかった。


僕よりも先に帰った筈の南。最初は偶然だと思った。
でも、今朝電話をかけても応答がないまま留守番電話に切り替わった。
胸の中が気持ち悪くなっていく。なんだ、この感情は。嫌な予感がする。
僕はメッセージも入れぬまま一度切って、すぐさま草壁にかけ直した。


そして、今に至る。






あいつらに任せておくのもなんだか忍びなくて、僕自ら捜しに行こうかとも思った。
けれど、もし万が一応接室に来るかもしれない彼女と入れ違いになったらと思うと、
なかなかこの空間から抜け出せなかった。




ここのところ、彼女は必死にごまかしていたようだけど様子がおかしかったし、
今朝登校する時に彼女のマンションの前を通ったら、道の真ん中に血痕があった。
それが南のものだとははっきり言えないのに、益々僕の中の不快感は増していく。


とうに授業は始まっている時間なのに、欠席の連絡さえ入っていない。
委員の奴らに南の自宅まで行かせてみたものの居る様子ではなかったとのこと。
まったく、何処に行ったんだ。行方不明だなんて冗談じゃない。




それから、僕の頭の隅でちらつく存在。
夏祭りの日、南に暴行を加えようとした女子、
そいつと同グループであろうもう一人の女子。
あの時は尻尾を巻いて逃げたけれど、僕が居ない隙を見て彼女にまた
手を出していたらと思うと冷たいものが背中を駆け下りる。




嫌な予感。そんなぼんやりとした定かでないものだけど、不安…だろうか。
南の存在が掴めない今、僕の心臓は早鐘を打ち続けている。
何処だ、何処に居るんだ。捜しても見つからない、向こうから連絡もない。
いつまでこの僕に手間を取らせる気だい?いい加減返事をしなよ。




制服のポケットから携帯を取り出し、焦り気味に開く。
勿論彼女からの着信はない。
電話帳を開く動作も惜しくて、暗記した彼女の携帯電話番号を入力する。
耳元に携帯を当てる、1コール、2コール、3コール。
結局また留守番電話に切り替わる。苛々、苛々。怒りを込めた指でボタンを押し、切る。

さっきからこの動作を10分おきにしている。
彼女の携帯の不在着信は今頃30件を越えているのではないだろうか。







彼女が僕に何かをひた隠しにしているのは分かっている。
けれど、それは僕が無理に聞いていいものではないと思う。

彼女が話すまで、待っていなければいけない気がする。




だけど僕は、後にこれを無視し、彼女の口からではなく、
他の奴から彼女が隠していたこと≠聞くことになる。






南、何処に居るんだ。

返事をして。






じゃないと僕は、君を見つけられないよ。






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