ようやく風邪を治して、登校した。


その日一日委員長様に呼び出されることはなく、
放課後応接室に寄ると、委員長様のかわりに、
副委員長様こと草壁さんがいて。


あたしは、終日未定の休暇を言い渡された。


そして、その間、


絶対に応接室に近寄るなと言われた。


これは、どういうことですか、委員長様。



もうあたしの罰ゲームは、終わりだ、ってことですか。



05:突然の休暇





委員長様こと雲雀恭弥様に顔を合わせないこと一ヶ月近く。


いつ「休暇は終わりだ」と言われてもいいように、学校に来るときは
腕章を必ずつけている。

登校時間は一般生徒と同じ。
花と京子と一緒に学校で過ごす時間ももと通り。
そして下校時刻も、居残ることなく二人と帰るのだ。

一緒にケーキショップに行ったり、ショッピングをしたり、
土日は少し遠い駅まで出かけたり。


あたしが風紀委員になる前と、全く同じ生活。

戻ったんだ。

あたしの腕の腕章以外、あの短い日々が現実だったことを知らしめてくれる証拠は
もう、どこにもなくて。

帰り道、風紀委員の人に会っても、まるで知らない人のようにすれ違っていく。
前は、ぶっきらぼうにも挨拶してくれるいい人たちばかりだったのに。

今更になって、ようやくわかった。

暴力は嫌い、委員長様も風紀委員会も大嫌い。

だけどそうじゃなかった。

本当は町を守るために、ちょっと歪んだ風紀を守るために、
あの人たちは守るために力を使っていた。
暴力じゃないよ、あの人たちが優しいんだって、証明してるんじゃない。

あたしは、委員長様と、草壁さんと、風紀委員の人たちと、
一緒にいられることをいつからか嬉しく思っていた。


委員長様がココアを淹れてくれたとき、
倒れていたあたしをベッドに移してくれたとき。

不器用なあの人の優しさに気付いた。

草壁さんが委員長様にこき扱われたあたしを慰めてくれたとき、
休暇の言い渡しをやわらかく言ってくれたとき。

繊細なあの人の優しさに気付いた。

風紀委員の人たちがぶっきらぼうに挨拶してくれたとき、
南さんとようやく名前を呼んでくれるようになったとき。

素直じゃないあの人たちの優しさに気付いた。


休暇なら休暇でいいじゃない。
どうして無視するの?
あたしはもう風紀委員の一員には戻れないのかな?
なにか間違えてしまったかな?



放課後。
少し寂しさを覚えつつ、花と京子と下校するため校門に向かう。

今日も、なんにもなしか。
やっぱり、これは遠まわしに「退会だ」って言われてるのかな。


ふと、空を見上げる。
考えなしにそのまま上を見たまま振り返った。





屋上のフェンスから、こっちをじっと見ている委員長様がいた。





委員長様は一瞬ほんのちょっぴり目を見開くと、

そのままあたしの視界に映らないほうへ消えてしまった。



目が合った。


あたしを見ていた、ってことでいいんだよね?

でも、なんで。



なんでそんなに。



久しぶりに、一瞬だけ彼の顔を見ることができた喜びよりも、
彼が気付かれてはいけなかったように去ってしまったことの寂しさのほうが大きかった。



***



彼女に自由を言い渡してから一週間。

僕はというと以前より進みの遅い仕事にイライラしていた。


彼女は草壁が伝えた通り一切応接室には近寄らなかった。
以前のように僕だけの応接室に戻ったというのに、

どうしてこんなにも彼女の面影を探す自分がいるのか。


視界には誰もいないソファー。

南がいつも座ってたな。
傍らに鞄とスケッチブックがあった。


給湯室にはインスタントのコーヒーの隣に並ぶインスタントのココア。

南が初めてしゃべったのを聞いたのは、
『ココア、飲みたいなぁ』 だった。
彼女の仕事にしてやろうと決めたのもこのときだった。


校内の見回りをすれば、保健室の扉が開いていた。

南が泣いたのを見たのは、ここが初めてだった。
嫌いだと言っていた風紀委員の仕事を、
体を壊してまでさせるのはもうやめようと、彼女の休暇を、
退会を決めたのもこのときだった。



あちらこちらに、記憶のかけらが多すぎて、
僕は彼女を懐かしく、そしてまた会いたいと思った。

だけど、


『ごめんなさい』



あの表情が、色濃く鮮明に甦ってしまって。

そうさせたのも僕だと思ったら、なにがなんでもだめだと思うようになった。


南を望むのはいけないと思うようになった。




下校時刻になった。


屋上から校門の方をなにとはなしに見つめていると、
体育祭の日に声をかけた女子生徒二人と帰ろうと校門に向かう南を見つけた。


彼女があの二人とよく行動を共にしているのは知っていたから、
体育祭の日、南を二人に任せて僕は彼女の前から姿を消した。


なんだろう。


ここ一ヶ月見ていなかったあの背中を見て、
落ち着いている自分がいる。




ふと、空を見上げた南。

そのまま、こちらを振り返って、



僕に気づいてしまった。






無意識のうちにフェンスのそばを離れて、校舎に戻っていた。





南の顔を見た瞬間、
体が言うことを聞かなくなって。

別に彼女を避けているわけではない。
なのに、この胸のうちに渦巻く不快感はなんなんだ。


僕はそのまま、応接室に戻ると、執務を行うべく席に着いた。

振り返って窓から校門のほうを見ると、


彼女は、南はもうそこにはいなかった。





「委員長、失礼します」


草壁の声にはっとし、出入り口の扉へと向き直る。

「あの、……委員会とは関係ないのですが、一応ご報告をと…」

「何」


そのあとの草壁の声に、僕は我が耳を疑った。



「南さんが、委員長ともう一度だけお話がしたいと…」


町の見回りの帰り、彼女とすれ違った草壁は、無視したもののどうしてもと引き止められ、
そう、告げられたらしい。


「明日、学校は休みですが、昼ごろ応接室に来ると…」

「そう。その間僕は見回りに行ってるから」

「委員長…!」

「だって、そうだろう?彼女は僕も、この委員会も嫌いだったんだ。
無理させることなんて無い」

「ですが…」

「僕に口ごたえするのかい、草壁哲矢。」

「……失礼しました。引き続き、違反者の取締りをしてきます」


そういって、草壁は応接室を出て行った。



─────………



翌日。

あたしは、草壁さんに伝えたとおり、学校に向かおうとしていた。

…けど、病院のほうが先だ。



「もう大分治ってきてるじゃないか。大声を出したりしなければ、
そろそろしゃべってもいいんじゃないかな」

【本当ですか!!?】

「あぁ。その代わり、少しずつだからね。
絶対に、口論とかしちゃだめだよ」

【はい!ありがとうございます!】


のど飴をいつもより少なめにもらって、あたしは病院を出た。

ケータイの時計を見れば13時過ぎ。

あちゃ、予定よりも時間遅れちゃった。


ふと、さえずる鳥の声。


空を見上げたら、二羽の小鳥が、仲良さそうに羽ばたいていった。



病院の玄関口を出て、急いで学校に向かおうと方向転換したときだった。


「…………なんで、ここにいるの」



委員長様が、目の前にいた。


【病院、行ってたんです】

「そう。じゃあ僕は行くから」

「待って…」


今までで初めて、意識して声を出した。

委員長様は驚いた様子で振り返る。


「君、声…」

【少しずつなら、もう、大丈夫だって言われました】

「………良かったね。僕は君に用なんて無い。じゃあね」


走って委員長様の手を掴む。
振り払われるかと思ったけど、

委員長様は、「なんで」とこぼして、こちらを見ないまま黙り込んでしまった。


「どうして、あたしは休暇なんですか」

委員長様は、無言。

「もう、お仕事しちゃだめなんです、か」

委員長様が、ほんの僅か、ピクリと跳ねる。
掴んだ手からじゃないと、感じられないくらい、小さく。


「雲雀サン、の、近くにいた、時間、ほんとは、…」



好きだったんです、



だって、他人を寄せ付けないあなたの隣にいられたことって、とても嬉しいの。
あなたの特別になれた気がして、嬉しかったの。

あなたの淹れたココア、インスタントだって言ってたのに、


心の芯まで温まったんですよ。

とても、おいしかった。

また今度、淹れてください、

ねぇ、雲雀サン。


もう、たとえ心のうちとはいえ、委員長様なんて他人のような呼び方はやめようか。

雲雀サンって、ちゃんと名前を呼んでみようか。



それは、まるで許されない領域のようだったから、今まで避けていたのだけど。


「雲雀サン、あたし、もう一度、


風紀委員、に、戻りたいです」


雲雀サンは、あたしを見て、今まで見たことの無い綺麗な微笑を浮かべた。


「僕は君の声に犯されたみたいだ」


漆黒のその人は、あたしに向き直って、言った。


「南、君みたいに素直に意見を言う子は初めてなんだよ。それに加えて、
僕は君の声を気に入ってしまったらしい」

雲雀サンは、あたしの頭に手を乗せて、いつもの『委員長様』に、戻った。


「君を、再び風紀委員にしてあげる、そのかわり、もう逃がさないよ」



認めてもらえた。
なんだか、とても、嬉しい。

「あぁ、それと、」

先行く雲雀サン。
後を追おうとすると、


「なんなら、僕の彼女にも、してあげようか」


また、からかう目つきの雲雀サン。

自分の顔に蒸気が上るのがわかる。




「け、けっこうですっ!」


必要以上に心臓がバクバクいってるよ。
もう、やっぱり雲雀サンは意地悪だ、優しくなんかなかった。


だけど、わかってしまった自分が嫌だ。


『僕は君の声を気に入ってしまったらしい』


それを言われたとたん、胸の内がドクン、とはねるのが分かった。




あたしは、どうやら苦手な恋に、手をつけてしまったらしい。



***








好きだったんです、




もう耳について離れない音質が、紡ぐその八文字。


無自覚のうちに目が見開かれる。





僕にはそんな感情ないと、知りたくもないと思っていた感情。


あぁ、君が苦手だと言った理由が分かったかも。




僕は、彼女の声どころか、


存在そのものに犯されてしまったらしい。



「僕の彼女にも、してあげようか」


からかったつもりが、本心になってしまうなんて。

僕らしくないっていうより、




久しぶりに上機嫌になる僕。

後ろから駆けてくる君の虜になってしまったなんて、




しばらくは、冗談でも言えそうに無いな。



「ほら、帰ってたまった資料片付けてもらうよ」といえば、

また笑う君。




安心しなよ、当分君に休暇はないからね。


柄にも無く、僕は心のうちで自嘲気味に呟いた。




それから僕が、風邪を引いて入院したのは、また別の話で。


next.


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