今日はいつになく群れが少ない。 退屈だと少しゆっくり見回りをしていれば、商店街の時計は8時を回っていた。 僕としたことが、ちょっとした気分でこんなに時間を費やすなんて。 群れをあまり咬み殺していないせいか、少し憂鬱だ。 帰って南をからかうか。 そんな心持ちで、僕は並中への道を辿った。 *** ようやく終わらせた資料の束。山というほど無いのがせめてもの救い。 頭が痛いな。低血圧じゃなかったはずなんだけど。 かなり朝早くに起きたけど、眠いだけで別に頭痛は無かったんだけどな。 冷めてしまったココアに手をつける。 …うん。ココアは冷たくてもおいしい。 あたしの中でココアは究極に近い飲み物なんだよね。 今度ココア味のプリンも作ろうかな。あ、プリンパフェっておいしそう。 あたしがカップを持ってにまにましていると、突然「何笑ってるの」と声をかけられた。 【あ、終わらせておきました】 「ん。そこおいといていいよ。…で、君、もう8時半過ぎてるけど」 目を見開いて時計を顧みる。 …やだ、ホントに過ぎてんじゃん! 通学鞄を荒々しく手にして、ペコリとお辞儀。駆け足で応接室を出た。 「………そんなにおいしかったかな、これ」 委員長様が、あたしのカップを見つめたのは、たぶんあたしの背中が見えなくなってから。 「おはよう、羽無。今日も委員会?」 教室に入るなり、いつもと変わらない京子が笑顔でお出迎え。 ジャージ姿なのをみて、今日が体育祭だってことを思い出す。 隣で花が「頑張りすぎて体壊さないでよ」と心配してくれる。 まぁ、理由は一緒に遊びにいけないから、とかなんだろうなぁ。 あたしが風紀委員会に強制で入らされてから、毎日忙しくて二人と遊んでいる暇がほとんど無い。 その前までは結構一緒にショッピングとか行ってたんだけどな。 今度委員長様にお休みのお願いをしてみよう。頑張りまくってるから、きっと許可もらえるよね。 そしたら、久しぶりに三人で過ごそうね。こころの内で、一人呟いた。 二人が他愛もない話をしているのを微笑ましく見ていると、放送がかかった。 『1学年は校庭に出てください』 そっか、階段混雑になっちゃうから学年ごとに校庭出るんだよね。 あたしは一人、ジャージ姿の皆の中に、制服姿で混じった。 花と京子、二人の後ろにちょこんとくっついて。 *** 開会式が行われるころ、あたしは一人応援席で座っていた。 見学者だから、一番後ろ。眠たい目をこすりながら、皆の背中を見つめていた。 いまさらになって布団が恋しい。少し寒気もする。 空は青空。誰かが「体育祭日和」なんて言ってたっけ。 太陽はあんなに眩しいのに、吹く風が少し寒い。 邪魔にならないように、髪を適当に一本にまとめる。 日本人のとは違う髪の色。父似の色。 瞳の色は母そっくりでちょっとこげ茶のまじった深い色。 やっぱり皆とは少しずつ違うんだなぁ、なんて。 委員長様を思い出してみた。 あの人は、髪も瞳も純粋な黒で、服装も学ランだから、本当に真っ黒。 でも、その真っ黒さは、多分純粋な白より綺麗なんじゃないかな。 肌の色は少し白っぽくて、なんだかそこだけあたしに似てる。 彼はきっと純粋な日本人なんだろうけど、って薄笑い。 あぁ、なんでだろう。 二週間もしてないのに、あたしこんなに委員長様のこと知ってる。 きっと、最近は応接室にいたほうが長かったからだよね。 あと、あたしは声が出ない代わりに視力と耳の良さが自慢。細かいものまで見えちゃうし、聞こえる。 だから、きっとそのせいだよね。何度か見たら、大概は覚えてしまう。 物覚えもけっこう良いほうだから、優等生になりがち。 体育と音楽と、あと理科が並のちょい下でやばいんだけどね。 小学生のころはこんなでもなかったんだよなぁ。 そう考えたら、ふと甦るあの忌まわしい声。 『あんたなんかがいるのがいけないのよ!』 『いい気になってんじゃないわよ、バーカ』 目を閉じて、耳を塞いで。 少し、体が震えたその瞬間、 「…………羽無?」 肩に手が置かれる。京子だった。 心配そうな京子の表情。 あぁ、この子はまたあたしを。 あたしを暗闇から連れ出してくれた京子。 もう迷惑も、心配もかけないって決めたのに。 大丈夫、京子にだけは目で伝えられる。 もう、へいき。 瞳の色が、いっそう深くなって、京子は、うん、と太陽のように笑った。 競技が始まる。あたしのすべきことは特になし。 てゆうか、頭痛がさっきよりもひどくなってきてる。 山本くんが一位とったり、ツナくんがピョンピョンしたり、京子がそろそろ行ってくる、とか。 なんだか全然ついていけてない。 風が寒い。体温も下がってきたかな。 先生に言い置いて、あたしは校舎の中に入った。 ふらふらと、おぼつかない足取りで保健室への道を辿る。 最近、保健室にはお世話になってる。 うーん。頭がボーっとしてきたぞ。 静かに保健室の扉を開ける。 季節の変わり目、もう過ぎたよな…。 風邪、ひいちゃったのかも。なんだか熱っぽいし。 体を引きずるようにしてベッドのほうへ歩みを進めていたそのとき、 捻挫していたほうの足が、がくんとくずおれた。 やばい、足が。 動かない。 倒れる寸前に、あたしは重たい瞼を閉じた。 記憶が甦る。鮮明に、罪だというように。 あたしは、無知だった。 だから、あんなことになったんだ。 ひばりさんも、風紀の皆も、関係ないよ。 無知だったあたしのせい。 そしてそのせいでいつまでも引きずって、迷惑かけてるのも、 全部、あたしがいたから。 声が、聞こえた。 とおくから、呼んでる。 …………え、 呼んでる…? 「南」 視界は、真っ白な天井と、薄い黄色のカーテン。 そこに、一際目立つ、黒のひと。 「………り、さ…」 雲雀恭弥そのひとが、あたしが嫌いな委員長様が。 いまは、いまだけは、 すがりついて泣いてしまいたいくらい、何故だか愛しかった。 *** 「びっくりしたよ。君の代わりに校内見回ってたら、へんな呼吸音がした」 僕が、外の群れてるやつら全員咬み殺してしまいたいな、とか思いながら見回りをしていれば、保健室で倒れてるのは今日朝その背中を見送った南羽無。 なんだかひどい熱。 白い肌は触れると予想以上に熱くなっていた。 とりあえずベッドに動かしてやって、そのまま見回りに戻ろうとしたんだけど。 学ランの裾をつままれて、まだ夢でも見ているような瞳で、 「ごめんなさい…」 あぁ、どうして君はこんなにも凛とした声音なんだろう。 聞き入ってしまう自分がいやになる。 一粒だけ、南の頬に涙が転がった。 そばについてやっていると、南の眦から次々と涙がこぼれていく。 指で拭い取ってやれば、うっすらと目を開ける。 「南」 声をかけた。かすれるような声で、僕の名前を呼ぼうとしているのがわかる。 起き上がろうとする彼女を「だめだよ」と声だけで制止させた。 「すごい熱だよ。多分疲れから来てるのかもね。ここで休んでなよ。 僕は騒がしい外にちょっと行ってくるから」 彼女に有無を言わせず一方的に言い捨てて。 弱った南を保健室に置いて、僕は逃げるようにそこから立ち去った。 『ごめんなさい』 彼女の声が脳内に響く。 あれは、何に対しての謝罪だったんだい? 返事なんて、期待していない。 彼女の涙を拭ったとき、ふと、南も泣くんだと思った。 僕が今までに見た彼女の表情。 一番最初が、怖がってる顔で、 次に怒った顔、 それからは笑った顔ばかりだ。 何故、彼女は泣くんだろう。 謝るのは僕のほうだろう。 ここ最近、使えるからと無理をさせたに違いない。 なんだかもやもやしてはっきりしない胸中のいらつきを、 向こうの総大将にあいまみえれば赤ん坊に会えるかもしれない、 という期待で塗りつぶした。 *** 結局そのあと、花と京子が迎えに来てくれて、あたしは委員長様ともう一度会う前に学校を出てしまった。 「びっくりしたのよ、急に声かけられたんだから!」 花が、ちょっと怒るようにあたしに言う。 誰に?と首を傾げて見せれば、 「あの雲雀恭弥に、よ!」 委員長様が? 「保健室で寝てるから、迎えに行ってあげて、って…。 羽無、良かったね、あの人、羽無の心配してたんだよ」 あの他人をどうとも思わない委員長様が!? 嬉しい、とはなんだか素直に思えなかった。 ただ、夢の中で聞こえたあの声は、確かに委員長様のもので… 軽く腫れてしまった目。 委員長様に、泣いてるところ見られちゃったな。 からかわれたく、ないなぁ…。 はぁ、とため息をひとつ。 少し冷めた熱。早くちゃんと治して、仕事頑張らなきゃ。 あたしが唯一できることって、それくらいだし…。 こほん、と咳ひとつ。 なぜか優しかった今日のあの人に、夕空を見上げて思いを馳せた。 この空の向こう側で、そのあの人が咳をひとつ、したのなんて。 見えるわけが、なかった。 あーあ、体育祭。結局何も出来なかった…。 それから3日ほど、あたしは家から出られなかった。 next. (一回ひいたら治るの遅いんです、) [prev] [next] back |