なかなおりのきもち
目が覚めると、エリシュカはベッドに横たわっていた。
「え……あれ、」
起き上がると、傍らに荷物があるだけで誰もいない。
灯籠の揺らめく光が室内を照らし出している。ベッドがいくつか並んでいるが、眠っていたのは自分だけのようだ。
ぼんやりしていると、足音が近付いてくる。いつでも逃げ出せるように身構える。
そろりと姿を現したのは、
「あ、エリシュカ姉ちゃん…!目が覚めたんだね」
「っコリン!……っく、」
ずっと探していたはずの村の子、コリンだった。
ベッドを飛び出そうとしたものの、身体中がびきりとひび割れしたように痛んで、思わず呻きながら縮こまる。
「あぁ、ダメだよ動いちゃ。お姉ちゃん、道端に倒れてたんだよ」
「え……」
「ひどいケガはないみたいだけど、もうしばらくは休んでいて。ボク、みんなにエリシュカ姉ちゃんが起きたって言ってくるね」
言われてみると、確かにエリシュカの記憶はミドナとの会話の途中でぷつりと途絶えていた。
自分は身体が弱いどころか、健康体であるのが自慢になるくらいには病気もしたことがないというのに。一晩眠らずにいただけで、こうも疲れるものだったろうか。
「わぁ、エリシュカ起きた!」
「エリシュカさん、大丈夫〜?」
すぐにパタパタと駆け込んできたのはタロとベス。ベッドから動けないでいるエリシュカの傍まで駆け寄ってきてくれた彼らを、彼女は両腕いっぱいに抱きしめる。
「良かった、良かった……!みんな、無事なのね。何処も怪我はない?」
「おう!怪物に連れ去られて放り出されたところを、この村の牧師様が助けてくれたんだ」
元気な声でそう答えてくれるタロの頭を撫でて、ほっと息をつく。
しかし、タロはすぐ表情を曇らせて告げる。
「だけど、イリアだけ他の場所に連れていかれちまって……」
「……そうだったの……」
ひどく心配した面持ちでいるタロを、もう一度抱き寄せた。きっと、子供心に自分達だけ助かったことに罪悪感を覚えているのだろう。
部屋の扉がまた開いて、背の高い影が入ってきた。髪の長い男性で、修道服のようなものに身を包んでいる。おそらく彼が件の牧師様だろう。
「御加減は如何ですか」
「まだ、少し所々が痛みますけど、大事ないと思います。あの、あなたが牧師様で?」
「はい、レナードといいます。こちらは娘のルダ」
柔和な微笑みを湛えている彼の後ろからすっと現れた少女。父によく似た、はっきりとした目鼻立ちに厚ぼったい唇が印象的な、穏やかで聡明に見える女の子だ。お辞儀をして挨拶をする丁寧さからも、礼節を弁えていることが分かる。
「あなたが私を運んでくれたんですね。子供たちまでお世話になって……重ねてお礼申し上げます」
「あぁ、いえ。子供たちは確かに私が教会でお預かりしていましたが、」
「え?」
「おまえを運んできたのはリンクだ」
声のした方を見やれば、相変わらずの読み取れない表情でいるマロの姿が。皆と同じように傍らまでやって来てくれる幼い少年を一度抱きしめてから、エリシュカは眉をひそめた。
「リンクが?」
「そうなんです。辺りが明るくなってきて、魔物達もいなくなった頃に、リンクさんがエリシュカさんを抱えて教会にやって来たんです」
「オイラの言ったとおりさ!リンクが助けに来てくれたんだ!リンクのやつ、ちょっと変わった格好になってたけど、剣と盾背負っててカッコよかったぜ!」
続けて、ルダが説明してくれる。レナードさんを見上げれば、同意するように頷いた。
タロの言葉に、再度首を傾げてみせれば、そっと横からコリンが口添えした。
「リンクなら、いま教会にいると思う……呼んでくる?」
「あぁ、ううん、いいの。ありがとうコリン。どうせあいつ、私の顔見たらまた機嫌悪くするんだから」
ゆるりと頭を振って遠慮をすると、周囲の子供達がしゅんと俯いた。ルダとレナードは訳がわからず顔を見合わせる。
「私を助けたのも、多分自己正義感からよ。落っこちてるものを拾わずにはいられない性分だもの、あいつは」
「あの……エリシュカさんとリンクさんは、仲がよろしくないんですか?」
「まぁね、私にも非があるからなんとも言えないけど……嫌われてるのよ」
おずおずと質問をしたルダに苦笑しながら答えたエリシュカ。
それに続くようにベスが声を上げる。
「ねぇ、エリシュカさん。エリシュカさんはベスたちに優しいけど、どうしてリンクにだけ意地悪をするの?」
「えっ?」
「リンク、悪いやつじゃないんだぞ!今回だってそうだし、優しくていいやつなんだよ!」
「…………ふふ、うん。知ってる」
「なら、なぜだ」
子供達の必死の弁明に思わず笑い声を漏らすと、マロが真意を問うてきた。
「うん、そうね……似てるのよ」
「似てる?」
「そ。だから、ほっとけなくて、つい意地悪しちゃうの。よくないクセだから、直さないとなんだけど」
困ったようにまた笑うエリシュカ。
機を見計らって、レナードが子供達を部屋から出すと、「食事を用意してきます」と言い残して彼もまた部屋を後にした。
またもや自分以外無人となった部屋を見渡して、ふぅと息をつく。
「ちびっこ達にまで心配させるなんて、アホか私は」
身体中がまだまだ鉛のように重たい。早いとこ体調を整えなければ、今後の目処も立てられやしない。
リンクに謝るのを先伸ばしにしてばかりの自分には、とうに気が付いている。
(怖い、なんて)
ばかばかしいとさえ思う。自分は、本当に不器用だ。
こんな自分、あの人には見せられない。そう思ってから、また自嘲気味に笑った。
何を馬鹿なことを。もうあの人はいないのに。
***
すっかり眠っている。
「黙ってりゃあマトモな面してるのにな」
「ミドナ静かに、起きるから」
夜が更けた頃、そっと様子を見に入った、元は宿泊施設の寝室。
子供達は彼女に気を遣って、教会に泊まり込むことにした。
なるべく音を立てないように傍まで寄ると、月明かりに照らされたエリシュカの姿が目についた。
附せられた瞼を縁取るような睫毛は長く、鼻筋も通っていて端正な顔立ちをしている。ミドナの言う通り、口さえ開かなければ美人の類いだろう。
ただの一牧童だった自分が言えた話ではないが、今でもこの仕立て屋の主人である女性が魔物相手に素手で立ち向かい、武器をふんだくるほどの力量の持ち主だったとは思い難い。
「なんだよ、夜這いに来たんじゃないのか?」
「バッ、違」
「誰?」
ニヤニヤと笑いながら肘で小突いてくるミドナに思わず大きく反抗してから、はっと息を呑んだ。静かにしろとは今自分で言ったばかりだった。
しかし、寝たフリをしていたのではと思うくらいには俊敏な動作で、エリシュカは目覚めてしまった。ミドナは間一髪俺の影に滑り込む。
「……あれ、リンク?」
目が合ってしまった。いつもは鋭く、真っ直ぐ見透かすような金色の瞳が、真ん丸に見開かれて揺れる。
「……お、おう」
「…………、ふふ、なにそれ」
動揺が漏れ出ると、彼女はまた肩を震わせて笑う。いつもの嫌みなものじゃなくて、穏やかな笑みだった。いや、普段も俺が偏見をもって見ていたせいかもしれない。
「ありがとう、あんたが運んでくれたんだってね」
「え?あ、あぁ。道のど真ん中で寝っ転がってるのもどうかと思ったからな」
あぁ、また余計な一言を。
やってしまった、と内心肩を落としながら、はたと気付いて俺はもう一度彼女を見やる。
「……いま、ありがとうって」
「うん」
「……初めて言われた」
「あら、そうだったかしら」
「……うん」
「そ?」
エリシュカに、リンク≠ニしての俺に礼を言われたのは初めてだった。
狼の姿で接した彼女とはやはり少し雰囲気が違うが、以前に比べたらずっと接しやすくなっている。
「……そっか、そうよね。私、あんたに礼のひとつも言ってなかったんだわ」
「……え、」
「トアル村に来たときも、今日も、私を助けて運んでくれたのはリンクだったわ。あんたには、助けられてばっかり」
髪を下ろした姿のエリシュカこそ、俺の知るエリシュカだった。その彼女がいま、俺に礼を言っている。
シーツを握る手のひらに力が込められているのを見ながら、言葉の続きを待つ。
「ごめんね、リンク。理不尽にあんたのこと、傷付けすぎたわ。別に、あんたを嫌ってたわけじゃないの。
……あんたは、もうとっくに私を嫌いだろうけど」
眉尻を下げながら、痛々しい笑顔を浮かべる彼女が、ふと愛しく思えてしまって。
俺は思わず、その手のひらに自分の手を重ねて言う。
「お、俺も悪かった」
「っ、」
「八つ当たり、してたんだ、たぶん。おまえの言うこと、一々当たってて、俺、まだまだ未熟だし、だから反抗して、突っ掛かって、余計なことまで言ったりして」
「……リンク」
「全然、おまえのこと考えてなかったんだ。だから、ごめん。
その……俺も、もう嫌いじゃ、ないから」
こんなことを伝えるのに、必死になりすぎだと、内なる自分がせせら笑っている。
それでもいい。こんなことを伝られなくて、今まで散々な言い様をしてしまったんだから。
「……リンク」
「…………何」
「ってことは、今までは私のこと、嫌いだったのね?」
更に重ねられる手のひら。
ぬるめの体温に包まれたことで、ふと自分が何をしていたのか思い出す。
冷静になって初めて、目前に迫ったエリシュカの顔に気が付いた。
慌てて距離を取ろうとする俺を逃がすまいとでも言うように、手に力を込めて離さないエリシュカ。さっきと打って変わって不敵な笑顔に血の気が上り下りして目眩がしそうだ。
「っ、あ、ど、ちょ、わっごめっ」
「ふぅーん、そっかぁ、そうなんだぁ」
「だぁぁああ、悪かったってば!とりあえず離せって!」
「ホント、田舎者って女性経験ないのね。手握られただけで耳まで真っ赤っか」
「うわあああもう!エリシュカ近い!」
「声が大きいっ。近所迷惑よ」
別に、手を握られたから赤面しているわけじゃない。……と言い訳したいが、そもそも何故自分が赤面しているかも分からないので言い訳すらできそうにない。
ていうかまじか。俺耳まで赤いのかよ。こんな暗闇でも分かるくらいに?恥ずかしすぎて窓から飛び降りたい。
「さぁて、リンク君?お姉さんずーっと気になってたんだけど」
「う、ちょ、」
「その格好はどうしたのかしら?おまけにボロボロ、端々が解れてるじゃない。直してあげるから見せてごらんなさいよ」
「待て。話し合おう、な?」
「えぇ、そうね。でもその前に……っ」
「っだぁぁあああ脱がすな!破廉恥女!エリシュカの変態!」
「男なら女々しいこと言わないの!」
「まっ待てって、せめて自分で脱ぐからぁぁあああ……───」
嗚呼、ミドナのやつ、影に隠れて大爆笑しやがって。
覚えてろよ、明日必ず……
その続きも考えられないほど、その夜俺は憔悴し切ったのだった。
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