あかいいとで、ぬいつけて



エリシュカに例の手紙を届けると、彼女はその場で読むなり泣きたいのを堪えるように微笑むから、俺は結局その日、何も彼女に伝えることができなかった。

後日、山羊追いも済ませた黄昏時。泉でエポナのブラッシングをしてやっていると、すっかりトアルの装束が馴染んだエリシュカがやって来た。

「あら、お邪魔?」
「べつに。……おまえこそ、」
「私は気分転換よ。たまには外の空気吸わないとね」

靴を脱いで泉に入ると、エリシュカはぱしゃぱしゃと水を跳ねさせて遊ぶ。子供のような無邪気さこそないが、なんだか楽しそうだ。

「………嘘。本当は、ちょっと寂しくって、あんたに会いに来たの」
「えっ」
「今日ね、部屋の片付けをしていて。そうしたら、旅をしていたときの荷物が出てきたのよ」

揺れる水面に反射する夕暮れの光。
その色を見て思い浮かべるひとは、俺も彼女も同じだった。

「ミドナ、元気にしているかなあ」
「ああ、……きっと元気だよ」

エリシュカは、ミドナが陰りの鏡を破壊してから影の世界に帰ることに気付いていたらしい。
それは紡ぎ屋の力で予知したのかと問えば、ただの勘よと微笑んだ。

「私ね、トアル村でこの泉がいちばん好きよ。とくに、こんな夕陽陰る頃が、いっちばん大好き」
「分かるよ。俺も気に入ってる」
「ふふ、……思い出すの。たった2年前だけど、もうずっと昔のことみたいに思えるあの旅のこと」

夕陽の温かさにミドナを、足元をさらうようにたゆたう水面にシャドウを。つらいことの方が多い旅路だったけど、たくさん俺もエリシュカも傷付いたけど、その数だけ互いに信頼を積み重ねてきた。
もう村でも見苦しい喧嘩をしなくなった。時折こうして、黄昏時に顔を見合わせてどちらともなく笑う。ともに旅をしていた頃から好きだったけど、平和になって、彼女の笑顔が見られるようになって、もっともっと好きになったんだ。


“じれったいなぁ!”


不意に、そう聞こえた気がした。
あの懐かしい声が、ケラケラと笑う気がした。
はっとして足元を見たけど、やっぱり自分の形をした影が落ちるばかりだった。


“言わなきゃならないことがあるんだろ?”


森中に木霊するような、けれど耳元で囁かれているような。ざわざわと木の葉が震える音に混ざって、聞こえるその声。エリシュカはどうやら気がついていないらしい。
思い出に浸る自分の記憶がそう感じさせたのかと思ったが、違う。こんな言葉は、交していない。


“お似合いだよ、オマエら”


そう聞こえたかと思うと、トンと力強く背を押された感触。思わず振り返ると、そこには毛艶の良くなったエポナがいるだけだった。
俺の背を押したのはエポナだろうか。それとも……。俺は頭を振って、エリシュカに向き直った。ばしゃりと水音を立てて泉に踏み込んだ俺を、驚くように見やるエリシュカ。やっぱり俺の気のせいだったのかもしれない。けど、それでもいいと思えた。


「エリシュカ、結婚しよう」


一息で言えた。

ずっとずっと胸につかえていたものが取れたような、けれどもう後戻りはできないような、そんな心地。
エリシュカはぼうっと俺を見つめたまま、しばらくしてから小首を傾げた。


「誰と?」

「俺と!」

「誰が?」

「おまえが!」


ああくそ、夕陽のせいとか馬鹿なこと言えないくらい顔中が火照ってるのが分かる。耳の先から火が出そうだ。
そんなに意外かよ!お、俺、それなりにおまえにアピールしてきたつもりなんだぞ……!

エリシュカの沈黙が長すぎて、段々と不安で息が出来なくなってきた頃、彼女は一言だけ呟いた。「本気?」と。
全力で頷くと、何故か彼女はぷすっと噴き出して、くつくつと堪えるように笑い始めた。

「な、なんだよ!」
「くっく……いや、ごめん、悪気はないのよ……ふふっ」
「笑うことないだろ……!」
「このところやけにまじめな顔して、何考えてるのかなと思ったら……っぷふ!あははっ」
「こーのーやーろー……」

「本当に、私でいいのね?」


不意に笑うことをやめた彼女の眦には、うっすらと涙が浮かんで、今にも滴り落ちそうだ。
声が震えているのは、笑いを堪えていたからではなかった。

「おまえがいいんだ」

笑顔で告げると、エリシュカは口元を両手で覆った。ぽろぽろと涙がこぼれる。指のはらでそっと拭ってやると、もっと涙があふれて止まらない。

「返事は?」

彼女は、満面の笑顔で跳ぶように俺に抱きついて、こう言った。


「もちろんイエスよ、勇者さま!」





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