うたかたのさいかい
「先を急ぐのはいいことだが……どうしたんだ?」
「嫌な予感がする」
ミドナの言葉に、そうとしか答えられなかった。
フィローネが言うには、次なる結晶はオルディンの守りし地にあるらしい。探し人もそこにいる、と残して消えてしまった精霊の言葉を信じ、ハイラル平原へと出た俺。
空が暗くなり始めたのに気付き、先を急くも、何故か不穏な感覚を覚えて焦らずにはいられない。
獣としての直感が冴え始めてきたのだろうか。いや、今の俺は人間の姿だぞ……元々直感は鋭い方だけど。
「この先がオルディンの地だな。なんだ、案外近かったじゃないか」
元より城下町へのルートを把握するため、モイさんにハイラルの地図を見せてもらっていた。全土の地域の配置までは覚えていなくとも、幾つかの迂回ルートも含めて頭に入れていたので、ラトアーヌ地方から程近いオルディン地方の場所は大体分かっていた。
距離も徒歩で難なく辿り着ける距離に、空まで届くトワイライトの境界──あの禍々しい黒壁はあった。
相変わらず不気味な気配を醸し出している黒壁を見上げる。
足元の影から滑り出したミドナを見やる時、ふと何かが光を反射して煌めいた。
「!……これは」
「ン〜?短剣?しかも折れてるじゃないか、使い物にならないな」
「……エリシュカのだ」
「エリシュカ?村にいたあの雌か?」
「雌言うな」
どうして……何故これが此処に?
彼女は村にいるはずだ。それがどうして、彼女のものがこんな場所に。
もしかしたら、俺がいない間に再度村は襲われたんじゃ……!
「ミドナ、早くトワイライトに入れてくれ!」
「……ま、いっか。忘れるなよ?この地の光を取り戻すまで、オマエは獣の姿のままだってこと」
呆れたように笑って、壁の向こうに溶けて消えたミドナ。暫くすると、夕焼け色の手のひらが強く俺を引き寄せた。
引きずり込まれた先で、今度は激しい痛みも熱もなく、一度大きな脈動があったと思えば、俺は獣に姿を変えていた。
ミドナが背に着地した僅かな衝撃と重みを感じて一瞥すると、何故かミドナ本人が驚いた顔をしている。
「どうして、アレが……」
『え?アレって……、エリシュカ!』
彼女の見やる先を追い掛けるように視線を向けると、そこにあったのは地に伏したエリシュカの姿だった。
慌てて駆け寄ると、呼吸を確かめる。……大丈夫だ、気を失っているだけらしい。
髪も、いつぞやの様にポニーテールに結い上げて旅装束に身を包んでいる。おそらく、自力で村を抜けて子供達を探そうとしたのだろう。武器もないのに、無茶なやつ。
『って、なんでこいつトワイライトに……』
「それ以前に、見ろよ。魂じゃない、肉体をちゃんと持ってやがる」
『……!』
たしかに、俺はまだセンスを使っていない。なのに、どうして姿が見えるんだ?
試しに手の甲に触れてみる。きちんと質感もある、幻じゃない。
『ひとまず、こんな場所に野晒しにしておくのも危険だ。確か、この先にカカリコって村があったはずだから、そこまでなんとかして運べれば……』
「仕方ねーな、運搬は手伝ってやるよ。……ほうら、アソコでオマエを待ってる奴らがいるよ?先に片付けちゃおうぜ」
カカリコ峡を陣取る影の魔物を倒すと、空にぽっかりとポータルと呼ばれる穴が開く。ミドナ達影の者はこのポータルを用いてワープをすることが出来るらしい。
それならば手早くエリシュカをトアル村まで運んでくれ、と頼むと、それはやめた方がいいとミドナは頭を振った。
「この頑固っぷりなら、おそらくまた平原に出るだろ?そっちの方が厄介だ」
『う……一理あるけど……』
「にしても困ったな、橋がなくなってるじゃないか。奴らのことだから、適当に何処かに捨ててあるはずだけど……」
『あ、なら、俺に心当たりがある』
ミドナの力を借りて、ポータル間を移動しフィローネの森まで立ち帰る。森北部に放置されていた橋を運んでもらうと、ぴったり当てはまった。
エリシュカを運ぼうとミドナが影の力を与えてみせると、何故かエリシュカのつけていたペンダントがおもむろに輝き出す。
すると、眩しさのせいか、エリシュカはゆっくりと瞼を開けた。
「ん……、あれ……?狼さん」
「お、目覚めたか」
「んん?あなたは?」
「私はミドナ。オマエ、自力で歩けるな?」
こくりと頷いて立ち上がると、エリシュカはまじまじとミドナと俺を見つめた。
「……ミドナは、妖精なの?」
「はぁ?」
「だって、こんな不思議な小人見たことないわ」
「ばっ、小人ってなぁ……ワタシは影の世界の者!妖精なんかじゃない」
「影の世界?」
「ああもう、話は後だ!さっさと先に進むぞ!」
エリシュカはそう?と小首を傾げてみせると、一度膝を折って座り込み、俺の頭を撫でた。
「君が連れてきてくれたの?」
『まぁ、成り行き上ね。具合はいいのかよ』
「ふふ、ありがとう。私との約束守ろうとしてくれて」
トワイライトで肉体を保てるとはいえ、やはり俺の言葉は通じないらしい。
武器もないこいつを連れ歩くことに、若干の不安を覚えるが、道中こいつを拾うことが出来ただけでもましかもしれない。
「あぁ、カカリコ村に向かっていたのね。ちょうど私も行こうとしていたの、ご一緒させて?」
『それは勿論だけど……』
「んん?狼さん、なんて?」
「仕方ないから連れていってやるってさ」
「まぁ」
『ちょ、そんなこと言ってねえ』
すると、黒い影が横切ったのが視界に入る。影の鳥だ。
『エリシュカ危ない!』
「後ろだ!」
ミドナと俺が同時に声を上げたとき、そこにエリシュカはいなかった。
横っ飛びで魔物からの攻撃を避けると、懐に手を差し込んで……
「あれっ短剣が」
「オマエ、アレで戦うつもりだったのかよ?呆れたぜ」
ミドナがため息をついている間に魔物を仕留めてしまうと、エリシュカは手を叩いて感嘆した。
「すごい、狼さんさすが!」
『先が思いやられる……』
「うーん、自衛も出来ないようじゃ手間かけさせて悪いわよね」
そう言うと、モリブリンに似た魔物を見つけて、エリシュカは素早く背後から蹴り技を食らわせた。魔物が混乱している間に棍棒を引ったくり、叩きのめして打ち倒してしまった。
「よし!先に進みましょ」
「末恐ろしいな……」
『俺もいま初めて知ったよ……』
おまえ、ただの仕立て屋だよな。
満面の笑みで棍棒を担ぐエリシュカがあまりに逞しすぎて、俺とミドナは顔を見合わせて半眼になった。
***
「そんなことが……」
村へ到着する頃には、ミドナが現在のハイラルがどういった状況下にあるのかをすっかり話してしまっていた。
といっても、詳細な点はうまくぼかしており、ひとまず今自分達がいるのはトワイライトと呼ばれる精霊の加護が及ばなくなった領域であること、自分はそれを引き起こした影の世界の住人であり、ちょっとした探し物をするためハイラルを旅している、と説明した。
「じゃあ、ミドナは悪者なの?」
「さぁ?どうでしょう」
おどけるミドナ。でも確かに、ミドナの真の目的は俺も知らない。子供たちを探すためにはミドナの協力が必要で、その代償に影の結晶石の収集を手伝えとは説明されたけれど……集めたそれらの利用目的が分からない。
エリシュカは少し考えたのち、そっと微笑んで言った。
「私、ミドナは善い人だと思う」
ミドナが目を見開いて、彼女を見上げた。
「だって、私を助けてくれたわ。狼さんもいっしょに」
「おま、そんな……分からないだろ?ワタシはもしかしたら、オマエを信用させて利用しようとしているかもしれないんだぞ!」
「そうなの?」
「…………」
「私は、そうじゃないと思うの。まぁ、そうね、理屈は欠けてるかもしれない。論理的じゃないわ、ただの勘よ。でも、女の勘ってよく当たるって言うじゃない」
「……能天気なやつ」
にっこり微笑うエリシュカに呆れたのか、ぷいと視線を逸らしてしまうミドナ。
彼女の真意が未だ分からないけれど、悪いやつじゃないかもしれない。エリシュカの言葉を聞いて、尚更そう思ってしまった俺もまた、能天気なのだろうか。
村に入ると、そこはひどく荒廃していた。人間の気配がまるで感じられない。
「もしかしたら、建物の中に人がいるかも。魔物を恐れて避難しているのよ」
「んじゃま、人探しすんならオマエとは此処でお別れだ」
「そうなの?ミドナ、また会える?」
「会える……というか、会わなきゃならなくなる。オマエには、まだまだ聞きたいことがあるんだ」
ミドナの視線は、エリシュカのペンダントに向いていた。
首に提げていただろうそれは、紐が千切れてしまっているため腰元のポーチにくくりつけられており、鈍く暗い光を灯している。
「聞きたいこと?」
「なぁ、オマエ、そのペンダント、どこで──」
ミドナが問うたその時、ペンダントは光を失い、エリシュカは急に眠りについたように倒れ込んでしまった。輪郭を保っていた肉体が透けていき、やがて魂になる。
『……嘘だろ、どうして』
「…………」
『なぁ、ミドナ』
「あぁもう、キャンキャンうるさいなぁ!まずはトワイライトを晴らすんだろ?一生その姿で良いんなら、ワタシは構わないぜ」
ぐ、と押し黙り、遠目に見える泉に気が付いた俺は、少しの間逡巡してからエリシュカをそのままに、駆け出した。
ミドナ自身があまり明るい面持ちでない。一体あのペンダントは、なんだというのだろう。
***
エリシュカ、これをおまえにやろう嗚呼、やっぱりあなたなのね。
どうしたって、私はまだまだ未練ばかりで、あなたに顔向け出来そうにない。
こいつはお守りだ。大切に、肌身離さず持つんだぞ約束通り、いつも持っているよ。
ねぇ、これは願いを叶えてくれるんでしょう?
祈りを捧げて、希望を胸に抱くんだ。神は必ず応えてくれるじゃあ、どうしてずっと願っているのに、神様は叶えてくれないの?
強くなれ、エリシュカあの頃に、戻してよ。
誰も彼もが生きていた、あの頃に。
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