このいろをわすれない



「ミドナ!姫さんの体を傷付けずにあいつを追っ払うにはどうしたらいい!」


リンクが叫ぶ。
壁の向こうの小人は、小さな手のひらを拳に変えて負けじと叫び返した。


「ひとつ、大きな隙を作るんだ!!」

「隙?」

「ワタシの力でガノンドロフをゼルダ姫から引き剥がす……だから、この結界が無くなってそいつが攻撃できなくなるくらいの、でかい隙を!」

「つまり、一瞬意識が跳ぶくらいの派手なやつね!!」


先手必勝、とばかりにエリシュカが緑線の雷を放つ。しかしそれは敵を捕らえることなく散ってしまう。たかが剣一振りでだ。
それ以降も何度か鞭の如く雷の糸を敵向けて伸ばすが、弾かれたり切り裂かれたりしてろくに通用しない。


「っ……効かないなんて!」

「中身はガノンドロフでも、あくまで体はゼルダ姫だ……光の魔力を纏ってる!」

「成る程ね……!っと」


敵も黙ってこちらの様子を窺うばかりではない。またもや刃先に光弾を作り出し、彼らの足元にそれを撃ち込んだ。


「リンク!あれ弾き返せないの?!」

「弾けるけど避けられる!」


剣を横に薙ぐ。ひとつ光弾が跳ね返されるも、ゼルダはひらりとそれを避けて足元に正三角の結界を張った。
エリシュカとリンクはそれを避けるため、ゼルダから更に距離を取らざるをえない。


「……、ひらめいた」

「え?」

「リンク!次さっきのが来たら全部打ち返して!」

「はぁ?!全部!?」


策があるのか、エリシュカは影の力を使うとき特有の脚力で柱と柱の隙間を縫うように飛び回る。
リンクはやれやれと苦笑いを浮かべてから、手にしている剣をくるりと一回し。挑発的に口角を上げて、うっすらと犬歯が覗く。


「フ、策を張ったところで我に影の魔力は効かぬ……嘗められたものだな」


魔王は発光する剣を頭上高く振り上げると、今までで一番長く蓄積された魔力のかたまりをリンク目掛け放つ。小さなかたまりが幾重にも重なって大きな光となり目前に迫るのを、勇者は渾身の大回転斬りで全て跳ね返した。
威力そのままに姫へと返される光。ひらりと避けられたそれは、柱と柱の間の糸に弾かれ、複雑な軌道を描きながら宙でスピードを増していく。


「だからどうした」


眼前にまで迫った光弾を、潔く斬り捨てる魔王。足元にばちばちとけたたましい音を立てて四散する光に一瞥すらくれず、まだ切っ先の届くところにいるリンクに向けて剣を振り仰いだ。

次の瞬間、


「残念、さっきのは仮縫いよ!」


不意に床から、ゼルダ姫の体へ電光が走る。ばりばりばり、と彼女を捉えた稲妻は、力≠奪い意識を奪う。彼女のものではない、野太い魂の呻き声が木霊する。

エリシュカは、光弾を弾き加速させるための糸で柱と柱を縫い合わせ、それらが全て破られたとき、ゼルダへ向けて糸が伸びる仕掛けを床に施していたのだ。
所謂導火線であるそれは、僅かながらも術者であるエリシュカ自身にも光弾のエネルギーを運ぶ。ぴりりと痺れ痛む身体に少々苦い顔をしつつ、地に伏した主君である姫の姿を目で追う。


「ぐ……ぅ、あああ……」


苦しみながらも、勇気のフォースを宿した勇者へ手を向ける姫。
目は虚ろにちらつきながら、痺れて感覚のないだろう腕を必死に伸ばす。

しかし力及ばず、もう魔力を放つことはできない。その証拠に、結界壁が音を立ててはらはらと溶け消えた。


ミドナは言葉もなくするりと宙に立ち上がると、影の結晶石を取り出した。ひとたび瞬けば、その姿は異形のものへと変わる。
七つある足を勢いよく伸ばし、姫の身体をぎゅうと握りしめる。物理的な圧力よりも、影の魔力による圧力で圧縮された彼女は、声もなく意識を飛ばした。関節のない足で、ミドナは彼女をそっと玉座へ導き、解放する。

瞼を閉じる姫の肉体には、もう亀裂のような邪悪な紋様は浮かんでいない。あたたかい光を纏った姿は、あまりにも神々しくて息をしているかも疑わしくなる。


「姫様……!」

「もう大丈夫さ、暫くすれば目を覚ますよ」

「良かった……」


駆け寄ったエリシュカが、姫の頬に触れ、首に触れ、体温と脈を確認する。ミドナの言葉通り、姫の御身にもう危険はなさそうだと分かって、彼女は勇者と共に安堵の息をつく。

しかしそれも束の間の安心であり、脅威が完璧に去ったわけではない。
姫の肉体から引き剥がされた亡霊の底無き悪意と魔力は、塵となって寄り集まり、本性を剥き出しにした新たな肉体を成し始める。

聖剣を構え紡ぎ針を握り直す二人の肩を、力を抜けと言うように優しく叩き寄り添う者がいた。古き力の結晶を冠に戴きしもう一人の姫は、ニヤリと笑って二人に目配せをする。
もう言葉はいらない。二人もまた、いたずらに笑みを浮かべた。



ミドナが、二人の重なった影の中へするりと消える。
それが合図だったかのように、塵のかたまりだったものに陰影がつき、暗がりの中から巨躯の猪が姿を現した。


魔獣ガノン。リンクは、脳裏に似た影を思い浮かべながら、弱点を探る。


「くるぞ!」


ミドナの合図。突進してくる魔獣の横をすり抜けながら、一太刀浴びせる。がしかし、相手の勢いに押されて弾き飛ばされた。敵はこれっぽっちもダメージを受けている様子がない。

周囲の柱をすべて突き崩した後、踵を返し、再びこちらに向かってくるガノン。衝撃で未だ体勢を立て直せていないリンクを背にエリシュカが立ちはだかる。
紡ぎ針を円を描くように振るうと、蜘蛛の巣状に糸が張られた。躊躇うことなく突っ込んでくる魔獣の牙は、格子の隙間から入り込んで結界を引き裂いた。持ち堪えられない。エリシュカは反射的にリンクを突き飛ばした。ガノンの岩の如く重く、鋼のように硬い身体が彼女を意図も容易く吹き飛ばす。


「エリシュカ!!!」


彼女を目で追った勇者を煩わしいとでも言うように、頑強な拳で薙ぎ払わんとする魔獣。すれすれのところを石畳に飛び込んでかわす。
走り去るガノンが、空中で影の塵となり消えてしまった。異質な雰囲気は変わらず周囲に漂っている、必ず次の手を仕掛けてくるはずだ。神経を研ぎ澄まし、リンクは聖剣を握る左手に力を込める。


「落ち着け、敵をよく見ろ!処刑痕の腹の傷が開いてやがる。奴はまだ不完全なはずだ、突進してきたところを目眩まししてやれ!」


ミドナが言うと、不意に空間にポータルに似た紋様が浮かび上がった。素早く弓に持ち変えたリンクは、威力のある爆弾矢を番えて、浮かんでは消える紋様を目で追い掛ける。
ポータルが開いた。黒色の獣が、地を揺らしながら迫り来る。思い切り弓を引いた。ぎりぎりまで引き付けて、放つ。矢はぴゅっと風を切り、狙い通り敵の眉間に命中した。爆風と焔、煙と痛みで視界を奪われた魔獣は、足を踏み外して体勢を崩し、滑り込むようにぐたりと横になる。

すかさず腹の傷を聖剣で斬りつける。骨身にまで響くような雄叫びを上げて苦しむガノン。傷口からは眩しいほどに白く輝く雫が溢れだした。魔王だというのに、どす黒いどころか赤くもない血を流すのが、あくまで神の力を与えられし者だと主張しているようだ。


体を起こしたガノンが再び宙に姿を消す。弓を構えるリンク。しかし周囲にポータルが現れないことに違和感を覚えていると、突如上方に気配を感じた。
旅中で身に付けた咄嗟の野生の勘とでも言うべきだろうか、不意打ちの強襲を辛うじてかわす。固い鬣が視界の端にちらついた。今度こそ、と正面に向き直り弓を引く。しかし放った矢が届かぬうちに、魔獣は跳び上がり天井のポータルに姿を消してしまった。


「くそ……デカブツのわりにすばしっこいな!」

「魔獣って言ったってただの豚の化け物さ、まぁ相手も頭ン中までは豚になったわけじゃなさそーだがな。手を変えてきやがった」

「これじゃあ隙を作れない……!」

「……なら、獣には獣、魔獣には神獣で対抗するのはどうだ?!ワタシに考えがある!」


ぱちん、指を弾くミドナ。リンクの手のひらは、握っていた聖剣諸とも影の分子に分解され、膝をつく頃には千切れた鎖のついた足枷が音を立てた。


「怯まずに、ヤツの突進をまん前から受けるんだ!
リンクがいつもやってたことを、ワタシの力でやってみるよ」


背に感じる重みを頼もしく思いながら、リンクは感覚を研ぎ澄まし、敵が飛び込んでくる方角を探る。
ポータルは、右方、左方、右方と消えては現れるを繰り返す。はっ、と神獣は真っ正面に殺気を感知して、大きく一歩下がった。その瞬間、ポータルが開いた。先程までに比べインターバルが短い。飛び出してきた黒塊を避ける。
ずずん、と地響きを鳴らしながら大きく旋回した魔獣が、こちらを向いて咆哮する。

視線の低くなった獣の姿だと、先程より一層その体躯が大きく感じる。その気迫と存在感は他の魔物のボスの追随を許さない。しかしリンクは相棒を信じて、両後ろ足に体重をかけ構えた。
自分の身体より大きく鋭い牙が、自身目掛け突っ込んでくる。


「───ッ、ダァアッ!!!」


ミドナの夕陽色の手のひらが、ガノンの頭を鷲掴みにする。僅かに押し合いが続き、勢いに押される身体が滑らないよう、リンクもまた渾身の力で踏ん張る。
振りほどかれる前にと、ミドナは掛け声よろしく盛大に魔獣の身体を投げやった。

崩れた柱の瓦礫を散らかしながら、大理石の床にガノンが横たえられた。石屑の隙間を駆け抜け、飛び掛かる。鋭い爪で掴みかかり、おもむろに牙を立てた。
城中に響き渡るような叫びを上げる魔獣。白く輝く血が噴き出し、ぼたたと床を濡らしていく。


(とどめだ!)


リンクは、ぜいぜい息をついているガノンから一度離れると、力を込めた鋼の如き尾を叩き付けた。
ごうおう、と雄叫びを上げた魔獣は、身体を起こそうとして、しかし苦しそうに傷口を押さえながらうつ伏せに地に沈んだ。

動かない敵の様子を窺っていると、がらりと瓦礫の崩れる音。ハッとリンクは音のする方へ駆けていく。ミドナが背から降りて指を弾くなり、リンクは人の姿に戻って、壁に打ち付けられて動けずにいたエリシュカの手を引いて、立たせてやった。


「ッ痛〜……、」

「大丈夫か、歩けるか?」

「なんとか……」


足を引き摺るエリシュカを安全な玉座の傍へ先導してやる。彼らがゆっくり移動する間も敵は動く様子がない。エリシュカはほうと息をついて、「終わったのね」と微笑う。
ぱちぱちと自然発火し出した魔獣の姿に、リンクもまた少し肩の力を抜いた。

するとほのかな光がミドナの身体から湧き出す。その光の粒子の行方は、ゼルダ姫のもと。
全員が光の大地を統べる姫へ視線を向ける。彼女はふる、と瞼を震わせてから、目を覚ます。


「……ひ、姫さん……ワタシ、ワタシ……」


エリシュカとリンクがほうと胸を撫で下ろす傍ら、ミドナはわなわなとくちびるを震わせて、今にも泣きそうな面持ちで彼女を見つめた。
当時己の世界しか救う気のなかったミドナが命の危機に瀕した際、その身に宿したフォースの力で救ってくれたゼルダ姫。ようやっとその目が開かれた。溢れ出す感謝と同時に、以前の自らの愚かさを思い知る。
彼女の言わんとするところを分かってか、ゼルダは柔らかく微笑みながら口を開く。


「何も言わないで、ミドナ。短い間とはいえ、私の魂は貴女と共にありました。……貴女の受けた苦しみに比べたら」


同じ国を支え民を導く立場の者として、思うところがあるのだろう。ゼルダもまた、沈痛な面持ちでミドナを見やった。


水をさすように、悪意のかたまりがごうおうと燃え上がる炎と化して迫る。炎の背後には骨身を剥き出しにした姿で、炭のようで鉄屑のような得体の知れない芥が横たわる。
邪悪なほむらに実体はなく、本能的に触れてはならないと感じる。姫と負傷の紡ぎ屋を背に庇いながら後退る勇者は、しかし成す術なく剣を構えるしかない。


肌が焼け爛れそうな距離までそれが迫ったその刹那、



「ッミドナ!」


エリシュカの声に振り向く。結晶石を取り出だし、ミドナは固くくちびるを引き結んで亡者の怨念を見据える。
彼女がこれから何を為そうとしているのか瞬時に理解したリンクが、腕を伸ばす。そう遠くない場所にいるのに、あと僅かな距離がもどかしい。


彼の指先が、小さな肩にふれる寸前。
実体はほどけ影の塵となり、勇者は後ろの二人諸とも強制的に空間転移させられてしまう。
視界が暗転するその瞬間まで、彼は相棒を見つめ続けた。彼女は、ひどく穏やかで優しい顔で微笑い、彼らを見送る。


彼らに代わるように、顕現する気配がひとつ。


「呼んだ覚えはないぜ」

「王の器≠ノ使われてこその、影の真珠だ」

「……なら、遠慮なく」



影の結晶石が、小さな身体を覆い隠す。
古き大いなる力は、彼女の意識を奪いながらも、目前の宿敵に戦意を剥き出しにする。

魔力のかたまりで七つ足のバケモノに変貌した彼女と共に、シャドウもまた巨大な槍に姿を変えた。
関節のない足を巻き付け、しっかりと握りこんだそれを、彼女は大きく仰け反った勢いのままに突き立てた。

魔力と魔力の応酬。目映いまでのほむらが彼女の身体を焼き溶かしていく。鋭利な矛先は奴の核を貫かんと力強く押し進められた。


衝撃に耐えられず、城がみきみきと嫌な音を立て始めた。
がらがら、壁が崩れて隙間から黄昏の空が覗く。



(オマエ達に出会った日も、おんなじ色をしていたっけ)



力に引き摺られ自我などとうに遠退いたはずの彼女の脳裏に、心洗われるような黄昏の陽が射す。


瞬間、暗く重たい色をした焔が彼女を包み込み、覆い尽くした。






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