そらでないているきみに
しとしとと降り始めた雨は、しっとり纏わりついて足取りを重くさせる。
神聖な空気漂う中に、巧妙に紛れ込んだ邪悪な気配が蔓延する様は、敗れ落ちた城そのもの。
柱像を通り過ぎ、手入れする者なく放置されて暫く経つだろう庭の茂みを掻き分け進む。本来ならば鳩でも飛びそうなものだが、羽音を響かせているのは生憎カーゴロックだ。
「正面突破……は、まぁ無理だろうな。鍵が掛かってる」
「なァに、そこいらじゅうによじ登れそうな塀があるだろ。とりあえず脇から攻めていくぞ」
視界の悪い霧雨の中を歩いていく。所々に結界の罠が施され、何処に潜んでいたのか魔物が集団で攻めこんできた。
大回転斬りを決め、雑魚をいくらか薙ぎ払えば、結界は消え失せ扉に続く道が開かれる。
「そこそこに耐久力のある奴らばっか揃えやがって……めんどくせぇ」
「バカ、オマエの体力を削りにきてんだよ。あわよくば手負いにさせて、クスリのビンが底をつくようにな」
「………」
「ザントの卑怯な手よかマシだが、相手は魔物を従える元人間……腕っぷしだけじゃねぇってことだよ」
「……油断はしないから安心しろ」
他者の侵入を阻み大いなる力を守るため、あるいは大いなる力そのものが、自身の魔力でダンジョンにトラップを張り巡らしていた。
それに比べれば、仕掛けという仕掛けは片手で数えられるほどだし、物見台の見張りを先に射抜いてしまえばあとは静かなもんだ。
だというのに、俺もミドナも普段以上に言葉少なだった。多分、柄にもなく緊張しているんだと思う。
空が明るくなってきた。
エリシュカは目が覚めただろうか。
彼のひとに想いを馳せる間もなく、再び結界が俺達を取り囲んだ。
「俺ガ相手ダ」
ドスの聞いた呻くような声音がする。
鈍重な足音を立てて姿を現したのは、隻角の巨躯の兵士。
キングブルブリンが、斧を手にしてにやりと笑った。
***
目を開くと、私はベッドに寝ていた。
寝起きの心地ではなかった。はっきりと覚醒した意識で、先程まで見えていた世界から数秒目を閉じていた、そんな気分。
あんなにつらかったのが嘘のよう、すっかり人間の姿を取り戻しているのを手のひらを見て、頬に触れて確認した。
笑っちゃうくらい呆気なかった。目まぐるしかった。私が眠っていた間に、ザントは倒されて私はこちらへ戻ってきて、そして隣に彼はいないんだ。
また無茶するからって置いていったんでしょう。もう何度目かもわからない、だから私のためってすぐ分かった。だってリンクもミドナも、私を一度だって足手まといだなんて言わなかったもの。
「気が付いたか」
声のする方を見る。すっかり柔らかな表情が板についたシャドウが、穏やかに微笑んで食事の乗った盆を片手に扉を開く。
身体を起こして覗き込む。盆の中には穀物の入ったクリームスープとパン。空腹感を久々に感じたので、喜んでそれを受け取った。
「驚いたな」
「何が?」
「感動の再会……のわりに平然としている。俺は歓迎されていないのか」
「バカね、そんなわけないでしょ。……心底嬉しいに決まってる」
そうだ。シャドウは、私に寿命を還していなくなった。当たり前のように隣に腰掛けた彼に、もしかしてこっち≠ェ夢なんじゃとすら思い始めている。
けど、私は知ってる。シャドウが影の真珠として、私を呪いから解き放ってくれたこと。おかげでもう体の何処も痛くないし、知らず知らずのうちに寿命が縮むこともない。
「パパと、本当のママの記憶を私に思い出させてくれたのはシャドウなんでしょう。ありがとう」
「………つらくないか」
「大丈夫よ、……本当にありがとう」
ゆっくりと伸びてきた手のひらは、私の頭を撫でた後首の後ろに触れる。おろしたままの髪が、ひとつに括られていた。スープに手をつける私に餌付けするみたいに、ちぎったパンを直接口元へ運ぶ彼の瞳に、以前のような黒い濁りは見当たらない。
「ひとりで食べられるわよ」
「……黙って口を開けろ」
「もう。……ふふ」
私にべた甘いのは相変わらずね。懐かしくて、つい笑みが溢れた。
家族と呼べたひとはもういない。いるとするなら、父の遺した想いと私の祈りから生まれたシャドウ……ただ一人。
「シャドウ、お願いがあるの」
「嫌だ」
「嫌って。まだ何も言ってないじゃない」
「無理だ」
「だから!」
「影の小人から言伝てを預かっている。
おとなしく寝とけ、だそうだ」
シャドウの言葉の裏には、「俺も同意見だ、村の外には一歩も出す気はないからな」という意志がひしひしと感じられる。だって顔に書いてあるもの。
予測済みだろうってことは分かってた。でも、こんなに城から遠く離れた場所で結末を待つなんて出来ない。
「ハッピーエンドが必ずやってくるわけじゃない」
目を逸らすことなく、真っ直ぐ言い返した私に、彼が表情を変えることはない。
綺麗な紅色の瞳に写る私は、なんとも情けない顔をしていた。
「そうだったとして、おまえに何が出来る」
「やり直すのよ。過去と未来を繋げて」
「駄目だ。繰り返すつもりか?それを俺が許すとでも?」
「でも……!」
先代が、あの空間に閉じ込められなければならなかった理由。
全部思い出してしまった私には、彼女を責めることなんて出来っこない。
半べその私に、シャドウは額同士を擦りあわせるみたいに顔を近付けて囁いた。
「二度も言わせるな。繰り返してはいけない。なら、もうおまえはお手上げか?」
「………!」
「他に出来ることを探すのは、得意だろう?」
その言葉は、ひどく優しいのに、何処か寂しさを覚えさせる。
そっと背中を擦る手は、震えを知らない。人間のカタチをしていても、人間にはなりきれなかった──……させてあげられなかった。だから、彼の真意を図ることは、私にも出来ないことが歯痒い。
「……シャドウは、私がいなくなってしまったら、寂しがってくれる?」
「寂しい、とはまた複雑な感情定義だ……出来ることなら知りたくない」
「じゃあ、悲しい?」
「おまえが居ない世界に比べたら、魔王に支配された窮屈な世界の方がましだ」
懐かしい匂い。シャドウの肩口に鼻先を押し付けて、すんと鼻を鳴らす。
欲張りな私は、甘えん坊の私は、大切な誰もが傍にいてくれる世界を望むから。望んでしまうから、きっとまた無茶苦茶なことをする。
だからちゃんと、叱ってね。私が馬鹿をやる前に、必ず繋ぎ止めて。
「何百年経っても、おまえは手がかかるよ」
その温かい腕の中で、私はすこしだけ泣いた。
止めないでね、と笑ったひとを知っている。
いつだって笑顔の絶えないそのひとが、一度だけ俺の前で泣いたことがあった。
あいつが敗北し、息をするのをやめたときだった。
俺はそのとき、慰める心も抱きしめる腕も持っていなかったから、ただ水面からそのひとの涙のしずくが波紋を作るのを、見ているしかできなかったけど。
だから、おまえには笑っていてほしい。心の底から。
そのために泣くなら、俺はおまえの涙をこの腕の内で隠してやろう。もう見ているだけじゃないんだ。言葉をかけて、背を撫でて、ずっと傍にいる。
あのひとは、泣けなかったから。
だからおまえは、笑ってくれ。
***
横薙ぎに振るわれた斧を、滑り込むように転がることで避けきると、その勢いのまま跳躍しがら空きの背中を斬り上げた。猛るように声を轟かせると、奴はもう腕も上がらないようで、得物をそこらに捨てると不敵に笑んだ。
「クックッ……サスガダ、ヤルナ」
言葉を話す魔物は、シャドウ以外に初めて見る。
奴は首に提げていた鍵をこちらに放りやると、傷口に手を当てて深く息を吸い込んだ。
正真正銘、これはおそらく正面玄関を開くための鍵だろう。こいつを倒したあとに、手に入れるはずの。
「オレタチハ、強イ者ニ従ウ。ソレダケダ……」
ずる、ずる、と足を引きずりながら去っていく背中を見ながら、ミドナがぼんやり呟いた。
「リンク……アイツ、喋れたんだな……」
そうだな。まずそこに意識が行くよな。
しかし、こう幾度も戦った相手から高評価をもらうと、変な気分になるものだ。以前ハイラル大橋で一騎討ちした時の鍵も、もしかしたらあいつ自身の意志で投げ渡してくれたものかもしれない。
強い者に従う。それはつまり、この国の魔物はガノンドロフが最強であると思うから、本来の狂暴性に加えて奴の意思に沿うよう街や人を襲っているのかもしれない。
エリシュカに滅多に魔物が寄り付かないのが、影の真珠の魔力あってこそだったのは、間違いないようだ。
ハイラルはおろか、影の世界まで引っ掻き回して、たくさんの人々を苦しめ悲しませて。
未だ姿さえ見ぬ敵のぼんやりとしていた像が、感覚的に掴めたような心地がする。
そうして気付いた。
これが初めてじゃなかった。
俺は、何度も何度も、繰り返し彼の敵と幾多もの時代を経ながら戦ってきたんだ。
それで、多分、その度に何度も何度も、あいつが俺の傍にいては、泣いたり笑ったりしていたことも。
すべては繋がっていたんだ。
「今度こそ、決着をつけてやるよ」
豪奢かつ、何処かしゃなりと淑やかな雰囲気の城内は、時の神殿を思い起こさせた。
ノクターンでも聞こえてきそうなほど、静かで穏やかで、……そして何処と無く薄暗く──潜む邪悪さに肌がぴりぴりとする。
弁償代は世界ひとつ救うことで見逃してもらおうってことで、恐る恐るシャンデリアにクローショットを引っ掻けながら移動する。
戦争の多いこの国だからこそか、城内だというのにあちこちが頑丈に作られているようだ。まさかそれがシャンデリアにまで至るとも思わなかったけど。おかげでひとつたりともガッシャンと粉々にしてしまうことなく済んだ。
長く続く廊下のあちこちにある燭台に灯をともしながら、足元も不明瞭な其処を歩く。先程とはうってかわって、不気味なほど静かだ。
いくつか仕掛けを解いた先、閉ざされた扉を開くと、俺を待ち受けていたのはタートナック。時の神殿で対峙した奴とは鎧の型が異なるが、腕が立つ敵であることに違いはないだろう。
しかし二度目とあらばこちらもそう苦心はしない。
後ろががら空きなことも、鎧を剥がしてからは剣速こそ上がるも、体勢を崩しやすいことも知っている。
危なげ無く打ち倒すも、雑魚相手とは違い気を抜けば深傷を負わされる。そのせいか無意識のうち緊張していたようで、聖剣を鞘に収め息をついた時にはやや疲労を感じた。
仕掛けを作動させ、守り人の待つ先を進む。外へ通じる扉の先には、相変わらず霧雨の降る暗く垂れ込めた空が広がっていた。
塔と塔を繋ぐ城壁の上に築かれた連絡通路だろう其処。しかし立ち塞がるのは、塔からこちらを見下ろす弓兵と空舞う剣士。いち早くこちらに気付いたブルブリンの火矢を、間一髪で塀の陰に飛び込み避ける。
「ここに来て、中堅クラスがゴロゴロいやがる……そっちに気をとられれば、弓兵の格好の的だ」
「弓で射るにも、こちらからじゃあ角度が悪い……くそ、こんなとこで足止め食らうなんて」
思わず舌を打つ。走り抜ければ、どうにか向かいの塔に滑り込めるだろうか。
魔王の待つ最上階への扉を開く鍵は、目の前の塔にでかでかと置かれた宝箱の中に違いないのに。
「いいか、戦闘は最小限に抑えろ。ただでさえオマエは天空都市で利き腕をやられてる。傷も完治しちゃいないんだ、開いたらあとが面倒だぞ」
「分かってる……矢はなんとかなるだろうけど、ガーナイルが3匹か……背を向けて走り込むには分が悪い。が、やるしかねぇ」
一呼吸置いて、駆け出した。
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