よあけがやってくる
「しっかし、相変わらずぼろっちいなァ」
緑衣に袖を通す俺を見て、ミドナが後ろ頭で手を組みながら半笑い。
長旅ですっかりくたびれた勇者の衣は、所々擦り切れて、ほつれた糸が裾から飛び出している。
「……これ、誰が作ったんだろ」
「さぁな?精霊サマは夜なべして現れるかも分からない勇者のために服を織らないだろ」
「……でも、先代はこれとは違う緑衣だった」
剣の師であり、俺の実の祖先。時の勇者は、これよりも鮮やかで艶やかな衣に身を包んでいた。
あの装束の方が余程浮世離れしていると思う。けれど、細部の装飾なんかはこちらの方が凝っているし……もしかしたら、誰かが彼の衣装をモデルに勇者の緑衣≠ニはなから決めて作ったのかもしれない。
水に濡れてもすぐ乾き、炎に煽られても燃えることなく燻らせるばかり。
切り傷こそ作れど、何度も俺の身を守ってきてくれた緑衣。まるで、誰かの祈りも一緒に織り込んだような着心地の良さだ。
「……村に戻ったら、エリシュカと約束してるんだ。もう一度ハンカチを織ってもらうって」
「後生大事に持ってるソイツも、相変わらずだな。ククッ」
紡ぎ屋であるのに無力な自分を呪って、彼女自身が割いてしまった思いのかたまり。俺がかき集めて、繋ぎ合わせた、思いのかたまり。
長旅のおかげですっかり年季の入ってしまったそれには、今も解れながらに俺の名が刻まれている。
たくさんの思いが、俺を支えてくれる。
だから俺は、その気持ちに報いなければならない。
必ず、帰ってくるんだ。
旅支度を整え、一度二階の彼女を振り返ってから、廃れたホテルを後にする。
先程見た寝顔はすっかり健康そのものだった。あの様子なら、朝日が昇る頃何事もなかったように目を覚ますだろう。
「なんだ、いつもの女は居ないのか」
何処かで、聞いたことのある声。
振り返ると、其処には見慣れない赤髪の男が仏頂面で立っていた。
オールバックに掻き上げられた髪の額際から前髪が垂れている。鼻下と顎の髭は整えられており、粗野というよりは清潔感漂う男らしさ、とでも言うべきか。
何処と無く面影のある姿は、俺とミドナの他に人間が見当たらないと分かるなり、黒の粒子を散らしていつもの黒衣を纏った姿へと変わる。
「シャドウ!」
「珍しいな、オマエが見送りとは」
「エリシュカの代理だ」
「それより、さっきの姿は……」
「影の真珠としての俺の中に残る、あいつの父の姿を借りた。同じ見てくれの人間が二人いては怪しまれると、どこぞの犬ころめが吠えるのでな」
どうしてこいつは、こう、ひねくれた物言いしかできないのだろうか。エリシュカを相手にしたときみたく、もう少しおとなしく素直になってもよいというのに。
「……あいつの親父さん、めちゃくちゃシブくてカッコよかったんだな……騎士団長ってのも頷けるや」
「奴は、俺に人格の基盤を与えるため命を注ぎながら、史実に残っていた陰りの鏡を探して砂漠の処刑場へやって来た。影の住人に助けを借りるためにな」
「ワタシ達に…?」
「自分亡き後、残された娘が影の魔力を正しく扱えるように。現代で魔力を扱える人間は、紡ぎ屋と王族のほんの一握りのみ。
影の魔力は光の世界のものとは質が違う、故にこの国の王女でさえエリシュカに教えを説くことは出来なかった」
彼の魂は、紡ぎ屋に伝わる異空間に閉じ籠ることさえ許されぬまま、処刑場の亡霊に取り憑かれて苦しみもがきながら、解放されるのを待っていた。
影の真珠は、心の持ちようによっては魔を引き寄せてしまう魔力のかたまり。紡ぎ屋である彼は、自身と真珠を無理やり繋いだことで、彼自身にも魔を引き寄せてしまったのだ。
「悪魔ベリアントにより、紡ぎ屋の魂はハーラジガントの頭骨へと封じ込められた……理性を失い呪いの言葉を紡ぐしか出来なかった奴も、お前たちが頭骨諸とも粉砕したおかげで解放されただろう」
そこで、ふと気が付く。
聞き覚えのある声だと思ったんだ。
俺はもう、あの家には帰れない
だから、おまえに頼みたいことがある
あの子を、頼むよそうか。あれは、エリシュカの親父さんの。
「………」
様々な言葉が、誰かの思いが、いくつもの願いが。
俺を奮い立たせ、苦境に立たされる度背中を押してくれた。
その端々にはいつも彼女がいて、そして、紡ぎ屋≠フ彼女が、そのすべてをひとつずつ、繋いでくれた。
俺が此処にこうして存在するための道しるべは、きっとその繋がれた糸で繍(ぬいと)って出来たものなんだろう。
「受け取れ。万が一があれば、そいつを媒介にして助けてやらんでもない」
相変わらず刺のある台詞。
彼が指を鳴らすと、背のマスターソードに影の塵が寄り集まる。剣を抜いて一振りして感じる、増した切れ味。
黄昏の光を纏う刃先に、宿った力を感じて、俺はそうっと今一度鞘に収める。聖剣には少し不釣り合いな赤宝石で装飾の施された黒色の鞘は、剣を収める毎に刃を研ぐかのような心地さえした。
「──朝だ」
寝静まる誰もが、この光を清々しいと、目映いと感じられる世界が続きますように。
昨夜馬笛で呼んでおいたエポナが、出番を悟ったように静かに俺に寄り添う。
額から鼻頭にかけて撫でてやると、跨がってからぐるりと村を一眺め。
「じゃあ、行ってくる」
黒衣の男が一人見送る朝焼けの中、俺達はそうっと駆け出した。
***
数えきれないほど流れ星が引く緒の、柔らかく絡まっていく曲線を眺めていた。
それは、暗闇に突き刺さるように、時には私の頬を掠めては、歪んだ軌跡を描いて進んでいく。
それが星ではなく、誰かの心であると気付くと、軌跡は輝きを纏って煌めきだす。
「寂しかっただけなのよね」
ふ、と小さく息を吐いて笑う私に呼応するように、煌めきはちかちかと瞬いて弾ける。
家族がほしかった。
一緒に笑ってくれるひとを、失いたくなかったんだ。
ひとりぼっちに慣れすぎた私≠ヘ、世界の終わりがくるのが怖くて、怖くて。
だから、小さな嘘をついて、写し身である私を遺して、消えてしまったんだ。
結局、私もまた、ひとりぼっちになってしまったけど。
リンクがいるよ。ミドナが、シャドウが、村の皆、城下町の皆、姫様……みんな、皆いるよ。
今の私なら、寂しくないよ。
だから、この力も、きっと正しいことに使えるはずだ。
手にした紡ぎ針から、やわらかく温かい光が満ち満ちて、溢れ出す。
輝きを増して、その眩しさが辺りを白に包み込んだ。私は、そうっと瞼を開く。
一瞬、蔦の這った丸盾を背負った緑衣の青年が、星空の祭服に身を包む彼女と手を繋いで、私に手を振るのが見えた。
***
エポナを東門に置いて、俺は起き出したばかりの街へと踏み入る。
店という店は、まだ開店の準備に勤しむばかりで、日中の喧騒には程遠い。そこから更に城へと続く白石の通路へ足を運べば、あっという間に人の気配もなくなる。
結界に覆われた城門には、門兵すら立っていなかった。
なんとも無防備。しかし黄昏色の半透明な壁は、どんな守りよりも強固に、厳かに、要塞を囲っている。見る者に圧力すら与える結界を前にして、すらりと影から身を出だすミドナが、「下がってな」と静かに告げる。
異質な雰囲気が彼女を取り巻き、影の結晶石が姿を現すと、それはまるで引き寄せられるかのようにひとつの形を成す。
小さな体躯が結晶石の仮面に覆われると、手足は力をなくしてだらりと垂れ下がる。
強大な力をコントロールすべく奮闘しているのか、微細な震えを起こす彼女が心配になって声をかけようとした瞬間。
「っぐぁッ!!!」
「ミドナ!」
目に見えない手のひらに弾き飛ばされるように、ミドナの体は勢いよく引っ張られ、石造りの壁に容赦なく叩き付けられる。右、左、右。複数回俺の視界を横切る石のかたまりは、彼女の苦しそうな叫びを伴ったまま城壁の外へ飛び出していった。
別の生き物に乗り移られたかのようだった。暫く無音が続き、様子を窺えない壁の向こうからよく知る気配が感じられなくなると、代わりにおどろおどろしいまでの気配と、何やら粘っこいものがうねるような耳につく音が迫ってくる。
そうして再び姿を見せたのは、あの小人ではなく、六つ足の巨大な異形生物と成り果てた彼女だった。
吸盤でもあるのか、それとも体自体に粘着性があるのか、大きく跳躍して結界壁に張り付いたそれ≠ヘ、這いずって壁を上へ上へと登っていく。
ぐるりと捻られた、関節のない足に戦槍が宿る。兜と結晶石の裂け目が開くと、耳にも腹の底にも不快感が残るような声音が轟いた。
仰け反る肢体。
深々と突き刺さる、矛先。
ぱきり。亀裂が生じて、音もなく視界がホワイトアウトする。
光に焼かれるように、魔力のかたまりである実体は泡となって消え去る。その内側から小さな体がくたりと落ちてくるのが僅かに見えて、俺は駆け出す。
ゆるゆると落下してくる彼女を抱き止めると、目映い光が崩れ去る。
ちかちかと明滅する眼裏に数回瞬いていると、腕の中から呻き声が漏れた。
「ん……、」
「大丈夫か?」
「あぁ……うまくいったみたいだな」
ふるふると頭を振るうミドナ。顔色も悪くはない。結晶石の魔力が盾となって光に焼かれることはなかったようだ。
見上げる彼女の視線の先を追い掛けた。
其処に見えるのは、荘厳な佇まいと伝統を感じさせる聖三角の紋章、高く高くそびえる塔の内に抱えきれず漏れ出した邪悪な気配が周囲に漂い、吐き気を催しそうな重圧が大きくあぎとを開いて俺を待ち受けていた。
ハイラル城。正面から入るのは初めてだ。
「行こう」
終わらせるんだ。
こんな哀しみの連鎖を。
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