かげのちから



夜が明けた。


「……!」


森への道を塞いでいた黒壁は、いつの間にか姿を消している。
この森の向こうに、きっと子供たちはいる。

自宅まで走り戻ったエリシュカは髪をポニーテールに結い直し、着替えてから荷物をまとめ始めた。


革鞄に食べるものと水筒を詰めて、財布はポケットに。
机上の布切れ≠大切そうにしまいこむと、折れた短剣を懐にやって、彼女は再び家を出る。


「姫なら、きっとお力を貸してくださる」


ブーツに履き替えた足で草を踏み分けながら、彼女は人知れず村を出た。

それは、人々が不安で夜も眠れず、漸く微睡みの中朝を迎えた日のことだった。



***



最後の一匹を檻から出してやると、可愛らしい顔をした猿は足元で嬉しそうに跳び跳ね喜んだ。


「よし」

「ボス部屋の鍵はとっくに手に入ってるんだ、さっさと進もうぜ!」

「あぁ、そうだな」


この森の神殿は、至るところに奈落がある。橋も脆かったりして、一人では神殿内を全部見て回ることが出来ないのだ。
そこで、魔物達に捕らえられてしまっているこの森の猿達を助けながら探索していた。

マップとコンパスを取り出し見直してみる。ボス部屋へと続く部屋に向かうべく、まず正面の扉を押し転がした。


「さて、どうするかな……」


ボス部屋へと続く道は奈落の向こうへと続いており、回り道も出来そうになかった。
ボス猿を倒したことで手に入れた疾風のブーメランでもってしても、おそらく自分を向こう岸まで運ぶことは不可能だろう。


すると、今まで助け出してきた猿達が、脇に自生している巨木に登り始めた。
次から次へと連なるようにしてぶら下がり始め、幹に長いロープを垂らしたような格好になると、一番下の猿がこちらに手招きをする。


「……待てよ。まさかじゃないけど、」

「良かったじゃないか、ジャングルの英雄を体感出来るぞ!」

「いやいやいや、色々問題あるだろ!そもそも一番上の奴の脚力に疑問を感じるぞ?!そこに俺がぶら下がったら、遠心力もかかって──」

「つべこべ言ってないで進め!このへっぽこ勇者!」

「へっぽこ言うな!」


どう見ても躊躇う俺を誘うように体を揺らす猿達を髪で指して、吠えるように俺を罵るミドナ。
このままじゃ後ろから突き飛ばされかねないので、ここ一番の勇気をもってして、俺は地を蹴り猿に手を伸ばした。






「……………」

「なんだよ、情けないなぁ。喋れなくなるほど怖かったのかよ?」

「だっ、……て、おま、」



危なげ無く着地したはいいが、そのまま身動き取れなくなってしまった俺を呆れた顔で見上げるミドナ。
飛び移る際、勢いあまって想定より早くに手がすっぽ抜けたときのあの絶望。世界規模で活躍する陸上選手もびっくりするほど伸びやかな幅跳びのフォームを偶然取れていなければ、陸地を目の前にして俺はハイラルを救う云々以前にこの世からおさらばするところだった。

未だに心臓はものすごい早さと強さで拍動しているが、なんとか足元はしっかりしてきた。ふらつくことなく前進する。
扉を押し開けた先にあったのは、腐敗した泉。毒々しい色とツンとした刺激臭に、思わず顔をしかめた。


「来るぞ!」


地を震動させながら姿を見せたのは、巨大なヘビババ2体。
怖じ気付くことなく、疾風のブーメランを用いて脇の爆弾虫を喰わせれば、案外簡単に水底へと沈んでいく。
これで終わりか?そんな拍子抜けすることって……

泉の縁に歩み寄ると、そんな気を抜いた俺の不意をつくように、再び影が水面から飛び出した。


「覚醒寄生種、ババラントだ!こんな姿してやがったのか!」


影から浮き出したミドナが奴の姿を見上げて言った。
あのヘビババはあくまで一部だったらしく、本体はトカゲのような頭をしており、口を開いた舌先に目を持つ妙な形状をしている。


ふぅ、と息をついて手にしたブーメランを握り直す。


爆弾虫とババラントに狙いを定めて、──腕を振るう。


「いっけぇぇぇえええええ!!!!!」



刹那、巻き起こった疾風(はやち)が、爆風をも絡めとっていった。



***




「待ってよ、エリシュカ!」


嗚呼、これは懐かしい思い出。


「ねぇ、本気なのかい?この町を出ていくって!」

「言ったでしょ、もう決めたの」

「だって、……店はどうするんだよ!」


幼い声が、私を呼ぶ。
待ってよと、いまにも裏返ってしまいそうな声で、叫ぶ。


「行かないでよ、エリシュカ!」


だめよ。私は、決めたんだから。
この町を出て、強くなるの。

そうしたらきっと、あの人だって許してくれるでしょう?




***




森には、静寂と生気に満ちた光が戻っていた。


「よくやった!ワタシはこれが欲しかったのさ」


枯れ果て、朽ちたババラントが霧散し、その悪意を練り固めるようにして無機質な黒が凝縮されると、何やら古風な仮面にも似たものになった。ミドナがつけている冠に似ている。

俺の手元まで降りてきたその黒のかたまり。傍にあるだけで、何やら不穏な雰囲気を感じられる。触れてはならないと本能で感じつつも、それが何処か魅力にも思えてしまう、恐怖。
ミドナは髪束を手のひらに変えるとそれをつまみ、感触を確かめるようにして持ち上げると俺を見て言った。


「これは影の結晶石≠ニいって、光の精霊達が黒き力と呼んでいるものだよ」

「それが?」

「精霊達はコレがあれば世界を救えるとか言ってたけど……果たして、そんな生易しいものかな?クククッ」


ミドナはそれを握りこみ何処かへと消すと、満足そうに口角を上げて夕焼けの瞳を細めた。


「影の結晶石は全部で3つ。残りの2つの居場所は、光の精霊達が知ってるだろう。
さぁ、あと2つ……探しに行こうか」


ミドナが指し示した場所が、ぽっかりと開き黒い穴になる。
手招く彼女についてそこに踏み入れば、俺は足元から分解されるように影の粒子になって吸い込まれていった。



***



「……何よ、これ……」


平原まで出ると、明らかにこのハイラルの地に異変が起きていると感じ取れた。
つい先程までトアル村から森への入り口を塞いでいた黒壁が、平原の向こうにずっと続いているのだ。
見上げる空の色は澄み渡った蒼なのにも関わらず、壁の上方は空に溶け込むようにして平原の向こうを黄昏色に染め上げている。


「っ、ちょっと、これじゃ城下町に出れないじゃない!」


人間の足で平原を越えれば、普通に一日かかる。この南の平原は他の平原に比べれば狭いので、半日もすれば平原の端まで行けるのだが、城下町に向かう一番の近道である真っ直ぐ北上した先の道は、大岩が行く手を阻んでしまっていた。


「こんなの、私が城下を出たときにはなかったのに!」


時間を無駄にした、と憤慨しながら踵を返す。この様子では、道行く馬車をつかまえることも出来なさそうだ。早々に諦め、再び徒歩で向かえる回り道を考える。
ハイリア大橋を渡って行くのは、人の足では時間が掛かりすぎてしまう。それに、あのあたりは凶暴な魔物も多い。西に回れば、カカリコ村があるから、体を休めることもできる。中継点としては最適だろう。

今から向かっては、カカリコ村に着くのは夜更けになってしまいそうだが、仕方ない。


エリシュカは首に提げたペンダントを握って、そっとまじないを囁く。


「このハイラルの地に眠りし神々よ、どうかその御力を今一度お貸しください。我が身を守り、魔を退ける力を……」


願いが届いたかは分からない。けれど、慰め程度であったとしても、エリシュカの心は勇気付けられた。
大地を踏みしめ、また平原を越えていく。


日が傾き始めた頃、エリシュカはカカリコ峡に繋がる道に辿り着いた。


「出たわね、この壁……」


やはり予想通り、そこもあの奇怪な黒壁が立ちはだかっていたが、その程度では最早怯まないエリシュカであった。
今朝、たしかに行く手を阻んでいた壁は消え、彼女は村の向こうに広がるこのハイラル平原を越えてきた。何らかのアクションを起こせば、おそらくはこの壁も消えるに違いない。


まず、手始めに壁を叩いてみた。次第に力を強め、殴り付ける。しかし、こちらの手が痛くなるばかりで、一切の変化が見られない。
次に、短剣で切りつけてみた。元々半分に折れていたそれがさらに欠けるだけで、壁には傷ひとつつかない。


「何か、呪文でも必要なのかしら」


そう考えてしまうのには思うところがあるが、今はそちらに意識を向けるのはやめておくことにする。もう何年も前の話だ。

しかし、既にお手上げ状態の彼女には成す術がない。また村まで戻るにはもう少し時間を置かなければ。夜の平原を徒歩で横断することほどおっかないことはない。
生憎この壁付近は魔物も近寄らないようなので、今日ばかりは此処で野宿を決め込むしかない。そう考えて、腰を降ろそうとしたその時だった。


「っ?!!!」


壁から、ぬうっと何かが飛び出した。
避ける間もなくそれはエリシュカの襟元を掴み、引き寄せる。
殴っても切りつけてもびくともしなかった壁に叩きつけられては、こちらの身が持たない。思わず瞼をぎゅうと瞑った。


何かが全身をすべからく掠め取っていくような、恐怖にも似た違和感を感じ、怖いもの見たさにふと瞼を開く。



「女?」



聞き慣れたようで、しかし知っているものとは全くもって違う声色だった。
目前で未だ自分の胸ぐらを掴み上げているのは、黒衣に身を包み、肌も影のように黒々とした何かであった。白銀の髪に、深紅の鋭い眼光。魔物と呼ぶには、些か人の形をし過ぎている。


「壁の外がやかましいから、何かと思えば……女とは」

「っ、あん、た……!」

「なんだ、お前は」


褪めきった声音が、突き刺さるようだった。

よくよく目を凝らしているうちに気が付いた違和感。
既視感のあったそれは、あの生意気な牧童とそっくり同じ顔の造りをしていたのだ。


「リン、ク……っ、」

「黙れ。その名を呼ぶな」

「ぐっ!」


胸ぐらを掴んでいた手は、更に強く締め上げ、喉元を苦しくさせた。
怪訝そうな面持ちに変わった黒い何か≠ヘ、エリシュカを見上げて眉根を寄せる。


「何故だ」

「……っ?」

「何故、お前は魂にならない?」

「たま、しい…?」

「何故、トワイライトに在りながら人の姿を保てる?」


彼の言うことが、エリシュカには何一つ理解出来なかった。
段々と視界がぼやけていく。こんなにも無抵抗のまま、自分はどうにかされてしまうというのか。悔しさに歯噛みする彼女をまじまじとその赤い瞳で眺めやりながら、彼はまた言った。


「これは……」

「っ、放せ!」

「何故だ、何故お前がこれを持っている」

「っ!」


彼が引きちぎり手にしたのは、彼女が首から提げていたあのペンダントだった。
朦朧とする意識の中で、それだけは奪われまいと手を伸ばす。


「返せ!」


彼女が怒号したのに応えるようにして、ペンダントが強く光を放ち始める。
彼は、突然の目眩ましに思わずエリシュカとペンダントを取り落とすと、後方に跳躍し距離を取った。エリシュカは大きく噎せ返り、げほげほと咳き込みながら息を整える。


「くっ……、そいつを渡してもらおうか」

「っはぁ、誰が見ず知らずのあんたなんかに!」

「ほう?見ず知らずでなければいいのか?」

「うるさい!渡すもんか、これは私の──」


すると彼は、何かを察知したように顔を上げて、それから機嫌悪そうに舌打ちをすると、黒の粒子に霧散して姿を消した。
驚異が去ったのを知ると、強張っていた体の力が解けたのか、エリシュカはがくりと体を地面に落として意識を失った。


彼女が大切そうに握りしめているペンダントは、黄昏の光を受けて一瞬、怪しい黒に輝いた。





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