しるべのただなかで
水を自在に操る彼にとって、どんなに脅威的な巨大生物が相手だろうと赤子の手を捻るように容易く扱える。その空間は、まさにおあつらえ向きだ。
準備もなく水中にフィールドが移り、口元を手で覆い慌てて息を止める俺の横にするりと顕現したシャドウが、クッと喉に引っ掛かるような嘲笑をもって俺を見る。
「しかし滑稽だな。人間とは不便な生き物だ」
(う、うるせぇ……!)
ゾーラの服なぞ、生憎と手元にない今、無呼吸だけでなく水圧による身体への負担がつらい。着用するだけで魚の如く水中で動き回ることのできたあの服の大切さを、改めてひしと感じる。
つか、さっきまで「暑くて無理」って鞘に成り変わってたのは何処のどいつだよ。
俺が息を留めている僅かな間に、オクタイールが突如暴れだした。さっきまで悠々とこちらを窺いながら漂っていたが、よくよく見ると水流の螺旋が奴を捕らえ文字通り捻り上げているようだ。
螺旋は不意に蕀となり、ひどく厚い硬質の殻を容易く破り、深々と突き刺さる。その様相は剣を纏う芋虫とでも表すべきか。力が抜けだらりと横たえられた肢体は、水底に沈むでもぷかりと浮かぶでもなく、間もなくして爆散した。
一拍出遅れるようにして砂中から巨大な仮面がずず、とせり上がってきた。
俺達の周囲を取り囲むように四方に現れた仮面の口元ががしゃ、と開かれる。刹那、魔力の塊であろう光弾が注ぎ込まれるような勢いで撃ち込まれた。
ふと、体が軽くなる。俺の周囲半径1メートル程度に球体の空間が現れ、呼吸が出来るようになったのだ。水圧のダメージもない。
よくよく見れば、球体の外側には小さな渦がいくつも巻いていて、光弾を呑み込み即座に散らしていく。それは、花燃ゆる夜空にひとり取り残されたような景色。
隠れ蓑にしていた仮面窟から引きずり出されたザントが、渦潮に飲み込まれていく。すさまじい潮流は、気泡の中の俺も巻き込んで塔の内の水全てを掻き乱していく。
ふと、勢いがぱったり絶えて、辺りを暗闇が支配する。
次のフィールドに変わるのかと思いきや、あの幾何学模様の魔法陣は表れない。代わりに、突如走り出した赤の光が、俺達の脇を駆け抜けていく。
柔らかな螺旋を描いて、何処へ行くともなく、ふっと消えてしまった光を目で追い掛けた。
光が駆け抜けた先に、そびえ立つハイラル城が映る。
結界に覆われものものしい雰囲気を醸し出すそれに付け加えるように、俺達の周囲半径5〜6メートルほどの位置に結界が敷かれた。影の魔物と対峙する度、いつも現れていたあの半透明の壁だ。
踏み締めた足場には石畳。刃を研ぐ音が響いて、迷いなく俺は剣を抜いた。
「少々邪魔が入ったが、まぁいい。貴様ら愚か者は、我が刃で葬ってやる!」
「……その言葉、そっくりお返しするね!」
シャドウの姿が見当たらないが、特に問題はない。巨大魔獣もいない、一対一の戦いなら、不得手なことなど何一つ無い。
凄まじい回転力で迫るザント。曲刀が残像で円周を描き、ぶつかられただけで殺傷力のある独楽へと変貌する。
盾を構えながら間合いを計っていると、突然奴は目前から姿を消した。黒い塵だけがうっすらと漂うのを見て、俺は素早く視線を巡らせる。背後に気配を感じた時にはもう遅く、背に衝撃と熱を浴びながら弾き飛ばされて、顔から石畳に倒れ込んだ。
「リンク!」
「……くっそ、やっぱり一筋縄じゃいかないか」
ミドナの声が足元から響く。やや間を置いてから刺さるような痛みが背筋を駆け抜ける。痛々しい裂傷が見てとれることだろう。
あの素早さじゃ、獣化してミドナの結界を借りても、おそらくは捉えきれない……どうにか対処しなければ、勝機はない。
けたけたと笑う声がして、真正面から光弾が撃ち込まれる。後方に跳躍し盾を構える。が、結界壁もまた攻撃の一種だったようで、全身に電流が走るように四肢が痺れた。奥歯を食い縛り痛みに耐える。
ふっ、と現れたザントが、でたらめな剣線で斬りつけてくる。奴の大仰な動きは謂わば囮だ。避けようと不用意にこちらが動けば、また死角からの攻撃を食らうことになる。
斬り返すのが、最も良策──俺は、奴の切っ先が横に薙いだのを皮切りに身を低く転ばせ、背面斬りを繰り出した。刃の感触とぎゃあという悲鳴で、手応えを感じる。
即座に姿を隠したザント。油断は禁物だ、すぐに反撃があるだろう。
当たらないわけじゃない。実体はあるのだ、避けられさえしなければいい。
そう思い至ると、俺は意識は自らの周囲に向けながら、影に潜み様子を窺っている彼女に呼び掛けた。
「ミドナ、奴が何処から来るか予測できるか?」
「! ……魔力の気配を辿れば、一応はな。ただ、この空間そのものがザントの魔力で作られた場所だ……正確さは保証できないぞ」
「十分さ。頼んだぜ」
俺は呼吸さえも浅くして感覚を研ぎ澄ます。
盾を背に戻し、剣の柄を両手で握り構えた状態で瞼を閉じた。
眼裏の暗闇と、しじまに蠢く邪悪な存在感だけが俺を取り巻き、無心に水を刺すような殺意が向けられたのを刹那、感じた。
「──右だ!!」
鋭い声。同時に目を見開いて、身を捩るように力を集約させ、居合い斬りを繰り出す。
光の力を宿した刃は、硬質の兜をも真っ二つに割りながら、闇に身をやつした影なる者を切り裂いた。
全身をびりびりと震わせるような絶叫が轟いて、視界は暗転する。
瞬く間に風景は王座の間へ戻り、くったりと玉座で項垂れている奴の姿に、異空間から元の場所へ戻ったことを悟った。
「やったか」
「シャドウ!」
ひぃひぃと肩で息をするザントを横目に振り返れば、膝をつきながら横たわるその人を抱えた彼が、燃ゆる眼差しを俺に向けていた。
その表情の乏しい顔にも、しかし安堵と喜びの色が僅かに滲んでいた。薄く唇が弧を描く。
「エリシュカ……!」
「無事だ。多少衰弱してはいるがな」
「良かった……」
すぅ、と小さな寝息に心底安心すると、先の戦闘で食らった傷が急に痛み始める。元より天空都市での傷も完治していないのだ、自分で思う以上に体はガタが来ているようだった。
「愚かな反逆者ども……」
ひどく低い、忌々しげに吐き出された声が、地を這うように俺達の耳に届く。
戦う余力がないのは敵も同じらしく、その声色に反して彼は玉座から一ミリとて腰を上げる仕草を見せなかった。
力を失ったザントから離れるように、或いはかつての大いなる力になるべく、吸い寄せられるようにして影の結晶石がミドナの手元へと浮遊してきた。
もう二度と手放すことのないよう、彼女はしっかりと手のひらを模した鮮やかな髪の内にそれを握りこんで、しまいこんだ。
しかし彼女は何故か小人の姿のまま……古代の力を手にしてもザントの呪いを打ち破ることは叶わない。
「教えてやるよ、オマエが長として認められなかったのはその目だ!瞳の奥に潜む欲望が、古代の一族のように力に支配されると、王は危惧したからさ!」
彼女は自分に変わった様子がない異変に驚きつつも、ひどく怒りを湛えた夕陽の瞳で奴を睨めつけた。本来ならば自らが腰掛けていたその椅子に、図々しく背を預けている男を糾弾する。
しかし男は、ひとつ深呼吸をするなり、また耳につく喉に引っ掛かったような笑い声を洩らして、こちらを見た。
「愚かなる影の王女ミドナよ……お前にかけられた呪いは解けぬ」
「なんだと?!!」
「……一族にかけられた呪いは我が神の力!お前に長としての魔力など戻りはしない」
つまり、ザントはあくまで分け与えられた力を行使していたまで。
力の根元を断たなければ、ミドナの姿も、影の一族の呪いも、何一つ元に戻ることはない。
うっとりとした恍惚の眼差しで、ザントは続ける。
「すでに神は降臨し、この世に復活を果たした……我が主ガノンドロフ様がいる限り、私は主によって何度でも蘇る!」
異形の小人は、自分の小さな手のひらを見つめ、それから牙を剥き出しにして怒りに身を震わせた。
それに呼応するように髪も禍々しい緋の色へと変わり、槍の如く毛先を尖らせ、瞬くより速く伸びては王を名乗る男の腹へ深々と突き刺さる。
毒でも流し込まれたかのように、ザントの身体はぶくぶくと見る間に膨れ上がって、終いには風船が割れるが如く身を散り散りにして息絶えた。
あまりにも無惨な死に様に、俺は慌ててミドナを見た。けれども、一番驚いているのは、彼女自身であるようだった。
「ワタシの中に残るほんの僅かな魔力を使っただけなのに……
こ、これが古代の一族が残した魔力の一部……?!」
せめてもの報いに、一発くれてやろう。もしくは、怒りのあまり再起不能になる程度のダメージは負わせるつもりだったかもしれない。
かといって、殺すつもりなどなかった。今の姿の自分では、そんな力もないと思っていた。彼女の言葉と様子からそれを察しないわけがない。
腐っても、血を分けた一族の一人であり、身内である男だった。王族に仕えていたというなら尚更、彼女は彼との交流も深かったはずだ。
反りの合わない様子の上、仮に昔から確執があったとしても、根は心優しい彼女のことだ。命を奪うつもりなんて、毛頭なかっただろう。
しかし、瞳をよりいっそう強い眼差しへと変えると、落ち着いた様子でミドナは俺を見据えた。
「怪我の具合はどうだ?」
「え、」
「馬鹿、めちゃくちゃにやられたろう。此処の空気は光の世界の者には合わないし、一度あちらへ戻らないとな。
それに、エリシュカにとってもこちらに長く居るのは毒だろう」
「診たところ、肉体が影の世界に順応しようとした結果のようだ。ハイラルで暫く養生すれば、すぐ好くなるはずだ」
まだ眠ったままの彼女を横抱きにして立ち上がったシャドウが告げる。
ミドナはエリシュカに寄り添い、塵を纏って分解されかかっている彼女の頬を撫でながら、そうっと口を開いた。
「リンク、今度はゼルダを助ける番だ。魔力を取り戻すことは出来なかったけど、ワタシには一族の残した力がある。
これで、あの人に大切な力を返すことができるんだ……」
トワイライトの領域から強制的に光の世界へと戻され、光に身を焼き命を落とす寸前まで追い詰められた彼女を救った、ハイラルの王女。
姿を消す直前、眠るだけと言っていたが、彼女は果たして今も無事でいるのだろうか。
彼女はポータルを開きながら呟いた。
「ガノンドロフは、ザントを利用して光の世界に蘇ったんだ……ハイラル城を覆う結界の正体が漸く分かったぞ」
「ってことは、奴も……」
「あぁ、おそらくは城にいる。リンク、急ごう!ゼルダ姫が危ない」
***
まずは傷の手当てが先決、と湯治目的でカカリコ村に戻ると、イリアが俺を見るなり青ざめては顔を真っ赤にして怒り、終いには滅多に泣かないくせして涙目で心配された。
申し訳なく思いながらも、身体中の傷を診てもらい、包帯だらけの格好でホテル屋上の温泉に浸からせてもらった。
天空都市攻略後、休む間もなく影の神殿に直行したため、久しぶりの風呂だ。全身の強張っていた筋肉が解れ、無意識のうちに忘れていた疲労感がどっと増す。
「傷に滲みるか?」
「ミドナ、いたのか」
濁り湯である温泉に肩まで浸かっていると、ぷかりと浮上した姿にやや驚かされる。あまり温度の変化に敏感ではないという異形の姿でも、温泉気分は味わえるようで、目を細めながら俺の隣に寄りかかった。
「なんだよ、悪いか?好きにしろってオマエが言ったんだぞ」
「いや、てっきりエリシュカのところかと」
「シャドウのやつが付きっきりで看てるよ。経過は順調、姿も人間のそれに元通りさ。明日には目を覚ますだろ」
「……そっか」
マスターソードはシャドウごと彼女を休ませている一室に置いてきた。人の姿だと、俺と瓜二つすぎて怪しまれるからな。
エリシュカはあれからずっと眠っている。この村で彼女の療養をするのはもう何度目だろうか。早く、溌剌と笑う顔が見たい。
「なぁ、ミドナ」
「んー?」
「色々、ありがとな」
「……なんだよ急に。気持ち悪いな」
「うるせー」
仮面を外して本格的に浸かり始めたミドナが怪訝そうな面持ちでこちらを見る。おまえそんなツンツン頭だったのか……
「村の子全員見つけて、イリアの記憶も戻って……エリシュカが影の真珠の呪いから解放されて。
何もかも、おまえがいなかったらこうもうまくはいってなかったろうな、って思ったんだ」
「拐われたアイツを助けられたし、か?」
「あぁ」
「ばーか、元はワタシが引っ張り回してただけだよ。それに、イリアの記憶はオマエが奮闘した甲斐あってのこと、エリシュカを助けたのもオマエの実力だろ」
「どうにしろ、ミドナのおかげさ」
ゆっくり瞬いて、俺を見上げる夕焼け色の瞳。
水面に写る自分の顔つきは、村で牧童をしていた頃とはだいぶ違う。旅は過酷で、身体はおろか気の休まることも少なかった。
けど、全部が全部悪いことじゃなかったと思えたんだ。
「俺さ、光と影の世界の隔絶とか、結晶石やら真珠やら、知れば知るほど神サマなんてくそ食らえって思ってたけど……
おまえと出会えたことに関しては、感謝してるんだ」
「………」
「ガノンドロフを倒して、ハイラルも影の世界も平和になったらさ、ミドナはどうするんだ?
やっぱり、向こうに帰っちまうのか?」
旅の終わりが、見えてきた。そのせいか、いつも次を急いていた気持ちに何処か余裕が生まれて、ふとそんなことを思い浮かべたんだ。
ミドナは少しばかり黙りこくっているかと思えば、にやりと口角を上げて笑った。
「寂しいのか〜?エリシュカもイリアもいるってのに、人間は欲張りだなァ」
「バッ、何言ってんだよ……!今そんな話してないだろっ」
「そんな傷だらけで、倒せるかもわからない強敵を前に随分呑気だなァ〜勇者サン」
「茶化すな!」
「わぶっ、てめ、コラ湯かけんな!」
「おまえこそかけんな!!」
真面目な話は、滅多にしない。
少なくとも、俺から切り出した話は大抵こうして、ふざけ半分に終わってしまう。ミドナなりの不器用な優しさなんだって、今なら分かる。
仲間なんて正統派なクサいフレーズは、俺達には似合わない。相棒、だけど喧嘩もしょっちゅうだ。
そうだなぁ、悪友、なんてちょうどぴったりかもしれない。
勇者は必ずしも正義の味方なんかじゃない。
神サマだか精霊だか知らないけど、俺を勇者に仕立てあげた奴らが、大昔に大地から追放したという名目で影の一族を非難しようとも、俺は彼女を否定なんてしない。
俺は、俺の大切なひとたちを守る。一緒にいたいから。つらい思いをしてほしくないから。力になりたいから。
俺は、歴代の勇者様たちみたいに立派なんかじゃない。けど、別にいいだろ?だって、俺は勇者≠カゃない。リンク≠ネんだから。
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