せかいのひかり
鏡の間にたどり着く。
ミドナが橙の手のひらを開いて、かけらを取りい出すと、宙をくるくると漂ったのち縁に収まり、一枚の鏡となって光を映し出す。
大岩を縛り絡めとっていた鎖が消え、大きな震動とともに砂地に落下する。佇んだ岩壁に光の紋章が写ると輪が歪んでいき、岩本来の厚みよりも奥深くに空間が開けたのがわかった。
岩戸を見つめて故郷を懐かしんでいるのか、目を細めたミドナが、小さな声で呟いた。
「影の世界っていうのはさ……あの世とかって言われたりするけど、……そうじゃないんだ。
本当は、この世界の黄昏時のような穏やかで、綺麗なところなんだ。住む者は皆、その黄昏の輝きの中で、清らかな心と穏やかな姿を保っていた……
でも、変わってしまった。あの邪悪な魔力の出現によって」
「全ては、我々の過ち……」
寂しいとも、悲しいともとれる色を瞳に映したミドナに、背後から声がかかった。
俺とミドナが揃って振り返ると、賢者が全員で頭を垂れている。
「賢者としての力を過信し、邪悪なる魔力を制御しようとした……どうか、浅はかな我らを許してほしい。
黄昏の姫君よ」
黄昏の、姫。
光の世界の君主がゼルダ姫であったように、ミドナもまた……影の世界の頂点に立つはずの者。
だから、影の結晶石や影の真珠に詳しかった。陰りの鏡の存在を知っていた。
驚きというより、改めてその言葉を他人から聞かされて納得している俺を見て、ミドナはなんだかくすぐったいような、ばつの悪い面持ちになって苦笑を浮かべた。
「なんだ、……知ってたんだ」
「偽物は本物にはかなわない……おまえが、自分で言ったんだろ」
「ハハッ、そうだな。……でも、一族を統べる身でありながら逃げ出したワタシに……その資格はないよ」
後ろ手を組みながら、低く沈んだ声音で続ける姿からは、とても出会ったばかりの頃の傍若無人な彼女を思い浮かべられない。
ミドナは、話してくれた。影の世界で何があったのかを。
「妙な力を手にいれたザントに、姿を変えられたワタシは、王の座をヤツに奪われた。民はヤツの魔力で魔物に変えられ、無抵抗で従えさせられた。
どうにかしてヤツに対抗する力をつけようと、ワタシは影の結晶石と真珠を求めてこちらに渡ってきたんだ……
ワタシの世界ではね、勇者は神獣となって現れると信じられてきた……だからリンクを見付けたとき、利用してやろうと思った。
光の世界がどうなろうと構わない、自分の世界だけ取り戻せばいいってね」
「…………」
「けど、身を呈してまで人々を救うゼルダ姫やリンク……エリシュカに会って、心の底から思ったんだ。オマエ達のいるこの世界も、救いたいって」
エリシュカに、なんの確証もなく好い人だ≠ニ言われて、珍しくひどく動揺していた彼女を思い出す。
自分の世界を、民を救うためには、何物の犠牲をもいとわない。そういう考え方ではあったものの、心根の優しさは最初から変わっていなかったんだ。
「ザントさえ倒せば、ワタシにかけられた呪いは消え、ゼルダにこの力を返せるようになる。
……行こうリンク。エリシュカを助けて、この世界を救うんだ」
***
寄り集まった影の粒子が、人の形を成していく。
空気が違うことに一瞬で気付いて、俺はぐるりと周囲を見渡し、ほうと感嘆の息をついた。
影の世界という名前からして、多少は暗い場所なイメージが付き物だったが、ミドナの言う通り美しくて穏やかな光景が広がっている。
紫がかった雲が、地平線のない世界全体を包み込むように覆っている。雲間に漏れ出る黄昏の光が、幾重にも重なって柔らかく照らし出す。あらゆる場所に特有の幾何学模様が施されており、建物は光の世界のものに比べて直線的で、石とも鋼ともつかない、黒き礎のようにそびえ立っていた。
「……綺麗だな」
「だろ?」
思わず漏れた言葉に、ミドナは誇らしげに、けれどしっとりとした声色で返す。
気配がもうひとつ、傍らに現れたのを感じて視線をくべると、シャドウが顕現してそうっと空を見上げていた。
「……此処が、影の世界……」
「影の眷属であるオマエにすれば、懐かしく感じるものもあるだろうな」
「あぁ……居心地がいい。空気が肌に馴染むようだ」
手を握っては開きながら、感触を確かめているシャドウ。初めて来たはずなのに、懐かしさを感じるとは、奇妙な心地だろう。
「これならば、実力を全て引き出せそうだ」
「頼もしい限りだな」
「……貴様に言われると、虫酸が走るな」
「なんでだよ!ただの誉め言葉だろ!」
どうも、こいつとは分かり合える気がしない。顔が瓜二つであることが、余計に互いの癇に障るようだ。
俺が睨み付ける一方で、シャドウはふいと視線をそらす。こいつが関心あるのはエリシュカのことだけかよ。
呆れ半分に横で小さく笑っていたミドナが、一呼吸置いて息をひそめるように語りかけてくる。
「なぁ、リンク」
「ん、どうした」
「最後のわがままを、きいてくれないか」
最後の?
今までそんな遠慮、ひとつとしてなかったくせに。今さらどうしたんだ、と目をしばたたかせながら夕陽色の瞳を見返す。
「どんな理由があったにしろ、ワタシは一度この世界から逃げ出したんだ……自分を長として認め、慕ってくれていた民達を残して」
「………」
「今も、残された人達は苦しみながら、それでも助けが来るって信じてる。……なのに、助けに来たのがこんな姿をした化け物だって知ったら、がっかりするだろ?」
「おまえ……」
「もう少しの間だけでいいんだ。……リンクの影になっててもいいかな。迷惑かもしれないけど」
俯いて、夕焼け色をゆらゆらさせている小さな姿。
俺は躊躇うことなく言った。
「迷惑なわけないだろ」
「!」
「好きなだけいりゃあいいじゃんか。今さら断り入れることないだろ、俺達の仲なんだから」
「……ゴメンな」
ありがとう、の代わりに返ってきた言葉。不器用な笑顔。
いつも何も言わないで、ずっと傍にいた。利用してやろうとしたなんて、いつからか罪悪感こそ抱いていたに違いない。だからって、謝ることないんだ。
だって俺も、たくさんたくさんおまえに助けられてきたんだから。
「あちこちに魔力が漂っているな……ザントが影の結晶石をばらまいたか」
「この霧の中じゃ光の者の姿は保てない。小癪なことしやがって……リンク、霧を出るまでは我慢しな」
『おう』
影の宮殿を目前に、ぼんやりと立ち尽くす影の魔物の姿があった。彼らは姿を変えられはしたものの、まだ人の心は失っていないという。その証拠に、襲ってはこなかった。
ザントを倒せば、彼らにかけられた呪いもまた消えるはず。ミドナの案内のもと、まず右側の棟を探索すべく進んでいた。
『!』
『来たか。待っていたよ、お前達を』
進行方向に顕現した人影。目を凝らさずとも、奴の纏う雰囲気で分かる。
影の王を名乗る男、ザント。
しかしその姿は何処か違和感を持っている。緑がかって、まるで投影された立体映像のようだ。
『エリシュカは何処だ!!』
『そう急くな。影の真珠は何処に……おや、懐かしい顔だ』
「……貴様の望みの物は、俺の内にある」
消えたはずの存在が、真珠を抱えてそこに在るという事実に、首を傾げた後ひきつった笑い声を上げる僣王。
『……ほう、なるほどな。またしても私の力になろうとは』
「黙れ。俺は貴様に力を渡すため来たのではない」
『ククッ、冗談も通じないか。……影なる者よ、よく考え直すことだ。お前の主人は我が手中にあるということをな』
シャドウが影の粒子で瞬時に具現化させた剣を握り、一太刀浴びせる。ファントムザントはそれをかわすと、禍々しい紅色の光弾を流れるように撃ち込んできた。
シャドウが腕を振るうと、いつか見た黒壁が彼に迫る光弾を阻み相殺する。
力はほぼ互角。勝敗を決するには至らないことを察してか、ザントは兜の下の口角をうっそりと歪めて嘲笑った。
『意思のある真珠とは小賢しい。しかしお前は王には勝てぬよ』
「……!」
「ザント!エリシュカは無事なんだろうな!?」
ザントはそれに答えず、くつくつと笑い声を響かせて、姿を消した。奴がいた場所を中心にして、辺り一面に黒い霧がかかる。
「チッ!……さっさと見つけに来いってか」
『くそ、またこの霧か……戦いにくいな』
「いくら影の世界とはいえ、障気が濃すぎる。本来はもっと明るいのに……、そうか!」
霧を抜けて、部屋の最奥に辿り着く。どうやら此処が一方通行であるこの棟の行き止まりであるようだ。
台座に佇む手のひらの形をしたオブジェが握りこんでいるのは、影の世界独特の紋様が施されている光球だった。大きさとしては、俺の扱う爆弾と同じか、それより一回り大きい。白い明かりは、光の精霊の抱く光球とはまた違う、真っ直ぐで存在感のある光を放っている。
俺の背で、ミドナが明るい声を上げた。
「ソルだ!こんなところにあったなんて……」
『ソル?』
「この世界を照らす光さ。ハイラルのものとは随分違うだろ?だけどこいつは、この世界の命の源……パワーそのものなんだよ」
「成る程……太陽が陰れば闇が蔓延るもまた容易いということか」
「リンク、シャドウ。これを、外の仲間たちのところへ運んでやってくれないか?きっともとの姿に戻れるはずだ。それに、いくらか霧が晴れればザントの居場所もわかるはずだ」
『わかった、任せろ』
ミドナが指を弾いて、俺の姿を光のものへと変える。ソルを取り返すには、オブジェを壊すべきか。手に聖剣を握り、一振りその指に当てた。予想外に容易くソルを手放した手のひらに、若干拍子抜けしつつ光球を拾い上げた。
「しかし段差多いな、この宮殿……クローショットがなきゃ往復も出来ねぇや」
「影の住人はオマエ達と違って、地に足つけて移動するわけじゃないからな。しかし飛んで跳ねてばっかりじゃみっともない。そこの窪みにソルを置いてみな」
ソルが近付くと、黒い霧がざわめいて遠ざかっていく。
言われた通りソルを部屋中央にある窪みへ置くと、装置が起動したような低い音を立てて、黒塗りの階段が浮き上がった。
仄かに幻想的かつ近未来的な印象を受ける不思議な光景は、おそらくはソルの独特の光によるものだろうか。
階段を上ろうと一歩踏み出して、その時何やら気配を感じた俺は今一度踏み留まる。
足元に、自分のものではない大きな影が被さったのを見て、反射的に横に飛び退いた。俺のいた場所に、勢いよく落ちてきたのは、あの手のひらのオブジェ──スフィアマスターだった。
奴はソルを元あったように手の内に収めると、何事もなかったように宙を浮遊して定位置へ戻っていく。
階段は消え失せ、辺りの明度が若干下がったところで、俺はミドナとシャドウに目配りをする。
「ま、一筋縄じゃーねぇよな」
「ココはいっちょ、共同作業だな!」
「……煩わしい。手早く済ませろ」
「おまえも手伝うんだよ?!」
俺がクローショットを握り直すと同時に、ため息をついたシャドウの手に得物が握られた。
掛け声もなく、高く跳躍した奴がスフィアマスターを斬りつける。呆気なく取り落としたソルを鉤爪で引き寄せると、武骨な手のひらはじわりと指をくねらせながら迫ってきた。
「逃げんのも追いかけんのも得意なんだよな〜、俺!」
鬼さんこちら、光射すほうへ。
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