なみだがもたらすもの



パパの声がする。



「エリシュカ、今すぐ手を離せ!」


初めて聞いたパパの怒鳴り声。
上った木から降りられなくなって怒られたときは、こんな怖い声じゃなかった。
私は怖くて怖くて、言葉が出ない。体が強張って、手のひらは寧ろ固く宝石を握りしめて動かない。

パパは駆け寄ってくるなり、乱暴な手つきで私の手のひらを無理やりこじ開けようとする。震える手は緊張が解けず、まるで石と手がくっついてしまったようだった。


「……っくそ、」

「ッ!!!」


力付くでは無理だと分かると、パパは腰元の鞘からそれ≠引き抜いた。
昨日、初めておばさんに教えてもらった針より、ずっと大きい。短剣みたいだ。

待ってパパ、それで、何をする気なの。


「エリシュカ、おとなしくしてろよ」

「……やだ、やめてパパ、ごめんなさい、」

「大丈夫だから」


その大きな針が、私の手のひらに突き刺さるのではとおびえて、急に溢れだした涙を見たパパは、先程までよりずっと優しい声で、何度も私に大丈夫と語りかけた。

私の小さな手のひらを簡単に包んでしまえる大きな手のひらは温かい。温もりを感じて、私は漸く気付いた。石を握る自分の手が、指先からどんどん氷のように冷たくなっていくのを。
指の隙間から覗く貝殻は、渦巻く緑線から妖しい光を放っていた。


「エリシュカ、大丈夫だよ。パパを信じるんだ」


躊躇うことなく、パパは右手に握った針の先を、宝石に軽く突き立てた。
薄靄のようだった光が突然強くなって、針を伝いやがてパパ自身を飲み込んでいく。
翠色の光を纏ったパパが、開いてごらんと促した。手のひらはすんなり開いて、宝石がころんと床に落っこちる。


「さぁ、もうこれで大丈夫だ」

「……パパ、この石なんなの?」

「これか?これはな……死ぬほど怖い夢を見る代わりに、ちょっとだけいいことが起きる魔法の石なんだ」

「魔法の石?」


拾おうとした私の手が伸びる前に、パパがひょいとつまみ上げてポケットの中にしまってしまった。
ゼルダさまと一緒に見るつもりだったのになぁ……

それから私は、魔法の石という言葉につられて、つい質問してしまった。


「パパ、その石があったら、ママの病気はなおるかな」

「……治るかもしんないけど、死ぬほど怖い夢だぞ?エリシュカ、夜眠れなくなっちゃうだろ。ひとりでトイレにも行けなくなるぞ」

「う……、でも、ママには元気になってほしいよ」

「……いいか?エリシュカ」


パパは、そんな私のわがままを怒るでもなく、膝をついて頭を撫でながら穏やかな声音で諭してくれた。


「おまえがうなされてるの見て、ママが心配しないはずないだろ?」

「う、」

「そんなふうに治っても、ママ喜ばないぞ」

「……でもさぁ……」

「それにな、エリシュカ。
願い事ってーのは、自分の力で叶えるものだ。間違っても、甘くて優しい言葉につられちゃいけない」

「どういうこと?」

「知らないひとにお菓子あげるからついといで、って言われてもついていかない。自分でお菓子を買うんだ」

「私お金もってないよ」

「じゃー作ればいい」


なるほど、と頷いた私に微笑んだパパは、さぁ戻ろうと私の手を引いた。


「もうこんなイタズラしちゃだめだぞ、木から落っこちるのとは訳が違うんだ」

「どう違うの?」

「大人になったらわかるさ」

「えー」


大きな針がしまわれた革鞘には、きれいな刺繍がしてあった。今度、おばさんに刺繍のしかたも教えてもらおう。
そうしたら、ママにまたハンカチ縫うんだ。じょうずになったらお洋服も。ママいつもきれいな格好してるから、きっと喜んでくれるはず。


「なぁエリシュカー今度パパにもハンカチ縫ってくれよー」

「いいよー」

「よし!じゃあ約束だな」


ゼルダさまにごめんなさいをして、それから後夜祭でご飯を一緒に食べたあと、パパと二人でおばさんちに帰った。
ゼルダさまと手を繋いだとき気付いたのだけど、それまで繋いでいたパパの手は、いつの間にか冷たくなっていた。



──────………
────………



目が覚めたら、辺りは真っ暗だった。夜なのだろうか。

暫くして目が慣れてくると、自分は明かりの少ない室内に閉じ込められているのだと分かった。壁の僅かな溝から、淡く光が漏れている。
体の自由が利かない。拘束されているのとは違う。熱を出して寝込んだときのような、体そのものが動くことに抵抗している。


まだぼんやりとして覚醒しない意識に顔をしかめていると、壁の一部が幾何学模様を写し出した。扉というより、すり抜けられる壁だろうか。兜を被った男が一人、入ってくるのが見える。


「……ザン……ト……」

「おぉ、生きていたか。紡ぎ屋の娘」


硬く冷たい床に伏せたままの私の傍らまでくると、片膝をついて顔を覗き込んでくる。
睨めつける気力も湧かず、ただ視界に奴を映していると、ザントは私を見下ろしたままくつくつと喉に引っ掛かるような奇妙な笑い声を上げた。


「その様子では、自らの置かれた状況を理解していないな」

「……何を……ひと、じち……なんでしょ、それよりあんた……私に、何したの」

「私は何もしていない。強いて言うなら、此処に閉じ込めただけだ」

「う、そ……」

「嘘だと思うなら、自分の姿を今一度確かめるんだな」


ザントが指を一振りすると、影の粒子が集まり凝縮され楕円形になり、ひと度煌めくと鏡に変わる。
重い体を無理矢理起こして、鏡に写る自分を見た。


「……………なに、これ」


鏡であるかを、まず疑った。
けれど、瞬きも、呟いた口の動きも、頬に触れた指先も、全部私のものと同じ。これは、間違いなく今の私≠セ。


「影の真珠を失っても尚姿を変えるとは……やはり紡ぎ屋、興味深い」


かしゃ、と兜の口元が開いて、厭らしく笑む唇が覗く。


「だから、貴様は十分に使ってから殺す。せいぜい、残り時間を有意義に過ごすといい」


気配が遠退いて、部屋にはまた私独りの呼吸音が響く。
残された鏡に写った、醜い姿。

造形ばかりは光の姿のままだが、眼球は黒く染まり、溶けてしまったような低い鼻、灰白の肌の一部は影の残滓となって抉れてしまっていた。
黒く結晶のようになった耳が刃物のように長く尖っている。身体中に巡る緑線は、確か影の姿をとったときと同じもの。
黒く硬質的な指が触れるのは、確かに私なのに。鏡に写るのは、光の姿でも影の姿でもない、中途半端な私だ。


「───!」


嗚呼、そうだ、私が中途半端≠セから。
もっと賢くて、利口で、ちゃんと紡ぎ屋の血を引いていたら=Aもしかしたら、守れたのかもしれない──……


ぼたぼた、ぼたぼた。泥のような黒い液体が、眦から溢れだして床に滴っていく。


堪えるような嗚咽が、部屋に響く。
取り戻した記憶は、あまりに残酷で、あまりに優しい。懐かしさは痛みを伴って、私の身体に染み渡る。

ガノンドロフが私を殺すって?
違うわ、私は───………



***



「待てよ、じゃあエリシュカの親父さんは」


黙ってシャドウの言葉に耳を傾けていたリンクが、そこで初めて声を上げた。

幼い娘が手にしてしまった、黒き力の結晶。願いを叶える代わりに命を吸い取る魔道具。彼は、石が娘を拠り所に選ぶ前にと、紡ぎ針を通して自らの命を僅かに注いだ。


「エリシュカの身代わりになったってことか……?!」

「あぁ。石は既に娘の命を吸い始め、彼女を器に選んでいた。けれど彼女の父が、紡ぎ針の力で無理矢理石を自らに取り憑かせた。
元の所有権はエリシュカにある。だから、彼女と父の間だけでは石のやり取りが行えたんだ」

「そういうことだったのか……」


ミドナが腕を組んで頷いた。
シャドウの手の中の水人形が、形を崩して再び空気中の水分となり消えていく。


「影の真珠は、術者が命を落とすか、結晶石を揃え王たる資格を手にした者に預けない限り、所有権を放棄することはできない。かといって、自分の死後他者の手に渡れば、悪用されないとも限らない。
故に奴は、自分がいなくなったあと、影の真珠が出すであろう被害を最小限にすべく努めた」

「ずいぶん出来た人間だな。それより先に、妻の病を治そうとは思わなかったのか……それこそ子供でも思いつくのに」

「間に合わなかったんだ。祭りの翌日、魔物が軍勢を率いて城に迫った。おそらく真珠の魔力につられたんだろう……奴は討伐に向かい、エリシュカは先にモイという奴の友人に馬で帰らされた。
エリシュカが村に戻った直後、母が危篤になった……父が村に戻った頃には、彼女は息を引き取っていた」


遺された日記には、エリシュカがハンカチをくれてたまらなく嬉しかったと記されていた。直前までは字を書ける程度の余力があったのだ。あまりにも急すぎる死だった。
彼は、「ママを生き返らせる」と真珠を欲した娘から、真珠に関わる記憶を、母の存在ごと取り除いた。そして一部の記憶を書き換え、仕立屋を営む姉にだけ事情を話し娘を預けた。
そうして、自分がいなくなったあともエリシュカだけは守られるように、周囲に取り計らった後、父は石を娘に預け、砂漠で死んだのだ。


「それが、オマエとどう関係あるんだ?」

「奴は、自分の命のほとんどを使って、影の真珠に感情を作ろうとした」

「!」

「誰彼構わず命を奪うただの魔力の固まりに、意思を持たせようとしたんだ。けれど、奴の命だけでは、人格を作るに留まった。
そこで、エリシュカの願いが、俺に姿形と性格を与えたんだ」

「どうりで……アイツ一人の命で、人間一人作るのは難しいはずなんだ……父親も絡んでたってわけか」

「でも、おまえは一度エリシュカに命を返して消滅したんじゃ」

「エリシュカの命のぶんだけだ。あいつの父親が俺に与えた命で、俺は記憶と意識を維持しながら、魔力の塊となって眠り続けた」

「それが、聖剣の鞘になったってわけか」


一頻りの説明を終えるなり、シャドウは苦々しげにくしゃりと表情を歪めた。


「もっと早くに真珠と同化できていれば、影の王になぞエリシュカを奪わせなかった……」

「エリシュカから真珠を分離した直後だ、仕方ねぇ」


そう言うと、ミドナは揃った陰りの鏡のかけらを取り出して見せる。


「急いで砂漠の処刑場に戻るぞ。早いとこ、鏡の間に残ったひとつとかけらを合わせるんだ」

「俺も同行しよう。ザントが欲するのは影の真珠である俺自身だ」

「……それは、オマエ≠フ遺志なんだな?」

「当たり前だ……俺が願いを叶えたいと思う主は、エリシュカただひとり。あいつの父の願いは叶えられた」


シャドウは、鞘の姿に戻る。リンクが聖剣を収めると、ミドナはポータルを開いてから呟いた。



「陰りの鏡をこの世から無くすことが出来るのは、一族に認められた長だけ。鏡をかけらにしかできなかったザントは、所詮偽物の王なのさ」

「偽物の……?」

「いくら着飾って強大な力を手に入れたところで、アイツは本物には敵わない。それを、ワタシ達で証明してやろう」


リンクが何かを察した面持ちになるのを見ながら、彼女は指を振るった。

そして、思い起こす。


私が、ミドナの願いを叶えてあげる!


オマエが元気で、笑ってくれれば、それで十分さ。

父親が、自分の身代わりになって死んだ。母親も救えず、目前で逝ってしまった。
どんなに覚悟の上だって、容易く受け入れられる過去じゃない。すぐには笑えないと思う。


いま、迎えに行く。だから、あと少しだけ待ってろよ。
そうしたら、またリンクとくだらない問答でもして笑えばいい。

そこに、ワタシも居れたら、それだけでいいよ。





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