なにもしらない



「エリシュカ、離れるんだ!」


俺の背後に立ったあいつが声をかけたことで、振り向いたモイさんが持つ松明の明かりで俺の存在に気付かれてしまった。
負傷の身でも、尚勇ましく剣(つるぎ)を構える師匠を見上げて、捉えられた瞳から目を逸らすことが出来ない。


まずい、このままじゃやられる……──


「やめてモイさん!」

『(え……?)』


俺を庇うように立ったのは、俺の邪魔をしたはずのエリシュカだった。


「この子は魔物じゃない、ただの狼よ!」

「狼だって十分危険だ!それにこんなデカい狼……、」

「今は犬の手だって借りたいでしょう?!」


犬って言ったか?こいつ。
狼だ猛獣だと言われる方がよっぽどましだと思えるのは、その単語の気の抜けるような響きのせいか、それともこいつの口から飛び出した不意打ちだからか。


「ねぇ、君、お願いがあるの」


俺に向き直り膝をついたエリシュカは、いつもの鋭い金の瞳を陽炎に揺らめかせながら言った。


「此処に来る途中で、女の子と男の子、それから子供たちを見なかった?魔物に連れ去られてしまって困ってるのよ」

『(!……タロたちもか)』

「一緒に探して欲しいの……お願い」

『っ!』


頭に置かれた手が、耳を掠めてすぐに背中に回される。
彼女の膝元に乗り上げるようにして抱きすくめられて、俺は思わず呼吸の仕方を忘れた。

「エリシュカ!危ない!」と叫ぶモイさんの声が遠く聞こえる。


「私だけじゃ、力不足なの、」


懇願するような声が、吐息と一緒に獣の耳に吹き込まれる。
ぞくぞくと震える背筋を感じながら、俺は困惑していた。


なんで、おまえが俺達を?

いや、おまえは、多分俺が知るのよりずっと優しい奴なのかもしれないけど。
力不足だなんて、気に病むことないじゃないか。おまえは女で、仕立て屋で、戦う力なんて全然ないに決まってる。
俺はむしろ、おまえが無事でよかっ───


『(って!何考えてんだ俺!)』


分かった、分かったから離してくれ、と思った以上に腕の力が強い彼女に向かって吠えてみせるも、やはり萎縮する気配はない。
度胸があるというか、肝が据わってるというか、……無謀というか。


「!……ありがとう、そんなにやる気になってくれるなんて」

『違ェーよ!!!能天気か!!』

「見付けてくれたら、必ずお礼するから、ね?美味しいお肉でも、なんでも。骨のがいい?」

『犬でもないから!!!』


どんなに反論したところで、彼女には俺の言葉は通じない。物分かりのいいワンコロだと思われているだろう。


「約束よ、お願いね」


一際強く抱きしめられて、解放された。俺は後退ってエリシュカから距離をおくと、その場から駆け出す。

狼と分かってわざわざ犬呼ばわり犬扱いっていうのもアレだけど、動物相手に本気で話し掛けて、頼み込んで……。
イリアなら分かる。あいつは、昔から動物が大好きだから。でも、こいつが動物相手だとこんなに素直だなんて知らなかった。


おまえだって、あの子をよく知らないじゃないか


嗚呼、そうだ。
俺は何も知らなかったよ。

知らなかったけど、いま、すこしだけ知ったよ。
俺は何をむきになって、勘違いしていたんだろう。今ならそう思えるのに。

早く元の姿に戻らなきゃ。あいつと言葉を交わすんだ。
もっと、ちゃんと知りたい。俺、エリシュカのこと、もっと分かりたい。


戻らなきゃ──


「おいっ!ドコまで行く気だよ」

『っ!!?』


突如目の前が真っ暗になって、急ブレーキをかける。確かに辺りは真っ暗だが、目前の月明かりさえ遮るそれは、きつく睨みつけてきて言った。


「舞い上がるのもいい加減にしろ!この思春期め」

『ししゅっ……、舞い上がってねぇよ!』

「剣はどうした!」

『………あ』


俺は、泉の前まで無我夢中で走り抜けて来ていた。


「オマエ単体じゃ森に入れないってこと、忘れたんじゃないだろうな?」

『………』

「やれやれ、先が思いやられるなぁ……いっそ、そのまま突っ込んで壁に頭打ち付けりゃいいのに」

『なっ』

「そんなんじゃ、森に入れてやらないからな」




まぁ、それからは仕切り直しということで、なんとかモイさん宅から剣を拝借したのだけど。



***



ミドナとは、とある牢獄で出会った。


「見ィつけた!」


目覚めてすぐ、獣の姿に戸惑う俺が鎖に繋がれたまま身動き取れないでいると、檻の向こうから妙にトーンの高い声が響いてきたのだ。
始めは敵と勘違いして威嚇したものの、「あ〜あ、残念だな〜……? オマエの態度によっちゃあ助けてやろうと思ったのにな」という言葉に、俺はおとなしく従う。何よりも此処から出してもらうのが最優先事項だったからだ。


『此処は何処なんだよ?』

「さぁて、ドコでしょう?クククッ」


奇怪な魔術にも似た力で鎖を断ち切ってくれたはいいものの、それからは振り回されっぱなしだ。
俺の背に跨がるそいつに大して抵抗もできず、とりあえず外に出してもらうと、呑気な声が耳に入ってくる。


「ほら、空を見てみなよ?今日も黄昏の黒雲がキレイだね〜」

『黄昏の、黒雲?この、タチの悪い雨雲みたいなやつが?』

「タチが悪いとは言ってくれるじゃないか。……まぁいいや、そろそろ此処が何処だか分かったんじゃないか?」

『………』

「なんだ、まだ分からないのか」


こちとら、今日という今日まで、村と近隣の森にしか立ち入ったことのない田舎者だ。
此処が異世界なのか俺の知るハイラルの大地なのかもろくに把握出来ていないのに、そんなこと言われたって答えようがなかった。
相変わらず景色はくすんだ黄昏の光に包まれていて、塵のようなものがふわふわと地上から空に向かって漂っている。


この小人が言うには、この世界の人間は姿形を保てぬまま、魂としてのみ存在しているらしい。
事実、外に出られるまで地下とおぼしき牢獄や用水路を歩いてきたときにも、何人もの魂と出会い、俺はそのたびに獣特有の感覚を研ぎ澄まして声を聞いてきた。
そのどれもが兵士で、しきりに何かに怯えていること、更には俺が目視出来ないことくらいしか、情報としては収集出来なかった。


あぁ、ここにも魂の炎が揺らめいている。
ひと度瞬けば、うっすらと輪郭を保つ薄らいだ人間の存在を視認出来るようになった。
また兵士だ、そして怯えている。


「何なんだよ……あの影みたいな鳥は!
一体どうなってしまったんだ……このハイラル城は!!」


ぴくりと無意識に身体が反応した。
聞き覚えがあるどころか、もし此処が言葉通りハイラル城なら、俺は元より献上品を届けにこの場所へ赴くはずだった。
それに、地図で見た限りハイラル城は村から遠く、ハイラル平原を越えて北上した先にあったはず。そんな遠距離をいつの間に運ばれていたのか。日数は?イリア達が拐われてから、どれだけの時間が経っている?


『ここが、ハイラル城……?』

「安心しな、さっきから時々襲ってくる鳥、あれでオマエも運ばれてきたんだ。そう時間は経ってない」

『なっ』

「全部顔に出てんだよ!クククッ、分かりやすいヤツ」

『悪かったな……』

「とにもかくにも、オマエには会わせたいヤツがいるんだ。あの塔まで付き合ってもらうぞ」



魂の炎と、影のようでいていびつな姿をした魔物、それから俺達しか存在しないこの黄昏の世界で、ミドナは誰に会わせようというのか。
それは、石造りの塔の頂上にある、ものものしい扉の部屋まで辿り着けば、すぐに分かった。

最低限の調度品だけが揃えられたシンプルな室内に、黒いローブを着込んだ背中が見える。
窓の外を眺めていたその人は、振り返って俺達に気が付くと、驚いて息を飲んだ。


「……ミドナ?」

「ククッ……覚えててくれたの?」


この時、初めて異形の者の名を知った俺は、二人の会話に耳をそばだてる。
声音からして、ローブの人は年若い女性だろうか。


「この方が、ミドナが探していた……。
貴方が、捕らえられていたのですね。 ごめんなさい」

『?』

「コイツ、何が起こってんのか全然分かってないみたいだからさ、アンタのしでかしたコトを教えてやってくれないか?黄昏の姫さんよ!」


そう言って上機嫌そうに喉の奥で笑い声を上げたミドナ。
その人は、逡巡して閉口したのち、そっと深く息を吸い込んでから言葉を紡ぎ始めた。


「よく聞いてください。
此処は、かつて神の力が眠るといわれた王国ハイラル。
しかしこの地は、影を支配する王によって、黄昏の黒雲が覆う影の領域≠ノなってしまったのです」


言葉は綴る。このハイラルを襲った事の顛末を。

光を奪われた人々は、影の世界では魂のみとなり、そして我が身がどうなったかも分からぬまま、影の魔物に怯えるだけの存在となった──。

「そして、私はこの国の王女」



おもむろに深く被っていたローブに手をかける彼女。
透き通るようなブロンドに豪奢な髪飾りをつけ、世界の深淵でも覗き込んだかのような憂いた眼差しを向けるその人は、俺と同じハイラル人の証拠に尖った耳をしている。



「ゼルダ」



人々が魂に成り変わると言われるこの影の世界で、彼女ただ一人が、人間の姿を保っていた。



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