なくしもののこたえ
ブルブリン達に占領された里。
ずいぶん廃れてから長いだろうことが窺える町並みは、どこもかしこもすきま風吹き荒ぶ寒々しい光景だ。
真正面から立ち向かってやりあってはこちらが不利だ、と弓矢を駆使して敵を殲滅させた後、唯一扉がまともについている小屋からそろりと恐る恐る姿を見せたのは、村の子供たちよりもはるかに小柄で身の細い老婆だった。
「けだものどもの声が止んだ……。もしや、あなたが?」
温厚そうな老婆は、目尻を下げ皺を深くさせながら柔らかく笑顔になり、手を合わせて喜んだ。
俺は頷き、怪我などはないかと確かめると、彼女はゆるりと頭を振ったのちしわがれた穏やかな声音で続ける。
「私はこの村に住む、インパルという者です。その昔、この村を作った偉い御方の名前をもらいました」
「インパルさん……この村は、王家に仕えた一族が住んでいたって聞いたんですが」
「えぇ、……しかし長い戦乱で一族は廃れ、村は荒廃し……今ではその一族も私独り。あのような魔物が彷徨く物騒な場所になってしまったのです」
栄えた頃の村の様子を思い浮かべるように、目を細めるインパルさん。
そこで彼女は一度閉口すると、静かに尋ねた。
「失礼ですが、あなたのお名前はリンクというのでは?」
「えっ?……はい、」
「あぁ、やはり。では、あの娘は助かったんですね?」
イリアのことだろう。
俺が頷くまでもなく、彼女は安堵の息を漏らすと、顔を綻ばせた。
「あの娘は、突然連れられてきて、私と一緒に此処に閉じ込められたんです。捕まっている間、彼女はいつもあなたが助けに来てくれると私を励ましてくれました。
村から逃がしてやるときも、最後までこの老婆のことを心配してくれて……ただ、私は王家の命によりあるお方が現れるのを待っている身。何があろうともこの地を離れるわけにはいかなかったのです。
……そうじゃ。これをあの娘に返してやってくれませんか」
そこまで話すと、インパルさんはふと思い出したように首に提げていたネックレスのようなものを俺に手渡した。
陶器製の、馬の蹄鉄にも似た形のチャームがついている。飾り紐がついたそれは、インパルさんの衣装には何処か不釣り合いな印象を受けた。
「あの娘が、肌身離さず大切にしていたものを、この老いぼれに貸してくれたのです。お守り代わりにと……」
「イリアが?あいつ、こんなの持ってたっけ……」
「私が今まで無事でいられたのは、それのおかげだと思っております。どうかお願いします、必ずあの娘に返してやってくだされ。そしてこの老いぼれが感謝していたとお伝えください」
寂れた村で、誰かを待つインパルさん。
その使命が果たされるのが何時になるかは分からない。
手を振って見送ってくれた彼女に、いつかイリアを連れてまた会いに来ますと約束した。
俺が来るって、ずっと信じてくれていた。
意思の疎通も出来ない、いつ狂気を向けられ傷つくかも分からない化け物に囲まれて、ひどく怖い思いをしたろうに。
それでもずっと、ずっと俺を信じてくれていたんだ。
逸る気持ちのまま教会に戻ると、イリアはそこに居なかった。
外の空気を吸いに出ていったと、レナードさんが教えてくれた。遠出はしていないはずだから、村の何処かにいるだろうと。
教会を出て辺りを見回せば、何てことない、あいつは泉に居た。
黄昏の光を受けて眩しく煌めく水面を覗き込み、じっと動かず立ち尽くしている。
やがて俺の気配に気が付いて、顔を上げた彼女は、すこし寂しそうに眉をひそめて、それから薄く微笑んだ。
「……リンクルさん」
「あのおばあさんは無事だった、怪我ひとつない。おまえに宜しく伝えてくれって……これを受け取ったよ」
手に握りしめたままだった首飾りを渡す。
手のひらでしっかりと陶器の蹄鉄を握ると、
「……私、」
瞬いた彼女の顔色が変わる。
いつも不安そうに肩を竦めて身を縮こまらせていたのが、身体中から力が抜けて、穏やかな顔つきになる。
凛とした空気が彼女を取り巻いて、それから、見覚えのある柔らかい笑顔を浮かべた。
「会ったことが、ある。
懐かしい、草の香り……遠い昔、幼かった頃から、私の隣にはアナタがいてくれた」
息が詰まった。
翡翠の眼差しに、たくさんの光が映り込んで、優しく輝いた。
「リンク」
光がこぼれ落ちた。
ほろりと、イリアの眦からしずくがひとつ、ふたつ。
「ばかね、私。なんで忘れたりなんか」
「……イリア」
「だってずっと、ずっと待ってた。リンクはやっぱり来てくれて、私嬉しくて、なのに……なのに、なんで忘れちゃったんだろう」
言葉をなくした俺の前で、止まらない涙を拭いながら微笑う幼馴染み。
すんと鼻を鳴らしながら、彼女は手の中の首飾りをもう一度握り直す。
「これね。旅立つ前に、アナタに渡したかったの。リンク、もらってくれる?」
勿論だ、なんて声もでなくて、嗚呼なんでこんなにも、うまく話せないんだろう。
俺の知ってるイリアが戻ってきた。俺を知ってるイリアが、目の前にいる。
なのに、どうしてだろう。まだ、息が詰まって苦しいんだ。
もう一度受け取った首飾り。イリアは嬉しそうに目を細めてまた微笑った。
「良かった。いらないって、突っぱねられるかと思った」
「なん、」
「私は、エリシュカさんみたいにおしゃれでセンスあるものは作れないもの。所詮田舎育ちだし」
「そんなの気にする間柄かよ……」
「ふふ。だから、少しでも旅の役に立てばと思って。これ、馬笛にもなるの」
「あぁ、だから草笛と同じ形……」
「ねぇリンク、私はもう大丈夫よ」
涙の痕が目立つ頬を擦りながら、イリアは言った。
「私が話した天空の杖の話、覚えてる?あれはね、本当は杖を持った天空への使者の話なの」
「天空への……」
「私を逃がしてくれたあのお婆ちゃんが話してくれたんだけどね。
代々天空への使者に必要なものを守っていて、その使者が現れるのを待っているそうなの。それは杖を持った使者以外には絶対に渡しちゃいけないものらしくて……だから村を離れられなかったのよ」
ぼんやりと耳に入る、天空への手掛かり。
しかしそれよりも気になってしまうのが、彼女の表情だった。
見慣れたはずの、元通りのイリアのはずなのに。
なんだか違う。俺の知るイリアと違う表情。
「これで、エリシュカさんは助かる?」
「え、」
「リンクが言ったんじゃない、天空に繋がる手掛かりがほしいって。エリシュカさんを元の姿に戻してあげるんでしょ」
イリアはまた目元を拭った。
潤う瞳、しかしもう光はこぼれ落ちたりしなかった。
「あんなに大嫌いだったのにね」
「……」
「エリシュカさん優しいから。強くてかっこよくて、素敵な人だから」
「……イリア」
「でもアナタは、そうじゃないあの人を好きになったんでしょ。私達の知らないエリシュカさんを」
ほら、行って。
イリアはいたずらでもするような顔になって、それから背を向けた。
「私ならもう大丈夫よ。子供たちのことも、私に任せて。でも時々は顔を見せに来てね、心配だってしてるんだから」
声が、微かに震えていた。
何故泣いてるんだ、とは、言えなかった。
俺も同じだけ胸が苦しかったから。
「シャッドさんとエリシュカさんなら物見台よ。コリンが追いかけて行ったわ」
「なら、イリアも行こう。せっかく記憶が戻ったんだ」
「私は、……いいの。もうしばらく此処にいるから」
ぱしゃん。蹴った泉の水が跳ねる。
伸ばしかけた腕を下ろして、俺は踵を返す。
「あんまり、身体冷やすなよ。風邪ひくから」
「わかってる!」
「……じゃあ、」
遠ざかる足音。
何の苦もなく笑顔になれるのに、堪えたはずの涙はまた何度も何度もこぼれおちて、水面に波紋を作る。
思い出せて良かったのに、ものすごく寂しい気持ちになる。何か大切なものがなくなった気分。
記憶が無かった頃、何があったのか、自分が何をしていたのか、ちゃんと思い出せるのに。その頃自分が何を思っていたのか、それだけが思い出せなかった。
ただただ胸が痛くて苦しくて、つらくて、どうしようもなく悲しかった。
水鏡に写った私が、嬉しそうに泣いていた。
***
物見台の縁から足を下ろして、コリンを交えシャッドと三人で空を眺めながら思い出話に花を咲かせていると、リンクがやって来た。
コリンが天空の話に目をきらきらさせて耳を傾けるものだから、シャッドは気分良さそうに少年に天空都市の可能性について講義している。足元で手を振って私を呼ぶリンクのもとへ、物見台から軽々飛び降り近付いた。
「おまえ、もう少し人目をさぁ……」
「大丈夫よこの姿じゃパンチラも何もないから」
「そういう問題じゃねえ」
見上げれば、コリンとシャッドが目を丸くしてこちらを窺っている。怪我はないことをピースサインで知らせれば、彼らは安心したように表情を緩めてまた会話に戻っていった。
「そう、イリアの記憶が戻ったのね!良かった……」
「あぁ、まぁな」
言葉を濁す彼に小首を傾げつつも、それで?と続きを促せば、リンクではなくその影から抜け出したミドナが声を上げた。
「あの娘を助けてくれた婆さんが、天空に繋がる何かを守ってるらしい。天空の杖を持った使者が訪ねてくるのを待ってるんだそうだ」
「……なるほどね」
「あの眼鏡モヤシは何か言ってたか?」
「そうね……教会の地下にある石像は、どうやらハイラル中に点在している同型のものと少し形が違うみたい。天空文字で、開封の呪文を唱えよ≠ニだけ書かれてるらしいの」
「開封……?」
「それらしき資料は未だ発見ならず。だからそうね、まずはそのお婆さんに会いに行く方がいいかも」
おそらく、天空の杖とはリンクが時の神殿で手に入れたコピーロッドのことだろう。
その昔この国にも魔法が存在したって書物で見たことがあるけれど、きっとそれを計算に入れてもコピーロッドは別格だ。おばちゃん達一族の技術が云々という話があったしね。
「調子はどうなんだ?」
「うん、もうすっかり……何よ、嘘じゃないわよ」
顔を覗きこんでくる彼にどもってしまった。
ひそめられた眉は怪訝そうで、しかし怪しむというよりは心底心配しているといった面持ちだ。
「……多分、この状態で魔力を使ったら、私は本当に影の真珠に取り込まれちゃうんでしょうね」
「なら……」
「やーよ。最後までついてくわ。これは私の旅でもあるんだから」
「ちげぇよ」
「え?」
てっきり、また「無理しないで休んでろ」って言われるんだと思った。
目を丸くして見つめた勇者リンクの澄み渡った空色の眼差しには、やはり曇りなどひとつもなくて。
「しんどくなったら、すぐ言えよ。その代わり、最後まで付き合わせるからな」
……それは、漸く認めてくれたという意思表示。
一緒に旅をして、助け助けられを幾度も繰り返した。
なのに、彼はいつだって私を守るべき存在≠ニして、必ず危険を前にすれば私を背に庇った。
支える、力になる、守る、たくさんの言葉をもらったけど。
「……ばかね、こっちの台詞よ」
最後まで付き合わせる。
その言葉が、思いが、今までで一番嬉しかった。
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