きみにいえなかったこと



「……リンク……」


背中で僅かに身動ぐ彼女に気が付いて、俺は足を止める。


「気が付いたのか?いま、宿場のベッドまで連れてってやるから」

「……ここは、カカリコ村……?」


細く浅い呼吸を繰り返していたエリシュカ。その姿は未だ影のものだが、どうやら幾分調子を取り戻したようで、呼吸も顔色もだいぶ良くなっていた。


「シャッドのやつ、石像を調べにこっちまで足を伸ばしてるらしいんだ」

「……じゃあ、そのあたりにアッシュが……」

「今回は送り迎えの護衛だけだそうだ、酒場で顔を合わせたからな」


宿場に向かう俺の襟を引っ張って、足を止めさせたエリシュカ。
降ろせ、とは言わぬあたりまだ全快ではないようだ。


「シャッドのとこまで連れてって」

「な、……でも、場所わかんねぇし」

「レナードさんなら知ってるはずよ」

「エリシュカ……」

「あいつなら、絶対私の頼みを聞いてくれるから。鏡のかけらもすぐ見つかるはずよ」

「落ち着けよ、おまえどうしてそんな……」

「いいから。お願い」


そんなふうにしがみつかれたら、何も言えなくなってしまうじゃないか。

俺は進路を変えて、エリシュカをおぶったまま教会を目指した。
扉を開けると、其処にはレナード牧師とイリアのみならず、何故かゴロン族代表格のダルボスとドン・コローネの二人もいて、彼らが一斉にこちらを見やった。


「おぉ、来たか勇者よ」

「待ってましたよリンクさん!……そちらの方は、」

「すみません連れです。シャッドという男がこちらを訪ねていると思うんですが、彼に会わせたくて」

「あぁ、彼ですね。今地下室にお通ししています、そちらは後程。朗報ですよリンクさん、うまくいけばイリアさんの記憶が戻るやもしれません」


俺は僅かに目を見開き、唇を固く引き結んだ。
そう、レナードさんから送られた手紙には、イリアの記憶について至急話したいことがあると書かれていたのだ。予感は的中、けれど不思議と手放しでは喜べない。


「……詳しく、聞かせてください」


背に寄り掛かる彼女を近くの腰掛けに寝かせてやりながら、ゆっくり口を開く。
イリアを見れば、なんとも言えない複雑な面持ちで、眉をひそめていた。


レナードさんの話を要約すると、こうだ。
シャッドが天空の研究の一貫として地下の石像を見せてほしいと訪ねてきた。どうやらテルマさんの伝で石像の存在を知ったらしい。
そこでイリアが、自分を助けてくれた人間がいること、その人が天空の杖の話をしてくれたことを思い出した。

記憶を戻す方法について前々から相談していたゴロン族の長老、ドン・コローネが言うには、記憶の断片を繋ぎ合わせることで記憶を取り戻せるらしい。つまり、イリアを助けてくれた人物まで遡ることが出来れば、何か手掛かりがあるはずなのだ。


「ですから、まずは彼女がこの村に来る前に世話になったというテルマさんに聞いてみるとよいでしょう。この手紙に詳細を記してありますから、これを彼女に渡してください。……実は、私どうもあの人が苦手でして……」

「ハハ、分かりました」


蝋封のされた洒落た封筒を受け取る。事態が事態だ、ミドナに協力してもらえば一瞬で城下町まで往復出来るだろう。


「すみません、リンクルさん……私のために、赤の他人のあなたを巻き込んだりして」

「……気にすんなって」


実に申し訳なさそうに頭を垂れるイリアに、俺はじくりと胸が痛むのを感じた。彼女の負担になってはいけない、と俺のことは旅人で通している。今の彼女の内に、幼い頃一緒に森を駆けたことも、牧場でヤギの世話を手伝ってもらったことも、小川で水遊びしたことや夕飯を共にした記憶は無い。
一切の記憶を失う程のショックだ、相当恐ろしいことがあったに違いない。それを思い出させるということに些か躊躇いが生まれるが、そろそろリンクルと呼ばれるのにも飽きてきた。イリアは気弱な敬語喋りより、溌剌と話すほうが似合ってるんだ。


「よいしょ……ありがとうございました、お蔭で……! やぁリンク、戻ってたんだね」

「シャッド……」


地下室から編み縄を伝って上ってきたシャッドが俺を見つけて、柔らかく口元を緩める。
反して俺に走る緊張、思わず横たわるエリシュカを隠すように身体をずらしてしまったのがいけなかった。


「あれ?そちらは?病人?」

「いや、その……」

「あなたに会わせたくお連れしたそうですよ」

「へぇ、そうなんだ!そういえば、エリシュカは一緒じゃないのかい?」

「…………、」

「……どうしたんだよリンク。エリシュカは?城下町かい?」

「………」

「……まさか、」


ツカツカと足早に寄ってきて、俺を押し退けローブのフードを剥ぎシャッドは息を止めた。イリアがきゃあと悲鳴を上げ、レナードさんやゴロン族の二人もどよめく。
閉じていた瞼をそっと開いて、見慣れた黄金色にシャッドを写す彼女。その表情は何処か寂しげだ。


「………」

「…………」

「……エリシュカ、なの?」


膝をついて、近くで彼女の顔を覗き込むシャッドの声は、ほんの僅かに震えていた。
その言葉に他の人々が息を呑む中、俺ではなく彼女自身が答える。


「そうよ」

「…………どうしてこんな、」

「前からよ、気にすることない」

「ボクは聞いてない」

「言わなかっただけ、隠してたわけじゃないわ」


俺からは見えないシャッドの表情。声色から窺うに、彼は唖然としつつも悲しみと怒りを抱えているようだった。


「……シャッド、お願いがあるの」

「………い」

「私達、天空について知りたくて……昔たくさん聞かせてくれたでしょう、もう一度、もっと詳しく……シャッド?」

「……かない」

「シャッド、」

「聞かない!キミの頼みでも、それだけは聞けないよ!」


初めて耳にした、シャッドの怒号。
何度もアッシュをたしなめ、エリシュカを励ましてきた彼が。
その幼馴染みに、腹の底から声を出して怒っていた。

エリシュカ自身も経験がないのか、ひどく戸惑った顔になって身体を浮かせた。しかしシャッドの手によって今一度横に直る。


「待ってシャッド、話を聞いて」

「だから聞かないってば!キミはまたそうやって、ボクすら踏み込んだことのない場所へ行くつもりなんだろう!」

「素直に言わなかったのは謝るわ、けど私が行くときにシャッドも連れて」

「ボクより先に天空に行こうとしてることを言ってるんじゃないよ!どうしてキミっていつもそうなんだ、自分はそれどころじゃないくせしていつもいつも!」

「シャッドさん、その辺で……」

「悪いですけどあなたは黙ってて!これはボクと彼女の問題だ!」


仲裁に入ろうとしたレナードさんさえも押し退けて、彼はエリシュカに詰め寄り怒りをぶちまけた。彼女はもう何も言えなくなって、されるがままになっている。


「大体何故そんなになってるのに何も言わないんだ!隠してたわけじゃない?寝言は寝て言えよ、黙ってたってことだろ!
人の心配も忘れて危険地帯にホイホイ踏み込んで、アッシュにあれだけ叱られて何故懲りない!?ボクが本当に心からキミを応援してると思ったのかい?!!」

「……っ、」

「ああそうかよ、そんなにボクは頼りないか、だろうねリンクに比べたらボクなんてへなちょこだろうさ随分侮られたもんだ!
大事なことは全部ボクには秘密、何もかも終わってから話してくれたかも分からない!そうやってキミはいつも無理して勝手に何でもかんでも進めて、ボクはまったく大迷惑だよ!!!」

「そんな、」

「死ぬほど心配してるって、忘れないでって!……ボク言ったじゃないか……ッ」


エリシュカが瞠目し固まった。
肩で息をするシャッドが、暫くしてこちらに向き直った。
眼鏡のレンズ越しに濡れた藍の眼差しが赤々と燃えながらぎろりと睨めつけてくる。


「キミもだリンク、どうしてキミがついていながらエリシュカはこんなことになったんだ。説明してくれ」

「……それは……」

「……言えないんだね。そうか、キミまでボクに隠し立てをするんだな」

「違う!そうじゃなくて、」

「もうキミは信用ならない!ハイラルを思い危険を侵してでも旅をする心優しいキミだから、ボクは彼女を預けたのに!」

「シャッド!」

「キミにエリシュカは渡さない!」


小柄で、細身で、きっと腕っぷしでは俺よりエリシュカにも敵わないだろう男、シャッド。
そんな彼が、全身を奮い立たせて俺に立ちはだかる。それがどれだけのことを意味するのか、分からないほど俺は馬鹿じゃない。


「キミはそこの彼女の記憶を取り戻すなり世界を救うなりすればいい、好きにしろよ。けどエリシュカを二度と巻き込むな」

「シャッドお願い話を聞いて!」

「ボクのお願いなんてひとつとして聞いてくれないだろ」


後ろからエリシュカの腕が伸びてきても、彼はそれを払い落としてまた静かに吐き捨てた。こめかみに浮いた血管が彼の怒りを象徴しているようだ。

何故だろう。俺はシャッドに負けたような心地になって、やるせない思いを抱いたまま半ば駆け足で教会を出た。
ミドナが足元からふわりと姿を現して声をかけてくる。


「おい、」

「城下町」

「な……」

「いいから!……テルマさんに会うんだ」


言葉を被せるように告げると、釈然としない面持ちのままミドナは指を振るう。
体が離散し、異次元を漂って再び大地に降り立って結集したって、俺の胸中は灰色に染まったままだった。



***



リンクが出ていったあとの教会は、言うまでもなく居心地の悪い空間となっていた。


異形の姿をした私を、不躾に眺め回すゴロン族。レナードさんやイリアも、どことなく距離を置いている。
目をやる場所に困って、つい俯いていると、柔らかく髪を撫でる感触。そっと顔をあげれば、シャッドが目を細めて屈み、視線を合わせる。


「……痛みとかは?」

「ないわ、大丈夫。……説明、したいんだけど……うまく言えないというか」

「わかってる。……そんな気はしてた」


シャッドは驚き瞬きこそすれ、その眼差しに怯えや恐怖の色は一切宿らない。
それが逆に不思議で、先にミドナと出会い化け物退治をいくらか経て免疫のあったリンクでもないのに、何故彼は平然と私の尖った黒い手のひらを取れるのだろう。不安がよぎる。

場所を変えよう。シャッドが連れ出してくれて、私達は人目につかない物見台の上までやってきた。
シャッドは私の隣に腰かけて、広く青い空を見上げながら微笑う。



「どうして普通に接してくるのか、って顔だね」

「……だって、」

「姿形が変わったところで、中身がキミ自身であることに変わりはない。そうだろ?」

「……えぇ、でも」

「10年もキミを待ち続けたこのボクを、信用できない?」


レンズ越しに見つめてくる藍の瞳は、憂いこそ孕んでいるものの、柔らかく優しい光を放っている。

家族のように育った彼を置いて、私は独り騎士学校に入った。それからもずっと顔を会わせないままで、それでもこうして私を受け止めてくれる。


「本当は、ずっと見てたんだ。キミのこと」

「え?」

「アッシュと知り合えたのは本当にただの偶然だったけど、それから彼女とキミが親友だって聞いて、ボクはそれから何度も彼女を通してキミのことを聞いていた」

「……」

「気持ち悪いだろ?……でも、ボクだって直接キミに会いに行く勇気はなかったんだ」

「シャッド……」

「知ってたよ。周囲に期待されて、それに押し負けそうになって、そしてあの馬車を救えなくて、キミの心が折れたこと。
ボクはキミの一番の味方なのに、励ましに行くことすらできなかったんだ」



嗚呼、私はずっと、あなたのことでさえ傷付けて。



「好きだよ、エリシュカ。キミのことが、ずっとずっと昔から」



灰白の頬を滑る涙に、彼はまた困ったように笑ってみせた。

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