なくしてはならないもの



化け物は粉塵に帰した。

ミドナは手のひらに収まった鏡のかけらの感触を確かめながら笑う。


「よし、これで鏡のかけらはあと1つだ!」

「しっかし本体は随分ちんけでしょぼかったな……」


そう。一度全身を破砕されたはずのシェルドゴーマは、しかしそのまま朽ちるのではなく、目玉模様の小蜘蛛(とはいえ一般的な蜘蛛に比べれば十分規模は化け物サイズなのだが)と幼生ゴーマの群れに姿を変えたのだ。
逃げ惑う敵を追って止めをさすのは些か躊躇われたが、しかし俺は聖剣を振るい奴を仕留めた。なんとも締まりの悪い戦闘である。


「つまりはそういうことさ。あんなちっこい蜘蛛を、あんな化け物に仕立て上げちまう。かけらの持つ魔力は想像以上にヤバいよ」

「確かにな……」

「ワタシ達は、実はとんでもないものを集めているのかもしれない。この世から無くさなきゃならないものなのかも……何より、エリシュカに影響皆無ってわけじゃないのも気になるし」

「そうだ、エリシュカ!早くあいつと合流しないと」


鏡の脅威は俺とて重々承知の上だ。伊達に勇者やってない。けれど、それより何より傍にいないエリシュカの存在の方が気にかかって仕方ないのだ。
ミドナは少し物言いたげな表情を残していたが、開いたポータルへ俺を手招いてくれた。


最早慣れきった、分散した肉体が塵の塊となって再生する心地に目を開く。
其処はあのステンドグラスの光射し込む明るいフロア。光の階段が隠し扉に繋がる、聖剣の間。

おばちゃんが一足先に神殿の出入口、セピア色の歪みの向こうへ飛び出していくのを見送って、ミドナもまたそれに続く。しかし俺は、つい歩みの速度を緩めてしまっていた。


「? どうしたリンク、置いてくぞ」

「あぁ、今行く」

「……先に行ってるからな」


何処と無く懐かしいこの場所にも、もう来ることはないかもしれない。そう思い、幽玄なる神殿を今一度確かめるように眺め回した。


さようならリンク

「!!!」


声がした。
俺は名を呼ばれた気がして、振り向く。

残像のように掠れた姿の、赤毛の少女が祭壇に立っていた。
まるでエリシュカを幼くしたようなひと。慌てて駆け寄ろうと手を伸ばす俺をすり抜けて、一人の少年が駆けていく。


どうして!君までそんな、

だめなの。私がやらなくちゃ

嫌だ、一緒にいようって、この旅が終わってもずっとって、君が言ったんじゃないか!

ごめんね。ごめんねリンク


少女は笑っていた。慰めるように、励ますように。
俺が知るより明るい色をした緑衣を纏った少年は、成す術をなくして立ち尽くす。


……皆、皆僕を忘れてる。ナビィも、サリアも何処かに消えてしまった。
僕のこと、ちゃんと覚えているのは君だけなのに

えぇ、そうね。私はちゃんと覚えている

君までいなくなるなんて嫌だ!



悲痛な叫び。
俺と同じ名で呼ばれる彼は、この決別が最後だと直感しているのだろう。
にこにこと笑みを絶やさない少女は、喪失に怯える少年を優しく抱き寄せて──笑顔を崩した。


大丈夫よ、きっとまたすぐに会える

嘘だ

本当よ、だって大地は繋がってるわ。海にも、山にも、森にも、空にだって。
だからきっと、きっと会えるわ

……本当なんだね

大丈夫よ。絶対、絶対に



涙を拭い、笑顔を作ってから再び少年の顔を見た少女。
その言葉はまるで、自らに言い聞かせているような響き。


だから探して。私は必ず、この世界の何処かにいるから


少女は、俺に焦点を合わせ、滲むように微笑んでから、靄のように溶け消えた。
取り残された少年は、静かな声でもう何処にもいない少女へ返事をする。


……うん、探すよ。
必ず見つけるから。待ってて

エリシュカ



踵を返す少年は、まるで鏡を見たように自分とそっくりな面立ちをしていた。
蒼の瞳に信念と涙を浮かべて、彼はまた俺をすり抜け歩いていく。

振り返った其処に、彼は居なかった。


「……エリシュカ……?」


突如、空間が裂けて、吹き出した歪みの濁流に飲み込まれる。
どちらが上か下か、自分は地に足をつけているのか否か。それすら分からない、ひずみの中心。

すると、また少女の声がした。
今度は脳裏に焼き付くような、心に呼び掛けてくる声色で。


君なら、きっとハッピーエンドへ繋ぐことができる

「君は誰なんだ、エリシュカなのか?」

いいえ、私はあなたの知るエリシュカじゃない。
私は時と人を繋ぎ紡ぐ者。禁忌の代償は、永遠の孤独


「な、」

大丈夫、あの子は寂しくないわ。だってあなたがいるから


巡り廻るセピアの闇が恐ろしくて、俺は知らず知らずのうちに息を止めていた。
呑み込んだ吐息の行方すらも知っているように微笑んで、少女の声は消えていく。






「エリシュカ、エリシュカ起きろ!」


ミドナの鋭い声で気が付いた時、俺はあの静かな森に立っていた。

そうか、戻ってきたんだ。


心配そうにミドナが飛び回る中、横たわっていた彼女が体を起こす。
どうやら深く眠っていたらしい。頭を振って覚醒したエリシュカは、然程顔色も悪くなく幸いにも無事なままのようだ。


「どうしたんだ、何があった?」

「えぇと、神殿に入ったつもりが……リンク?」


空中を彷徨っていた視線が、ぴたりと俺に向いて止まった。
歩み寄り、未だ座り込んだ格好の彼女の傍らに膝をつく。


「……泣いてるの?」


恐る恐る触れた彼女の手のひらが温かくて、俺は漸く呑み込んだ吐息の行方を知る。
衝動的に抱きしめる腕の中で、戸惑ったようにもがいた後そっと抱き返してくれる存在に、俺はひどく安堵していた。

そうか。この場所が、こんなにも悲しく優しい気持ちにさせるわけが、やっとわかったような気がする。


「心配した……」

「泣くほど?……バカね」


彼≠ヘ、見付けられなかったんだ。

この森を。この場所を。彼女≠。


「ずっとずっと探してたからな」

「そんなに?……なんか、悪かったわね」

「簡単に居なくなるなよ」


誰も彼も、居て当たり前のものなんてないんだ。
ひとつひとつを大切にしなきゃ、俺もまた何かを見失ってしまうんだろう。

潤む視界を拭い去ってくれる彼女だけは、二度と手放さない。そう固く心に誓って、俺は微笑った。



「鏡のかけらはあった?」

「あぁ。あと1つ、天空だけさ!」


ミドナが髪束を手のひらに形作り開くと、僅かばかり欠けた姿の陰りの鏡が現れた。
エリシュカが確認すると、そいつをすぐしまいこんでミドナは思案顔になる。つられてエリシュカもむぅと唇を尖らせた。


「うーん、でも天空なんて……」

「あいつ、シャッドなら何かしら知ってるだろ?」

「勿論よ、でもそれはあくまで空想の範囲内。そもそも天空人が居たかどうかすら定かじゃないんだから」

「いや、天空人はいる」


ミドナが意味深に呟いたのを聞き逃さなかった俺達は、えっと声を揃えて瞬いた。


「あの人面鳥のおばちゃん、去り際になんて言ったと思う?」

「えっ、あれっそういやおばちゃんいねぇ」

「困ったわぁ〜、やっとお空に帰れると思ったのにぃ〜!=v


くるりと身を翻したミドナは、影の魔力でおばちゃんの姿を取り、そっくりの声で囀ずった。
再びくるりと回れば元のミドナに戻る。俺は一度見たことがあったけど、エリシュカはぽかんと呆けて言葉をなくしていた。


「何、いまの!」

「久しぶりに見たな、おまえの変身術……」

「イリアやガキどもにもなれるぞ」

「すごい、魔力にはそんな使い方も……ってそうじゃないわ!空?空って言った!?」

「空ってまさか……」

「そのまさかさ。十中八九、あのひとが天空人だろう。ハイラル王家と繋がりがあるみたいなことを言っていたから、妙だとは思ったんだ」

「え?おばちゃんが?」


前のめりになるエリシュカ。そうだ、彼女はおばちゃんに話を聞いていたわけじゃないから、この神殿とおばちゃんに関係があることも知らないのだ。


「そうなんだ。ちょうどいいや、こんなものを手に入れたんだけど……あれ」


説明がてら、入手したアイテムを披露しようと取り出したコピーロッドは、驚いたことに真っ赤に錆び付いてしまっている。あの蛍火すらも宿らなくなっていた。


「何これ?……魔法の杖?」

「だったんだけど……」

「それのことを言ってたのか……!」

「えっ?えっ?」

「待てミドナ、俺にも話が見えてこないんだけど」


ミドナは困ったように額に手をやりながら、話してくれた。

扉から出て森に帰ってくると、おばちゃんはふと思い出したように言ったのだという。


「いけない、そうだったわ。その時代から持ち出したらダメになっちゃうのよぉ。
おばちゃん魔力を宿す呪文もすっかり忘れちゃったし……しょうがないから先にロッドに反応する石像を探そうかしら。うん、そうしましょ!じゃあまたね〜!=v

「イチイチおばちゃんにならなくていいから……」

「そっか、過去から持ち出したコピーロッドは、この時代じゃ魔力が切れて使い物にならなくなっちゃうのね」

「その口振りだと、その呪文とやらさえあればまた使えるようになりそうだな」

「けど手掛かりがない。石像云々とやらも気になるが……」


三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったもので、おばちゃんの言い残した言葉から今後の最優先目的を定めるのも早かった。


「天空に関する石像なら、シャッドが探し回ってたから知ってるわ!」

「本当か!」

「でも、いきなりロッドを持って行っても無駄足になるかもしれない……確か、呪文についても何か調べていたと思うわ」

「よし、じゃあひとまずはアイツに話を聞くことからだな!」


エリシュカが影を身に纏う。
ミドナが指を一振りすると、俺は瞬く間に獣の姿へ。


「……ッ」

『エリシュカ!』


身体が完全に分散しきる直前、顔を苦渋の色に染めた彼女が妙に湿った息を吐いた。
ミドナが歯噛みしつつ手を振り翳し、いち早くポータルへ俺達を導いた。



─────……



城下町入り口に降り立つと、エリシュカはおもむろに膝から崩れ落ちた。咄嗟に彼女を支えた俺は、ある異変に気付く。


「姿が戻らない……」

「エリシュカ、力を抜け!」

「……っうぅ……」


ぐったりしたまま息苦しそうに眉をひそめるエリシュカ。
元より彼女は影の姿をとると人外の灰白の肌に変わるのだが、それを差し引いても先程までとうって変わって見ていられないほど顔面蒼白だ。
しかしエリシュカは俺の手から離れようと、懸命に足に力を入れている。俺はやるせなくて、彼女の右腕を自分の肩に回して立たせてやる。


「おぶろうか?」

「大丈夫……ちょっと、立ち眩みがしただけよ」

「立ち眩みよりひどいじゃねぇか、……痣は出ていないようだけど」


気遣う俺とミドナに力なく笑いかけると、エリシュカは吐息と一緒に張りのある声を押し出した。


「シャッドに会うわ」

「そのままで?正気か!店まで運んでやるから寝てろよ」

「いいから!早く鏡を集めないと……」


何故だろう、彼女はどこか焦っていた。
悪い夢でも見たような面持ちが、その時ふっと力をなくし瞼を下ろした。慌てて体勢を立て直すも、反応がないところを見る限り気を失っているようだ。


「ミドナ……!」

「……仕方ないだろう、こんな状態で独りにするわけにもいかない。あのシャッドって男のトコまで連れていくぞ」



その後、俺達は彼女を連れて酒場を尋ねた。ミドナがエリシュカの店からローブを持ってきて彼女に被せたお蔭で、町中で騒ぎになることはなかったが、影に潜むことすら出来ない彼女をおぶって歩くのはそれなりに目立った。
酒場の前で彼女を下ろし、ミドナに看ていてもらって単身店内へ踏み込んだ俺だが、そこによくも悪くも奴の姿はなかった。シャッドは今カカリコ村にある石像を調べに行っているらしい。
足早に酒場を後にした俺達は、エリシュカをもう一度連れてポータルでカカリコ村へ向かった。


それも偶然か必然か。
城下町に入って一番に声をかけてきたポストマンから受け取った手紙の送り主、その人もまたカカリコ村で俺を待っていたのだ。



[ 44/71 ]

[*prev] [next#]
back




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -