まちびときたりて
「スタルキッド、待って!」
森の迷い子の成れの果て。
奴に手を引かれ、駆け足で森の深みへと向かう彼女の背を見失わぬよう、俺もまた走りながら追いかけていた。
「あいつ、着いていって大丈夫か?」
「案内人は奴しかいない。もし違うなら、また力ずくで聞き出すだけさ」
「おまえ、結構手厳しいよな」
草葉を踏み鳴らしつつ進む俺の隣を浮遊するミドナが、ぱちくりと瞬いてからぷいと顔を背ける。背に橙色の手のひらの平手打ちを受け、つんのめった。
エリシュカが、ちらちらとこちらを伺ってくるので、ちゃんと追いかけているよと手を振ってやる。
村町の子供と変わらない話し方で奴に語りかける姿を、最初こそ心配したものの。獣姿の俺に、ただの狼だと言って擁護してくれただけはあって、彼女の心眼にはそいつは化け物ではなくただの子供に映るのだろう。
「ねぇスタルキッド、何処に向かってるの?秘密の場所って?」
「昔ノ主ガ、連レテコイッテ言ッテイタ」
「!……昔の主が、まだいるの?」
「主、モウイナイ。ダカラ、オイラガ番人ヲ任サレタ」
そこで、スタルキッドがびたりと足を止めた。突っかかって転けそうになったエリシュカが、不思議そうに小僧の顔を見下ろす。
「主、オカエリ」
「?ただいま……スタルキッド?」
「モウ、ドコニモイカナイ?」
骨とも小枝ともつかない痩せ細ったいびつな指が、彼女の手のひらを今一度握り直す。
そうっと彼女を見上げた顔は、相変わらず奇妙な笑顔を浮かべている。
「……スタルキッド、」
「昔ノ主ハ、ズット一緒イタ。主モ一緒。モウ、森カライナクナラナイ?」
「何を言ってるんだ……」
森を出るな。暗に、そう告げたスタルキッド。
すぐに答えられないエリシュカをじっと見上げると、つり上がっていた口角が途端に下がった。
「ずっと一緒には、いられないわ……私達、探し物の途中なの。でも、」
迷ったように口にした彼女の言葉に、森の番人はすんなり握っていた手を離すと、高く跳躍して近くの石の上に登った。
その瞳は相変わらず暗く不穏な瞬きを繰り返しているが、その光には失望の色が塗り重ねられているように見えた。
「一緒ジャナイナラ、連レテイカナイ」
「スタルキッド!待って、話を──」
「オマエ、主ノニセモノ!主チガウ!」
「自分でここまで連れ込んどいて、勝手なこと言いやがって!」
「オイオイ、ココで敵に回したら……」
ざわざわ、ざわざわ。
急に森が陰り始める。聖域特有の魔力だろうか、森に入ったときはまだ昼下がりの明るい頃でそう時間は経っていないはずなのに。
小僧の手にしたカンテラが、怪しく灯を揺らめかせぼんやりと暗がりを照らし出す。
高らかに鳴り響くラッパの音に引き寄せられ、パペットの数々が何処からともなく降りてきた。その数は、俺が奴と獣の姿で対峙し追いかけっこをした時とは比べ物にならないほど。
今来た道を振り返っても、巨大な木の壁に塞がれてしまっていた。
「ワタシは御免だぞ、こんなところで森の肥やしになるなんて!」
「俺だって!だけど……」
「スタルキッド、降りてきて!話を聞いて!」
エリシュカの訴えも虚しく、やや開けたその場に溢れんばかりのパペットは、おどろおどろしく首や肩を揺らしながら迫ってきた。
致し方無しと短剣を抜く彼女の後ろについて、俺もまた鞘から聖剣を引き抜いた。
降り下ろされたパペットの腕を防ぎ刃を横に一閃する。
「……くっ、数が多い!」
「これじゃあ、獣でもワタシの結界を張る隙がない!」
「あっ!」
「エリシュカ!!!」
俺ですら苦戦する戦況、鳴り止まないラッパの音色。増え続けるパペット、盾を持たないエリシュカがその数に応戦しきれるはずがなかった。
短剣を弾き飛ばされ無防備になった彼女を、一気に襲うパペットの群れ。駆け付けようにも、またそれを阻むようにパペットの壁が押し寄せる。
パペットの隙間から見えた彼女が、必死に攻撃を避けながら影の真珠を握りしめた。
鉄屑の如き黒い塵が彼女を包み込むと、瞬く間に異形の姿へと変貌する。
「やぁっ!!!」
エリシュカが腕を振るう度に、魔力の波動によって周囲のパペットが一気に爆散する。
その威力は、俺周辺のパペットすらも蹴散らすほど。
「あいつ、あんなに強かったっけ……」
「……陰りの鏡だ!鏡の魔力で真珠の力も強まっているのかもしれない」
隙を突いて、俺は弓を引き抜いた。矢は命中し、スタルキッドはラッパを手放す。
バランスを崩し高台の其処から落下してきたスタルキッド。軽やかに跳躍し、岩の上を飛び越えたエリシュカがそれを空中で受け止める。
着地すると同時に人の姿に戻った彼女が傷の痕を確認した。腐っても魔物、矢をその身に受けながらかすり傷程度で済んでいる。
「スタルキッド、」
「…………主」
心底心配そうに自分を抱える姿に、彼は気まずそうだ。
鞘に収められた針を今一度認めると、スタルキッドは申し訳なさそうに頭を垂れた。
「……ごめんね、ずっと一緒にはいられない。でもね、きっと……きっとよ、私、あなたに会いに来る。何度だってやってくるわ。だって、此処は私の森なんだから」
頬を撫でた手のひらに痩せた手を重ねて、スタルキッドは彼女を見上げた。柔らかく微笑うエリシュカに、彼はそうっと口を開く。
「……昔ノ主、オイラヲ……スタル坊ヤッテ呼ンダ」
「……スタル坊や」
「……アア、オカエリ……オカエリ、主!」
ぱちぱちと瞬きにっこり微笑むと、迷い子は嬉しそうにオカエリを繰り返して、エリシュカに抱きついた。
「私の名前はエリシュカ。エリシュカよ、スタル坊や」
何度も頷く彼は、彼女の名前を呼んで楽しそうに笑い声を上げた。
────………
「これでいいの?」
「ホシイ!クレ、エリシュカノ!クレ!」
誤解が解けると、スタルキッドはからからと首を鳴らしながらエリシュカの短剣が欲しいと要求してきた。
鞘にしまい安全な格好にしたそれを手渡すと、スタルキッドは至極満足そうに眺め回したあと、鞘に頬擦りをして抜き身の短剣を一頻り振り回す。
「スタル坊や!ダメよ、危ないから。鞘から出すならあげられない」
「!……モウ出サナイ」
「約束できる?スタル坊やはいい子?」
「デキル!イイコ!」
そう言ったが早いか、カンテラを提げているのと反対の腰脇に鞘を取り付けた。
エリシュカが頭を撫でると、幸せそうに目を細めてから不意に目前を指差した。するとそれまでただの蔦が這い回る壁だった場所に、人一人が通れるほどの空間が生まれる。
「ソノ向コウ、秘密ノ場所!」
足元を見返すと、既にそこにスタルキッドは居なかった。
木の葉の囁きに混ざって、彼の楽しそうな声が聞こえてくる。
「エリシュカ、アリガトウ。マタナ!」
爽やかな風が頬を撫で、彼女の髪を浚っていく。
薄暗がりのそこで、刺繍針を握りながらエリシュカはゆっくりと立ち上がり、秘密の場所≠ヨ歩みを進めた。
「此処って……」
周辺を見渡す。
出た場所は違えど、見覚えのある其処は、俺が背に負う聖剣を手にしたあの遺跡で間違いなかった。
「此処が、神殿……?」
「ってことは、大昔に崩れた跡じゃないか……、陰りの鏡は何処にあるっていうんだ」
俺とミドナが辺りを見回していると、エリシュカは何かを思い出すように顎に手を置き、周辺を見渡す。
「……城に仕えていた時、姫様に聞いたお話があるの」
「ゼルダ姫に?」
ミドナが思わず問い返す。
王宮に仕える者の中でも、直接王家の者と言葉を交わせる人間は数少なに限られているはずだ。つくづくこいつは、どれだけの信頼を背負っていたのだろう。
「大昔、史実には残されなかったけれど、密かに勇者と呼ばれた少年がいた。彼は時を渡り、未来の災厄を防いだと言われている。時渡りに用いられたのは、とある神殿に納められた聖剣───」
「聖剣だと?」
「……まさか、マスターソードのことか……?」
真っ先に反応したミドナが向かったのは、聖剣マスターソードがあった石壇の間。彼女を追って、俺達も苔むした其処へ足を踏み入れる。
「その話が本当なら、剣を納めれば何か変わるかもしれない!」
ミドナの言葉に、エリシュカが頷く。寂れて見える其処へ、俺は剣を突き立てた。
すると不思議なことに、呼応するようにして彼女の腰元の針が輝き始めたではないか。
「……針が……!」
眩いまでに黄金の光を放つそれを鞘から抜くと、エリシュカはしっかと握りしめて大地に突き立てた。
光は垂直に伸びると、空高くで分散し森全体を覆い尽くす。
最後に針穴から細く伸びた光が、瓦礫の上の石扉を指し示した。
剣と針を抜き、各々鞘に収めてから扉に歩み寄ると、独りでに開かれたその向こうはセピア色に歪んでいた。
「……どうなってるんだ」
「もしかしたら、この先に神殿があるのかも」
「神殿?……昔の、建物としての形を保った神殿か!」
「其処に、陰りの鏡もあるんだな」
頷き合い、せーので踏み込む俺達を飲み込んだ時空の歪みは、きらきらと煌めいて渦を描く。
閉ざされた門扉は、ただ静かな森の最奥で佇んだ。
***
「……あらっ?」
リンク達と一緒に、神殿の入り口に入ったはずなのに。
眩しさが収まり、閉じていた瞼を開いたそこに広がっていた景色は、想像していたものと異なっていた。
真っ白の空間に、うっすらと波打つ水面。
生き物の気配もない。足元の水鏡に写る自分の姿。
「……此処は……」
「ようこそ、私の可愛い子!」
不意の声に振り向く。
幼い頃の自分に、よく似ていた。
しかし自分より柔らかな目付きで、口元のホクロの印象的な少女が、ゆったりとした神官の纏うような星空柄の祭服に身を包み、こちらに微笑みかけていた。
その足元には、彼女の影も形も写っていない。
「……素敵な打ち掛けね」
「でしょう?私の最高傑作!」
「あなたが織ったの?」
「ふふ、私は先代の紡ぎ屋よ。あなたのひいひいひい……おばあちゃんにあたるわね」
「!……スタル坊やが言っていた、」
「あの子に会ったのね!彼、元気にしていた?」
彼女はくすくす笑って言った。私はそんな彼女を訝しげに見やる。
スタル坊やは先代はもういないと言った。即ち彼女は死者だ。死者に会いたいなんて願い、私は叶えていない。
「……ふふ。此処は何処か、なぜ私がいるのか……ってとこかしら」
「!」
「教えてあげる。此処は私の作った空間。私の部屋。だからルールは全部私。生者と死者を分かつものはない」
「そんなことが……」
「ふふ、これも紡ぎ屋の成せる技よ?私はちょーっとだけ力が強かったけれどね」
少女は私の周りをぐるりと一周し、元いた位置に直ると、まじまじと私を見やりにこにこと笑った。
「うんうん。そうね、あなたなら納得だわ、素質がある」
「え?」
「分からない?あなたはさっき、その針で過去と現在≠繋いでみせたのよ」
彼女の細い指先が指すのは、私の腰に下がった革鞘の中に収まる長大な刺繍針。
「あなたには、教えなくちゃならないことがたくさんあるわ」
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