むかしのはなしをしよう
アッシュのお咎めも漸く終わり、旅人二人は奥のテーブルでラフレルと何やら話し込んでいる。
カウンターに居を移して古書と手帳を広げ見比べているボクの隣席に、アッシュが腰かけた。
「お前、エリシュカに何を言ったんだ」
「え?」
「あいつ、すっかり開き直ってしまってるじゃないか。何か余計なことを言ったんだろう?」
そう言われて、ボクは思わず苦笑い。確かに、余計なことは言ったかもなぁ。
「キミとはもう長い付き合いだけど、こうして二人揃ってエリシュカと対面するようになったのはつい最近の話だ」
「……どうした、いきなり」
「別に?無茶が過ぎるあの子を叱るのがキミなら、ボクはあの子を宥めて後押ししてやる役目が妥当だと思わない?」
「………」
「なんだ、いつもみたいに小突かれると思ったのに」
「……小突くやる気も削がれた」
ボクの手元のグラスに入っているのは何か訊ねられて、ジンジャーエールだと答えると、普段は炭酸なんて飲まない彼女がテルマに同じものをと頼んだ。珍しいことがあったものだ。
一口舐めて、その炭酸独特の刺激に苦い顔をした彼女は、マドラーでグラスをかき混ぜ炭酸を抜きながら小声で話し出す。
「この酒場でお前に出会った時は、いけすかない頭でっかちの男だとばかり思った」
「ハハ、よく言われるよ」
「エリシュカの話を通じて親しくなってからも、お前はやっぱり私にしてみれば気に食わん奴だ」
「何々、きゅうに悪口?」
「黙って聞け。……それでもだ。お前が、本当に心底あいつのことを気にかけていることは、私が身をもって知っている」
口下手な彼女が、どうにかオブラートに包んで言おうとしている内容は、ボクにもすぐわかった。
「リンクに取られていいのか、って言いたいんだろう」
「………」
「いいもなにも、選ぶのはエリシュカ自身さ。待つしか出来なかった臆病なボクに、がむしゃらでも彼女の背を追いかけられる彼じゃ……勝ち目なんて、始めからあってないようなもんだ」
部屋にこもって本ばかり読んでいるボクのところへ、毎日遊びに来ては編み物や刺繍に精を出していた幼馴染み。
彼女のお喋りな口から飛び出すのは、大好きなお父さんの話ばかり。ボクの親父は調査で何日も帰らなかったりがしょっちゅうだったから、家に帰らない父を誇らしく話す彼女が羨ましくもあった。
お袋が親父に愛想をつかして家を出ていっても、ボクは本で溢れる自宅を離れるなんて出来なくて、寂しさで半べそをかくボクの手を引いて夕食に誘ってくれた手のひらの温かさは、今でも思い出せる。
そんな彼女が、布と糸だけで紡ぎ出す世界が大好きで、これから先もずっと彼女の隣でボクは読書に耽るんだなんて漠然と夢を描いていた。
親父さんが本当に帰らぬ人になって、彼女がその手に剣を握ると決めた日、ボクはまるで裏切られたような心地になった。
キミもボクの傍からいなくなってしまうんだって、寂しくて悲しくて、悔しくて、ボクはそれからキミが家を出ていく日まで口をきかなかった。後々それを悔いた頃、親父が調査先の事故に巻き込まれて死んだと聞かされた。
だからボクは、せめてキミが帰ったらおかえりを言って笑顔で出迎えようって、そう決めてこれまで10年近くキミを待ち続けたんだ。
キミに会いに行くのが、怖かったんだよ。
「……見損なった」
ぐいと一気に呷って、空になったグラスをカウンターに叩き付けると、アッシュはさっさと酒場を出ていってしまった。
「なんだい、また怒らせたのかい?」
「あー、まぁ今のはボクが悪かったんだ」
口角がうまく上がらない。ひきつる頬をそっと撫でながら、ジンジャーエール2杯分のお代を渡す。
酒場を出る直前に今一度奥のテーブルを見やれば、彼女はきらきらと瞳を輝かせて、熱心に話し合いを繰り返している。
その隣の彼の手と、自分の手を見比べて、自嘲気味にボクはため息をついた。
「敵いっこないよ」
ペンだこだらけのなよなよしい手のひらで、豆だらけの力強い手のひらに勝てようはずもない。
この手は、彼女を引き留めることすら出来ないのだから。
***
気が付けば、酒場には私とリンク、話に付き合ってくれていたラフレルさん、それに店主である女将のテルマさんしか居なかった。
馴染みの二人は出掛けてしまったようだ。まぁ、この店を拠点にしているレジスタンスの役目以外にも、彼らは各々で仕事を抱えているから仕方ないだろう。
「出身地方であるなら、そちらについては貴殿方のほうが詳しいでしょう」
「はい、この辺の森一体は庭みたいなもんです」
「子供たちの様子も、ついでに伝えてあげましょ」
モイさんが調べに行っているという森は、フィローネの更に奥地。容易く踏み込むことは出来ないと言われるその地に、私達は覚えがあった。
エポナに跨がり、揃って平原の南へと向かう。
「……ねぇ、リンク」
「ん?」
「先に、私の家に寄ってもいい?一度森を通り過ぎてしまうけど」
私の言わんとするところを理解してか、リンクはちらとこちらを一瞥したのち、手綱を打った。
「そういえば、改めてこっちの家に入ったのは初めてだ」
ぼやくリンクの声を後ろに聞きながら、私は久しく上がり込んだ自宅の2階へと向かう。
2階から更に梯子をかけて、屋根裏の物置部屋の戸を開けると、鬱蒼とした其処はすっかり蜘蛛の住みかになってしまっていた。
「げっ、汚ねぇ」
「仕方ないじゃない、村に戻ってからも自分が使う部屋しか掃除してないわ、きりがないもの」
ダンジョン並みに蜘蛛の巣が張り巡らされてしまっているそこを、手で掻き分けるようにしながら進む。一切日の光が入らない部屋は、空気も湿気ていて何処かかび臭い。
リンクがカンテラに火を灯した。薄明かりの中、私は片端から棚や木箱を開けて物色し始める。
「何探してんだ?」
「何かよ」
「わかってないのかよ」
「でも、必ず何か残っているはず」
この家は、かつてパパとママが住んでいた家。……そして、僅かばかりでも、本当のママと私が暮らした家。
城下町に店を構えたのは十数年前。おばあちゃんが王家に奉公するために、わざと村を離れて城に近い場所に店を開いたのだ。
私の家族が代々暮らしたこの家に、何もないはずがない。
「森の話をしていて思い出したの。スタルキッドは、私を森の主だと言った。私は繕ったものに力を与えられないのに、鏡の間の賢者達は私を紡ぎ屋と呼んだ……それから、ママの教え。
私が紡ぎ屋になるための何かが、あるはずなの」
その時、暗闇の中で何かがきらりと輝いた。
カンテラを近付けて、探っていた木箱の中を照らし出す。
「………これは」
装飾の施された、革製の鞘。
……いや、そこに収まっているものは
「………刺繍針?」
一見、短剣の一種に思われるそれ。しかしグリップの頭に、縦長の穴が開いている。
刺繍針は普通の針に比べ、刺繍糸を通しやすいよう穴幅が大きめに作られている。ひとつ違うといえば、指先で持つには大きすぎること。
「おい、これ……」
「王家の紋章まで入ってる……こんな大きな針見たことないわ」
鞘には紐がついており、肩から掛けられるようになっていた。
スタルキッドは、これが何かを知っているだろうか。
私とリンクは頷き合って屋根裏部屋を降りると、刺繍針をその手に家を出た。
村の人々に子供達について簡単に報告を済ませると、エポナに跨がってフィローネの森へ急いだ。
村の大人は、私達が一緒になってエポナに乗るほど仲を深めていることに驚いた顔をしていた。言われてみればそうよね、村じゃあ顔を合わせる度喧嘩ばかりしていたもの。
森の奥で私達を待っていたモイさんは、兜を外してきりりとした表情を柔らかく崩した。
「おう、来ると思ったぜ。お前とこの森に来るのも、随分久しいな。リンク」
「そうですね。懐かしく感じるほど、前のことになるのか……」
「ん?エリシュカ、そんな形の短剣持っていたっけか?」
「あぁ、これはいいのよ、お守り代わり。それより、モイさんたら何を調べているの?」
彼がふいと顎で指したのは、深い谷の向こうに僅かに見える足場と、その先の豊かな緑。
「この向こうの聖なる力で守られた森の、更に奥深く……悠久の時を眠る神殿があると言われている。
それはハイリア人の祖先によって造られ、今もなお古代の優れた文明が遺されているらしい」
「……神殿?」
リンクと顔を見合せ、そんなものあったろうかと首を傾げる。
モイさんは兜を被り直すと、にやりと口元で笑んだ。
「古の文明をもし手にすることができれば、それはハイラルを救う大きな助けになると思うんだ」
「……分かりました。俺、行って確かめてきます」
「あぁ。谷を渡るには、俺の相棒を使うといい」
そう言った彼の指笛に呼ばれ駆けてきたのは、金色のコッコ。
モイさん、こんな珍しいコッコ連れていたのね……初めて見たわ……
「エリシュカは……」
「ううん、モイさん。私も行くわ」
影の姿をとった私に、彼は化け物を見るような目で私を見やる。
それでいいの。この力は、畏怖され遠ざけられるためのもの。すすんで自ら力を身に纏う愚か者は、私だけでいい。
「びっくりした?」
「……エリシュカ、なのか」
リンクは、隣でコッコを抱えながら不安そうに私とモイさんを見比べる。
別に、隠そうと思って隠してきたわけじゃない。この姿を見て、怖がらせたくなかっただけ。
「……たまげたな、そうか、そういうことか」
「……」
「俺は、おまえの父さんに……おまえを頼まれていた。だから、極力危険な旅におまえを同行させるまいと……酒場で話をせずに、此処で待っていた。だが」
「………、」
「そうか……おまえはもう、」
独りで、大丈夫なんだな。
「独りじゃないです」
リンクが、そっと口を開く。
「俺が、います。俺が、エリシュカの傍にいる」
何度も言ってくれた。
傍にいる。支える。守る。
その小さな言葉に込められた大きな思いに、幾度となく励まされた。
だから大丈夫だと思えたの。
きっと、独りきりではここまで頑張れなかったよ。
「……驚かせて、ごめんなさい。皆には言わないでね、余計な心配をさせちゃうから」
たとえ一瞬でも、冷たく恐ろしい目をして見られるのはつらい。
でも、それも全部受け止めていきたいから。
「きっと、きっと帰ってくる。皆の力になるわ」
地面を一蹴りすれば、私は宙を舞う。
僅かな足場を伝って森に向かう私を、じっと見つめるモイさんのことを振り返ることは出来なかった。
森の聖域入り口までやってくると、私は姿を解き人間に戻る。
後からコッコで追いかけてきたリンクも追い付いて、並んで洞穴のような其処へ足を踏み入れた。
「ケケケッ」
聞き覚えのある、独特の笑い声。
姿を探し仰ぎ見る私達をまた笑って、彼は木の葉の陰から降りてきた。
「出たな、小僧」
「リンク、剣は抜かないで。彼に敵意はないわ」
「……でも、」
「ねぇスタルキッド。ちょっと聞いてもいいかしら?」
からから、からから。木の葉の擦れるような音を立てて、彼は私を見上げた。
「オカエリ、主」
「ただいま。ねぇ、この針のこと、あなたは知ってる?」
肩から提げていた刺繍針を取り出して見せると、彼はにぃと歪んだ笑顔になる。しかしその眼差しはどこまでも無邪気だ。
「主!見ツケタ、見ツケタ!」
「え?」
「主ハ針ヲ見ツケタ。ダカラコノ森ハ、全部主ノモノ」
「この森が全部……?」
「オイラハ、番人。遠イ昔ノ主二頼マレタ。主、帰ッテキタ!オカエリ、オカエリ!」
がしゃがしゃ、腰のカンテラを揺らしながら私の周りを跳び跳ね大喜びするスタルキッド。
「ヒミツノ場所、連レテイク」
彼は小枝のような手のひらで私の手をとると、軽快な足取りで迷いの森の更に奥へと駆け出した。
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