つむがれるもの
空中を飛び回る私に注意が向けば、リンクが攻撃を仕掛けるだけの隙が生まれるはず。
浮遊すれば魔力を消費するけれど、この体での身体能力は人間でいるときの数倍だ。跳躍してからの滞空時間だけでも十分動き回れる。
「ほらほら、こっちにもいるわよ!」
渾身の力を込め、足裏を押し出すようにフリザーニャを蹴り飛ばす。つつー、と氷面を滑った敵は、壁にぶつかりその体の一部を損なう。
一回り小さくなった体躯で、しかし先程よりも回転速度を上げながら迫る氷塊に、リンクがもろにチェーンハンマー──ハンマーナックという強敵と合見えた後の拾い物だと聞いた──をぶち当てる。いくらか繰り返せば、フリザーニャは身に纏う氷の皮肉を失い、核を剥き出しにした格好になった。
「ヴルァァアアアァアアア!!!!」
痛々しい叫び声を上げたフリザーニャの核……顔色をどす黒い狂気に染められてしまったマトーニャさんが、身を捩らせて苦しんでいる。
「鏡の魔力に抵抗しようとしているんだ!」
「早く解放してやらねぇとな」
「マトーニャさん、気をしっかり持って!」
しかし彼女の必死の抵抗も虚しく、今度は結晶状に形を変えた氷塊が彼女の周囲を取り囲んだ。
歯噛みしながら身構える私の横で、リンクも鎖を手繰り寄せ大振りにハンマーを振り回し始めた。
「私が囮になる。核が剥き出しになったら、そこを叩いて」
「オーケー、滑って転ぶなよ!」
フリザーニャにとって、強固な自身をも砕く屈強な武器を持つリンクは脅威だ。真っ向勝負を挑むより、無力なばかりの私を先に仕留めようとするだろう。
駆け出し、強く踏み切って奴の頭上をひらりと飛び越え、壁を蹴っては飛び回る。宙に浮かび上がったフリザーニャは、私に狙いを絞って順番に氷塊を落とし始めた。
ギリギリ寸でのところで躱しつつ、氷塊を拡散させていけば、残弾がなくなった核も私に向かって落下し、リンクの射程範囲内に収まるはずだ。
「っうわ!!!」
不意に、突風が吹き付ける。
砕け散ったガラス張りの窓枠から、フリザーニャの叫びに呼応するようにして吹雪が舞い込んできた。正面からもろに風を受け、空中でバランスを崩した私は着氷後も体勢を整えられない。
鋭利な切っ先が、私を貫かんとして迫ってくる。思わず、息を止めた。
「ハァッ!!!」
じゃらじゃら、背後から迫った音が私の腕を捉え、引き寄せた。
がくんと傾く体。目と鼻の先の空気を裂きながら、フリザーニャが着氷した。
急激に遠ざかる敵影。引き寄せた腕に体は抱かれ、反して砲弾の如く飛び出した鉄の球が敵の核を破壊した。
チェーンを握る片手とは反対の手にクローショットを装備し、咄嗟の判断で私を救い出した勇者リンク。片手の装備はミドナが指を鳴らせば、影の粒子と化し、自由になった手のひらで鎖を手繰り寄せ更に追撃した。
空間を裂くような、鋭い音を放ちながら氷塊が砕け散る。
いつの間にか止めたままだった呼吸を再開させる頃には、室内の異常な冷気は消えていき、周囲は絨毯広がる元の寝室へと戻っていた。
「……あり、がと」
「転ぶなって言ったのに」
「あれは不可抗力!」
人の姿に戻り、口の中でもごもごと礼を言った私を渋面で見やるリンクに、思わず声を大にした。
一度霧散した魔力が結集し、いびつな欠片の形を作り出す。
影から抜け出したミドナが、夕焼け色の手のひらで陰りの鏡の一部を掴み取り、また塵に戻して何処かへとしまいこんだ。
「よし!これでかけらはあと2つだ!……まさか、こんなにもおびただしい量の魔力があるとはな。あの女の人には悪いことしちゃったよな……」
「人格を変える程の力なんて……神様も、酷なことをするわ」
「早いとこ残りを集めるに越したことないな……被害がこれ以上大きくなる前に」
次は、古き森。
この国で大昔から残る森林地帯なんて、数えるほどもない。
だからきっと、鏡のかけらがある地は────
「ノォォォオオオォオオォォオオオオオオ────ッ!!!!!」
「ぎゃっ」
轟く雄叫びに振り向く間もなく、突進されて弾き飛ばされたリンクが情けない悲鳴を上げた。
床に伏す妻に駆け寄り、労るような優しい手つきで彼女を抱き起こしたドサンコフさん。きっと病み上がりの彼女を思って後をついてきたところなのだろう。
「……あっ!あなたにもらった、大切な鏡が……」
「ええだよ。オラの目ぇには、ちゃぁんとベッピンの顔が映ってるだよ。
だから、もうあの鏡は必要ねぇべ……」
マトーニャさんを軽々と抱き上げると、ひしと抱きしめるドサンコフさん。
あまりに率直に、そして素直に吐き出された愛の囁き。聞いているこっちの顔まで赤くなってしまいそうだ。
愛を確かめあう二人の周りに溢れんばかりのハートが見えるようだ。お邪魔になる前にそっと退散しましょ、とミドナが開いたポータルに足を向けたその時。
「あ、あの、エリシュカさん」
「ひょっ!……わ、私?」
なんだ今の声、なんてあんたにだけは言われたくないわよ。
にやりと笑うリンクを肘で小突きつつ振り返れば、ドサンコフさんの腕から降ろされたマトーニャさんが、ゆっくりこちらへ歩み寄ってくる。
「マフラーのお礼がまだだったわ」
「そんな、お気にならさず……」
「いいえ。私、寒さにはそれなりに強いつもりだったのだけど、悪夢を見ている間は凍えてしまいそうに寒かった。
でもその中で、このマフラーの赤がちらついて……あたたかくて、とても元気付けられました。だから、こうして無事に目を覚ますことが出来たんだと思います」
柔らかく微笑む彼女の挙動に合わせて、首元を覆う赤がゆらゆらと揺れ動いた。
何かお礼を、と続ける言葉を止めるように手を上げて、私は込み上げる喜びについ涙が滲みそうだ。
「その言葉だけで、もう十分です」
私の繕ったものは、ちゃんと誰かの力になれた。それがたとえ本当かどうかもわからない細やかなものでも、感謝してもらえた。
それだけで、その事実だけで、私はこれからも繕い続けられる。
いつか、また雪滑りと雪山料理を楽しみに来てねと言ってくれた二人に見送られながら、私達はポータルを介してスノーピークを下山した。
***
「馬鹿者!!!」
珍しく声を荒立てるアッシュの前で、頭を垂れてしゅんと肩を縮こまらせているのは、紛れもないボクの幼馴染みだ。
一週間前、ひどく慌ただしくボクらを尋ねてきた彼女だったけど、三日前にゾーラの里の警備から戻ったアッシュが彼女の店を覗いた時には、もう居なくなった後だった。
それから改めて旅のお付きであるリンクと揃って酒場にやって来た今日、今まで何処にいたのか問い質された彼女が白状した行き先は、かのスノーピークだった。
あれほど近付くなと言ったのに、とカンカンに怒っているアッシュだが、全ては後の祭りだ。
まぁ、ただ無断で山に入っただけが理由ではない。普段は物静かで思慮深い彼女がこうも怒り心頭になった一番の原因は、万全の防寒をして行ったと言うのにも関わらず、ここ2日はカカリコ村の温泉で凍傷の療養をしていたと言うからだ。
「大体、どうしてブーツを履いているのに歩けなくなるほど足をやられるんだ!裸足で氷の上でも滑ったというのか!」
「……えぇと……まぁ、そういうことになります……」
「この愚か者!!!何を考えているんだおまえは!!!年端もいかぬ幼子とはわけが違うんだぞ、危険と承知の上での愚行か!!!」
「……だって、まさか人に戻った時私まで体に影響が出ると思わなくて……」
「何を戯言を抜かしている!!黙って其処に正座しろ!!!」
「……ごめんなさい」
エリシュカは昔からおてんばでボクも散々手を焼いたものだけど、彼女をここまで黙らせて叱りつけることが出来るのは、彼女の家族が居なくなった今ではアッシュただ一人しかいないと思う。
アッシュの目付きがいつも以上に悪くなっているのを横目に苦笑いしているリンク。
「笑い事ではないぞ、貴様も同行していたと言ったな?何故止めなかった何故エリシュカを連れていった訳を話せ全部白状しろ」と彼女の逆鱗に触れたらしい。怒りの矛先は途端に彼に向いてしまい、リンクはかなり目を泳がせながらいや、あの、と言い訳を並べている。
おとなしく正座している幼馴染みと同じ目線になるよう屈み込めば、いじけた顔で口をへの字に尖らせている。昔おばさんに叱られる度していた、懐かしい表情だ。
「ハハ、だからやめとけって言ったのに。怪我の具合は?」
「もうすっかり治ったわよ、歩けないなんて本当に最初だけだったしそんなに重くなかったって、何度も言ってるのに……」
「まぁ、自業自得だね。反省しないと」
「うう、シャッドまで」
大目玉をくらった時のしおらしい彼女はいつぶりに見たろうか。
ボクはいつもいじけて体を小さく丸める彼女の慰め役だった。それも、彼女が騎士学校に入ったきりだから、本当に久しいな。
「……パパや、本当のママに繋がる手掛かりを探しているだけよ」
「それさ、聞こえはいいけど、わざわざなかったことにしたのをほじくり返してるってことだろ?」
「何よ、自分のこと棚にあげちゃって」
「ボクの研究は崇高な理論に基づいた証明作業さ」
「もう、ほんと昔から頭はカチカチね」
顔を背けてしまったその頭をくしゃりと撫でて、ボクは膝を折った。
彼女はもう一度ボクの目を見て、ボクの言葉を待つ。
「ボクのやってることだってさ、ただ親父の背中を追いかけてるのと同じだよ。親父が成し遂げられなかったことを、ボクが代わりに成し遂げたい。キミのやってることとそう変わらないよ」
「……うん」
「ただ、キミの場合無鉄砲すぎる。応援したいのは山々だけど、無茶苦茶だよ。どうして雪山に行く必要があったの?また危ないところへ行くなんて言い出したりしないだろうね?」
たしなめるように言ったつもりが、まるで行かないでと引き留めるような弱々しい音になる。
反して、彼女の瞳はみるみる芯を持った輝きを取り戻していく。ボクは知ってる。嗚呼、こういう目をしているときは、何を言っても無駄なんだ。
「馬鹿でも、愚か者でも、無茶苦茶でも。行かなきゃならないの」
「……」
「応援されなくてもいい、どんなに反対されたって、私は追求するのをやめないわ。そういう気持ち、あんたが一番理解してくれると思ったんだけど」
見当違いかしらね、なんて残念そうに言われたら、さすがのボクもお手上げだよ。
ずっと傍で見てきたんだ。
隣にいないときも、ずっとキミのことを考えた。
おじさんを亡くして、泣いたまま気を失うように眠ったキミの背をいつまでも撫でていたあの日、ボクだけはいつまでもキミの味方でいようって決めたんだ。
危ないことはしてほしくない。
できることなら、またこの町で一緒に暮らそうよ。
いつの間に知り合ったのかもわからない彼より、ボクのほうがずっとキミを理解してやれる。長い目で見たら、絶対ボクを選んだほうが正解だ。アッシュだって嫌々ながらもきっと頷いてくれるよ。
でも。そんなボクだから分かるんだ。
それでもキミは、自分の意志を曲げない。たとえ独りぼっちになってしまっても、その志は命絶えるまで貫くんだろう。
「……よく、知ってるよ」
キミの隣を奪われた今、ボクの居場所はもう、キミの一番の味方でいることでしか繋ぎ止められない。
だからせめて、ひとつだけわがままを言わせてくれよ。
「死ぬほど心配してるって、忘れないで。ずっと待ってるって、時には思い出して」
キミがただいまを言って笑顔になれるなら、ボクは崖っぷちにしがみついてだってその居場所を守るから。
ふてくされたありがとうを言うキミへの積もり積もった愛しさを込めて、ボクは不器用な作り笑いを浮かべながらまたその柔らかい赤毛をくしゃくしゃにかき混ぜた。
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