いまじぶんにできること




一瞬の出来事だった。



「……っ、イリア!コリン!」



ぼやける視界で、後頭部を襲った鈍痛に苛まれながらも身を起こせば、さっきまで一緒にいた幼馴染みと幼い子がいなくなっている。
泉に響き渡るのは俺の声ばかりだ。


「エポナまでいない……」


コリンに手伝ってもらって、イリアを説得してエポナを連れ帰ろうとしたその時だった。
不意に感じられた、地響きにも似た足音と震動。辛抱するように立ち止まっていると、ブルブリンを大勢率いたキングブルブリンが姿を現したのだ。
逃げようとしたイリアが矢に射られて気を失ったのを見て、駆け寄ろうとした俺の背後から襲う衝撃に、昏倒してしまった。痛む場所に触れてみれば、血が滲んで固まっている。棍棒かなにかで殴られたらしい。


連れ去られたのだとすると……森の方か!


自分の傷の事など忘れて走り出す。泉を出て吊り橋を真っ直ぐ、森の入り口はすぐそこに───


「ッ、これは……!?」


大きな、壁だった。

漆黒の、のっぺりとした壁がそこに立ちはだかっていた。
黄金色の光が壁に幾何学模様を描いている。霧のようでいて、鋼鉄よりも屈強そうな、不思議な壁だった。乗り越えようにも、脇の木々よりも背が高いそれには手をかける場所もない。

途端、壁からどす黒い何かが伸びてきた。全身に絡み付いて締め付けるそれは、まるで人間の手のひらのようだ。しかし、人間の手のひらはこんなに大きくもないし、そもそも温度がない。


「っぐ、──……っうわあああああ!!!」


引きずり込むように、手のひらは俺を鷲掴みにしたまま勢いよく壁の中へと戻っていく。
壁の向こうはくすんだ黄昏の空のような色を纏って、俺を出迎えた。
全身に絡み付いたと思った手のひらは、今や人間のそれより少し大きいくらいになっていて、しかし俺の喉を潰さんとする勢いでひどく締め付ける。


「……ッ、ぐ、ぅ……、」


(離せよ、この野郎!)


もがきながら、抵抗の意志を瞳に込めて睨み上げる。
するとどうしたことか、生まれつき左手の甲にある痣が、周囲のくすんだ光をも飲み込むような眩しさで輝き始めたではないか。

形容しがたい、顔のようで仮面のようなものをつけた禍々しい黒いものの手から投げ出されて、俺は打ち付けた身体と、響くように痛む頭の傷に喘ぐ。震える手をつきながら起き上がろうとした時、異変に気がついた。

身体の奥が、芯が熱い。
焼けるような熱、ぞわぞわと這い上がってくる悪寒、恐怖。張り詰めるような息苦しさ。
心臓から指、髪の先まで一斉に脈動するようだった。脈打つ度に、熱が芯から皮膚を焼いて裂くようにじわりと浮き出してくる。

歯を剥き出しにしながら食い縛り耐えるも、一際強い拍動に押し出されるようにして、俺は咆哮した。


そこから先は、真っ暗で、何も覚えていない。




***




「エリシュカ!エリシュカ!!開けてくれ、一大事なんだ!」


うるさいなぁ。
そうボヤきながら、机に突っ伏したまま眠りについていた彼女は身体を起こした。

ひどく煩わしい、ノックとは呼べないドアを叩く激しい音を止めさせようと、ボサボサに跳ねた頭をそのままに玄関へと歩み寄って扉を開いた。


「ファド!何回もドアを叩かないで」

「それどころじゃないんだよ!エリシュカ、おまえも手伝ってくれ!」

「何よ、こんな時間に……もう夕方も過ぎてるじゃ、」


外に出て漸く現在時刻を把握したエリシュカは、はっとなって部屋の机上を振り返り、そしてもう一度ファドに向き直った。


「リンクは?!」

「あいつもいない!」

「何よ、行くなら声かけるくらい……
って、え?リンク、も?」

「村の子供たちが、みんな拐われちまったんだよ!」


エリシュカは一度びたりと動きを止めると、両手で頭を抱え、瞠目した。


「さっき、突然魔物たちの大群が押し寄せてきて、泉にいたイリアとそれを追い掛けたリンク、リンクんちの前で遊んでた子供たちもみんな連れて行きやがったんだ!
そのあとも魔物たちが村の中まで入ってきて、めちゃくちゃに荒らして行って……ひとまず村の中にいた魔物はモイさんが退治してくれたんだけどよ、そんときに深傷を負っちまって」


そこまで聞くと、エリシュカは弾かれたように家の中へと駆け込んでいく。
彼女が手にして戻ってきたものは、鞘にしまわれているよく使い込まれた短剣だった。
明かりも持たずに飛び出そうとした彼女の前で、ファドが行く手を阻む。


「退いてファド!」

「バカ、折れた剣持っていく奴があるか!」

「ないよりましよ!私が連れ戻すわ!」

「何処にいるのか分かってないんだぞ!」

「だったらどうしろっていうのよ!!」


今にも掴みかからんとする彼女の肩をしっかと押さえ、ファドはその獣のような金色の瞳を見据えて言った。


「落ち着くんだ、エリシュカ!いま、村の大人で手分けして探してる。おまえは村に残るんだ」

「っ、ちょっと!何よそれ!」

「魔物の相手は危険だ、捜索は男手でやる。母親達に万が一があれば、もし戻ってこれたとしても子供たちに酷だ、おまえは──」

「私はっ……私はよそ者よ!家族もいないわ!」

「だから落ち着けって!おまえは村の一員だ!家族だろ?!」


震えるようにして肩で息をするエリシュカに、些か怒鳴りすぎたかと自らの肩の力も抜くべく、ひとつため息をついたファド。
涙をこらえるように生唾を飲み込んだ彼女の様子を窺いながら、もう一度ゆっくりと言い聞かせる。


「だから、おまえには村に残ってもらいたい。コリンやベス、タロとマロの母ちゃんたちを守ってやってくれ」

「……っ、分かった……」

「大丈夫だ、森まで行ったらすぐ戻るよ」


自分が持っていた松明をエリシュカの手に握らせると、ファドは村長ボウの元へと駆け出す。
その背中を見届けながら、エリシュカはそっと微笑んだ。


「弱虫ファドのくせに、いっちょまえなこと言うようになったわね」


家の戸締まりを済ませると、エリシュカは溶け出すような宵闇の中へと飛び出していった。



***



俺はいま、夢でも見ているのだろう。
そう信じたかった。

だけど生憎視線の高さは普段の比にならぬほど地面に近いし、手のひらではない前足の感触も、人間の頃よりも鋭敏な感覚も、感じられるもの全てが今起こっていることは現実なんだと知らしめてくる。
なんだって、こんな狼の姿に。
それは俺自身が一番聞きたい。


「ククッ。というわけで……ワタシの言う通りにしてもらうぜ?
うーん、そうだなぁ……ワタシはいま、剣と盾がほしい!この意味が分かるかな〜……?ククッ!」

『遠回しに言われるのは嫌いなんだよ……分かった、取ってくればいいんだろ?』

「物分かりがいいやつは嫌いじゃないよ?ほらほら、ちんたらしてると影の領域もどんどん拡がるぞ〜!急げ急げ!」


この、薄黒く透けた影を立体にしたような姿の──本来は黒と白の入り交じった小人のような姿をしている──異形の者は、ミドナというらしい。
面妖な仮面(って、ふざけてるわけじゃないぞ)を被り、灼熱の焔というよりは柔らかい陽の光のような色をした髪束(のようなもの)を下げている。

俺はいま、ハイラルの運命を託されて此処にいた。


人を小馬鹿にしたような性格が何処かの誰かさんを彷彿とさせるが、こっちの方がわりと実力主義なものだから、俺は言うことを聞くしかない。まさに女王様だ。


『くそっ、村の中にまで魔物が……!』


あのボコブリンの大群がそうさせたのかは分からないが、普段なら魔物なんて入り込まないはずの村の入り口にある、俺の自宅前が我が物顔で闊歩するモリブリンに占拠されていた。
獣の姿になったところで、攻撃力は変わらない。引っ掻いたり噛み付いたりを繰り返していると、倒されたモリブリンが灰のように朽ちて煙と化す。


駆け出し、村の中へと飛び込む。空気を肌で感じるので分かった、異様なまでに村が殺伐としている。


『盾は確かジャガーさんが作ってたはず……』

「ならさっさと取りに行くぞ!ソイツんちは何処だ?」

『こっちの水車小屋だ、』

「出たな化け物!」


不意に高所から響いた声が聞き慣れなくて振り仰ぐと、蔦を上った先の高台にいたのは、声を張るようなことなんて滅多にないあのハンジョーさんだった。
あの人、いつの間に鷹を呼べるようになったんだ?
そう考える暇もなく、彼は草笛で呼んだ鷹を俺目掛けて飛ばしてきた。間一髪避けるけど、これじゃあジャガーさんちに近付けない!


「ふぅん、この村の奴らにとって今のオマエは化け物らしいな!ククッ」

『笑うな!』

「しっかしあのオッサン高みの見物決め込みやがって……あ、ホラ、そこの屋根から登って一発驚かせてやろうぜ!案内してやるよ」


ふわりと俺の影から抜け出したミドナは、スケルトンのまま淡い紅に光る髪を手招くように揺らして、俺をセーラさんちの屋根へと導いた。
こちらに気付かないハンジョーさんの前に躍り出れば、彼は驚くあまり湖に飛び込んでしまった。


「ハハッいい気味!さてと、何処から入ろうかな〜?」

『おまえなぁ……』



その後ジャガーさん宅からうまいこと盾を拝借すると、横窓から出て小川の方へと足を進めた。

残りは剣。先程草の茂みに紛れてボウさんとジャガーさんの会話を拝聴したところ、モイさんがそれを持っているらしい。
取りに行こうとした二人は俺に驚いて何処かへ行ってしまったから、多分まだモイさんちにあるはずだ。
……しかし、こうも怖がられると少し寂しい気分になる。


嗚呼、モイさん、あんな大怪我で。魔物と戦ったのだろうか、この村でいざというとき場馴れしているのは彼だけだから。
引き留めるウーリさんの言葉にも耳を傾けず、松明を持って子供たちの捜索へと向かいだすモイさん。申し訳ないが、主不在の隙に剣を借りてしまおう。

機を見計らって、草影からそうっと抜け出す。
確か薪置き場の近くはカボチャ畑で地面が柔らかかったから、そこを掘れば中に入れるはず───


「モイさん!」

「おぉ、エリシュカ……、」



ああもう、あのバカ。



「見つけたぞ、化け物!」






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