みすかされるきょうふ



砂塵の上を滑るように駆けていくエリシュカを追い掛け、スピナーを傾ける。

不完全な影の者として、彼女は影に身を潜めることはできても、ミドナと同じように空中を自在に漂ったり、粒子となって柵や鉄条網をすり抜けたりすることはできない。
出来ないことはないが、より影に身を落とすことになるため、魔力を削ってしまうらしい。限りある命を再び消失させるようなことがあってはならないので、極力させないようにはしているものの、砂上を移動するには仕方ない時もある。


「ったく!処刑場なんて名前ばっかりだ、テーマパークじゃねぇっつの!」

「大昔は処刑そのものが庶民の娯楽って言われたみたいだからね。囚人を走らせるクロスカントリー扱いだったのかも」


俺がスピナーを噛ませ登るレールを、彼女は魔力を用いて高く跳躍し、浮遊することで辿っていく。
やるせない心地になりつつも、本人が平然としている以上あまり口やかましく言うのも……なんてやきもきしたりして、らしくない。
漸く大きな扉の前にたどり着いてから、俺は恨めしげに舌打ちをした。


「趣味の悪りぃ娯楽だ」

「ま、そんなものよ。より本能目覚ましく、殺伐としたものを好む人間の習性はね」


エリシュカの親父さんさえも巻き込んだという、この砂漠の処刑場。こんな胸くその悪い場所、いつまでも居たくないだろうに。
軽い音を立てて着地した彼女が後ろにいることを確認して、俺は扉を解錠した。このダンジョンを支配しているであろうボスが、この先に待ち構えているはずだ。



「……はは、成る程」



思わず乾いた笑いが漏れる。
納得せざるを得なかった。庶民の娯楽とはよく言ったものだ。

巨大な砂床を縁取るように石畳が囲っている。その中央には巨大な獣のものと思わしき骸骨が化石となって横たわり、半身を砂中に埋めていた。
想像に容易い。あの過酷なクロスカントリーを乗り越えやって来た囚人は、皆此処であの獣の生き餌とされていたのだろう。


「……閉鎖された理由がなんとなく分かったわ。鏡云々もそうだけど、今の王家はこういう血生臭いの好まないもの」

「ハイラルの闇も探れば深し、ってか」

「まさかのまさかだけど、この化石が襲ってきたりしてな?」


影から冗談めかすような笑いを含んだ声がする。そのまさかしか思い浮かばない上、今更動揺もしないところ、俺も勇者としてなかなかに経験を積めてるんじゃなかろうか。

不意に、怪音が木霊する。
ハッと化石頭部を見やれば、そこに立つのは簑を纏い兜をもたげる影の王。
影の粒子が集まる所作もなく、突如顕現したその不気味さに、俺もエリシュカも構えを取った。


「よくぞここまで生き延びた。流石は勇者と、王国が誇る騎士と呼ばれるだけはある」

「心にもないお世辞どうも!」

「そう突っ跳ねるな。これでも残念なのだ、そう……実に残念だよ!オマエ達と逢えるのが、これで最後だと思うとな」


青白い両手のひらを胸の前で翳すと、魔力を凝固させた剣が出現する。
ザントは、それを大きく弧を描いて振り被ると、何やら質の違う悪意に似たものを刃に滑らせ、剣ごと化石の額に突き立てた。


「その無駄な足掻きも此処までだ」

「どうかしら」

「意思ある影の真珠よ、可哀想に。何も知れぬまま息絶えることになろうとは……今からでも遅くはない、私の元に来い」


兜の口元が畳まれていき、厭らしく歪む唇が覗く。
先の言葉は、言い換えるならば自分につけば全てを教えるとも取れた。

しかしエリシュカは、その場から微動だにしない。強く真っ直ぐな瞳は、揺らぐこともない。


「私が、自分の手で突き止めた事実こそが真実よ」

「……愚かな」

「別に構わないわ!自己満足のために生き返ったようなものよ」


一度口角を下げた口は、しかし鮫のような尖った歯を見せ笑うと、またもや粒子も残さぬうちに瞬いて消えた。

ザントの気配が消失して間もなく、不穏な空気がそこらを支配した。化石の眼虚(まなうろ)に光が宿り、骨々が軋んだ音を立てて震え出す。
砂が次第に流れを作り始めた。中心部が窪んでいき、さながらアリ地獄だ。骨身とは思えぬ力強さで体を起こし、全身を捻らせたそれを囲うように、死者達までもが甦り、こちらを見上げてくる。

轟く咆哮が、細胞単位で震え上がらせる。憎悪と恐怖をない交ぜにした死者の絶叫だ。



「蘇生古代獣、ハーラ・ジガントだ!不用意に近付くと文字通り足元掬われるぞ、気を付けろよ!」

「わーってる!」



ミドナの忠告に返事をしつつ、スピナーに飛び乗った。そのまま勢いよく流砂の坂を下り、隙を窺う。


「アイツの支柱は背骨1本だ!ダルマ式に埋めてやれ!」

「こいつら、守りのために……っ!」


背骨に近付くと、通しはしまいと言うように地中から死人達が召喚される。
端から見ればぞっとする光景にも、後退りしている場合ではない。うまく躱しつつ、俺はスピナーの回転の波動を用いて奴の背骨を順調に砕いていく。


「っくそ、やっぱり手前の奴らが邪魔だ!おいエリシュカ、おまえあいつらを……エリシュカ?」


頬に張り付く砂埃を拭いながら、スピナーを降りて隙を窺いつつ声をかけた。……そういえば戦闘が始まって以降、エリシュカが動きを見せていない。
応答もない彼女を不審に思った俺は、横目に彼女の姿を探した。


指先から、肌が剥がれていく。身に纏っていた影の残滓が失われ、青ざめた人間の格好のエリシュカが膝をついた。


「……っ、」

「エリシュカ!止まるな!」


瞠目した彼女に、俺の声は届かない。
むしろ呼び掛けたのが裏目に出たか、エリシュカに標的を絞ったハーラ・ジガントは追随するように再び咆哮する。肩を跳ねさせ萎縮した彼女は、最早逃げることもままならない。


牙を剥き出しにした口腔を広げるのを見て、俺は咄嗟に走り出す。生憎スピナーは石畳の上では本来の機動力を発揮できない。
伸ばした腕は到底彼女のもとまで届きそうになかった。怨念の炎が吐き出される。じり、と袖を焼く焔に眉をしかめた。


「エリシュカ!!!」


影を伝って飛び出したミドナが、間一髪その夕焼け色の手のひらでエリシュカを拾い上げ、横なぎに倒れ込んだ。赤髪と一緒に転がっていき、火焔はその寸でのところで止まり、二人は難を逃れたようだ。ミドナがむくりと起き上がって声を張る。


「ボサッとすんな!今のうちに仕留めろ!」

「……あぁ!」


化け物が焔を吐いている間、隙が生まれる。死人達も姿を消すその瞬間を狙って、俺は背を傾けスピナーを滑らせた。



支えを失い、砂中に身を沈めていく姿は、まるで溺れるかのよう。もがきにもがいた末、バランスを崩し骨がバラけたのを皮切りに、水が乾上がるようにして砂漠がみるみる消えていく。

大きな窪地となった其処には、化石の頭のみが残り、力なく横たえていた。


「エリシュカ、大丈夫か。しっかりしろ」


歩み寄る俺どころか、先程から傍で声をかけているミドナにすら気付かない様子で、彼女は項垂れていた。
背を撫でてやろうと伸ばした手のひらが触れる直前、ぐらりと足元が揺らぐ。俺達と頭蓋骨を乗せた足場が、徐々に上昇していた。


「まだ終わりじゃない……!」


剣を抜き、盾を構える。背後に二人を庇うように立つと、なんと頭蓋骨が独りでに動き出した。ぽっかりと空いた眼孔の奥から、心根深くまで覗き込むような視線が突き刺さる。

じりじりと迫り来るそれに、僅かずつ後退る。
はたと後ろの二人を振り向いた刹那、鼻先に押しやられた。目先にあるのは遠ざかる高い天井。もろに体を打ち付ければ、無傷では済まない。

油断した、歯噛みしたところで落下速度は落ちない。
せめて、頼むエリシュカ。逃げてくれ───


「リンク!!!」


肘先まで幾何学模様を纏い始めた腕を伸ばす彼女に、呼応するようにして俺も剣を持つ手を伸ばした。
彼女の命を寄り合わせ紡いだ糸が俺の腕を絡めとり、ガクンと失速する。

なんとか落下を免れた俺にほっと安堵の表情を見せるエリシュカ。礼を言う間もなく、その真後ろにあの頭蓋骨が迫っていた。


「エリシュカ!後ろ!」


思わず叫ぶと、エリシュカは躊躇うことなく飛び降りた。せめて下敷きになるよう腕を広げ、やって来る痛みに備えて奥歯を噛み、目を瞑る。
しかし痛みはなかった。ひゅるりと空中に躍り出たミドナが、指先を一閃させる。黒光りする魔力が飛来して、俺もエリシュカも受け止めたのだ。


勢いを殺しきれず、やや強引ではあったが、無事着地することに成功した矢先顔面に衝撃。
結局倒れ込んで、強かに打ち付けた鼻先を抑えた。


「ごっごめん!受け身取り損ねて鼻蹴ったわよね、折れてない?」

「たぶんへーき……」


たらりと滴った鼻血を親指で拭いつつ言うと、心底申し訳なさそうにするエリシュカと目が合った。
顔色は未だ白っぽいが、その様子から察するにもう大丈夫だろう。


「無理はするな。しんどかったら入り口まで戻って待ってろ、あいつは俺が何とかする」

「……いいえ、むしろ出遅れて悪かったわ。援護するから敵にだけ集中して」


衣服を纏うように、黒き力が全身を覆う。屑が渦を巻きながら、指先、足先を這い上がる。肌は白磁に艶めき、耳は結晶石の如く尖って伸びた。
瞳孔は黄金色を残して、みなもに墨をこぼすようにして闇のような黒に染まり、一扇ぎした髪は肩よりもやや短い高さでざんばらに散る。
胸元に埋め込まれた影の真珠がひとたび煌めいて、薄靄がスカートのように腰元に広がった。

きっと鋭い眼光が敵を捉えて離さない。暫く探るように視線をさ迷わせた後、エリシュカは部屋中に響くような声で告げた。


「ザントの剣からおびただしい量の力が溢れて見えるわ!」

「おそらく、そいつを壊せばホネは動きを止めるはずだ!」

「了解!」



ミドナの助言を聞いた俺はスピナーに乗ってレールを伝い、炎塊を避けながら高所を陣取る化け物に近付いていく。
エリシュカの手から射出された糸が奴を絡めとろうとするも、ギリギリで躱される。ならばと彼女は、円柱状の中央の足場の側壁とそれを囲う壁との間に、糸を張り巡らし始めた。

即席の蜘蛛の巣に突っ込んだハーラ・ジガントの頭部は、そのまま袋状に閉じた糸にくるまれて無様に落ちていく。
暴れる頭蓋骨を直接地に縫い付けるエリシュカ。


「今よ!」


額から突き出している剣と骨表面の境を、頻りに叩き斬る。痛みに喘ぐように吼える化け物は、彼女の手によって動きを封じられていた。


「とどめだッ!!!」


切っ先が、深く食い込んだ。
獣の慟哭と同時に、どす黒い剣が木っ端微塵になって散っていく。


刹那、ちか、と閃光が瞬いた。



俺はもう、あの家には帰れない


だから、おまえに頼みたいことがある


あの子を、頼むよ




ちか、ちか。

白がいくつか弾けて、遠くに聞こえた声はとうに薄ぼやけ、届かない。


気が付いた時には、巨大な頭蓋骨は姿を消して、命の器とぐったり横たわった彼女だけが、残されていた。





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