なつかしいぬくもり
「ずっと会いたかった」
その言葉は、俺の中の何かを変えた。
「なっ、シャッド離れて!」
「もう少しだけ」
「ば、バカ!」
エリシュカを抱きすくめ、首元に鼻先を埋める男。
俺は自分の中の何かがガラガラと音を立てて崩れていくのを聞きながら、しかし微動だにできずにいた。
困り果て、口ではああだこうだと言いながらも何ら抵抗しないままでいるエリシュカ。二人を囃し立てるように、酒場にいる他の客も口笛を吹いたり拍手をしたりする。
「おいおいシャッド!昔の女かァ?」
「……アハハ、まぁ間違いじゃないね」
「ちょっと!」
「ハンサムがまたタラシ込んで来やがった!」
「アツいねぇ!」
一気に沸いた酒場は勝手に盛り上がりを見せ、客達は話題を肴に再び楽しそうに酒を酌み交わす。
にゅっと伸びてきた手が、エリシュカから男を引き剥がし後ろへと追いやった。前に出てきたのは、目付きの悪いおさげ髪の女騎士。
「いい加減にしろシャッド」
「あ痛ッ」
鎧を着込んだ身体で繰り出される肘鉄はまた格別に痛いことだろう。シャッドと呼ばれた男は腹を抱えながら踞ってしまった。
「今まで何処をほっつき歩いていたんだ、この馬鹿者」
「アッシュ……心配かけてごめんね」
シャッドと同じく、こちらもよく知った仲のように言葉を交わすエリシュカ。
女騎士は表情をあまり変えぬまま、しかしそっと彼女を抱きしめて安堵の息をついた。
「……もういい。生きているのを見た途端、言おうと思っていた文句も何処かにすっ飛んでしまった」
「ふふ、……じゃあお説教はまた今度ね」
「ボクだって心配したんだよ?それなのに……」
「あぁハイハイ、感動の再会はそこいらにしておいて。リンクが困っちまってるじゃないか」
言及するシャッドを諌めるように口を開いたテルマさんに名を呼ばれ、漸く我に返った俺。エリシュカもやや気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「順番に紹介するよ、まずこの子はアッシュ。城に仕えている騎士なんだ」
「申し遅れた、アッシュだ」
「アッシュは私が騎士学校に通っていた頃からの同期なの」
「そうなのか……よろしく」
ジト目と視線を絡ませて数秒。エリシュカと会話していた時以上に言葉数が少ない。
暫く無言が続き、俺が重苦しい空気に耐えられなくなってきた頃、彼女は口を開いた。
「……私は幼き頃より山にこもり、騎士団出身の父に兵法を叩き込まれ、男のように育てられた。ゆえに人並みの作法を知らぬ……この先無礼があっても許されよ」
「あぁ、……そうか、親父さんが騎士団って、エリシュカと同じなんだな」
「……エリシュカの出自を知っているのか」
「それなりにな」
アッシュはまた暫く黙りこくった後、俺だけに聞こえる声音で
「エリシュカは私の一番の友だ。彼女に何かすればただではおかない……勿論さっきのシャッドのようなことがあれば、当然制裁を下す……わかったな」
「お、おう。わかった、わかったから、な?」
ものすごい重圧感。目力。イエスと言うしかないようなプレッシャーに、背筋を冷や汗が流れる。
テルマさんが次に手のひらで指し示したのが、先程から問題行動の目立つ男、シャッド。
「こっちの眼鏡がシャッド。天空や古い神話についての研究をしているんだ」
「……天空?」
「そう胡散臭い顔をしないでくれ、こないだはキミのことからかって悪かったよ……この町は変な奴も多いから、ちょっと警戒してたんだ。
テルマから話は聞いたよ、かなり腕が立つんだそうじゃないか。ボクなんて本ばかり読んでいるから、腕っぷしのほうはからきしさ」
「そうね、昔から本の虫で夢物語が好きだったわ」
エリシュカの言葉にそちらを見やると、彼女はアッシュを真似たようなジト目で彼を睨み付けていた。
「キミだって昔は裁縫ばっかりで、ボクと一緒に中遊びしていたじゃないか」
「……ひとつ聞きたいんだけど、二人は……」
「……私とシャッドは幼馴染みなのよ。私が騎士学校に入ってからだから……8年は会ってなかったかしら」
エリシュカがため息をつくように言うと、シャッドが肩を竦める。
「今年で10年だよ!まったくキミってやつは、騎士学校を卒業してからも一度も顔を見せに来やしなくて……大体街を出るときも、」
「痴話喧嘩はまた今度におし!」
テルマさんに牽制され、不満そうに口をつぐんだシャッドを通り過ぎ、最後まで椅子に座っていた覆面の男が近付いてきた。
「……久しぶりだな、リンク!」
覆面を取ると、その人はよく見知った顔で眩しく笑った。
「モイさん!」
「エリシュカも随分久しいなぁ!二人仲良くやってるみたいで安心したよ……ウーリから知らせがあってな、カカリコ村で子供達の顔も見てきたんだ。
あいつらすっかり見違えてさ……俺もこのままじゃ格好がつかないから、せめて何か役に立ちたいんだ」
モイさんは鼻先を擦りながら、照れくさそうにはにかんで、そして滲むように目を細め言った。
「……コリンのこと、有り難うな。おまえの活躍も聞いてるよ、リンク」
「はは、どうも。……実は、エリシュカに助けられてばかりで……」
「なぁに、そう謙遜することはないさ!おまえは十分ひとの役に立っているよ、なぁエリシュカ?」
「……ふふ、えぇ。だいぶマシになりましたね」
からかうような含んだ笑いが何処か引っ掛かる相槌に、俺が顔をしかめるとすぐ手が伸びてきて、頬をぐにぃと引っ張られた。痛い。
「こいつらとは昔から縁があってな、俺も情報収集をしているところだ。何か分かったらおまえにも知らせるよ」
「助かります、ありがとうございます」
「本当はもう一人、ラフレルってじいさんがいるんだけどねぇ」
「あの人なら今、東の砂漠を調べに行ってるよ。また今度話すといい」
シャッドの言葉に頷くと、テルマさんに促され再び奥のテーブルにつかされた。
「さぁさ、せっかく来たんだ、ゆっくりしておいき!これはサービスだよ」
「あ、いや俺は……」
そう言って差し出されたのは、ブリキのカップに入ったミルク酒。
飲み慣れないものを出され(まぁ酒場だから酒が出てくるのは当たり前なのだが)、戸惑っていると順番にモイさんやアッシュ、シャッドの分の酒も出てきた。
「意志をひとつに励もうって仲間なんだ、杯くらい交わしとくべきだろ?」
「さっすがテルマ、粋な計らい!」
「誓いの杯か……悪くない」
「エリシュカもどうだ?酒、嫌いじゃないだろ?」
「私は遠慮しとくわ、今日は悪酔いしそうだもの」
モイさんが声をかけた先にいたエリシュカは、カウンターに鎮座しているルイーズを撫でて遊んでいた。ルイーズも心地良さそうにされるがままになっている。
あぁ、そういえばあいつを連れてまた店に、って話もあったっけ。
「仲間との出会いを祝して!」
「乾杯!」
ブリキのカップがぶつかり、少し中の酒が零れたのを皮切りに、俺は勢いもあってか、ついつい夜更けまでレジスタンスの皆と飲み明かしてしまった。
──────………
ミドナが呼びに来なかったら、いつまで飲んでるつもりだったのかしら。
酔ったモイさんは飲ませたがるから、もしかしてとは思っていたけど……これ程とは想定外よ。
「ん……あれ……」
「やっと起きた」
ソファーに寝かせていた体が、もぞもぞと動いて毛布を落とす。
拾い上げてかけ直してやりながら、私は用意しておいた一杯の水を差し出した。
「いくらなんでも飲みすぎよ」
「……断れなかったんだよ……」
「それで潰されてちゃ、勇者の名が廃るわね」
ぐったりしているリンクの顔を覗き込むけど、なかなか焦点が合わない様子。これで寝首をかかれていたら一貫の終わりだわ。
「ここは?」
「私の家よ。宴もそこそこに戻って、長く留守にしていたから掃除してたの。宿をとるのも馬鹿馬鹿しいからね。
ミドナが呆れながら呼びに来たから何かと思えば、あんたってば、酔いつぶれて爆睡してるんだもの。覚えてないでしょう」
「うぅ……」
頭を抱えているけど、きっとどれだけ記憶を掘り返したって無駄でしょうね。テルマさんも悪い人、ミルク酒なんて油断して飲み続けたらあっという間に酔っちゃうのに。
「まだ朝まで時間はあるし、ちょっと埃臭くて悪いけど、ベッドで寝たら?」
「……ミドナは」
「今夜は外を散歩してくるそうよ。朝には戻るって」
私もそろそろ眠ろうかな。まさか年下とはいえ、大の男を引きずりながら地下街から連れ帰ることになるなんて思わなかった。
ふわぁ、と欠伸をした横で、のそりとリンクが身体を起こした。ふらつく足取りが心配になって肩を貸す。
「寝室はこっち。パパとママの部屋だから少し広いけど、好きに使っていいから……ってちょっと!」
私ごと雪崩れ込むようにベッドに崩れ落ちる。
弾みで立つ埃にくしゃみをした。ううん、もう少し明るいうちに戻れていたらベッドも干せたんだけどな。
「リンク退いて、重い」
「エリシュカはどこで寝るんだよ」
「私はさっきあんたが寝てたソファーでじゅうぶ……こら!」
いつだったかの、シャドウとのやり取りを思い返した。
逃がさないとでも言うように抱え込まれる。酔いが覚めていないせいか、加減のない腕の力に振りほどけるはずもなく。どんな茶番だ、と背中にぴったり寄り添うそいつの脇腹を肘で小突いた。
「リンクー?」
「いろんな、話をしたんだ」
舌足らずな調子で唐突に語り出す彼。ぎょっとして振り向こうとしても、数々の難敵を打ち倒してきた屈強な腕がそれを許さない。
「この国のいまだけじゃない……むかしのハイラルの話だとか、神話だとか、いまにつながる話も、たくさんした……
むかしのエリシュカの話も、すこし聞いたんだ」
「モイさんね……」
「ううん、みんな。アッシュも、シャッドも、……おれの知らないエリシュカのこと、おしえてくれた」
何話したのよ……。
今度は私の方が頭を抱えたい気分だ。
訥々と話す彼の言葉はまだ続く。
「やっぱさ、おれ、まだぜんぜんエリシュカのことしらなかった」
「まぁ、そりゃあね」
「しらないままで、おまえがいなくなって、すごくかなしかったんだ」
「………」
「かなしくて、つらくて……こわかった」
子供が抱き枕を抱えるみたいに、足まで絡まってきた。私はいよいよ困り果てて、もがき始めるのだけど、リンクはやはり逃がすまいとして腕の力を緩めない。
黙っちゃいたけど、正直心臓が破裂しそうなのよ。なんだかんだでまだまだ私、こいつのこと好きなんだもの。
「エリシュカ、エリシュカ」
「聞こえてるよ。……なぁに」
眠たげな声が耳元で囁く。
「……おれ、……から、」
「から?」
「……いなく、なるなよ……」
すぅ。言うだけ言って満足したらしい。腕の力も緩まって、あどけない顔のまま勇者の荷を下ろしたリンク≠ェ、眠りについていた。
「……前向きに検討しておくわ」
体の向きを変えて正面から見た寝顔は、うっすら疲れの色を見せていた。気丈に振る舞っているのはあんたもだって、自分でちゃんと気付いてるのかしら。
固めの金髪を解すように撫でてやると、力が抜けたような表情に変わる。私はくすりと笑って、ベッドを降り彼に毛布をかけてやると、明かりの蝋燭を消して部屋を出た。
そうね、話さなくちゃならないこと、話しておきたいこと、まだまだあるんだろうけど。
ぜんぶ後回しにして、今夜はひとまず。
ぐっすり、おやすみなさい。
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