ありがとうをつぶやく



存在を確かめるように一思いに彼女を抱きしめた後、いい加減息が苦しいと足を踏んでくるエリシュカから手を離した。
ひょいと俺から距離を置く彼女のもとへ、ミドナがするりと躍り出る。


「ホンモノか?……本当に、エリシュカなのか?」

「人間の姿でお目見えしたのは2回目ね」


そう言うが早いか、エリシュカはミドナを抱き寄せて微笑う。
ミドナは慣れないように一瞬手をばたつかせて、けれどもしっかりその細腕で抱き返した。


「でも、どうして……」


体を離し、ふわりと浮かび上がるミドナの前で、エリシュカは手のひらを重ねながら胸元に当てた。
すると、広げた彼女の手のひらの上に靄のような黒い塵の塊が引き出される。それはゆっくりと形を持ち始め、そして銀がかった剣の柄に変わった。


「これは……」

「……シャドウよ」


瞠目する俺とミドナ。
シャドウとは、エリシュカに入れ込んでいたあの黒い姿の、俺そっくりな奴だ。そのくせ影の真珠を奪おうと旅先で襲ってきたり、行動理由がいまいち掴めなかったあいつ。
エリシュカはひどくもの悲しそうな眼差しになり、痛ましい記憶を呼び起こすように瞼を閉じた。


「この剣の刃には、彼を形作るに必要な影の力が込められていたわ。即ち、それは本来私に元あった命の欠片……
彼は、与えられた力を失うのと引き換えに、私の命の刻限を先延ばしにしたのよ」

「そんなバカな!そんなこと……、」

「彼は私の願いを具現化したもの。……だから、新しい願い≠叶えるために、今までで一番大きな力を使った願いを、無かったことにした=v


エリシュカは、柄を再び塵の塊に変えると、それを手のひらの内に閉じ込める。


「彼は、影の王に何やら別の力で支配されていた……そのせいで、彼自身の意志とは関係無く、私を影の真珠として奪取すべく行動させられていたのよ」

「じゃあ、その柄は……」


エリシュカがもう一度手のひらを開くと、塵は形を変える。
光を反射したそれは、ちょうどマスターソードの丈に見合った鞘になった。


「シャドウが残した、影の力。何故これが残ったのかは、分からない……でも、自在に形を変えられるの。
いざとなれば、私の命がまた絶えたとしても、これは影の真珠とは別個体として形を保っていられる。だから、リンクに持っていてほしくて」


その手から鞘を受け取るのは、何やら阻まれる思いがあったものの、お願いと差し出されてしまっては受け取らざるをえなかった。
エリシュカは真っ直ぐ俺とミドナを見据える。


「……影の結晶石は、今何処に?」

「……影の支配者、ザントに奪われたままさ」


憎々しげにそう呟いたミドナを見て、エリシュカは納得がいったように頷いた。


「だからシャドウは、私がザントの元へ向かう前に……。
そうね、なら余計コレはあんたに預けておかなくちゃ。私が奴の手に堕ちても、結晶石が揃えば力を行使できる。……便利でしょ?」

「そんなことさせないさ」


聖剣を鞘に収めながら率直にそう言えば、エリシュカはぱちくりと瞬いた。


「……なんだよ」

「……え、ううん。……いや、その、……ちょっと頼もしいな、って」

「……いきなりどうしたんだよ、此処はいつもなら調子に乗るな!≠ニか言うくせに……痛ッ!」


げっ、また偏屈なこと言っちまった。
その証拠に、無言で肘鉄砲を食らった。めちゃくちゃ痛い。
脇腹を擦る俺を横目に見て鼻で笑っていたミドナが、ふと思い出したように声を上げた。


「そうだ、うっかり忘れてたぜ」


エリシュカと揃って彼女の方に向き直ると、ミドナは小さな手のひらの上に、何やら奇妙な形をした黒いものを出現させて見せた。


「これがリンクにかけられていた魔力の塊さ。確かにワタシ達の持つ影の魔力とは違う……おそらく、あのシャドウとやらを操っていたのもこの力だろう」

「……これが……」

「気を付けな、アンタが触れたらまた獣に逆戻りだ。エリシュカも不用意に触れない方がいい、……真珠が暴走しないとも限らないからな」


俺がまじまじと見つめていると、ミドナは俺から遠ざけるようにして手を握り込み、魔力の塊を隠した。


「こんな危ないモノ、今ここで無くしてしまうのが一番さ」

「……でもミドナ、それがあればトワイライトでなくても、獣の姿になれるんじゃない?ワープも使い放題よ」


はた、とエリシュカが気がついたように口にする。
ミドナもまた魔力の塊を一瞥して、それからニヤリと口角を上げた。


「それもそうだな!せっかくのザントからのプレゼントだ、遠慮なく使ってやろうぜ。必要なときはワタシに言えば、獣に変えてやるよ」


そうしてその禍々しい結晶をしまいこんだミドナは、不意に懸命な面持ちになって口を開いた。


「……なぁ、二人に頼みがあるんだ!」

「どうした、改まって」

「私も一緒に?」

「あぁ、そうだ。ワタシと一緒に、ハイラルの何処かにある陰りの鏡を探してくれないか?
その陰りの鏡こそが、ザントに繋がる唯一残された鍵なんだ!」


俺とエリシュカの間に浮かび、肩に手を添えて縋るように見上げてくるミドナ。
俺とエリシュカは今一度顔を見合わせた後、にこりと揃って微笑んだ。


「ここまで来たら、最後まで付き合うさ。仮にも選ばれし勇者だ」

「私もよ。もうとっくに無関係じゃなくなってる」


ミドナは安心したのか、それとも照れ隠しなのか……眉尻を下げて困ったように笑うと、「光の世界のヤツは、お人好しばっかりだ」と言って、自分の左手を見やった。


「そういえば、おまえ、どうやって此処に?」


遺跡のある場所から、森の入り口へ戻るべく足を運んでいるとき、ふと浮かんだ疑問を隣のそいつに投げ掛けてみる。
すると、エリシュカは「あぁ、」と薄く笑ったあと、


「スタルキッドが案内してくれたのよ」

「スタルキッド?」

「あの悪戯好きなチビか」

「そう、森の迷い子の成れの果て、スタルキッド」


なんでも、奴は彼女を一目見て、こう言ったそうだ。


オマエハ森ノ主。ダカラ、ツレテイク


「森の主?」

「確かにそう言ってたわ」


話を聞いていたミドナが、でも、と口を挟む。


「森の入り口にたどり着くまでの足場は、常人じゃ渡れないモノだったはずだろ?」

「それなら、」


腰元のポシェットから取り出したのは、彼女の身体から分離されていた影の真珠。
それを胸元に当てると、エリシュカは瞬く間に黒い霧に包まれる。霧が晴れた頃には、いつだったか目にした、影の一族の姿をとった彼女が立っていた。足までしっかり実体があるものの、黒あざはさして目立たない。


「一度一体化したせいか、自由に一体化したり分離したり出来るようになったみたい。魔力を使えば、多少は宙を漂うことも可能よ」

「何でもアリだな……」

「まぁ、願いを叶える力≠セからね」


極端な力の支配は魔力の調節によって制御できるようになったものの、それでも徐々に寿命は削られていくらしい。また刻限が来れば、次はない、と呟く。

指先を空に向け、ポータルを開く背中を見つめる。


「……シャドウが自分と引き換えに叶えようとしたおまえの願いは、叶ったのか?」


振り返った異形の姿で、エリシュカはくちびるだけで笑ってみせた。


「随分、野暮ったいこと訊くのね」

「……悪かったな」


後ろ頭を掻きながら傍に寄る。ミドナが俺の足元からするりと抜け出てきて、指先を一閃した。
ぶわり、内に染み入る力によって俺は、獣に姿を変える。


「叶えられないに決まってるでしょう、……そんなことのためだけに彼を失ったなんて考えたくもない」

『……なんだそれ』

「だから私は、私に出来ることを全部成し遂げられるまで、その願いは叶えないことに決めたのよ」


物憂げな横顔を見上げた刹那、俺達はミドナの手によって幾何学の塵となり、ポータルに吸い込まれていった。



***



「また来れるとは思ってもみなかったなぁ」


そう言いながら、改めて故郷の地を踏みしめ歩くエリシュカ。

ミドナでも、陰りの鏡の場所は分からない。ちょうどそこにテルマさんからの手紙が届いたこともあり、国中の情報が集まる城下町に行けば、何かしら収穫があるだろうと践んだのだ。

元々儚いものだったエリシュカの忘却の願い≠ヘ、すっかり綻びほどけてしまい、今や彼女は街を行き交う様々な人に声をかけられていた。


「お姉ちゃん久しぶり!お花はいかがですか?」

「相変わらず綺麗ね、一束頂くわ」


「エリシュカちゃんおかえり!お母さんはどうしたんだい?」

「……、ママったら田舎にすっかり居着いちゃってるの!」



「よく言うよ」

「しょーがないじゃない、嘘も方便よ?」


花束の匂いに柔らかく目を細めながら言う。両親のことはもう吹っ切れたのだろうか……いや、決めつけはよくない。誰にも分からないよう、嘘をついて抱え込むのはこいつのオハコだ。

旅装束の上衣の裾を揺らしながら歩く後ろ姿をじっと見ては考えるものの、懐かしむようにあちこちを見ては優しい笑顔を作るその表情は、どうやら嘘っぱちではなさそうだった。


「あら?こんなところにサーカスなんて居たかしら」

「ヘィそこの粋なガール!遊んでくかい?」


それは街の至るところで噂になっていた、新しいアトラクション施設だった。
管理者と思われる妙な服装の怪しい男がエリシュカに声をかけた。視界の端で興味深々といった体でこちらを見る少女達がいる。


「スタアゲームねぇ……面白そうだけど、ちゃんと王宮に許可は申請したの?」

「Oh……ツッコンだ事を訊くねぇガール、も、勿論さ」

「ふぅん?ま、悪さはしないことね。そのうち善良な市民や兵士どころか、伝説の勇者様に成敗されちゃうかもしれないわよ」


記念にどうぞ、と花束を手渡し先を進む彼女。
その流れるような手捌きに唖然としながら、頬を赤らめた男を横目にすがめつつ着いていく。


「あんな絶対怪しい奴、相手にすんなよ!」

「見た目の怪しさならあんたも負けず劣らずよ」

「おまえなぁ……」


何故だろう。なんだろうこの無性に沸き起こる不快感は。
あんなのと一緒くたにされた腹立たしさだけではない……はず。足元の影からクツクツ喉の奥で笑うような声に、俺はまた眉間に皺を刻んだ。


漸く着いた酒場からは、相変わらず賑やかな喧騒が漏れ聞こえている。
扉を開くと、カカリコから戻ったテルマさんが笑顔で出迎えてくれた。


「あぁ、二人とも!来てくれたんだね。手紙は読んでくれたかい?」

「はい。力を貸してくれる人達がいると……」

「私も、今やただの剣士兼仕立て屋です。この国のためならば、いくらでもお力添えさせて頂くつもりです」


エリシュカと口を揃えてそう答えれば、テルマさんは嬉しそうに奥のテーブルに集まるメンバーへ声をかけた。


「ちょうどあんたたちの話をしてたとこなんだよ。特にリンク、あんたはなかなかの評判さ。
みんな!紹介するよ、この男前がリンクさ」


一斉に視線が此方に集まった。
そこでエリシュカが奇妙な顔になる。


「えっ……あっ……?もしかして、あんた……」


彼女の目は、立ちながら話を聞いていた女騎士──ではなく、その隣の眼鏡の青年へ。


「う、嘘だ、だってあと数ヵ月は戻らないって……」

「エリシュカ?どうした、知り合いなのか?」


「エリシュカッ!!」


後退るも、時既に遅し。
ガタンと勢いよく椅子を蹴倒して立ち上がった青年は、名を呼ぶが早いか、駆け出し俺の目前で彼女を抱きしめた。


────え?




「ずっと会いたかった」




何かが俺の中で弾けたような気がする。
ミドナの堪えるような笑い声だけが、脳内に木霊していた。





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