うそつきのあしあと



ゆっくりと降ろされた場所は、遠目にハイラル城が見える平原の何処か。
しとしととまとわりつくように降り頻る雨は、未だ清算しようもなくぐちゃぐちゃに掻き乱された俺の心の代わりに、空が泣いているようだった。


「……ッ!」


薄く響く喘鳴に気が付き、自分の背に目を向けると、青白くまるで光に焼かれたような姿のミドナが横たわっていた。
普段は黒が基調の肌も、透けるように発光しており、暗く重たい空の下城下町の明かりも程々のこの場所では、彼女はいつになく目立つ色だった。


『ミドナ……!おい、どうしたんだよ……!』


ふと思い返す。ザントが魔力を駆使して光の世界に戻した時、ミドナはザントの盾になるようにして光の洗礼を受けてはいなかったか。
もしくは、ラネールの力で此処にテレポートする際、光の魔力に触れてしまったが為か。どちらにせよ、瀕死の事態であることは容易に把握できた。


「神に選ばれし勇者リンクよ」


か細く残る余韻のような精霊の光から声がする。
ラネールもまた、少し力が弱まったものと窺えた。


「今なお闇の奥に沈む城に囚われし、姫のもとを訪れよ……その姫こそが、闇に取り込まれた姿を取り戻す鍵を知るものなり……」

『姫って……あのゼルダ姫か……?』


いつだったか、この世界の現状を俺に説いてくれた彼女。
あいつが姫様と呼び慕い、国中の誰もが知る、ハイラル王家の後継者。

光は蛍火のように柔らかく尾を引いて消えていった。
残るのはしとどと降り注ぐ雨音と、それに今にも掻き消されそうな呼吸音。


『……なぁミドナ、返事しろよ……』


答えがないと、エリシュカみたいに消えてしまうんじゃないかと怖くて、仕方無くなる。


「リ、ンク……、急げ……ゼルダのところへ……早く……」


呼吸の合間に掠れ掠れに聞こえる声が、一刻を争うことを俺に訴えかける。


『……ちゃんと掴まってろよ……!』


奥歯を噛み締めて、俺は涙の雨の中、強く強く駆け出した。








方々から聞こえる金切り声には耳も傾けず、俺は批難と恐怖の眼差しの中を掻い潜って城下町を疾走する。
夜更けの町並みは、怪しく街灯の炎に揺らめいて浮かび上がる。臆病者の多い此処では、化け物≠相手に立ち向かってくる人間も居ない。

噴水のある広場を抜けて、長い階段を一歩でも早くと駆け抜ける。
当然閉じられている城門を前に立つ門番が、俺を見るなり及び腰で槍を向けてきた。


「く、来るな化け物!」

『開けてくれよ、なぁ!相棒が死にそうなんだよ……ッ!』


そう呼び掛けたところで、人間の耳には獣の威嚇としか取られない。
歯噛みしながら、後ろ髪引かれる思いで引き返す。


この子は魔物じゃない、ただの狼よ!


エリシュカが居たら。

そんなこと、考えるだけ無駄なことなのかもしれない。
それでも思い出してしまうんだ。あいつが俺にしてくれたこと、俺があいつにしてやれなかったこと。

初めからこの姿に慣れたわけじゃなかった。
鋭い目付きに牙、黒く固い毛、容易にモノを切り裂ける爪。
人々に恐れ慄かれる存在であること。その孤独感、元に戻れないかもしれない不安。

数々の責務を背負わされ、奔走することで誤魔化していた心の弱さ。
何も言わずとも、あいつはそれを解し、安心する場所、帰る場所を与えてくれた。


俺、あいつに何をしてやれたかな。
独りで抱え込んで、寂しい思いをしていたはずなのに。気付くのが、もっと早かったら……


(……違う、前を向け!今俺に出来ることを果たせ!)


中途半端に悼んで、何もかもを放り出したら、それこそエリシュカが浮かばれない。あいつのことだから、自分のために悲しむ暇があるなら先に進めと笑うはずだ。

ミドナを救うんだ。
こいつは、きっと死なせてはいけない。
共に旅をしてきた仲間として、この世界を守るためにも。


だからエリシュカ、どうか俺を導いて。


(……そうだ、抜け道!)


以前カカリコ村で、テルマさんが城に通じる抜け道があると言っていた。
彼女ならもしかしたら……

来た道を引き返し、地下街にある酒場を目指す。
幸運にも半開きの扉から明かりが漏れている。俺は自分の格好も忘れて飛び込んだが、何故か入り口に立つゴロン族に弾き出されてしまった。


『ちくしょう!なんだってこんなときに!』


人間と口利きの出来ない今の姿を、これほど憎んだことはない。

店の前でずぶ濡れになりながら佇む。
考えを巡らせたところで、俺はエリシュカのようにこの町で顔が広いわけでもない。宛がなかった。


抜け道はあるんだ。
なら、探すしか……──


『ソンナ格好で人様の前に出ていったら、放り出されて当然ダヨ』


その時、不意に俺を呼び止める声がかかる。
人間のものとは違う響きのそれに周囲を窺っていると、建物上方の小窓から白い長毛の猫が降りてきた。


『君は……』

『アタイはルイーズ。前にテルマの店デ会ったコト、覚エテナイカイ?
アンタはリンクだネ……そのニオイ、間違いナイ。また病人を連れてるのカイ、物好きだネ』


目をすがめて俺の背を見やるルイーズ。
すると、今まで荒い呼吸で精一杯の様子だったミドナが、震える吐息と共に声を漏らした。


「……頼む……ゼルダ……姫に……」

『……フン』


ルイーズはそのふわふわと柔らかそうな毛並みを雨に濡らしながら、鼻先で今自分が出てきた小窓を指し示す。


『ホラ、アソコから入リナ。屋根裏が城の地下水路に繋がってるヨ……昔の水路ダカラ骨を折るダロウケド……マ、アトは人間に見つからナイよううまくやるんだネ』

『……ありがとう……!助かった!』


手近な場所にある木箱を寄せ、積み荷の上によじ登ると、ルイーズが毛並みを整えながらぽつりと鳴いた。


『エリシュカはもうずっとコノ店に来やシナカッタ……アノ子はアタイのお気に入りなのサ、マタ連れて来ておくれヨ』

『………そのうち、な』



この町は、あいつを亡くした今、俺を虚しさの渦に閉じ込めるもので溢れすぎている。



店の屋根裏は物置代わりに多くの壷や木箱が並べられていた。
忍び足で隙間を縫うように進む。耳をそばだてれば、テルマさんや彼女が仲間と呼ぶ人々の会話が聞こえてくる。


「街の中にまで化け物が入ってくるなんて……全く、ハイラルの兵士どもは何やってんだろうね!それに比べたら、ゴロンの兄ちゃんの方がよっぽど頼りになるよ」


「兵の指揮を取れる者がまるで居ないようですな……城の中には入れぬ上、姫もすっかり姿をお見せにならない。何かが起こっているのは間違いないでしょう」

「私が遠征から戻った折には、既に城が閉鎖されていた……平原にも、以前より凶暴な魔物が彷徨くようになっている」

「まったくだ。僕も方々の遺跡を回るのに一苦労さ……アッシュが護衛してくれなきゃ、僕なんかは命がいくつあっても足りないよ」


湖底の神殿を訪ねる際、矢や薬の補充のために立ち寄った城下町で出会った際の彼らは、警戒心を露にしたような態度でいた。
現在団らんで交わす言葉の端々には、その時のものとは違う緊張感が含まれているようだ。


「そうそう、以前ハイラル大橋にて旅人を襲っていた魔物、つい最近になって見なくなったと小耳に挟んだ」

「あぁ、アレはリンクが討ち取ってくれたのさ」

「リンク?女将、誰のことだ?それは」

「緑衣を身に纏った若い剣士さ。ゾーラの王子様をカカリコ村まで運ぶときに、護衛を任されてくれてねぇ、なかなかの男前だよ」

「なんだって!?それって、この間訪ねてきた彼のことじゃないか……ボク、からかっちゃったよ……今度会ったら謝らないと、仕返しでもされたらたまんないや」


眼鏡をかけた小洒落た服装の青年は、そう言いながら頭を抱えた。テルマさんは彼を励ますようにグラスに注いだ酒を出してやっている。
勇者風≠セとからかわれた自分の姿も、誰もが恐れ遠ざける獣の姿も、どっちの俺でも何も言わずにいてくれたあいつは、本当に稀少な感性の持ち主だったのだろう。

もう懐かしむことすら痛みになるのがつらい。
俺は盗み聞きも程々に、地下水路へとがむしゃらに駆け出した。






「そうだ、あの時はエリシュカも手伝ってくれてね」


その名前に、一同がテルマを見返した。


「……エリシュカって……あのエリシュカかい!?」

「そうか、見付かったのか……」

「あぁ。片田舎で仕立て屋として生活していたそうだよ……もっとも、今回の事態で飛んで帰ってきた様子だったけどね」


影の魔力も綻び解けた今、彼女の存在は元通り皆の記憶に戻っていた。
しかしその影響か、人々の内に色濃く印象を残し、誰もが平常では気にも留めなかった彼女のことを急に思い出していた。


「……それで、あの馬鹿は今どこに?」

「そうだね……ん?そういや、気付いたら私がカカリコを出るときには、もう居なくなってたねぇ」


艶のある黒髪を二つおさげに結い上げている、目付きの悪い女騎士は、厚みのある睫毛で影を作りながら眉を寄せた。
老人は顎髭を撫でつつ思案に耽り、また眼鏡の青年は強く拳を握りながら歯噛みして俯いた。


「私に何も言わず街を出たこと、まだ一つも文句を言ってやれていないというのに……」

「……ボクなんて、もう何年も顔を合わせてないよ」

「よせ……彼女もまた思い悩み、己と闘っていた……。それについては咎めないという話だったであろう」


蜂蜜酒に口をつけた青年は、しかしやりきれない表情でグラスを置いた。




***




トワイライトを全て晴らしたところで、一国を治める者の住まう城とは思えぬほど、城内はやはり魔物に支配されていた。
それをどうにか蹴散らし、石造りの螺旋階段を上った先で久しく入る孤塔。暗い其処にそびえるような扉をくぐるが、窓辺に人影はない。

限界だと言うように背から滑り落ちたミドナを前に、右往左往しかけた俺を制するような、白く細い腕。
背後に居たその人に、俺は懇願する。


『ゼルダ姫……!頼む、ミドナが……』


物言わぬまま、慈しむような眼差しでミドナの頬に手の甲を当てたあと、その手で彼女はミドナの小さく頼りない手をとった。


「……はぁ……っ、お願いだ……

コイツにかけられた呪いの解き方を……教えてくれ……」

『は……?』

「コイツは……アンタ達の世界を救うためには、絶対必要なヤツなんだよ……
だから姫さん、頼むよ……リンクを、助けてやってくれよ」


何言ってんだよ。
そんな身体で、ボロボロで、息をするのもやっとなくせに。
いつもの傲慢な女王様気取りはどうしたんだよ。
なんで、なんで俺のことなんか、おまえが頼み込んだりして。


唖然呆然とする俺を前に、ゼルダ姫の手のひらが翳される。
淡い光を放ちながら何かを探るように宛がわれるそれは、丁度俺の頭部に翳した時、最も光を強くした。


「これは、今までの影の魔力とは違う、何か邪悪なる力……現世(うつしよ)に闇を照らす光があるように、魔力にはそれを撃退する力が存在します」


ザントの影を支配する王の魔力≠ニやらが埋め込まれた頭部。

ミドナの力を借りて、村の仲間を探したりダンジョン攻略をしたりしていた俺。
窮地にはエリシュカの願いによって守られた。

神に選ばれし勇者?
俺には、なんの力もないよ。



「精霊フィローネが守りし地の奥にある、森の聖域に向かいなさい。
そこには、古の賢者達によって作られた退魔の剣マスターソード≠ェ眠っています」



でも、それでも誰かの力になれることがあるのなら。

俺にできる精一杯のことをしたいって、そう思うんだ。



だから頼むよ。

ちゃんと守らせてくれよ。


失くし物は、もう十分だ。





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