きみのなをよぶ




「来るぞ!」

「あぁ!」



さっきまでの仲間割れは何処へやら、俺達はついに辿り着いたボス部屋にて最後の影の結晶石──覚醒多触類・オクタイールを相手取り戦っていた。

最初こそただの磯巾着お化けかと思ったものの、その全貌を明らかにした今、この広大な水槽を模したフィールドの訳がよく理解できる。
頭の先が触手と細かい牙に縁取られた巨大な口をしているそれは、甲殻類のような固い鱗を持つ巨躯な魚だったのだ。

大きく全身をうねらせるようにして遊泳している奴は、海草の隙間を縫うように泳ぎ回って石柱をいくつか薙ぎ倒していく。水中特有の優雅な移動姿だが、そのスピードによる威力は見ての通りだ。

崩壊した石柱が沈んでくるのをうまく避けながら様子を見ていると、尾ひれの水圧に打ち付けられるようにして部屋の上方へと巻き上げられてしまった。


「!」


巻き上げられた勢いで腰ポーチから、あの若草色のハンカチが抜け出る。
それをまるで海中のプランクトンが如く、水と一緒くたにしてオクタイールの口腔が吸い込んでしまった。


「……ッのヤロウ、」

「……燃えるのは一向に構わねーが、迂闊に近付けばあの尾ひれでブッ叩かれるか、パックリ喰われておしまいだ。慎重に行けよ」

「ホント魚なのか磯巾着なのかどっちかにしろよ……まぁ問題ないさ、こっちにはコレがある」


先ほどの第一形態によって、眼球が弱点であることは分かっている。その目玉の位置を確認し、直接叩かんとして、俺は左腕にクローショットを装備していた。


「今だ!」


オクタイールのやや後方から狙いを定め、程よい距離感になったところでミドナが合図する。鋼の爪が敵の背を目掛けて射出された。鎖が真っ直ぐ伸び、音を立てる。
鉤爪がしっかりと鱗の隙間に引っ掛かり、そのまま鎖を巻き込む速度でオクタイールの背に接近する最中、しかし彼の大魚は大きく身をくねらせて俺を振りほどかんと暴れ始めた。

水圧でひどく横振りされ、例え水中でも呼吸のできるゾーラの服を着ていたとしても息苦しくなる。


「おい、一旦離れろ!コイツ自分ごとオマエを壁に叩き付けるつもりだ!!」


ミドナの忠告通り、オクタイールは方向転換をして壁に沿うように泳ぎ始めた。ごりごりと頭部から身体で石壁を削り、かろうじて引っ掛かる俺は勢い良く引っ張られていく。

この間合いまで詰めてしまった以上、いま手を離せばあわやと躍り出た口腔に吸い込まれておじゃんになる。俺は考えを巡らせたのち、くぐもった声音でミドナに叫ぶ。


「ミドナ!!アイアンブーツ!!」


一瞬迷ったミドナだが、彼女の魔力で粒子にし持ち運んでいた鋼鉄の靴が即座に実体化し、俺の足先を重たくした。
すると捻らせたオクタイールの身体を軸にするように旋回し、巻き付いた鎖でなんとかその固い表皮で覆われた背筋に着地した。

再び壁から身を離し、もんどり打つように泳ぎ回る背にしがみつきながら、徐々に眼球の覗く脊柱辺りへと這い寄る。じっと俺を睨め付けるような眼差しにぐ、とこちらも睨み返しながら、漸く到達する。


(これで終わりだ!!)


怯えるように四方八方を見やり震える眼球に向けて、両の手で握りこんだ剣を垂直に突き立てた。










「ったく、無茶な真似しやがって……」

「倒せたんだから良いだろ?」



もうぴくりともしない大魚は、痛みに苦しみ悶えたのち強固な石壁に正面から突っ込み、絶命した。その衝撃でヒビの入った石壁から部屋中の水が抜けてしまい、今では美しい白砂が床一面に広がる巨大なホールと化している。
俺はブーツを脱いだ軽い足で魔物の死骸に駆け寄った。暫くと経たぬうちに、亡骸は頭部から爆散し黒い塵となる。

口元に宛がわれた黒衣を下ろし、塵が寄り集まって結晶化し出すのを見届けると、俺は膝をつき化け物の居た場所の砂を掻き分け始める。


「……っ、あった」


砂ぼこりを落としてやって、赤い糸で刻まれた自分の名前を指先でなぞった。
どういった経緯で入手したかも分からない、ぼろ切れのようなハンカチを見付けて、ほぅと安堵の息をつく。けれど確かに、これを無くしてはいけないと心の何処かが感じていた。


膝を折って座り込んだ状態から振り仰ぐと、ミドナが歓喜を滲ませた面持ちで、目前に現れたそれを夕焼け色の手のひらで掴み取った。


「でかした!……最後の影の結晶石、約束通り……────」



その時強く脈打ったのは、心の臓かはたまた脳髄か。

蓋をしていた記憶が溢れ出すように、様々な情景が眼裏を駆け巡る。




あんたには助けられてばっかり。
ごめんね、リンク



リンク、もう一度着て見せてよ


もう、リンクの服なんて、直してやらないって……本当に思ったの



リンク!


いってらっしゃい。……気をつけて





「…………間に、合わなかった」



ミドナのその言葉が、何を意味するのか。
考えずとも分かる答え。理解したくない解答。


立ち上がり、手元のハンカチを今一度確かめるように指の腹で撫でて……強く握りしめた。



「……なんで、なんでだよ」



いっそ忘れたままのほうが、幸せだった?


「…………結晶石が揃った今、真珠に込められたアイツの気持ちが手に取るように分かるよ」


ミドナは己の小さな手のひらを見つめながらそう呟いて、不器用なから笑いを浮かべる。


「アイツ、本当はちっとも信じちゃいなかったんだ。現実主義、望みは自分の手で叶えるって性分だったのさ……だから、こんなにも影の力の綻びが早い。忘れさせる気なんて、これっぽっちもありゃしないじゃないか」


記憶と共に流れ込んでくる感情。嫌悪、羨望、尊敬、親近感、同情……様々な思いが巡る中、俺の心の内を支配するのは、塩水のような寂しさだった。

話を、聞いてやるって。
これからは、俺があいつの心を開けるように、寄り添うように、隣にいようって。
あいつのこと、もっとちゃんと知りたいって、やっと思えたばかりだったのに。


「………エリシュカ……ッ」



漸く思い出した名前を紡いだところで、返事などありはしなかった。





「アイツには、悪いことをしたな」


聞いたこともない、ミドナの潮らしい声。
俺は顔を上げることも出来ず、奥歯を軋むほど噛み締めながらただハンカチを見つめる。


「ワタシの目的はこれでおしまいだ。……今まで連れ回して、悪かったな……」

「……良いよ、今さら。気にすんなよ……おまえらしくもない」


辛うじてそう応えれば、ミドナはその手をしっかと握り、震えたような声音を張り上げた。


「ワタシが、ザントを倒してみせる……!」

「……あの、影の王をか?」

「あぁそうさ!奴の魔力は偽りのもの……ワタシが証明してやる。アイツの残した力を、あんなやつに渡しはしない……!」


ミドナは指先を白砂へ向けると、ポータルを開いてそっと微笑んだ。


「エリシュカはよく知りもしないワタシのことを、イイヤツだと言ったんだ……応えてやらなくちゃな」


俺は、その言葉にゆっくりと頷き、ポータルへと向かって足を踏み出した。



───────………



身体中の細胞が寄り集まって、肉体を構築していく。
すっかり澄んだ綺麗な色を映している泉を見下ろして、俺は水鏡にあいつが写っていないことに胸を痛めていた。

力の恐ろしさをまざまざと見せ付けられて、怖じ気付いた俺を支えて引っ張ってくれたのも、エリシュカだったな……


泉がほんのりと光を強めると、精霊ラネールが厳かな声色で囁く。


「──……鍵≠ヘ器を手に入れた……」

「……お前達が……お前達が!そんな物騒なモン作らなかったら!!……あいつは死ななくて済んだのに……、家族を亡くしたりしなかったかもしれないのに!!」


俺は憎悪を剥き出しにして精霊へと怒号する。
ミドナの牽制も目に入らぬほどの剣幕で歯茎を見せ叫び続ける俺に、精霊はしかし声色を変えないまま続けた。


「あれは本来、人の手の届かぬ場所にあるべきもの。力が作用するならば、所詮欲に溢れた人間だったということ」

「ふざけんなよ……!誰かの無事を願ったり、誰かのためを思って祈ることすら罪だとでも……っ?!」


やりきれない。エリシュカの命は、何だったというんだろう。



「その答え、私が教えよう」



頭にまで上っていた血が、一気に底冷えしていくようだった。
涙で滲んだ視界は突如クリアになり、背筋を這い上がる寒気に思わず振り返る。

奇妙な仮面を被り、漆黒の外蓑に身を包んだ何者かは、不快感を煽るような怪音を響かせながら不気味な雰囲気を纏って其処に居た。
決して大柄でもないのに、ゴロン鉱山で対峙したマグドフレイモスの時以上の威圧感。……いや、どのボスとも違う。それは種類の異なるもの……ひたすらに感じるのは、恐怖。それだけだった。


硬直したまま動けない俺に代わるようにしてミドナがその名を叫んだ。


「……ザント……!」


影の王。光の世界をも支配せんと企てる者。俺は知らなかったが、きっとエリシュカのことも付け狙っていたに違いない。

こいつが───……


言葉を無くし愕然とする俺の背後で、大きく水しぶきを上げながら姿を見せたのは、実体化した光纏いし大蛇ラネール。聖域を侵さんと現れたザントを退けようとしているのだろう、神聖な者の殺気も相俟り、ひどく殺伐とした空気が貼り詰める。

固唾を呑んだ刹那、


「っ、うぁぁぁああああああ!!!!」


「リンク!!」

何もしていない=B指一本動かすことなく、だが確かにザントは全身から有り余る魔力を放出し、その濁流のような圧力でもってして俺もろともラネールを吹き飛ばした。

衝撃で薄らぐ意識。紙一重のところで保ち続ければ、瞼を閉じた暗闇にも奴の声が響いてきた。


「脆弱なものよ……光の世界の者は、守られ過ぎた。力に飲み込まれるのは弱者の証……それだけのことだ」


窮屈な不快感が全身を襲う。草の匂いが近い……俺は、また獣の姿に変わっているのだろうか。
ふうわりと漂う気配はミドナのもの。しかし直ぐに彼女の存在は遠退き、苦しそうな呻き声が獣の鋭敏な耳に届く。


「ッく、くそっ!返せ……ッ!!」

「このような古き魔力で私に抗おうとは……何故そうまでして王に逆らう」

「一族の魔力を利用しているだけのオマエが、我々の王だと?笑わせるな!!」


叩き付けられ、地べたで踞る小人の姿がうっすらと見えた。

嗚呼、相棒を助けてやらねば。


「面白い。ならば見せてやろう……我が神より授かりし、影を支配する王の魔力を」


渾身の力で瞼を開き、強く後ろ足を蹴って飛び込んだ。

しかし禍々しい色彩を放つ珠玉は打ち砕けぬまま、俺は跳ね返され、地に倒れ伏してしまう。


「リンク、リンク!しっかりしろ!」

「愚かな影の反逆者、ミドナよ。忘れたのか?その獣は我々を虐げた光の世界の者……今のままでは交われぬまま。
この世界を手に入れ、我々一族が光の者を凌駕する!……今こそ影の復活の刻なのだ。

だから、私はお前が欲しい」

「……ふざけるな……


ワタシは、ワタシだけはオマエになど、絶対屈しない!」


脈打つ痛みはやがて消え、眩むような視界で見上げた其処には、磔にされたような格好の相棒。
俺はなす術もなく、ただ見ているしか出来なかったんだ。



「そうか。ならば望み通り戻してやろう、お前の望む光の世界に!」



目映い光が満ち溢れ、ラネールの咆哮が響き渡ると……俺達は意識を失い、白の粒子になって霧散した。






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