やさしいあなたへ




なぁ、どうして俺がおまえをこんなにも愛おしいと感じると思う?


そうだ、おまえの言う通り、この肉体は、細胞は、隅から隅までおまえの心を纏って出来ている。
でもなエリシュカ。いまの俺は、もうおまえのものじゃない。
隅から隅まで真っ黒な焔に焼かれてしまった俺は、おまえのくれた温もりも優しさも、何処かに忘れてきてしまったよ。


母を求めるように伸ばしたはずの手には、彼女自身をも焼き尽くさんとする黒炎が宿る。

嗚呼、嗚呼、違うんだ。
本当の俺はここにいる。
いつだって、おまえのことを想っている。


だから、諦めるなよ。

おまえはけっして一人きりじゃないんだ。
どうか、孤独に身を焦がしておまえの泣くことのないように。


おまえが望むならば、俺はずっと傍にいよう。
何と言ったって、俺はおまえの心が生んだ存在なのだから。









「ハハッ、流石は産みの親か」


鋭い眼光には狂気と歪んだ悦びだけが浮かんでいる。

ギリギリと締め上げてくる手のひらの力に情け容赦は一切無かった。短剣に手を伸ばす間もなく、体に力が入らなくなる。


「確かに俺はもう、お前の知る俺じゃあない。あのお方の力の恩恵を受けたただの魔物さ」

「……っ、ぐ……ぅ……!」

「お前が望んだ家族≠ヘもういない。俺の内で焼き殺した!燻る血潮と魂を好む正真正銘の魔物だよ!生憎お前がくれた影の力はこの体によく溶け馴染んでいたから、力は増幅するばかりだがな」


段々と酸欠で意識が朦朧としてくるのを感じながら、口角をつりあげて嘲笑する彼を見上げた。

そのまま横に放られて、無抵抗の体は石橋に打ち付けられた衝撃で数回弾み、転がっていく。
噎せ込みながら膝をつき、なんとか体を起こしていると、しゅらりと剣を抜く洗練された音が耳に届いた。


「影の真珠は精霊の他に王≠フ手にしか触れられない。王の証は3つ揃えられた影の結晶石……ならば、何故お前の父は幼いお前にその鍵を託せたのだと思う?」


魔を退ける、精霊の加護を授かった古き大いなる力。
シャドウの手にも、ミドナさえも触れることの出来なかったこの力を、私はどうやって受け取ったのだったか。


祈りを捧げて、希望を胸に抱くんだ。神は必ず応えてくれる



「一説には、所有者の命絶えたとき、鍵はより強き者を次なる拠り所に選ぶと言う。……試してみるか?」



希望なんてもう抱くことも不毛だと思っていたけど……そうだなぁ、最後まで人間らしく生きてからでも、死ぬのは遅くないかな。


「いま思い出したわ。次に会ったら決闘、って約束だったわね」


私が死んだあと、この力がどうなろうと別に構わなかった。けれど、彼には──影の王に繋がる者には渡してはいけないことだけは、私でもわかる。
この世界を脅かす者に力を委ねるほど、私はバカじゃない。姫様が、子供たちが、……あいつがいるこの世界をめちゃくちゃにするような奴は、御免被るに決まってる。


「いざ、尋常に勝負」


パパが最後、どんな気持ちで戦場に向かったのか、今なら分かる気がするよ。




***




「ッくそ!!」

「だから言っただろ、こっちの道は──」

「うるせェな!言われなくても分かってる!!」


湖底の神殿はその性質上、上下に階層が広がり、また仕掛けも多く一筋縄ではいかない仕組みになっていた。
先程化け物ガエルを倒し手に入れたクローショットをもってしても、ダンジョン攻略はそう容易に進まない。中央フロアの稼働式階段を幾度も動かしながら、似たような景色の神殿内を行ったり来たり。最初こそ感動していた豪奢な造りの室内も、徐々に疲労と苛立ちが募るにつれてただただ眩しいだけで煩わしく感じる。

目的の部屋になかなか辿り着けないことで蓄積されていく正体不明の焦燥感からか、そう思わず八つ当たりに怒声を上げれば、ミドナもまた不機嫌そうに顔を歪めて肩を怒らせた。


「……あのなぁ!何をムカついてんだか知らねーが、さっきから迷いっぱなしなんだよオマエは!効率悪いにも程がある!」

「だから分かってるって……!」

「大体何を必要以上に焦ってんだよ、もっと冷静になりやがれ!」

「焦らずにいられるかよ!」


わだかまりの様だった喪失感は、やがて時間が経つにつれて恐ろしく肥大した不安感に姿を変えた。
意志の中継点がまるで空っぽで、俺はどうして此処にいるのか、何故力を追い求めているのかがさっぱり分からない。進む先に待つ力がどれほど強大なものか、それだけを知っている自分が怖くて仕方ない。


「そもそも俺は、村の仲間を探すことの引き換えにおまえの結晶石探しを手伝っていたはずだ!形はどうあれ、全員見つかった今、俺とおまえの協定は此処までのはずじゃないのか」

「オマエはワタシの話の何を聞いていやがった!このままザント──影の王だと宣う奴をのさばらせておけば、また悲劇は繰り返される……光の世界が奴に支配されれば、オマエの大事なモノはまた危険に晒されるんだぞ!」

「だからといっておまえと行動を共にする理由にはならない!ミドナだって影の者じゃねぇか、おまえに力を渡していいという理由にはならねぇ!

いつ裏切るかも分からないのに!」


そこまで激しく捲し立てたあと、ミドナの見開かれた夕焼け色の瞳を見た俺は、ハッと我に返って息を止めた。

言い知れぬ不安でいっぱいいっぱいになっていたとはいえ……数々の苦難、死線を共に掻い潜ってきた相棒に向ける言葉ではなかった。


「……悪い、言い過ぎた」


ばつが悪そうに俯いてぼそりと口にすれば、ミドナもまた視線を合わせることなく俺に背を向け、項垂れた。


「……いや、オマエの言い分ももっともだな。ろくに自分の話もせずに信用しろなんて、虫のいい話だ」


実体をとれない影の姿は、向こうが透けて見える亡霊のような出で立ち。
それは俺達の相容れることのない存在の違いを知らしめるようで。

しかしミドナは確固たる意志を宿したその燃ゆるような眼差しでもってして、俺を射抜く。


「なぁ?ワタシのことは信じなくてもいいんだ……だから、手伝ってくれよ。これっきりでいいから」


宙に浮きながら膝を抱え、背を丸めてミドナは続ける。


「正直、オマエが焦る気持ち、ワタシにも分かるんだ。何故かは分からない……でも、最後の結晶石を手に入れられれば、この不安の正体も何か分かる気がするんだよ」


返答の言葉に迷って、小人の背から目を逸らしたとき。
稼働式階段の斜面を流れ落ちる水が鏡になって、俺の全身を写し出している。其処で、腰元のポーチから何かがはみ出していることに気付いた。

取り出してみれば、入れた覚えのない若草色のハンカチだった。見るからに継ぎ接ぎのみすぼらしいそれは、ハッキリ言って布切れと形容されてもおかしくない。
しかしボロボロの端々は丁寧に繕われており、右下には赤い糸で俺の名前が刺繍されていた。


「……そうだな」


忘れてはならない何かを──誰か≠、思い出すためにも。
こんな場所で地団駄を踏んでいる場合じゃない。


「進もう。地図は任せたぞ」


俺を振り返り、驚いた表情から一変してニッと口端を上げたミドナが言った。


「偉そうに言うなよ、迷子勇者サン!」




***




嗚呼、綺麗な黄昏の空だ。


「勝負あったな」


ひゅう、と掠れた息を吐く喉に突き付けられた切っ先。
生身のみでの戦いも、こんなに力量に差が出るとは。宮仕えを辞めてからというもの、毎朝の立ち稽古は怠ったことなどないというのに。案外、簡単に鈍るものだな。

それに、もう指先から何まで感覚がない。影の真珠の侵食が全身に回りきったようだ。思った通りに身体が動かないのはそのせいもあるだろう。


「はは……っ、これでも、腕には自信あったんだけどな……姫様にも、負けないくらい……」

「俺はお前に負けなかった。それだけの話だ」


リンクを模した姿で、冷徹な瞳を向けられるのは些か胸が苦しい。
嗚呼、その灰白の髪も、宝石のような朱を塗り込めた眼も、私の知る彩りのままだというのに。中身はすっかり変わり果ててしまったというの。


「……ねぇ、シャドウ」

「……」


返事はなく、ただ冷たく見下ろしてくる彼。
それでも私は、くちびるを緩めたまま続ける。


「私ね、ずっとパパが生きて帰ってきますように≠チて願ってた。骨もないあの人のことだから、きっとひょっこり帰ってきてくれるって思ったの。
でもね、子供心に分かってた……パパはもう居ない。死んだ人は生き返らない。諦めきれなくて、もしかしたらってうっすら願い続けて、もう何年目かなぁ。そうしたら……あなたが現れた」

「……お前の願いは具現化された」

「そうね……パパみたいな中身のあいつそっくりな姿で、でも中身はちっとも似てなくて……取っ付きにくいし助平だったけど、やっぱりあんたは一緒にいて落ち着く、確かな私の家族≠セった……」


ママも亡くして一人ぼっちになった私は、ずっと思い焦がれたパパの姿をリンクに重ねてた。だから願いは姿形を持ってついに叶った。私の寿命のほとんどを吸い尽くして。


「私、シャドウに出会えて良かったと思ってるの」

「…………」

「偽物だ、代用品だってシャドウは言うけど……私はあなたをあなたとして好きだと思う。一緒に居られて良かった、楽しかった……
ずっと吐き出せなかった気持ちも、聞いてくれてありがとう……泣いていいって抱きしめてくれたこと、心底嬉しかった」

「……俺は所詮作り物の紛い物。その言葉も、俺同様空っぽなものだったとしたら?」

「そんなはずないわよ、だってシャドウは触れたらあったかいの。心臓の音はするし、しつこく愛を囁くくらいには私に首ったけでいてくれたのよ」


仰向けに寝転がる私を跨ぐように膝をついた彼。首筋に添え直された剣に写る自分の顔は、もう右半分を残して黒く炭のような肌に変わり、影の者へと変貌していた。


これが最期だ。
夕陽に照らし出され透けるように輝く彼と、その背景の黄昏色をしっかりと目に焼き付け、瞼を閉じる。



「……誰もが忘れたはずの私のこと、ちゃんと追いかけてきて、看取ってくれるんだもの。私の大好きなシャドウなら、……任せて逝っても、いいよね」



見えたんだ。その朱の奥に、まだ残る温もりの色が。

だからきっと大丈夫。たとえこの力を彼が手にしても、悪用なんてしないだろう。



身体が端から崩れていく感触。
ぼろぼろと紐解くように崩れて、紙片のようにバラけて、塵になって消えていく。心の臓まで根深く刺さった古石に吸い込まれて、おぼろ気に溶けてなくなっていく。

彼の中に何も残すことなく消えてしまうのは少し寂しいけど、それでも、きっとこれがハッピーエンドへの道しるべになるだろうから。



「……シャドウ。大好き……って、あいつにも伝えておいてね」



冗談めかして最後に口元を綻ばせてみせれば、呆れたように息をつく音がした。



「自分の口で言え、大馬鹿者」





私≠ニいう残滓を全て飲み込んだ影の真珠が、ことりと音を立てて石畳に転がった。





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