さよならはいわないで
その日、俺は昼を寝て過ごした。
一晩かけてゾーラの王子を城下町からカカリコ村まで運び、レナードさんの治療が一息つくまで待っていたら朝方になってしまったのだ、さすがにこのまま再度旅に出るほど俺も無謀じゃない。
何故か素っ気なく戻ってしまったエリシュカも、体を休めろとそこだけは厳しく俺に言う。……いや違うな、以前素っ気なかったのは彼女でなく俺のほうだから、少し対応に困っているのが現状だ。
本当なら仮眠程度に休んだらすぐ発つ予定だったのを、エリシュカに引き留められてまる一日休んでしまった。
夜にはガキ達と揃って食事をし、軽く剣の稽古をしてからミドナと今後の行き先を相談して、また眠りについた。
太陽もだいぶ昇った頃に目が覚めた俺は、旅支度を済ませ挨拶も程々に村を出ようとして、宿場の二階のベランダで洗濯物を干しているあいつを見つけるなり声をかけた。
「エリシュカ!」
「……何よ」
「……行ってくる」
緩く手を振って笑いかけても、彼女の表情に笑顔は戻らない。
理由はわからないけど、怒っている様子ではないからどうしようもないんだ。
少し寂しく思いながらも、早いところ彼女のためにも影の結晶石を手に入れなければならないと踵を返し、待たせていたエポナに跨がった。
「リンク!」
不意を突いたように呼ぶ声。
首だけ振り仰ぎ見てみれば、彼女が干したシーツの影からそっと顔を覗かせた。
「……いってらっしゃい。……気をつけて」
逡巡しながらもそう言ってくれたことが嬉しくて。
手綱を握る手のひらに力を込めながら、俺は力強く頷いて、エポナを走らせた。
─────……
「あぁもう」
自室と化している宿の部屋で落ち着きなく辺りを歩き回った後に、机上の裁縫道具やら何やらを手に取っては置いて、しまいには髪をひたすらに手で鋤きながらベッドに腰をかけてため息をついた。
「どうしてこう、うまくいかないのかしら」
ずっと頭を悩ませているのは、他でもないあのとんちんかん勇者。
散々ツンケンしてきたくせに、ちょっと事情を共有するようになった途端なついてくるし、私のために、私のためにって呆れるわ。
一番とんちんかんなのは私だろうけど。
袖を捲れば、赤黒い痣が紋様となって腕を彩る。
刻限は確かに迫っているというのに、何をヒヨってんだか。
失うのが怖いから、もう大切なひとは作らないと決めた。
だから村の人とも淡白に付き合ったし、昔からの友人とは町を出ることで距離を置いた。
なのに。
「…………」
私、もうすぐ死ぬのよ。
なんとなく分かっている。きっとリンクは間に合わない。
彼が影の結晶石に辿り着く前に、私の意思は影の真珠に飲み込まれてきれいさっぱり無くなってしまうのだ。
鼓動が脈打ち、血液が体を巡る度に感じる。痣が疼けば疼くほど、私の意識は朦朧とし始める。
真珠は鍵。光の精霊達によって作られた、古き大いなる力を封じるためのもの。
私の体を乗っ取った真珠はまず始めに、影の結晶石を揃えたリンクとミドナに襲い掛かるだろう。私自身に呼び掛ける黒い渦のような力が、そう囁くのだ。
きっと正義感の強くて、そのくせお人好しなあいつは私を倒してひどく後悔するのだろう。
私を救えなかったのは自分のせいだと、背負わなくていい責任感で押し潰されてしまうに違いない。傍で見ていて分かるんだ、空元気で取り繕ってはいるけど、イリアのことや精霊ラネールの揺さぶりによってかなり参っているって。
私はもうすぐ死に逝く者。だから優しい言葉なんてかけられない。あいつの心に残るような大切であってはいけない。
この際、私が思いを遂げられぬまま死ぬのは構わない。ただの自業自得だから。
だけど、私を、……私なんかを少しでも気にかけてくれるひとを傷付けたままいなくなるのは、嫌だなぁ。
最後に交わした言葉は、なんの変哲もないただの見送りの挨拶だったけど。
これでも、精一杯の感謝を込めたつもりなのよ。
彼をわざと引き留めて、どうしたって刻限に間に合わないよう仕向けたのは、いっそこのまま終わってしまうことに安堵してもいたから。
色々なことを抱えて生きるのに疲れてしまった。誰もいない家に帰るのが怖かった。大好きな家族を思い返せば罪の意識に苛まれる。何一つ救いがない、と感じてしまうちっぽけな自分を、終わらせてしまいたかった。
たくさんのひとに出会って大切なものができれば、いつかは吹っ切れる。ママは言った。
でも私はそんなに強くない。見栄っ張りで、根は昔の臆病なまま。この痛みを忘れて前に進むなんて、到底できっこない。
だから村であいつが頑として私を受け入れまいと反発してくれて、ホッとしていた。
私の中に踏み込もうとしない存在。私のために、私のせいで傷つくはずのない存在。安心して、だからもたれ掛かった。迷惑をかけているとは思いつつも、あしらってくれることが嬉しかった。
だから少しずつ優しくなる彼が怖かった。本当の意味で安心して、心を預けてしまいそうになるのがつらかった。
背負い込まずに打ち明けろなんて殺し文句、私には毒が強すぎる。
同情を引きたかったわけじゃない。優しくしてほしかったわけでも、罪を肩代わりしてもらうつもりでもなかった。
けれど打ち明けてしまった。こんな私を受け入れてくれる拠り所を、求めてしまったが最後、彼に余計な情報と感情を与えてしまった。
我ながら馬鹿なことをした。彼はなにも悪くないのに。
これっきりで姿を消すなんて、都合がいいにも程があるのは分かってる。けど、他に言い訳をしたって何も変わらない。
だからせめても、と私は胸元に埋め込まれたそれに触れながら唱える。
彼が私を忘れますように。
彼だけじゃない、誰もが私のために傷つくことのないように。全部忘れて、明日も笑顔でいてくれるように。
すっかり忘れた彼が私をズッパリ切り裂いて手に入れた鍵で、影の力を使うならそれも良し。彼の力になれるなら、それこそ死して尚本望だ。
ぼんやりと心の整理をつけた私は、腕の痣がほんのり光を放ったことで、願いが届いたことを確信する。
リンクは今頃、私のことなど忘れて己が目的のため奮闘しているに違いない。
さてと、見知らぬ人間がいつまでも宿に居たら怪しまれて色々詮索されちゃうわね。
簡単に荷物をまとめると、私はローブで姿を隠しそっと窓から抜け出た。
北の平原を馬で駆ける。
借りた馬を返さなければ。……そのためには城下に出なくちゃいけないんだけどね。
リンクも北の平原からハイリア湖へ向かったのだけど、きっと記憶を失ってる彼が私を見つけたところで何とも思わないでしょう。
死んだ者の魂は、何処へ行くのだろう。
そっちは怖くない場所かな、パパ、ママ。
私ももうすぐ逝くから。そしたら、やっと家族皆で一緒だね。
***
ふつりと、自分の中で何かが喪失したのを感じた。
「………?」
「なんだよ、急にヘンな顔しやがって」
「いや、……なんでもない」
何故一目散にハイリア湖を目指していたのか。確かに影の結晶石をいち早く手にすべきだとは考えていたけれど……その理由が思い出せない。
そもそも、俺はいつの間にミドナを信用した?こいつに力を渡していいものかと、少しも迷わなかったはずがないのに。
「……なぁミドナ、なんでおまえ……」
「ん?」
「…………」
言葉が続かない。
違うんだ。ミドナが力を欲しているのは、影の王ザントを倒すため。この世界を奴の手から救うため。
俺もそれに賛同した。大切なものを守るために、必要なことだと感じたから。改めて彼女の目的ではなく、俺の意志として再認識した。だから前に進もうと思えた。
……はずなのに。
何かが欠けている。
「何を困惑してんだか知らねぇが、早いとこ結晶石を取りに行くぞ!」
「……あぁ、」
欠落した自身の中、それでも何処か逸る気持ちは押さえられないまま、エポナを今一度走らせた。
湖底にある神殿は、それが水底にあるものだということを忘れさせるくらいには、光を取り込んだ空間として広がっていた。
身に付けたゾーラの服も段々馴染んできたところで、口元の黒衣をおろし深く息を吸い込む。
思わず感嘆の息を漏らして辺りを見回してしまう。
「森の神殿とはまた違う赴きだけど、此処もすげぇな」
貧相な表現力を露呈したところでミドナに鼻で笑われただけだったけど、それほどに豪奢な造りをしていた。
発光する貝や珊瑚で作られたシャンデリア、滴る水のような鍾乳石。タイル張りに見える床は、おそらく埋積された色とりどりの貝の死骸だろうか。
「こんな眩しい建物の中、俺初めて入るよ」
「ハッ!台詞から田舎育ちが丸出しだな〜?」
「う、うるせぇ」
ふと、俺もミドナも顔を見合わせた。
「……?」
「……」
お互いに気付く違和感。
何かが足りないような気がする。
「……ミドナって都会育ち、だったか?」
「阿呆、こっちとあっちの世界を一緒にすんな」
そういえばミドナのことは良く知らないな。ふとした疑問からそんなことを実感する。俺、本当にどうしてミドナを信用出来たんだろう。
ミドナもやや納得いっていないような面持ちで、するりと影の中に戻ってしまう。
先を急ぐ途中、魔物と剣を交えれば誰かの背中がフラッシュバックする。
仕掛けを動かし、流れる水に身を任せ回廊を滑り降りれば、幻聴か、悲鳴が木霊する。
何か、大切なことを忘れてはいないか。
徐々に影の結晶石に近づくごとに、欠落した何かは存在感を増していく。
「なぁミドナ、影の結晶石の力は、影の真珠がないと使えないんだろう?」
「あぁ、」
「……なら、」
真珠は、いま何処に?
いいから前を見て進め、とミドナではない誰かに急かされたような気がした。
***
厩舎の知り合いだった≠ィじさんは、私が馬を連れて戻ると目を丸くしていた。
まるで馬泥棒自ら馬を返しに来たみたいな顔をして。私に昔のよしみで馬を貸したこともすっかり忘れているようだった。
城下町西通りの、いくらか人通りの少ない其処に私の家は、……店はある。
私情により暫く閉店、の看板が懐かしい。ママの細く柔らかい字が好きだった。
やや曇ったガラス窓の向こうには、代々使われていたという古いミシン。機織りに、仕舞い込まれた絨毯や衣服などの商品が並んで見える。
私の代で途絶えさせてしまうのが惜しいけど、もう此処には帰らないって決めたんだ。
瞼を閉じれば、規則正しく布を織る音が聞こえてくるようだった。ママの機織りを踏むリズムが、幼い私の子守唄だったね。
仲間が居るだろう酒場には近付かず、そのまま噴水広場を突っ切って東門から町を出た。
遠退いた喧騒と、世話になった人が大勢集まる城を一瞥してから、私は徒歩で平原を行く宛も無いままに進む。
誰にも見つからない場所で死にたい。ここからずうっと東にある砂漠にでも行こうかな。
ハイラル大橋から見下ろす湖は、相変わらず美しくて恐ろしい。
遠目に見える乾いた地を眺めやって、私はもう顔も思い出せない父を思った。
「やれやれ、男との約束をすっぽかすとは……これだからお転婆娘は」
ふわりと背後に顕現した黒い気配に眉ひとつ動かさぬまま、私はほくそ笑む。
「あんたに命令はしても、あんたの言うことを聞くつもりは毛頭ないわ。だってシャドウ、あなたは私の願いから生まれた存在でしょう?」
以前彼の中に影の力で雷撃を通した時、違和感があった。
彼という固体ではなく、……そう、まるで私の編み出す糸を束ねた其処に電流を流すように、手応えがなかったのだ。
しかし違和感はそれだけではなかった。
「……でも、あなたは私のシャドウじゃない」
醸し出す雰囲気は、感じ慣れぬもの。
振り返ると、黒い陽炎を纏った腕が、私の喉へと伸びていた。
[ 20/71 ][*prev] [next#]
back