きづいてはいけない
ガラガラガラ、荷馬車を引く音が闇夜の平原に響き渡る。
漸く見えてきたカカリコ村に繋がる門に、一同がやや安堵したような面持ちになった。
「よし、ここまで来れば大丈夫ね」
背後を振り返りながら微笑うエリシュカに、テルマはいいやと頭を振る。
「手当てが終わるまで安心は出来ないよ」
それもそうね、と一層表情を引き締めたエリシュカが返事をした。
一同はまた馬を走らせ、村の中へと駆けて行った。
「大事に至らなくて本当に良かったわ」
粗方治療を済ませたレナードの話を聞いてから、エリシュカはゾーラ族の王子ラルスの様子を見に寝室に踏み込んでいた。
苦しそうだった呼吸もいくらか落ち着いて、表情も何処か和らいでいる。傍らで未だ見守っているイリアに声をかければ、少しホッとしたように薄く微笑んだ。
「はい、あの……ありがとうございました」
「いいのいいの、気にしないで」
「お名前は……?」
「エリシュカよ」
明るく返してやれば、彼女はまたありがとうございます、と感謝を述べた後、至極申し訳なさそうに眉間に皺を寄せて視線を下げた。
「……もしかして、私のお知り合い……だったんでしょうか」
「ん?」
「ごめんなさい……私、何も覚えてなくて」
思い出せないことに罪悪を覚えているらしい彼女の姿に、エリシュカは一瞬寂しそうに目を細めてから彼女の頭をそっと撫でた。
「焦ることないわ。ゆっくり時間をかけて、それでもダメならそれはそれで気にすることないのよ」
「でも……」
「思い出なんて後にも先にも、作れば作るだけ溢れて忘れてしまうものよ。だったら、忘れてしまったぶんまた思い出を作ればいいの」
軽く抱き寄せた細い肩に手を添えながら、エリシュカは瞼を閉じた。
「あなたが無事で何よりよ」
イリアはまたごめんなさい、と呟いても尚、彼女を抱き返すことはできずにいた。
***
表に出ようと玄関口に近付くと、リンクとテルマが言葉を交わしているのが聞こえた。小窓からは二人の背中が見える。
「ここは希望というものがあっていいねぇ……苦労して来た甲斐があったよ。
その腕を、ハイラルのために使ってみる気はないかい?」
会話を盗み聞くつもりはなかったものの、出ていくに出ていけなくなったエリシュカはその場に立ち往生。
「希望を無くした王国にも、それを何とかしたいと思ってる連中はいるんだよ。私もその連中の一人さ」
「……確かに、城下町は俺の想像していたものとは正反対でした。一見賑わっていて何処よりも幸せそうではあったけど、……皆が皆何かを諦めてる」
リンクのその言葉に、無意識にもぐっと息が詰まったのを感じた。
退廃していく世界の異変を、怯えはしても仮染めの平穏で塗りつぶして見てみぬふり。そうして逃げ出したのは、自分も同じだった。
「今でこそ国の兵もあんなふうになっちまったけどさ……昔はそりゃあ気のいい騎士がいて、皆まとめてしっかりしたもんだったんだ」
「騎士が……?」
「まっ、つまるところウチの連中も、あの人に集められたってところがあるんだろうね」
エリシュカはそれを聞くなり、静かにその場を後にした。
もうじき朝焼けだ。エリシュカはカカリコ村を闊歩し、そのまま村の高台へと上り詰めると、漸く顔を覗かせた太陽の眩しさに目を細めた。
「なんだ、此処にいたのか」
梯子を登ってくる音は聞こえていたので、驚くほどではなかったが、それはやはりリンクだった。
一人になれる場所を探したところで、彼は見つけて追いかけてきてしまう。なかなか感傷に浸りにくいものだ。
「分かってて来たくせに、何とぼけてんのよ」
「ハハッ、バレてたか」
城下町にいたときとは違って、少し元気を取り戻したようだ。まだ若干の憂いを残してはいるが、笑顔に無理は見られない。
彼は無事ルテラの霊に導かれ、墓地の奥で水の加護──ゾーラの服を授かったらしい。水中でも呼吸のできる優れもので、これならば湖底の神殿にも挑めると穏やかな声音で語った。
「少し休んだら、装備を整えてすぐ向かうよ。早くしないと、エリシュカが危ないしな」
「私のことは気にしないでいいってば」
「そういうわけにもいかねぇだろ」
さっきまで気落ちしてろくに返事もできなかった奴が、何を言うか。
そうは思いながらも、エリシュカは何処かで安心していた。
死を覚悟した自分を気にかけ、それでも引き留めようとしてくれる存在。心を許してはいけないのに、もうどうしたって彼には頑なでいられなくなってしまった自分を、僅かに恐怖もした。
「……ねぇ、リンク」
「ん?」
「聞かないの?」
「……何を?」
「……どうして村に来たんだ、とか……騎士を辞めた理由、とか」
膝を抱えて俯く彼女の隣に腰をおろしたリンクは、一度だけ彼女の後ろ頭を見やってから、また広大な空に目をやって口を開いた。
「そりゃあ、気にはなるけど……エリシュカが話したくなったら、聞くよ。無理強いはしない」
「……」
リンクはそれ以上を語りはしなかった。けれどエリシュカには分かっていた。彼は、自分の信用を未だ得られていないと感じるからこそ深入りしてこないのだということを。
身を小さく丸めながら、エリシュカは自分の手のひらを太陽の光に透かした。
「……話すよ」
そうして、少し間をあけたあと、エリシュカは再び口を開いた。
エリシュカは、城下町にある老舗の仕立て屋の一人娘として生まれた。臆病で泣き虫だった彼女は幼い頃から手先が器用で、母の手伝いをしながら仕立て屋の卵として様々な技術を学んでいった。
そんな彼女の父は、王宮に仕える騎士だった。いつも町中を巡回しては住民たちと立ち話に花を咲かせ、喧嘩や窃盗が起これば真っ先に駆け付けた。彼が通った道には笑顔が溢れ、兵士は踵を揃えて敬礼する。彼は町中の人気者だった。彼女は父が大好きだった。
父もまた、彼女を愛してくれた。数少ない帰宅日には寂しがる娘に毎回土産を持っていったし、彼女の裁縫の腕を褒めては娘の頭を乱暴に撫でた。
ある日彼女が初めて作ったハンカチを誕生日にプレゼントしてやると、彼はひどく喜んだ。しかし彼が次に帰宅した折にはそれがぼろぼろになっていた。エリシュカは怒り、泣いた。父はしきりに謝りながら、また手土産をくれた。
そんなプレゼントのやり取りが幾度かあって、彼はある日遠方の戦争に駆り出されることになった。
エリシュカは父の身を案じて、言い伝えを信じ7日かけて織った布でまたハンカチを作った。出発前夜にそれを手渡すと、父は「きっと無事に帰ってくる」と笑った。代わりに、エリシュカの手に自らの首に提げていたそれを乗せた。
「エリシュカ、これをおまえにやろう」
「パパ、これなぁに?」
「こいつはお守りだ。大切に、肌身離さず持つんだぞ」
「うん、分かった!」
「祈りを捧げて、希望を胸に抱くんだ。神は必ず応えてくれる。
強くなれ、エリシュカ」
黒くねじ曲がった形のそれを彼女はその日から毎日片時も外すことなく首から提げた。
しかし父は二度と帰らなかった。戦場で、まるで塵になるようにして消えてしまったのだそうだ。
戻ってきたのはぐずぐずのハンカチだけ。その日のことは、それ以上覚えていない。
彼女は亡き父の後を追うように騎士団予備学校に入った。成績優秀で、名優の娘というコネもあったせいかすぐに卒業した。彼女が16歳のときのことだった。
とある休日、彼女は散歩がてら馬を走らせて平原を闊歩していた。そこに城下へ向かう途中の荷馬車を見つけると、案内を頼まれた。彼女は快く了承し、平原を先導した。そこを、魔物の大群が取り囲んだのだ。
エリシュカは守りきれなかった。休日で装備も不完全だったことが祟って、自分の命もからがらに逃げ出したとき彼女は赤子一人しか救えなかった。
赤子の両親、姉を見殺しにしてしまった。この子を天涯孤独にしてしまったのは、自分だ。彼女はひどくうちひしがれて、己の弱さを悔いた。
彼女は騎士団を抜けた。父を知る城下町にいるのもつらくて、母と一緒に父の故郷であったトアルでやり直そうとした。母は彼女が元気になるなら、と一時店を閉めることもいとわず了承してくれた。
しかしトアルに向かう道中、再び魔物に襲われた。母はエリシュカに戦闘をさせたくなくて、馬車を走らせた。しかし逃げる途中、ゴブリンの射った矢によって絶命してしまった───。
「ママは私に逃げるよう言った。私は愛馬でトアルまでの道を走ったけど、馬は私を庇って落ちちゃうし、追っ手は減らないしで……村につく頃には私がボロボロだった」
そうして全てを失った彼女を助けたのが、リンクだった。
「今思うとね、影の真珠が及ぼした影響のせいなのかなって、考えられなくもないの。
必要以上に魔物を惹き付けるこの力は、私が心をしっかり持っていられる間、逆に畏れとして魔物から私を守っていてくれる。……全部、私の弱さが招いたことなのよ」
すべて語り終えて、膝頭の間に顔を埋めるように身を縮こまらせるエリシュカの隣で、リンクは一連の話を脳内で整理させながら瞬いた。
「……それ、親父さんにもらったペンダントだったのか」
「……え?」
漸くもらした言葉の驚きように、エリシュカは意外に思って顔を上げた。
それからリンクはハッとして、少しばつが悪そうに頬を掻きながら視線をさまよわせる。
「お、俺はてっきり……」
「…………ぷっ、あはは!」
「な、笑うな!」
「バカねぇ、男より勇ましくて無謀な女に色付く物好きなんて、そうそういないわよ!」
暫くけたけたと声を転がせながら、眦に涙が滲むまで一頻り笑うと、エリシュカは息をついた。
「こんなふうに笑ったの、とっても久しぶり」
そんな彼女の横顔を見つめたまま、惚けたように見入るリンク。
そうして彼は気付いた。自分が彼女を好きになれなかったのは、隠し事をしていたからでも、人を小馬鹿にしたような態度が気に食わなかったわけでもない。
城下町に一度踏み込んだ身だからこそ実感できる、何かを諦めたような哀愁≠抱えながら嘘っぽい笑顔を浮かべていたのが嫌だったのだ。
「そっちのがいいよ」
何故だろう、今までそれとなく感じていたはずの距離感が、今この一時ばかりはひどく僅かなもののように思えた。
必要以上に気張って、自分を保とうと必死だったからこそ、彼女はより大人びて見えていたのかもしれない。しかし今では、然程年の差など無いように感じられた。
「そうやって笑ってたほうが、ずっといい」
ぽかんと開いた口を塞ぐこともなく、妙に晴れやかな笑顔で自分を見る男に、エリシュカは内心戸惑っていた。
そして我に返るなり、紅潮した頬を隠すのも忘れてリンクの肩を突き飛ばす。
「な、ななな何言ってんの!!!」
「どぅわ!!?ま、待てって落ちるから!!!」
彼が体勢を整えている間に梯子を滑り降りて、宿場の方へ一目散に駆けていく。
リンクはそれを止める間もなく、何か変なことを言っただろうかと首を傾げるばかりだ。
(そんな、ただの気のせいよ)
未だ上気して冷めやらない頬と、早鐘を打ち続ける鼓動。
それではいけないと頭を振ったところで、最早気のせいには出来ないほどまで、自覚してしまった。
(……私、あいつのこと───)
大切な存在は、二度と作らないと決めた。
いつ死ぬかわからないと決まって、その決意は頑なだったはず。
なのに。
せめぎあう愛惜と後悔の念で、エリシュカは彼の瞳のような空を見上げることも出来なかった。
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