だれかのふるさと





「きゃあ!ミドナ、もっと高く飛んでちょうだい!」

「うるさいなぁ、なかなか気持ちいいじゃねーか」



俺はいま、ひどくヤバい状況下にある。


「大体荷物ぶら下げて飛んでる時点で、バランスが難しいんだよ」

「そこをほら、なんとか!」


獣の姿で駆けるより早く流れる景色。それは俺の背後から目先へと逆走していく。
半身が黒く染まったままの彼女の肌は、しかし僅かに人の温もりを残していてあたたかい。


『お、おいエリシュカ』

「ん、なぁにリンク」

『あんまりくっつくなよ……』

「いやいや、しっかり掴まってないとあんたこそ落っこちるわよ」

『なら、せめて俺も糸でさぁ』

「やーよ、それこそ命の無駄遣いだわ」


命綱つけてあげてるだけ感謝してちょうだい、と言われて、俺は彼女と自分の身体を密接させるようにぐるぐる巻きにされた緑糸を見やった。


『(む、胸が当たってんだよ……!)』


見た目より大きいとか、柔らかいとか、考えないようにしたところでそんなことばかりが脳内を巡って、景色を眺めるまでもなく目が回ってしまいそうだ。


干上がりかけたハイリア湖で、影の魔物と対峙しミドナが怪鳥を奪取したことで、俺達は水源である川の上流を辿って空中を移動することになった。
どうやって俺とエリシュカ二人を連れていくかとミドナが思案する間もなく、彼女は俺を抱えて身体に糸を巻き付けるなり、怪鳥の足にもロープを繋ぐようにして糸を絡ませた。俺がちょっと待てと制止する前に、ミドナはそのまま出発してしまったのだ。


怪鳥が右左と身体を揺らす度、俺達もまたひどく揺さぶられる。エリシュカは俺を抱く手に力を込めて落ちることがないようにと気を配ってくれているようだが、それ以前に問題が多すぎる。


「お、もう着いたのか!案外使える奴だったな」


ミドナのその一声で、エリシュカは怪鳥の足に絡ませた光糸をほどき着地する。彼女の足元が未だ霧状なために、衝撃は少なくて済んだ。
俺もエリシュカから解放され、漸く地に足をつけるなりぶるぶると全身を震わせた。まったく、ずっと押し当てられていた柔らかい感触が肌に馴染んで抜けやしない。


「オイオイ、なーにヤらしいツラしてんだぁ?勇者サンよ」

『るっせ!!!』

「あら、この程度で照れるなんてまだまだ子供ね」

『言うほどおまえとそんなに年変わらねぇよ』


まぁ3つ4つは確実に年の差あるんだろうけど……。

ふいと顔を背けてから、周囲を確認する。確かに此処は川の上流のはずなのに、川があったろう溝はすっかり空っぽになっている。
本当に水が流れていないんだ……と崖下の川底を眺めていると、エリシュカが腕を擦りながら呟いた。


「なんだか、ずいぶん肌寒いわね」

「そうだな……早いとこゾーラ族の集落を探そうぜ」


言われてみれば、澄み渡った空気がどことなくひやりとしている気がする。

ミドナがぽすんと俺に跨がり直して、俺達は更なる上流を目指し進み始めた。




「……、嘘でしょ……」


暫くしてエリシュカが絶句するのも、無理はなかった。


「妙に冷えると思ったら、まさか氷っちまってたなんて……!」


ミドナもまた、目先のものを見上げて驚愕の声を漏らした。

本来ならば止めどなく流れ落ち、溢れだしていたはずの豊かな恵み。それが、凝固し滝壺に降り注いだ形のままで時を止めていたのだ。
付近には所々に氷柱が立っているだけで、あまりに殺風景だ。


『ゾーラ族が一人も見当たらない……』

「必ず一人くらいいるはずよ……!それに、里には一族を治める女王がいらっしゃるはず……城下に降りてきたゾーラ族の男の子のことも気になるけど……」

「ひとまず、一番上まで行ってみよう。彼処から登れそうだぜ」



ミドナの冷静な言葉にひとつ頷いて、俺とエリシュカはまた凍てついた大滝を見上げた。




***




俺は、眠っていた。


意識は、魂は、闇の最奥で、かたく眼を閉じたまま、眠っていた。
身を焦がす憎悪の黒が、俺を染め上げたとき。俺は、暗く深く根付いた闇の底で、膝を抱え背を丸めていた。

こうしている間にも、影の力で練り上げられた器は内側からじわりじわりと闇の支配を許してしまっている。
俺が俺でなくなっていくのを直に感じながら、成す術なく蹲る俺を、おまえは笑うだろうか。

俺の皮を被った似て非なる者に脅かされて、おまえは怖がってやしないだろうか。
──いや、それはないか。おまえは、俺程度を怖がるようなやつじゃない。肝の据わった女だ。

自分の命を棒にふろうとする無謀なところは相変わらずだな。でも、もう少しくらい己が身を大事にしてくれよ。


嗚呼、俺がもっと強かったら。
こんな根付く魔力になど左右されずに、自我を保てるような強さがあったら。
……胸を張って、誇らしく生きられる肉体を持っていたら、俺は。

俺は……もっと傍で、おまえを守ってやれたのに。


(あぁ、でも)


この肉体で、誰かのためにと造られた心だから、何よりもおまえを愛しく思える。
この感情さえも手放さなければならないのなら、いっそ俺は自分で命を絶つよ。


深く暗い其処は、水底のように俺を揺さぶり、徐々に凍えさせる。
ねっとりと呼吸を奪い、しまいにはおまえのことを想う心も、意識も、記憶も、何もかもを無かったことにしてしまうのだろう。

おまえがくれた体温も、おまえを想って脈打つ鼓動も、いつの日にか失ってしまうのだろう。


嗚呼、悔しいなぁ。
お前が羨ましいよ。

だから、不本意ながらにも思う。

お前だけは、あいつの傍を離れるな。
支えて、守ってやってくれよ。

俺のオリジナルなんだから、出来ないはずはないだろう?
なぁ、光の勇者よ。


俺は瞼をふるわせて、また深い深い闇の底へと堕ちていった。




***




一気に溢れ出した水は、留まるところを知らずに勢いよく、力強く流れ落ちていく。



玉座の間にのさばる影の魔物を倒し、その残滓はエリシュカの胸元の影の真珠へと吸い込まれ、彼女の肌を染めていた黒がすぅと引いていった。
水源である其処は、ゾーラ族諸とも見事に氷付けにし、閉じ込めてしまっていた。これを溶かしてやらないことには水も流れそうにない、という答えに辿り着く。


『いいのか?』

「大丈夫よ。その辺の小物でも代用できるし」


何か熱いものを探すため、デスマウンテンに移動できるよう、エリシュカはたった今真珠の浸食の抑制のために取り込んだ影の魔力を用いて、玉座の間上空にポータルを開いた。
影の残滓はより強い力に惹かれるため、勝手に真珠に取り込まれてしまう。そのため、今まで影の魔物を倒せば自動的に現れたポータルも、彼女の手で開く必要があった。時空を歪めるワープポイントの出現を意図も容易くさせるのは、それだけ強大な魔力が彼女を支配している証拠だ。

あっという間に元の通り半身を黒肌に染めた彼女を置いて、俺はミドナと共にポータルを伝いデスマウンテンから巨大な溶岩石を持ち出してくることに成功。氷付けの玉座の間にそれをぶち当てて、なんとか水源の再生をこなしてみせたのだ。


「よっし、これで湖にも水が戻るな。さっさと精霊に会ってトワイライトを晴らすぞ」

『あぁ』


打ち上げられたゾーラ族の魂を心配そうに見やるエリシュカを見上げながら、ミドナの言葉に相槌を打つ。
彼らはきっと、突然氷らされて、また突然にそれを解凍されただけで、何が起こったのか分からないはずだ。けれども、長居は無用。下手をすれば、魂から視認できない俺の代わりにエリシュカが疑われ、要らぬ混乱を招くことになるだろう。

この狼の姿でいるのも残り僅かだな、と獣の足で床を踏みしめながら踵を返したその時。


《──……お待ちください……》


凛とした声が、鼓膜を通さず直接脳髄に呼び掛けてくる。
これは、……光の精霊達と会話するときに酷似した感覚だ。

俺は、未だにくっついたままの足枷の鎖をしゃらんと鳴らしながら、声のした方を振り返った。エリシュカやミドナにも聞こえたらしく、同じ方向を見る。


《……我が一族と、ハイラルの水源であるこの泉を蘇らせて頂いたこと、感謝いたします》

「……別に、アンタ達のためにやったわけじゃないよ」


蜃気楼のように揺らぐ空間。
精霊達のものよりもずっと酷薄で身近に感じる存在感に、俺は構えを取るのをやめる。
優雅で清廉な気配によく目を凝らしてみれば、桃色のヒレを有し珊瑚のような髪飾りを両脇に垂らした憂い顔のゾーラの女性が、そこに浮遊していた。
ミドナが受け答えをすると、エリシュカは慌ててかしずき、恭しく頭を垂れる。


《ハイラルの女騎士よ、どうか面を上げてください》

「……しかし、」

《私は幽体。厳格なる礼式は、最早実体を持たぬ私の前には無意味です》

『……エリシュカ、この人は?』


俺がその困った横顔に問い掛けると、透けて見える姿の女性が答えた。


《私は、このゾーラの里と一族を治める女王ルテラ》

『女王様……?!』


たしかに先ほど、エリシュカは一族の長である女王がいるはず、と頻りに探していたが……。
彼女自身が幽体と言うように、周囲のゾーラの魂とは異なる姿で、それも宙にゆらゆらと浮かんでいる様子は……生きる者のそれではなかった。


《このゾーラの里は、影の者達の襲撃を受け、私は一族への見せしめのために処刑されました》

「そんな……!」

《嘘ではありません。……致し方無かったことなのです》


くしゃりと表情を歪めるエリシュカに目を細めながら、女王ルテラはか細い声で紡ぐ。


《誇り高き獣の姿をした者、……そして影の力を身に纏いし女騎士よ。あなた方に頼みがあるのです》

「はい……」

《私は、この地が襲われた時、ゼルダ姫の元へ事態を知らせるためにと、我が子ラルスを遣わせました。
けれども感じるのです。息子の命の灯火が、段々と消えゆくのを……しかし、私には息子にかける命すらありません。どうかお願いします、王子ラルスを助けてやってください》


女王ルテラの懇願に、思い当たることがあるのに気付いて、俺もエリシュカも顔を見合わせた。
そうか、あの酒場で幼馴染みが世話を焼いていたゾーラの少年……彼が、女王の御子息。
納得がいったように頷くエリシュカに続いて、俺もまた快く了承した。


《ありがとうございます。助けて頂いた折には、水の加護を授けましょう。それはゾーラのように水の中を自由に動くことのできる力。きっとお役に立てるはず。
どうか、どうか息子を……よろしくお願いします》


緩く微笑んで、眉尻を下げながら言い残すなり、女王ルテラはそっとまた揺らぐ空気の向こうに姿を消した。

黙って話を聞いていたミドナが、「水の加護だってさ」とぼやく。
ひどく高いその場所から滝壺、そして河口を見やる俺達。明るい声でミドナが高らかに告げた。


「一気に水が溢れたおかげで勢いが増してるから、流されりゃ精霊の泉がある湖まですぐだろうな!」

『はぁ?』

「……流される、って言った?」


突拍子もないことを言う仮面の小人を振り返ると、にんまりとイイ笑顔を浮かべてやがる。
青筋を立てて一歩後退ったエリシュカを夕焼け色の髪でがっしり握り込むと、ミドナは嬉々として俺の腹を蹴りながら前進を命じた。


「ホラホラ、とっととススメ〜!」

「いや、いや!絶対に嫌!私遅れてでもちゃんと行くから、それだけは!」


さっきまでの厳かな雰囲気など何処へやら、全力で抵抗の意志を見せるエリシュカ。それをものともせずにククッと喉を鳴らして笑うミドナは、まさに諸悪の根元、悪の一族影の者。
はいはい、とため息をひとつこぼして、俺はエリシュカの絶叫を聞きながらダイヴした。





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