いとしいきみ




***



村に着くなり、家々を一軒ずつ回って、子供たちの無事を知らせる。
張り詰めた呼吸をふと緩め、安堵に表情を綻ばせる人々は、口々に言った。


「子供たちも、リンクも揃って無事で、良かった」


親のいないリンクの身を、彼らは家族同然に思い心配していたのだ。
照れくさくて、温かくて、つい感傷に浸ってしまいそうになる。リンクは丘の上にある空っぽの家を見て思った。


(あいつにも、親はいないのかな)


実家は城下町にあると言っていた。もし親がそちらにいるのだとしたら、彼女が城下へ急ごうとする気持ちも分かる。
人知れず姿を消した彼女の身を案じた人々にも、子供たちと一緒にいることを伝えて回った。

ウーリは言った。


「あの子は昔から素直じゃないところがあるから、取っ付きにくいでしょうけど。根はとてもいい子よ。人のためにって頑張りすぎて、ある日ポッキリ折れちゃうような子。
だからね、リンク。あなたが支えてあげて。この村に戻ってきたということは、あの子は心に傷を抱えてる」


まだ何も知らない自分に出来ることなどあるのだろうか。そう戸惑いながらも、リンクはそっと頷いてみせた。


相撲勝負に勝ち、勇者の衣に着替え直しているリンクの隣でボウは呟いた。


「エリシュカは、昔から聞いてもなかなか自分のことを話さん奴でなぁ」

「え?」

「村に戻ってきてからというもの、皆一様に心配はしても、事情を聞いてはやれずにいた。都会が嫌になったのだとはぐらかすばかりじゃ」


傷だらけで村にやって来たエリシュカを運んだのは自分だった。
リンクは、今日も笑顔で見送ってくれた彼女の姿を脳裏に思い描く。


「本心を口にすることを恐れているのだろう。嘘をつくのも上手だ。だからこそ内に秘めたままつらい思いも飲み込んでしまう」


魔物も恐れない彼女。強い心と金色の瞳の奥には、まだ誰にも見せていない心がそこにある。


「リンク。おまえが傍にいてやってくれ」


そうして知る。エリシュカは、村の誰にも心を開いていなかったことを。



***



「こんな毛玉を弄って、何が楽しい?」

「あ、ちょっと返してよ、使うんだから」


エリシュカは毛糸玉を手元で転がして遊ぶ彼に手を伸ばした。闇に溶けるように一瞬姿を眩ませた後、彼女の背後に現れて耳元に囁く。


「返してやってもいいが、手を止めろ」

「っ、もう、くすぐったいから耳元で喋らないで」

「わがままなやつだ」

「どっちが、よ!」


隙をついて毛糸玉を取り返そうとするも、ひょいと避けてしまう影。
むうと不満そうに渋面して、エリシュカは彼の者の名を呼んだ。


「シャドウ?お願いだから言うこと聞いて」

「おまえが俺の言うことを聞くならな」

「いやよ、あんたってば助平なんだもの」


毛糸玉を返すとあっさり机に向き直ってしまうエリシュカに、シャドウと名を呼ばれた彼はそっと腕を回し抱き寄せる。
細い首を呆気なく手折ることも出来るというのに、彼はその気になれずにいた。


「こっちを向け、エリシュカ」

「無理。いま手元が忙しいの」

「襲うぞ」

「出来なかったくせに」


そう、なぜ彼女が今も無事な姿で、机上のカンテラの明かりを頼りに衣服を繕っていられているのかというと、シャドウは返り討ちに遭ったのだった。
口付けようと顔を寄せた隙に、肩口から剣を抜かれて、危うく至近距離から一太刀浴びせられるところだったのだ。その何処までも反抗的な態度に怒りを示すどころか、彼は思わず感嘆し素直に惚れ込んでしまっていた。


「何故だろうな、おまえを無茶苦茶にして泣かせてしまいたいのに、そうして縫い物に勤しむ姿もまた愛しく感じるよ」

「口説いてるつもり?」

「そうだな、口説いてるのかもしれない」


べったりと引っ付いて離れそうにない彼をどうにかしよう、という気も削がれていたエリシュカは、別段気にかけるでもなく作業を進める。
出会って間もない不審者相手に平然としていられるのは、おそらく彼女の気質そのものと、馴染みのある彼の姿形によるところがあるだろう。


「エリシュカ、眠らないのか?」

「寝ないわよ、まだ終わってないもの。どうして?」

「一緒に床に入ろうかと」

「そろそろ本気で怒るわよ」


切りのいいところまで進めてしまうと、エリシュカは針山に針を刺してからうんと伸びをする。
子供たちは後ろの寝室で眠っているはずだ。あまり遅くまで作業し続けるのも、起こしてしまう要因になるかもしれない。
あと一息で最後のコリンの服が出来上がる。そうしたら全員分、朝には御披露目できるだろう。


「シャドウ、お茶はいかが?」

「なんだ、急に。……飲めないことはない」

「そう?」


紅茶を淹れてやると、彼は物珍しそうな表情をしながらティーカップを見つめて、それからエリシュカを今一度見やった。


「魔物に茶を出す女は初めてだ」

「あら、気を許したわけじゃなくてよ。それ飲んだら帰ってね」


ぱちくりと瞬いて、紅茶に口をつけると、そっと微笑んだ。
自分は目的である影の真珠を未だ手にしていないが、それはそれでいいような気がしていた。それを口実に、またこの女を訪ねることが出来るのだから。


「……不思議なものだ」

「え?」

「俺は、本来心無き魔物。目的のために使役される、そのために生まれたはずの存在。
なのに、おまえの傍にいると、まるで人間になれたような心地だよ。感情が当たり前のように溢れ出てくる」


例えば、愛しさ。彼女の傍にいたいと思わず願ってしまうほどの、愛欲。
例えば、嬉しさ。彼女が自分を見たとき、茶を出してくれたとき。当たり前の存在になれたのではないかと錯覚する。

だからますます嫌悪感が増す。勇者などと光の精霊達に謳われ、唯一世界を救う覇者だと思い違いをしている我がオリジナルに芽生えるのは、嫉妬心と羨望。
当たり前のように彼女の傍にいることを認められる存在が、憎い。


「シャドウといると、不思議な気持ちになる」


ぽつりと、彼女が呟いた。


「懐かしくて、あたたかい気持ちになるの。昔からあなたを知っているような……変よね、昨日おととい知った仲なのに」


再開したばかりの縫う手を休めて、エリシュカは掠れた声で漏らした。


「すべてを、打ち明けてしまいたくなるの」


何も知らない彼だから。
常識も何もない場所から、自分を見てくれる気がして。

シャドウはその言葉に心底歓喜した。そして、沸き上がる喜びに蓋をするように、直感してしまった。


(それはきっと、俺じゃない)


彼女が見ているのは、自分の向こうに重なった他の誰かであること。
彼女は、誰かの代わりとして自分を見ていること。

また自分は、誰かの代わり。コピーされた偽物なのだと、思い知らされたようで。


「弱い女は興醒めだ」


そんな言葉しか言い置けない自分にさえも、幻滅してしまう。

シャドウは、飲みかけのティーカップを机上に置くなり、するりと闇に潜んで消えてしまった。


「…………だよね」


エリシュカは、寂しそうに頷いて、諦めたような面持ちで再度縫い物に向かった。
いつだってそうだ。開きかけた心を閉ざしてしまうのは、誰かを重ねてしか他人を見られない、弱い自分自身の心だ。

悪いことをしたな、そう思いながらも、エリシュカはじわりと滲んだ涙を止められずにいた。



***



復興作業も、午前半ばで今日のところは終了し、昼食を終えた子供たちは思い思いに遊びはしゃぐ昼下がり。
予定通り完成した衣服の数々を、朝の食事の時に見せてやるなり、子供たちは大喜び。エリシュカも大層満足そうに笑って、今はトアル村を離れてからずっと着たままになっていた衣服の洗濯と修繕に精を出している。


一仕事終えて、子供たちの相手をしようかと外に出たときのことだった。


重々しい足音と、徐々に大きくなる震動。
軽やかな走りを見せる駿馬に乗った勇者ではないと直感したエリシュカは、警戒心を露にして村の入り口を睨み付ける。
子供たちも些か怯えた様子で、音の正体が現れるのを待った。


しかし其処に間もなく現れたのは、トアル村で子供達を拐った、あのキングブルブリン率いる魔物一団だったのだ。
巨躯なる猪に跨がった奴らが迫る。早く戻るように声を張るも、駆け出したタロとは裏腹に、恐怖で身動き取れなくなったベスが棒立ちになる。


「ベス!!!」


こうなったら、自分が轢かれてでも抱えて守るしか。
駆け出そうとした刹那、エリシュカの横をいち早く駆け抜けていったのは。


「だめ、コリン!!!」


いつも少し臆病で、そっと誰かの後ろについて笑っているような、優しい少年が。
ベスを押し退け、堂々とブルボーの軍団の前に躍り出た。

繊細な彼は極度の緊張と恐怖に見舞われて気絶してしまう。それを手にしたキングブルブリンは、ニヤリと口角を上げ北の平原へと走り去ってしまった。


「コリン!!!」


突き飛ばされたベスが、ハッと我に返って目で彼を追う。
エリシュカは駆け寄ったベスに大事がないことを知ると、追いかけなければと立ち上がる。
その時、目前を枯れ葉色の疾風が駆け抜けた。

村に入っていく魔物一団を見ていたのだろうか、物凄いスピードでエポナを走らせ駆けていくリンクが、みるみる小さくなっていく。


「……ダメだよ……」


エリシュカは記憶に囚われていた。


危ないから、おまえはここにいろ!


「行っちゃだめ……!」


大丈夫、俺は強いからな


「リンク!!!」


腕を掲げて見せる彼は、きっと安心しろと言いたかったのかもしれない。
風に靡くバンダナを見て、エリシュカは膝からくず折れた。


何もかもがそっくりだから。
だから、大切≠ノならないようにと、遠ざけた。

もう一度喪うようなことがあったら、今度こそ自分は壊れてしまう。



(どうか無事で帰ってきて)



祈る彼女の手には、身に付けてはいけないと言われたあのペンダント。
シャドウのような付け狙う者があるなら、やはり肌身離さずにいた方が安心だと考えた。


彼女の祈りと涙を吸い込んで、ペンダントはその黒石に刻まれた緑線から強い光を放ち始める。


北の平原へと駆けていったリンクを見送ったあと、また道端でぐったりとしているエリシュカの姿を見付けたレナードが彼女を抱き上げ、いつもの寝室へと運び込んだ。



「……そういうことか」



教会の影に潜み、一部始終を眺めていたシャドウは、握り直した拳を精霊の泉に向ける。
力を集中させると、泉の水は彼の思うがままに流動し、剣山のように姿を変えた。力を抜けば、泉も元通りになる。


「……バカなやつ」


その言葉に愛おしさが込められる所以も知って、彼は何処か寂しげだった。





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