きみが良かったな


「人間になんてなれるわけないっ」


勢いよく吐き出した言葉には、どうしても動揺の色が見えてしまう。
ニヤリと口角を上げたガノンドロフは、私の喉元を掴んでいた手を離すなり、甲を見せるように顎に手を添えた。


「ふむ……なりたくない≠ナはない、か」

「なっ、……違う、」

「何も違わない。我には建前など通用しない」


嫌な汗が噴き出した。妙に速い拍動を感じる。舌の根まで口の中が渇いていく。
その手に宿るのは、力のトライフォースだ。ひとの手には余りある、神の力。何故、力はこいつを選んだのだろう。


「手始めに、貴様にかけられた呪いを解いてやろう」

「……!」

「そうして、我の手助けをせよ。聖地を開きトライフォースを全て手にしたあかつきには、本当の人間へと作り替えてやる」

「……使い勝手の悪い部下を持つほど、人手不足なの?私なんかいなくたって、大勢の魔物があなたに付き従ってる」

「魔物は所詮魔物。奴らは、知能こそ我々より低いが、力はその差をも凌駕する。故に、強者に従うだけ。
我が欲するのは、知略に長けた者。この世界を我が物にするには、力尽くだけでは心許ない」


この世界まるごと、自分のものにする気なんだ。国ひとつ落としたところで、かけらも満足していないのが、その傲慢そうな態度から分かる。


「時すら越えて膨大な知識を共有するのも、さぞ心労となろう。いま、楽にしてやる」


抵抗する間もなく、片手で容易く頭を掴まれる。一際強く鼓動が鳴った瞬間、私は自分が変わってしまったことに気付いた。

まともに意識を集中させたりなどすれば、知識の多さに頭がパンクしてしまう。だから私の意識には、漂うように様々なものや時代から繋いだ¥報が行き来していた。
それが、ぱったり絶えてしまったのだ。持ち合わせの知識だけが頭の中に残っている感覚。記憶を手繰り寄せるなんてこと今までしたことがない、けど、それをしたところで新たな情報を引きずり出せる気はしなかった。

私がいま持っているのは、自分のこと、出会ってきたひとたちのこと、どれも過去から今に至る上で経験を伴った記憶。
誰のものかもわからない記憶は流れ込んでこない。身体が軽くなった気がする。


「……っうあ、」


不意に、全身に激痛が走った。電流のようで、骨身を震わせるような痛み。次第に骨格が姿形を変えていく。神の力は、紡ぎ屋の強固な魔法すらあまりにも呆気なく、容易く取り去ってしまう。
とてつもないスピードで身体が成長していた。痛みで身動きの取れない私を見下ろしていたかと思うと、魔王はひょいと軽々しく私を肩に担ぎ上げてしまった。


「痛……っ、おろ、せ!」

「貴様、齢(よわい)は」

「お、ろ……せぇぇ……っ!」

「まぁ良い。老婆に変わろうとも手元には置いてやる」


その言葉を最後に、私の意識はがくんと途切れる。
頬を伝う雫は、生理的に生じたものか、それとも。


遠ざかる家がうすらぼやけて消えていくのを見て、私は少し自分にがっかりした。
南の地から離れられない足などではなかった。お婆さまの言い付けを守るばかりで、私ったら、いつでも外に飛び出していけたのかもしれない。


連れ出してくれるなら、きみが良かったな。
ごめんね、リンク。



***



「ホントに良かったノ?」

「もういいんだってば」


7年前でまことのメガネを手に入れた僕らは、再び荒廃した世界へと戻ってきた。
タイムパラドックスとやらの影響は今のところ見当たらない。僕が時代を行き来する勇者であると知っているのも、おそらくはエリシュカだけのはずだ。

ゾーラの里へ向かう前に彼女を訪ねないのか、というナビィの声を無視して、エポナに跨がった。エポナの足でならあっという間に南方の地を訪ねられる。寄り道したって日が暮れる前には無事里に到着出来るだろう。
でも、僕はそれをしなかった。会いたくなかったんだ。


「ついサッキ約束したノに!」

「指切りしてないからまだ約束じゃない」

「モウ!リンクってば拗ねちゃっテ!」

「拗ねてない!……どんな顔して会えばいいんだよ」


あんなに嫌がられると思わなかった。
僕といるのが楽しいって、言ってたくせに。


「エリシュカは……僕のこと、嫌いになったかもしれない」


そう、言葉にして口に出したら、ずきりと胸が痛んだ。
慌てて胸元を探ったけど、もちろん傷なんてひとつもない。ただ、左袖に巻いていたバンダナが視界に写ると、ますます胸がずきずきと痛かった。


「リンクはドウナノ?」

「……え、」

「エリシュカのコト、キライにナッチャッタ?」

「そんなことない!ただ、会いづらくって、」

「じゃあエリシュカのコト、スキ?」


その時、ふわりと胸のうちに浮かぶものがあった。
薄い薄い涙の膜で覆われた、繊細な糸の絡まり。それが膜の内でするするとほどけていく。擦れる音も立てずに、優しく溶けて、やがて生ぬるく膜の内側いっぱいに満たされていくんだ。


「………すき、」

「スキ?」

「すきだ……僕、エリシュカがすきだよ、ナビィ」


分かったとたん、後悔した。今すぐ会いに行かなくちゃ。
エリシュカは、寂しいって気持ちが分からないけど、感じないわけじゃないんだ。きっとそう。だって、独りきりが幸せだったら、僕と一緒にいて楽しいはずがない。


「ナビィ妖精だから、ヒトの気持チはよく分からないケド、エリシュカはきっとリンクに会いたがってるヨ!
約束したくないって言ったのだって、それでもしリンクが会いに来なかったらイヤだからダヨ!」


だから、早く行ってあげて。
ナビィがこつんと僕の頬にぶつかって、柔らかく煌めいた。

南東を向いていたエポナの鼻先を、真南へ向けさせると、僕は頼んだよと鬣を撫でてから軽く彼女の腹を蹴った。
エポナはひとついなないて、勢いよく駆け出した。





近付いて見えるにつれ、家の扉が開きっぱなしの違和感に、僕は顔をしかめる。
到着して一番に、彼女の名を呼んだ。風通しを良くしなければならないほどの暑さでもないのに……暗く重苦しく垂れ込めた雲が、さらに僕の心まで曇らせる。

部屋を覗いた。エリシュカはいない。一見いつも通りの部屋だけど、間違いなく何かがおかしい。刺繍をやりかけの織物が、テーブルいっぱいに広がっている。すっかり冷めたハーブティーが、ポットに入ったままで置いてあった。

裏の畑か、コッコ小屋か。小走りで裏口の戸を開いても、そこに人の気配も影もない。
血の気が引いていくのが自分でわかった。姿を見せない家主のかわりに、色濃く残る邪悪な気配。最悪の予感が、次の言葉を吐くのを躊躇させる。


「リンク……これッテ……」


ガノンドロフ本人か、もしくはその手下の魔物か……拐われたのは、間違いないだろう。
僕が時を遡ったせいなのか?過去のエリシュカに本当のことを話さなかったら、この時代のエリシュカはまだ此処に居たかもしれない……───


「くそっ!!」


殴り付けたテーブルの上から、毛糸玉がいくつも転がり落ちる。
赤い毛糸が、僕と、エリシュカがいつも座っていた椅子の間に境界を作った。それを見て、また歯噛みする。


「リンク、ドコ行くノ!?」

「城に決まってるだろ!エリシュカを連れ戻しに行くんだ!!」

「今行ってもエリシュカには会えないヨ!」

「……!でも!」

「だから尚更早ク、ゾーラの里へ急ゴウ!メダルを集メテ、エリシュカを助けに行コウ!」


残りのメダルは、水と、闇と魂。一刻も早い収集が望まれる。
エポナに今一度跨がると、彼女のいない小さな家を、後ろ髪引かれる思いで眺めた。


「……必ず助けに行くから」


やっぱり、無理矢理にでも指切りをして約束しておくんだった。

この後悔が、繰り返される悲劇の引き金になろうだなんて、この時は思いもしなかったけれど。



***



私が目を覚ますと、そこは薄く埃を被ったベッドの上だった。
軽く咳き込みながら起き上がると、いつもよりも高い目線、遠くにある爪先……手のひらの大きさに、まだ夢の中にいるような錯覚。

何かがやけに絡み付くと思えば、やたらに伸びた私の赤毛が、やや絡まりながらも枕元に散らかっていた。
唯一着用していた祭服は、つんつるてんになって丈も合わなくなっており、引きずるほどまであった裾に至っては、申し訳程度に太ももを覆うだけだった。


ふと、誰かが部屋に入ってくる音。
音の出所へ視線をやると、ガノンドロフが立っていた。慌てて、小汚ないシーツを引き寄せ身を隠す。


「24、5といったところか。思ったより若いな」

「此処は何処なの」

「我が城の一室だ。……その様子ならば、一日もおけば通常通り動けるな」


城。ハイラル城の中か。あたかも最初から自分のものだったみたいな言い方だけど、此処ならある程度構造は知ってるし、いざとなれば脱走も出来る……


「などと考えていることだろうな。貴様のことだ」

「!」


言い当てられて、僅かばかり動揺した。私は利用価値がある限り、殺されない。そう分かっているから、まだ冷静でいられる。


「城は陸続きにはないぞ。下は溶岩。空間転移が可能なだけの魔力は、今の貴様にはない」

「……そうだね。でも、この城の魔物をみんな味方につけたらどうかな?あんたに歯向かうには心細いけど、脱出を手伝ってもらうくらいなら」

「そうか。ならば城内の魔物は全て焼き払おう」

「!」


手始めにとでも言うように、私の部屋を見張っていたリザルフォスが二体、意図も容易く灰にされてしまった。手のひらから放出されたマグマのように熱い邪悪な魔力によって。
響く断末魔。くるりと踵を返し、今にも城じゅうの魔物を殺しに向かおうとする奴の背中に、思わず叫んだ。


「待ちなさい!」

「……我に命令するな」

「待って、待ってよ、本気なの?」

「いつ誰が戯れ言だと言った」

「だってそんな、今の今まであんたに仕えていたのに、なんにも悪いことしていなかったでしょう、どうして私を攻撃しないの」

「してほしいのか?物好きな」


煙と化して消えてしまったリザルフォス。手にしていた槍だけがからんと虚しく音をたてて転がった。


「貴様は、紡ぎ屋一族最後の生き残りらしいな」

「……それが何」

「新世界に生きるのは、ごく僅かの、選ばれし者のみであるべきだと思わないか?」


くっ、と喉がひきつったような笑い声を漏らす男。
どうして私なんだろう。なぜ、何故。


「トライフォースに選ばれし者は我のみでいい。我を飽きさせぬ者、それ相応の知性と力を持った者──ちょうど、貴様くらいが適任だ」


ぞっとした。

鳥肌が立つとか、血の気が引くとか、そんなレベルじゃない。
心臓の肉壁を内側からぎゅうと握りこまれるみたいな、一瞬思考が停止して、息をするのも忘れそうなほどの衝撃。


世界に、こいつと私二人──?



「今暫くは、余暇を与えよう。体を休めよ。貴様にはそのうち、大仕事をしてもらうことになる」


表情を変えずして言う男の言葉に、声色に、私は皮肉のひとつも言えないまま、呆然とするしかなかった。

この胸のうちのわだかまりのような、喪失感のような虚は、一体なんだろう。
そんなことすら、その時の私は分からなかったんだ。





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