家族


信じられないだろうけど、と前置きをしてから、一通り話せば、父の手元のメインディッシュがフォークで串刺しにされていた。
手を組んだその上に顎を置いてにこにこと微笑う父は、一見怒りの気配なんて微塵も感じさせないけれど、目を凝らさずとも怒気と殺気の混ざったオーラが噴き出しているのがよく分かった。


「そうでしたか…何処にいるんでしょうねぇその得体の知れない変質者は」

「父様…」

「何処の馬の骨ともわからない男が僕の可愛い可愛いサーシェの生き血を貪りそのまま家畜にしようと目論んでいるなんて気が気じゃありませんよ」


先程以上に饒舌になった父は、ぐいとワイングラスを煽ると、ぐびぐびと音を立てて中身を一気に飲み干した。喉仏が上下に揺れる動きが、普段ならば色気を含む淑やかな物なのに代わってひどく感情的になっている。

「おっと、僕としたことがはしたない真似を…」とビーフに突き立てられたフォークを抜いて、きちんとナイフで切り分けようとする父。だがしかしナイフを握る手はかたかたと震えていた。
兄は父の様子に冷や汗をかきながら俯いて食事を続けている。私も、ビーフの最後の一口を頬張った。


「そうだ、サーシェ。君は、吸血鬼になっていないんだよね…?」

「え、…あぁ、特にそういう変化は、何も…」

「吸血鬼同士では血を吸えないからでしょう。小賢しい真似を…」

「次はいつ頃現れるとか、分からないの?」

「2〜3日待ってって、言ったから…多分、明日か明後日」

「アンドレイ君、ニンニクと十字架と極太の杭を用意させなさい。この手で仕留めてやります」

「父上…」


兄が呆れたように息をついたけれど、父のぎらついた眼は本気だと語っていた。


「待って、父様」

「なんです?サーシェ」

「……もう少し、様子を見させて」

「サーシェ?貴女もしや、その男に…」

「違うの。少し…、気になることがあるだけ」


最早視線で人を殺せそうな父。その視線から逃れるように顔を背けると、タイミングよくデザートが運ばれてきた。
すっきりとした香りの紅茶を口に運びながら宝石のように艶やかな光を放つフルーツが盛られたタルトを眺める。ブルーベリーの青みが、あの瞳を思い出させた。


「不思議なの。懐かしく、思ってしまって」


夜会で彼が私を見掛けた。それが、私と彼の出会いだったはずなのに。
もしかしたら、別の始まりがあったのかな、なんて思ったら、彼を邪険に扱うことが、私には出来なかった。
それに。年が近く感じる容貌、無邪気にお喋りを楽しむその表情、彼の何もかもが、それとなく新鮮に感じてしまえた。

この厳かな屋敷に飼い殺されるように、私は家族以外との接触を許されなかった。使用人も、必要最低限の命令をこなすだけで、趣味の話も、今日の天気の話も、何とは無しに話すような事柄はみんな家族とだけしていた。使用人は、返事すらしてくれない。
父は、昔から頻りに「悪い虫がついたら困るから」と繰り返した。始めは、これ以上ないほどに愛されてるのだと思った。途中、過保護だと反抗的に思うこともあった。今は、外の世界を知るのも億劫で自ら踏み出さないだけ。

夜会は、ターゲットと知り合うためだけに参加させられた。父の情報界で邪魔になる貴族や、相当の身分の人間を殺す役目を任された。それもこれも、先代で没落した我が家を建て直すため。
父の手腕で、当家はすぐに実力をつけた。元の家名もあってか、その威力は限界を知らぬまま成長を続けている。父は、家の再建のみにあらず、この業界でトップに立とうとしていた。


母は、貴族同士の家柄の抗争に巻き込まれて亡くなったのだそうだ。だから父は、誰も手出し出来なくなるような強い家に再建してみせると、母の墓標に誓った。
私に出来るのは、顔も知らない母を弔うだけではない。実力で貢献できる方法があった。だから、幼い頃から暗殺術や体術を学んできた。

それを捩じ伏せられる人間なんて、今までいなかった。あの男は、人間じゃない。だからこそ、ひどく新鮮で、面白く思ってしまった。


「私の不始末を、彼は尻拭いしてくれました。もう暫くは、多目に見てやってくれませんか」


下手したら、再建しかかっている家の名に泥を塗るところだった。それを、彼は気紛れにも救ってくれた。
彼に襲われていなければ失敗も何もしなかった、と言われれば元も子もないが、今暫くは、彼との繋がりを絶つべきではないと思ったのだ。


「……仕方ありませんね。サーシェが珍しくわがままを言うのですから、優しい父としては聞き届ける他ありません」

「ありがとうございます」

「ですが、万が一何かあった場合は、躊躇なく仕留めます…いいですね?」

「はい、父様」


最後ににっこりと笑んだ父の手に握られたフォークは、次にタルトを真っ二つにする勢いで突き立てられた。






「父上はああ言っていたけど、俺は正直反対だよ、サーシェ」

「………」

「いつ命を奪われるか分からないのに、脅威を野放しにするなんて」


部屋に戻る途中の廊下で、兄が呟いた。
見上げた表情は、頼りなさげながらも強い意志を秘めて言葉を紡ぐ。

私は、今一度俯いて、そうして兄に視線を向けて言った。


「二人が心配してくれるのも、分かるの」

「サーシェ…、」

「でもね、アリィ、私、もう少し彼とお話してみたい」

「相手は常識が通じない化け物なんだぞ!?」

「アリィの不安は分かるよ。分かるけど、でも、ね?」

「………、」

「信じて。お願い」


兄の袖を掴みながら見上げれば、照れたように頬を赤らめて兄は視線を私からずらした。
幼い頃からの私の癖で、それでいて兄は私のこのおねだり≠ノ弱い。分かっていてやるのはずるいことだって分かっているけど、今日だけは見逃してほしい。


「……俺に出来ることがあるなら、ちゃんと言ってくれよ?」

「うん。ありがとう、アリィ」

「じゃあ、今日は夜更かししないで休むこと」

「はい」

「いい子。おやすみ、サーシェ」

「おやすみ」


お互いに頬にキスをして、部屋の扉を開く。室内に踏み込んで一番に目に飛び込んできたのは、ぱらぱらとページが捲れていくさっきまで読んでいた書物。
テーブルの上の窓が開いている。吹き込んだ風が悪戯にページを捲ってしまっていたようだ。

でも、おかしい。確か、窓は開けていなかったはず────



「サーシェっていうんだ」



はっ、と振り返るとそこには予想通り、あのブロンドを風に遊ばせている男が立っていた。
そよ風でマントがはためいているのも気にせず、出入口の扉からこちらへと近付いてくる男。
私が後退ると、腕が伸びてきてがっちりと肩を掴まれてしまった。


「なんで…」

「何が?」

「2〜3日待って、って」

「気が変わったんだよ。お腹すいた、ちょうだい」

「や、だめ、」

「なんでよ?自分はたらふくディナー食しといて、僕にはおあずけってこと?」

「そうじゃな…、きゃっ」


後ろでつんのめって倒れこむと、衝撃はあれど痛みはなかった。ベッドに蹴つまづいたらしい。
押し倒されるような格好で身動き取れなくなった私の上に馬乗りする男。お腹に掛かる重さが息苦しい。


「……っく、るし…、」

「いっただっきまー…」

「っ、やだっ!」


首筋に、大きく開けた口が近付いているのを見て、思わず押し退けた。「わぁっ」声を上げながら真っ逆さまにベッドから落ちる吸血鬼。うつ伏せに体勢を変えて、逃げるようにベッドのシーツを掴みながら這い上がる。


「ったたた……、お前何すんだよっ」

「約束破ったひとに約束通り血をあげるつもりはないっ!」

「なんだって?生意気な…人間のくせに!」

「やっ、」


枕元に護身用で置いておいてある拳銃に腕を伸ばすもあと1センチ足りなかった。ドレスの格好のままじゃ動きづらくて、背後から吸血鬼がのし掛かってくるのを回避出来なかった。
今度は腰に股がって体重をかけてきた吸血鬼。背中からでは突き放すことも出来ず、シーツを握り締めながら枕に押し付けられて窒息しないよう必死に顔を横に向けるくらいしか出来ない。


「……っふ、……うぅ…っ、」

「人間のくせに、人間のくせに、人間のくせにいぃ…っ!」

「…く、ぁ…っ!」


牙を突き立てられるかと思いきや、首筋には彼の骨張った両手が絡み付いた。そのままじわじわと力を込められる。このままじゃ、素手で絞殺されてしまう。
やっぱり、私が馬鹿だったのだろうか。吸血鬼と仲良くなろうだなんて、頭がおかしかったのかな。

だのに、いま私は彼に恐怖を覚えてはいなかった。殺されかけていることに焦りはあっても、心の何処かで彼を許している自分がいた。


「………っ、はなし……て…っ」

「お前なんか、お前なんか…っ、」

「……ダリ、ル…く…っ、」

「っ!」


意識が朦朧として、自分が何を口走っているのかは分からなかった。
だけど、自分の首筋を締め上げるその手にそっと触れたとき、確かに彼は力を抜いてくれた。

呼吸をするのも程々に、私は酸欠故の深い眠りに落ちていった。



「………サーシェ…っ、」



何故だろう。最後に、ひどく切望するような哀しい声が、私を呼んだような気がした。




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