心ですら言い訳


「スガー……」


宿泊室。入浴時間、3年の俺達が先に入ってから戻ると、既に布団が敷いてあった。入れ替わりで2年が風呂に行き、1年が思い思いに過ごしているのを眺めて、自分が先輩だって思い出す。
頭を拭きながら自分の布団でスマートホンをいじっていると、帰り支度を済ませたシバが部屋を覗いてきた。


「おー。じゃあちっと送ってくる」

「湯冷めするから寄り道すんなよ」

「椎柴さんまたね……」

「ヒゲチョコやめろ、椎柴が萎縮するから」

「そんなにぃ……!?」


無事烏野高校排球部はメンバー全員でGW合宿を迎えた。今日はその3日目。
人懐こい西谷や腰の低い旭にもシバを紹介したが、シバ自身は最初の頃に比べ人見知りが減ったように思う。


「ま、またねっ」


ぺこりと頭を下げて先に行ってしまった彼女を追いかける。
バレー部の皆もだんだんシバに慣れてきたようで、休憩中や飯時に度々話し掛けているのを見るようになった。おっかなびっくりといった体ではあるものの、シバもそれなりに合宿を楽しんでいるようだ。まだまだ自分から話すことは苦手みたいだけどな。


「シバ〜俺クタクタなんだって、のんびり行こうぜ」

「あっ、ごめん」


ジャージとエプロン、水筒、薬だけが入った小さな鞄を肩から提げながら、スカートの裾を僅かに翻してシバがこちらを振り返る。

髪、すこし伸びてきたな。
伸ばしてんのかな。


「明日の朝ごはんの支度、今日は私も手伝った」

「おぉ!何々?」

「それは秘密」

「なんだよ〜俺とシバの仲じゃん」

「夕ごはんにもっと驚かせるからいいの!」

「よくわかんねぇ」


結局せかせかと歩く彼女だけど、俺の一歩とシバの一歩じゃ簡単に距離を詰められた。
中学の家庭科の調理実習、シバは周りをフォローしたりてきぱきと作業できたりしていたわけじゃないけど、黙々と野菜の皮を剥いたりする後ろ姿が可愛かったのは、覚えてる。


「シバはいいお嫁さんになるな〜」

「な?!!」

「料理はできるし家事も難なくこなせるし!」

「そんな……別に、必ずしも美味しくできるわけじゃないし……家事も、いつもお母さんがいないから代わりに……」

「そんだけできたら十分だべ」

「お嫁なんて……行く宛がないよ」


はは、と乾いた笑いを浮かべるシバ。
俺は一瞬息を呑み込んで、それから微笑う。


「そんなのやー、これからだろ!」

「私キヨちゃんみたいに美人でもないし、めくさいし……」

「ほんっとシバはやー自分に自信もてって!な?」


すると彼女は、一度俯き視線を彷徨わせたのち、絞り出したような弱い声音で呟いた。


「……じゃあ、」

「うん?」

「じゃあ、スガがもらってくれる……?」


息が止まった。

街灯の仄かな明かりに照らし出されたシバの表情は、とても冗談めかしたものなんかじゃなかった。
耳まで赤くなった顔。落ち着かない焦点。噛みしめた唇が震えているのも、いまにもこぼれ落ちそうに瞳が潤っているのも、気のせいじゃない。


嘘だ。……何かの間違いだ。


「……本気か」

「お、おどけでねぇ!当たり前!」


熟れた林檎みたいな顔して、いまにも弾けてしまいそうなシバが、俺に言った。


「私、スガが好き」


多分彼女も、こんな流れで言うつもりなど毛頭なかったに違いない。本人が困り果てた末にごり押しで告白している雰囲気があった。
妙なこと言ってごめん、なんて取り繕うだけの力量がないシバは、どこまでも正直で素直だ。よく、知っている。


「………スガは?」


好きだよ。ずっとずっと前から。

でも、そんなの言えるわけない。


「……俺は、おまえを殺しかけた」

「あれは事故!スガはなんも、」

「俺が悪いんだよ!……だから」


一呼吸置かずとも、その先の言葉に気が付いてシバは泣き出していた。


「その気持ちには、応えられない」



***



「結局、シバさん来なかったですね」


GW合宿最終日。明日からまた学校が始まり、バレーができるのは朝と放課後だけになる。
モップ掛けを終えた日向が片付けをしながら、そうぼやいた。周囲もそれを聞きつけ、うんうんと頷く。


「スガさん、何か聞いてないんですか?」

「……いや、俺は何も」

「椎柴先輩、やっと慣れてきてこれから、みたいな感じだったのに。残念っスね」

「なんだよ影山〜、おまえああいうひとがタイプか?ん?」

「なっ、違っ!そもそも椎柴先輩は菅原先輩の、……菅原先輩?」


西谷にからかわれて、くしゃっと顔を歪ませながら慌てて訂正する影山。純粋に、バレーを好きになりかけていたシバに好感を抱いていただけなんだろう。

けど、いまの俺に妬く資格とか、ないし。別に俺、あいつの彼氏でもないし。


「ん?なんでもないよ」


心配させないように、気取られぬように、へらりと笑ってみせれば、後輩達はすんなり片付けに戻っていく。
そこに、ネットを片付けた旭が通りがかる。明日の授業で第二体育館も使われるから、ポールやネットも片付けの対象だった。


「椎柴さん心配だな、体調不良なんて」

「まぁ、いつものことっちゃあいつものことだからな。慣れないことやってバテたんだろ、明日にはいい加減来ると思う」

「だといいけど……」

「そのわりに随分複雑な顔してるぞ、スガ」


後ろから俺の肩を叩くのは大地だ。なんとなく察しつつ、ふれないでいてくれるらしい。


「心配なら連絡のひとつでもすればいいだろ」

「いや、俺あいつの連絡先知らないから」

「えぇ?中学からの馴染みなんだろ?」

「学校で毎日のように顔合わせるのに、いらねぇべ」

「言い訳だな〜聞くに聞けないだけだろう」

「うっ……」


旭と大地に挟まれて、俺はぐうの音も出ない。そうだ、意気地無しの俺は、あいつの深みに踏み込むのを恐れた。
事故の日もそうだった。そうやって逃げ出して、だから俺は。


「清水なら知ってるかも」

「えぇ?わざわざいいよ」

「これからもバレー部の手伝いしてくれるってんなら、余計必要だろ?おーい清水ー」


俺が止める(厳密には臆病風にふかれる)のも気にとめず、大地は清水に声をかけた。
清水は相変わらず感情希薄な面持ちでいるが、今の話を聞いていたのかやや眉根をひそめていた。


「知ってるけど、教えない」

「えっ」

「菅原は反省するべき」

「……まさか、聞いたのか」

「な、なんの話?」


旭が独り話題の流れについてこれず、大地も呆気にとられて俺と清水を見比べては開いた口がふさがらない。
端正な面立ちをむっつりと歪めて、清水はいつになく刺々しい声で言った。


「事故を理由に、フラれたって」

「なっ」

「はぁ?」

「い、言うなよ」

「わけわかんない。ありえない。信じらんない」


鬱陶しそうに耳にかけられた柔らかそうな黒髪。より鋭い眼光がきっと俺に向けられる。


「この間、明日から行けない、ってシバから連絡があった。具合わるいの、って聞いたら、それだけメールしてきた。返信してもそれきり音信不通よ」

「スガおまえ……」

「両想いだったんじゃないか、ってあれ?なんでフッたんだよ」


旭がひどく困惑したまま背を丸めて俺を窺い見る。清水も、理由を聞かないままには引き下がれないとじと目で睨めつけてきた。
理由の、切れ端だけを知っている大地は、俺の言葉を待つように視線をくべる。


「……話すよ。話すけど、一旦学校を出よう。ほら、ここじゃなんだから、さ」


固まっている俺達3年組に、後輩達も何やら不穏な空気を感じ取った様子。どうしたんだろう、と今にも飛び込んできそうな日向の首根っこを縁下が引っ掴む。


「片付け済ませたんで、俺達先に上がらせてもらいます」

「おぉ、ありがとな〜」

「気ぃつけて帰れよ」

「お先っス!」


こういうとき、縁下の空気を読む早さには本当に助けられる。
先輩何かあったんかな、シバさんの話かも、なんてひそひそ言葉を交わす仲間や後輩を黙って部室へ追いたててくれるその背中に、今日ばかりは救われたと心から感じた。
目の前の3人にすら話すのが未だ躊躇われる。後輩の前で自分の情けない話を、そうもいっぺんに露呈できるほど、俺とて根っこは丈夫じゃない。


体育館を閉めて、鞄だけ取りに部室へ寄ると、俺達4人は下校途中にあるベンチに落ち着いた。
清水が座る横に、3人の鞄を積み上げて、俺は見守られながらそっとため息をつく。


「本当に、昔はバカだったんだ。これを聞いて幻滅しないでくれよ」

「わかってるよ」

「逆に何があったのか気になるだろ」

「……いいから、早く」

「あぁ、うん。ちょっと待って、言葉を選ぶから」


俺は幾度も深呼吸をして、唇をきゅっと噛みしめると、胃の腑の底に圧し溜まったものを僅かずつ吐き出すように、口を開いた。



「シバが事故に遭ったのは、中2の夏の終わり。話はそれから少し遡って、同じ年の春から始まるんだ」






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