あなたの隣



若葉薫る春。
高校生活もあっという間だと思っていたら、あと一年しかないなんて今さら気付いて、この日をずうっと待っていた。


久しぶりに自分の足で歩くとなると、ちょっと立ち止まっただけで膝はがくがく笑うし、そもそも授業の間体を起こしているのだってしんどいだろうなぁって、今から少し憂鬱なんだけど。
大好きな人に会うためだったら、そんなちっぽけな憂鬱だって吹き飛ばして、頑張れそうな気がするよ。



「おっ!シバじゃん!」


後ろから肩を叩かれて、ぴしりと背筋が伸びる。
嗚呼、ずうっと聞きたかった声。


「久しぶりだべ」

「スガ!」

「おう、クラス一緒は中3以来だなぁ」


春。クラス替え。
進学クラスの私と彼、菅原孝支は今年、同じクラスになった。
スガとは中学からの同級生。名字の頭が近いから、クラスが同じになるとほとんど必然的に出席番号が隣り合わせになる。そんなこともあって、男女の差はあれど私と彼は比較的仲が良かった。


「また席前後だな」

「んだ、よろしく」

「よろしくな〜」


スガは優しい。柔らかい笑顔を見ていると身体中の疲れが吹っ飛ぶ気がするし、気遣いができるし、だからってよそよそしくもない。

最初はいい友達だった。でも今は、すこし違う。


「中学ずっと同じクラスだっただけに、この位置取り妙に懐かしいなぁ」

「あはは」


私の後ろの席についてにこにこ笑いながら言うスガは、何処か嬉しそうだ。気兼ねしない間柄だからかな。私も、なんだか嬉しい。


「スガがいるなら、毎日学校来なくちゃね」

「俺がいなくても来なきゃだろ〜?去年めったに見なかったけど、よく進級できたなぁ」

「単位はギリギリ、足りなかった教科は補填課題で多めに見てもらったんだ」

「おぉ、よく頑張った」


スガはいつもこうやって、何かと私の頭を撫でてくれた。
懐かしい。中学のときから、ずっと傍にあった手のひらだ。
スガに撫でられると、力が湧いてくる。スガといると、何もかもへっちゃらになれる。

病は気からとは、よく言ったものだ。


今年の担任の先生が教室に入ってきて、挨拶をした。
私は横に向けていた体を、黒板の方に直す。背中にスガの気配があるのを感じるだけで、生きた心地がした。



私はからだが弱かった。

特に重病を患ってるわけじゃない。
でも、すぐに体を壊す。熱が出たり、頭痛、吐き気、めまいなんかをよく起こして、学校にくるのもやっとだ。

だから体育なんてもってのほかで、いつも見学か、時折サボって保健室で寝ていたりした。
スガと初めて話したのは保健室だった。今でも鮮明に思い出せる。


「あれ、椎柴だべ」

「……菅原くん」

「わぁ、今日何処にいるんだろって思ったら、そうかサボりかぁ」

「違う……くもない」

「はは、いつも見学じゃ退屈だよなー」


色白で線が細くて、泣きボクロが特徴的な男の子。後ろの席だから、顔と名前はよく知っていた。
でも、プリントを回すときに目が合う程度で、本当にちゃんと口をきいたのはその時が最初で。


「菅原くんは、どうしたの?怪我?」

「あー、まぁちょっと捻ってなー……ていうか、俺の名前覚えてたんだ!」

「? 当たり前でしょ」

「いつもすぐそっぽ向かれるから、てっきり嫌われたかと」

「なにそれ……」


良かったぁ、心当たり全然ないからどーしたもんかと思ってさぁ。
そう言って笑った彼の煌めきが眩しくて、嗚呼、こんなふうに笑うんだって。

先生のいないほんのすこしの間に、私と彼はいくつも言葉を交わして、すぐに打ち解けてしまった。それもこれも、嫌にならない程度に彼がおしゃべりなおかげ。私はへんてこな相槌ばかりで、それでも彼はまた柔らかい笑顔を浮かべてくれた。


「菅原くんは、からだ動かすの得意?」

「んー、得意かは置いといて、運動は好きだよ。ていうかスガでいいから!」

「……スガくん?」

「君付けはなんかむず痒いべ……」


じゃあ、スガも私のこと好きに呼んでいいよ。
すると彼は、ぱちぱちと瞬いてから「じゃーシバな!」と言った。


「なー、シバはバレー好き?」

「?バレエ?」

「違う違う、バレーボール。今体育でやってる種目」

「あぁ……わかんない、やったことないし」

「やったことないの!?まじで!?」

「キャッチボールしか、球技したことなくて」


かけっこもろくに出来ない身体なのだ。みんなは授業中、楽しそうにボールを追いかけ回して、拾いに走ったり、ジャンプしてボールを打ったり、元気でうらやましい。


「そっか……俺は好き!」

「んだか」

「んだ。で、俺男バレ入ってんだ」

「へぇ……」

「まだまだ下手くそだけどさぁ、面白いよ、バレー!そんで、レギュラーなれるようにいっぱい練習すんだ」

「そうなんだ……」


それから度々私は、スガと話をするようになって。
一週間捻挫で練習に参加出来なくなったスガに付き合わされて、レシーブ手伝ったり。休み時間に一人でいると声をかけられたり。

ヒトと関わらないようにしていた私の中に、ずかずかと土足で踏み入って来たくせに、あぁお構い無くなんて遠慮してるような、奇妙な心地。
でもスガといるのは楽しかった。くだらない中身のないやり取りも、私のへなちょこレシーブでするスガのトス練も、日が経つにつれて当たり前になっていって、それが心地好かった。


それから色々あって、私とスガは一時距離を置くのだけど。
同じ高校に入ると、彼は時折私を訪ねて隣の教室からやって来た。それも、昔ほど頻繁ではなかったけど、スガの顔を見るたび安心したものだ。

代わりに、スガが他の友達と一緒にいるのを見るのが、ほんのすこしだけつらかったけど。


私は、決めていた。
今年、高校を卒業するまでには、スガにこの気持ちを伝えると。

ちょっとずつでも、変わっていきたいって思ったんだ。
変わらなくちゃだめだから。




「ねぇ、スガ」


翌々日、HR後の休み時間。私が後ろの席を振り返って声をかけると、手元のプリントを頬杖つきながら眺めていたスガが、目を丸くして私に焦点を合わせる。


「なんだべ、珍しい。シバから話しかけてきた」

「だめ?」

「や、全然。どした?」

「スガ、まだ男バレ入ってる?」

「うん。今年最後!で、一応正セッター」

「おぉ!ついに」

「まー人数もいねぇからなー」


とは言いつつも、照れくさそうに頬を掻くスガの口はしっかりにやけている。

一呼吸置いて決心してから、私はスガに言った。


「見たい」

「え?」

「スガがバレーしてるとこ、見たい」

「……おがしい!へ?今シババレー見たいつったさ!?」

「うん」

「あんべぇ悪いんか?大丈夫か?」

「もういい」

「だーっ、ごめんって!冗談!な?」


ぷいと前に向き直った私。
これを言うために、家で何度も練習したのに。本当は一昨日一番に言うつもりだったのに。ようやっと切り出せたはじめの一歩≠ヘ小さすぎて、スガには意外すぎて。
こっちを向いてと手招く指先が視界の隅に写った。もう一度一呼吸置いてから振り向く。


「でも、ほんと珍しい。何、気になる?」

「……私、部活入ってないから。ちょっと見てみたい」

「あぁ、そっか。いいよ、大地もなんも言わないと思うし」

「今日は病院があるから、ええと、来週の月曜日とか」

「うん、分かった。あ、ちょうどいいや。大地ーちょっといいかー」


それから澤村が来て、私が練習の見学をしたい旨をスガが話すと、ちょっと不思議そうな顔をしながら頷いてくれた。
澤村は一昨年クラスが一緒だったから顔見知りだ。その頃は私も今よりずっとましに学校に通っていたし、澤村はもしかしたら私が自由のきく身体でないことを知らないかもしれないけど。






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