大好きと私



「えっ、この間買った食材は」

「……食べちゃった」

「あんなに買ったのに?」

「……半分くらいは失敗して、ゴミ箱」

「勿体無い……」


教えてもらうようになってから、いくらか料理のバリエーションは増えてきた。けれども、火加減やら下ごしらえなんかで凡ミスをやらかすせいで、まともに食べられるものが出来た試しは少ない。
小腹がすいたから、生のままでも食べられるキュウリをお味噌でポリポリかじっていると、少し呆れたようにローワンは頬を掻いた。


「ある程度は買ってきたけど、まさかここまで空とは……」

「ありがと、はいこれ材料費」

「どーも」


キュウリを袋から出してそのまままるごとかじっていた昔に比べたら、ちゃんと洗ってヘタとお尻を切り落としてスティックにするまで出来てるんだから、誉めてほしいくらいだ。

お財布からお札を何枚か出して、多めに渡す。最初こそ嫌がられたけど、家政夫紛いのことをやらせているお給料だと思って、と無理やり受け取ってもらっている。
それに、働く時間はやっぱり学校に行っていない私の方が長いからね。多少はお金にも融通がきく。


「ふむふむ、この材料だと……シチュー?」

「惜しい、グラタンだ」


彼が持ち込んでくれたスーパーのビニール袋を覗いて尋ねると、手を洗って持参したエプロンをつけながら楽しそうに声を弾ませた。


「メモの用意は?」

「ばっちりです」

「よろしい。まず始めに、鶏肉を……」

「待って!鶏はムネ?モモ?」

「これ何に見える?」

「ムネ肉!」

「モモって此処に書いてあるよな?」



***



具材の下ごしらえと、ホワイトソースの用意が出来たところで、私の家にグラタン皿がないことに気が付いた。埃が被らないようにラップをしたり鍋蓋をしたりしてから、戸締まりをしてローワンと一緒に近所の100円均一へ向かう。
最近の100均はお皿も取り扱ってるから素晴らしい。100円じゃなかったりするけど。


「見てみて〜この柄可愛い」

「……面白い顔したゾウだな」

「パンダだよ。……あ、ちょうど色違いで二種類ある。これにしようかな」

「二つ買うのか?」

「え、だってローワンも食べるでしょ?」

「まぁ……」

「いいの、また来てもらうんだし」

「俺は別にいいけどね」


直感でビビッと来た、独創的なパンダ柄に一目惚れした私は、耐熱陶器のそれを二つ棚から選び取ってレジへ向かった。さっさと会計を済ませてしまうと、慣れた手つきでローワンがお皿を受け取る。
肩を並べて歩きながら、そっと俯いた。足の長さだって違うのに、歩幅を合わせてくれる。ローワンは、本当に優しいひと。


「そのうちさ、またグラスとか、お皿とか、買いに来ようよ」

「100均に?せめて300均にしないか?……って、え?」

「いっぱい家に来て、いっぱいご飯作ってね。一緒に美味しいもの食べて、……いっそ一緒に住んじゃったら楽かな」

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待て」


理解が追い付かない、とジェスチャーするように、お皿の入った紙袋を持つのとは反対の手で頭を抱えると、ローワンは一気に顔を赤くして口ごもった。


「……あの、それってつまり、」

「うん」

「改めて話したいことって、この事?」

「……うん」


別に、同情でも、自分を慰めるためでもない。
そりゃあ、家に独りでいるのは寂しい。ローワンが家に来て、ご飯を作って、そうやって一緒に過ごす時間に、たくさんたくさん癒されて、元気をもらったのは本当だ。


「ちょっと恥ずかしいから言わないでいたけど、お揃いの食器買ったり、一緒にキッチンに立ったり、なんだかカップルみたいだなって思ったから」

「は!?」

「友達に話したら、半同棲じゃんって言われた」

「へっ」

「ローワン、食器落としちゃやだよ」


間の抜けた声を上げる彼の手元で、がちゃがちゃとグラタン皿が悲鳴を上げている。
始終そんな調子で、危なっかしい彼のフォローをしつつ帰宅した。
真夏でもないのにびっしょり汗をかいているローワンに、タオルを貸してあげた。余程驚いたらしい。


「……夢みたいだ」

「大丈夫、現実だから」

「ちょっとどっかつねってくれ」

「えい」

「はなわふわわらいれ(鼻は摘ままないで)」


ローワンは、大好きだ。
だから、一緒にいたいと思ったのも本当だ。


「ふつつかものですが、よろしくお願いします」


抑揚のない声になったのは、きっと案外自分も照れくさいと思っている証拠なのかもしれない。

前世で、家族。なら、今世でも家族で上等だ。
ローワンの、確かめるような眼差しに、ゆっくり目を瞑った。壊れ物を扱うかのような仕草で、指先が、手のひらが頬に触れる。



嗚呼、あたたかい。


きっと、この温もりに埋もれてしまえば、私は。



吐息が、近い。
覚悟を決めた。
ほんのすこし、心臓が鳴いた。






「…………?」



いつまで経っても、距離は変わらない。

吐息の近さは相変わらず、なのに触れていた手のひらが離れていって、それから徐々に呼吸音すら遠退いていく。
どうしたのだろう、と恐る恐る瞼を開いた。



「…………夢みたいだ、」



もう一度そう呟くと、ローワンは瞬くことも忘れたみたいに私を見据えて視線を逸らさない。


「ローワン?」


ぱち、ぱちり。数回瞬いた彼の瞳からは、つうと涙が滴る。
それからごしごしと手の甲で目を擦って、驚いたように涙を拭った手を見つめていた。

様子がおかしいと思って、私は彼の目の前で手のひらを翳し、ゆらゆらと振ってみせる。
すると、戦慄く手つきで、ひどく時間をかけながら、彼は私の手を握った。


「どうしたの」

「……見え、てる」

「ねぇ、大丈夫?」

「触れた、」

「ローワン?」


「サーシェ、僕だ」


刹那、心臓が喘ぐ。

ローワンの声。瞳、手のひら、体温、顔つきも体も、全部ローワンのものだ。
けれど、何もかも違った。その一言で、私は分かってしまった。



「うそ、ダリ、」



言い終える前に、私はきつく、きつく抱きしめられていた。

息が出来ない。苦しい、骨が軋む音がする。
それでも構いやしなかった。私も、全身全霊でもって彼の広い背中を抱き返す。

もうずっと忘れていた泣き方を、不意に思い出したんだ。



「サーシェ、サーシェ」

「……っ」

「ぼく、僕だよ、ねぇ」

「っわか、わかるよ、ずっと探した、ずっとずっとずっと……っ」

「ばか、いつも隣にいた……!」

「見えないよ、ダリルくんのばかぁ……!!!」


それから、まるでタイミングを合わせたみたいにせーので膝から崩れ落ちた私達は、過呼吸みたいにぜいぜい喘ぎながら、お互いの名前を呼び合って暫く抱きしめ合っていた。
誰でもない、誰の代わりでもない、ただひとり求めたその人。

永遠みたいに感じた。
永遠になればいいと、思った。



***



「おいしい」

「僕が作ったんだから、当然だろ」

「ダリルくんじゃなくて、ローワンでしょ」

「黙って食べなよ」


お互い目も当てられないくらいぐずぐずになるまで泣いて、落ち着いてから顔を見合わせたら、自然と笑顔がこぼれた。
それからお揃いのお皿に盛り付けて、オーブンレンジで仕上げに加熱したグラタンを、一緒にテーブルについて食べる。世界一美味しいグラタンだと思った。


「ふざけんななんで見えないわけ、3ヵ月も放置とか有り得ない」

「それ私の台詞、どこほっつき歩いてたの」

「だからずっと横にいたってば」

「信じらんない」

「そっくりそのままお返しするね」

「じゃあそれをまた返す」

「返すなよ」


実に奇妙な心地ではあった。ローワンの顔で、声で、こんなにふてぶてしく憎たらしい言動を吐くその中身は、私がずっと会いたくて、それでも諦めようとした人だ。
久しく味覚を味わった彼は、言葉こそ私に対する文句ばかりだが、始終幸せそうに頬を弛めていた。


「……でも、どうしていきなり。それも、ローワンの中入っちゃったの」

「わかん、ない」


ギクリ、と言わんばかりに体が震え固まったのを見逃さなかった私は、更に泳ぎまくっている視線をこちらに向けさせて睨み付けた。
白状するように、そろそろと彼が口を開く。


「…………おまえが、アンドレイと……キ、キス、すると……思ったら」

「思ったら?」

「……無我夢中で、割って入ろうと、して。そしたら目の前に、おまえがいて……触れた」


ふうん、と大雑把に相槌をうって、それから私は首を傾げる。
なんだか久しぶりすぎて、感極まって抱きしめちゃったりしたけど。彼が好きなのは、今まさに体を借りているローワンその人なんじゃないのか。
どうして私ではなく、彼の体に入ってしまったのだろう。


綺麗に平らげて、スプーンをお皿に置いた瞬間、まるで横殴りの雨嵐みたいな勢いで抱きつかれた。一瞬無呼吸になって、チキンが気管でつかえたかと思う。


「……あったかい」

「……痛いよ」

「うっさい」

「ローワンの顔してそういうの言わないでよ」

「黙れよ浮気者」

「はーぁ?」


思わずため息をつくみたいに感じの悪い返事をした。
大きな背を情けなく丸めて、ひしと私を抱きしめたまま離さない。


「アンドレイに乗り換えようとしたくせに」

「乗り換え、………そんなんじゃ、ないもん。ローワンとは、」

「ねぇ、ホント黙って」


首筋に埋もる彼の顔が、吐息がくすぐったくて、身をよじった。
何処へも逃げやしないのに、彼はいっそう抱きしめる腕の力を強める。



「この3ヵ月、ずっとずっと頭がいかれそうだった」



私のよりずっと大きくて、ずっとずっと小さな背中。
触れられなくて、手を伸ばすのも怖かったものが、すぐ傍で、目の前で、私を抱きしめている。


「……夢かと思ってた」


私だって、信じられなかった。
彼と過ごした時間か、それとも彼がいないこの3ヶ月か、どちらが幻か分かりかねる程ふわふわとした心地で生きてきた。

触れた肌がぴりぴりと痺れるようだ。
火照って、熱く爛れて、溶けて消えてしまえたらいいのに。

そうしたら、もう二度と恐れることなどないのに。



この気持ちは、一生涯私の内に秘めたままでいようって決めていた。

再会して、触れられるようになったいまだって、その志は変わっちゃいない。
だって伝えてしまったら、今度こそ私は彼への想いに埋もれて、抜け出せなくなってしまう。


「……今、ローワンの体から抜けてしまったら……また、見えなくなっちゃうのかな」


大好きだ。どうしようもなく。

ただの拠り所でもいい。思いの丈も、傾けられた想いの形も、私が彼に向けたものと全然違ってかまわない。
ただこうして、会えず言葉交わさずの間を惜しんでくれた、それだけで幸せだ。彼の心が、ほんのすこしでも私に傾いたことが、たまらなく嬉しい。


「見えるよ、きっと。今度見えないなんてほざいたら、またおまえの顔面に枕を叩き込んでやる」


ほら、返事がある。

余計な一言がくっついている。

ばかみたい。たったそれだけのことが欲しくて、私は涙を枯らすほど泣いたというのに。


こんな簡単に、言葉が交わせること。

私はきっと、この想いを伝えはしなくたって、一生忘れやしないだろう。





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