「あれから、どうだい」
訊ねてくれるローワンに、私は苦い顔をして笑う。
「会えなくなっちゃった」
ダリルくんが私の目に見えなくなって、3ヵ月が経とうとしていた。
嘘界さん曰く、元々見えていたのだから、波長さえ合えばまた見れるようになるらしい。
波長、なんて言われても、どうやって合わせればいいのやらで、私はすっかり成す術をなくしていた。
また、嘘界さん曰く、彼は今でも私の傍にいてくれているらしい。それはもう、憑かれていると形容してもおかしくないほど、ぴったりと寄り添ってくれているとか。
確かめようもなくて、信じるに信じられなくて、私はそうですかと口元だけで笑顔を作るしかない。
「あれきり連絡無しか」
「もう駄目かも」
「はは」
ローワンとは、遠からず近からずの距離感を保っている。
急に寝坊癖が目立ってきた私に、毎朝モーニングコールをしてくれたり、週に一回はうちに来るか家に呼んでくれるかして、料理を教えるついでに私の食事管理をしてくれたり。
少し仲良しな、あくまでもお友達でいてくれる。でも多分、きっと彼はまだ私のことを好きでいてくれている。聞いたことはないけれど、態度でなんとなくわかる。
だから、私はそこにつけこんで、甘えている。
あわよくば彼のことも忘れて、ローワンに気持ちが傾いてしまえばいい、と思いながら。
面白がって頻繁に私に会いに来てくれるようになった嘘界さんは、ごくたまに気が向くと「今ああだこうだと言っています」なんてふうに通訳してくれた。でも、自分の目に映らなくなった途端、それはまるで嘘界さんの戯言のように聞こえてしまうから不思議だ。
「よい、しょ」
「あぁほら、持つよ」
「ん、ありがとう」
在庫の本が入った段ボールを受け取ったローワンが、私の代わりに作業を続ける。彼ももう粗方の仕事は覚えてしまったので、いちいち着いて回らずとも他の作業が出来る。
そうして別々に仕事を進めて、少し時間が余るとレジコーナーの内側で世間話をするのだ。
「まだその人のこと、好きなのか?」
「気になる?」
「そりゃな」
「ふふ、……わかんない」
ピーク時に散らかしたカウンターの筆記具を片付けながら、私は薄く微笑う。
あんなに毎日眺めていたはずなのに、今じゃもう彼の顔がぼやけてしまって思い出せない。
「って言ってもさ、知り合って1ヵ月と少ししか一緒に過ごさなかったし」
「時間なんて関係ないと思うけど」
「ローワンがそれを言うと信憑性ないよ」
「そうか?」
「そう」
だって、あなたはもうずっと私のことを気にかけてくれるじゃない。
一途で真っ直ぐで、思いやりがあって気が遣える、頑張りやさん。
好みとかそうじゃないとか、そんな枠組みで見られないだけ。
もし彼を好きになって、万が一お付き合いを始めたとして、そうしていつか、こんなふうにぷつりと関係が絶たれてしまうことを考えたら、あまりに恐ろしくて夜も眠れない。冗談?とんでもない。
「薄情な人だから。いっつも思わせ振りなだけでさ、私は彼の想い人の代わりにすらなれなかった」
「……どうりで、代わりになれない≠ェ説得力あったわけだ」
「あぁ、ごめんそういうわけじゃ」
「ふふ、気にしてないよ」
「……もう。この話はおしまい」
私を元気付けようとしてくれているようだった。けれども、本当に気にしていないようだったから、私は肘で彼を小突いた。
その日は、コンビニの夜勤が入っていたので、自宅には戻らず真っ直ぐ次の職場へと向かった。
制服に着替えてレジへ出ると、ちょうど入り口の自動ドアが開く。いらっしゃいませ、と視線を滑らせると、見慣れた桃色髪がふるりと揺れて手をあげた。
「いのり」
「こんばんは」
「こんばんはー、仕事上がり?」
「ううん、これから別スタジオでラジオの収録」
「売れっ子は大変だ」
「うん、だからご飯買いに来た。サーシェ今日いるって言ってたから」
「そっか」
ふんわり柔らかく微笑んだいのりは、真っ直ぐドリンクコーナーへ向かうと、緑茶を手にしておにぎりのコーナーへ直帰してきた。店内を物色している客は他にもいたが、この時間だ、急ぐほどのものでもない。
「今日はおかかと焼き鮭ですか」
「そんな気分」
「ふふ、いくらはまた明日?」
「うーん、明太子かも」
他愛もない話をしながら、商品をレジに通してお会計を済ませる。
お手拭きと一緒に袋に詰めていると、いのりが財布の中を覗きながら問うてきた。
「今日は何時まで?」
「んー、4時までかな」
「いつもお疲れさま」
「いのりこそね」
すると、彼女は袋を受け取ると同時に500円玉を取り出して、私の手のひらに握らせた。
「え、」
「これ、私の奢り」
「どうしたの」
「最近、ずっと元気ないから。ご飯ちゃんと食べてね」
「……うん。ありがとう」
「今度のオフ、一緒に遊ぼ」
心配をかけてしまったようだ。あまり表情豊かでないいのりが、眉尻を下げて心底不安そうな顔をするのだから、相当だろう。
また連絡するね。手を振りながら店を出ていった彼女に、手を振り返す。すぐに次のお客がレジにやって来たので、私はポケットにその500円をしまいこんだ。
***
ダリルくんがいなくても、……ううん、ダリルくんが見えなくなっても、私の日常は変わらず巡った。
いつかこれが当たり前になっちゃうんだろうな。いや、ダリルくんがローワンに巡りあえて、想いを遂げたその日には、きっとこうなっていたはずなんだ。
私にダリルくんが見えなくても、彼はずっと傍にいる。……いや、分からない、全部嘘界さんの優しい嘘かもしれない。
彼がいつも隣にいるという確証はなかった。この目に映して、彼の声を聞かない限り、私はいつまでも信じることが出来ないだろう。
「ローワン、取っちゃおうかな」
帰宅してすぐ飛び込んだベッドに転がって、薄ら明るい空を仰向けに見上げながら一人ぼやいた。
最近は、彼といる時間の心地好さにも馴染んできた。シュウにそのことを話せば、事実上付き合っているようなものだと言われて、なんだかむず痒い気分でいる。
ダリルくんの想い人だから、すこし後ろめたさを感じているだけなのかもしれない。もしかしたら、とっくのとうに私ってば、彼が好きなのかもしれない。
「………なんてね」
怒ってくれればいいのに。
おまえにあいつは勿体無い、って自慢気に鼻で笑ってくれたら、もっといい。
せめて、またクッションが飛んできたら、すこしくらい君の存在に確証を持てるのに。
「寂しいよ」
懐かしいね。3ヵ月前、君が見たいって言ってた映画を何本も借りてさ、翌日が休みなのをいいことに夜通しで一緒に見たんだよ。
あの日君は、少しずつ記憶を取り戻しているのは、私のおかげもあるって言ってくれた。すごく、すごく嬉しかったな。
映画だけじゃない。このベッドに二人で腰掛けて、何度も一緒にテレビを見た。チャンネルの主導権はいつだって君が持っていて、私は隣で話し半分にご飯をつついてた。
今でも、時々あの映画を借りてきて見るよ。
ダリルくんが好きだって言ったシーンは巻き戻して繰り返し見た。
ダリルくんが毎日何気なく見ていたあの昼ドラは、もうシーズンを終えて新シリーズが始まっちゃったよ。
大好きな君のことなら、なんでも思い出せるんだ。
「もしもし、ローワン」
明け方に申し訳ないとは思いながらも、電話をかけた。
5コール目で出た彼は、少し寝ぼけたような掠れ声だ。
「こんな時間にごめんね。……うん、いま帰ってきたの。……うん、うん。
あのね、ちょっと改めて話したいことがあるから、今日ご飯作りに来てくれる?」
そろそろ、私の時間も先に進めなくちゃならない。
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bkm