片想いと私


今日は帰ったら何をしよう。


干してある洗濯物を取り込んで、ご飯は昨日買ったスーパーの惣菜の残りがあったからそれで済ませるとして……そうだ、帰りに映画を何本かレンタルしよう。あのゴーストはテレビを見ているときが一番静かだし、確か見たいと騒いでいたものがあったはずだ。
それから、読み途中の本を読んでしまわないと。図書館の返却日は明日だったはず。あ、台所洗剤が切れていたんだった。やっぱりスーパーに……いや、レンタルストアの隣の薬局に寄ろう。そうしよう。

考えてみると、案外やることってあるものだ。日々忙しなく、そして充実している人に比べれば、ちっぽけなスケジュールかもしれないけれど。


「ローワンは今日このあと、どうするの?」

「えっ!?……あぁ、うーん……そうだなぁ、課題2つと、溜め込んでしまってるレポートを3つ完成させないと」

「なんかごめん」


同僚のアンドレイ・ローワンは、この書店に春から勤め始めたばかりの新入りバイトだ。
元は此処の常連客で、幾度か顔を合わせるうちに名前を覚えられていたようで、ある日おすすめの本を教えてくれと声をかけられてから仲良くさせてもらっている。
彼は有名大学の理系学部に所属する苦学生で、このバイトも生活費を工面するために始めたらしい。食べていくだけ稼ぐとなると、必然的に長時間の勤務になるため、出勤日が重なることも多い。
よって私が彼の教育係を店長に頼まれてはいるのだが、何せ彼のほうがうんと年上だ。元々客だったこともあって、うまく接することができなかった私に、「君の方が先輩なんだから、気兼ねしないで」と言ってくれた。生真面目で心優しい、素敵な人だ。今となっては、兄と妹のようだと言われるほど親しくなった。


「謝らないでくれ、溜めてる俺が悪いんだよ」

「でも、ローワン忙しいし……仕方ないよね」

「まぁ、妥協すればもっと簡単に終わらせれるんだろうけど……納得いくまでやりたい性分なんだ」

「研究者肌だねぇ」

「それほどでもないさ」


照れたようにはにかむ彼が運んできてくれた段ボール箱を受け取る。注文を受けて取り寄せた書物に間違いがないかチェックをしながら、ローワンに発注物の扱い方を教えた。


「うん、うん。分かったよ」

「ローワンは理解が早くて助かるよ、私教えるの苦手だから」

「ハハ、そんな気がする」

「分かんなくなったら、いつでも聞いて」

「オーケー」


精算を済ませてレジスターの中身を入れ換えていると、そうだとローワンが声をあげる。
手を休めないままどうかした?と返すと、脚立を肩に抱えた彼が、少し視線をさ迷わせたあとに私に向き直った。


「今夜は都合が悪いけど、明日とかなら空いているから」

「え?」

「一緒にディナーでも……どうかな」


語尾が若干小声になっていたが、十分聞こえていた。
あぁ、先程都合を訊ねたから、私が食事に誘おうとしたように感じたのかな。
全然そんなこと考えていなかったのだけど、せっかくのお誘いを無下にするわけにもいかないだろう。


「明日ね。夜勤もないし……分かった、空けておく」

「本当かい!良かった……あ、いい店を見つけておくよ」

「うん、楽しみにしてる」

「何か、食べられないものとか……」

「特にないから大丈夫」

「それはいいね」


心底嬉しそうに笑顔になる彼に、なんだかこっちまで照れくさくなる。
懐く、とは少し違うかもしれないけど……何より、誰にでも人当たりの良い彼に好かれて嫌な気はしない。


じゃあ、また明日。一足先に退勤した私に、お疲れさまと手を振る彼は、とても年上とは思えないほどに和やかで癒される笑顔を浮かべた。






「はーぁ?デートォォオ?」

「デートじゃないよ、ただご飯食べにいくだけだもん」

「二人きりで?それをデートって言うんだろ!」


借りてきてあげた映画に喜んだのもつかの間、明日は帰りが少し遅くなることを告げた途端これだ。
ダリルくんが癇癪を起こすと、部屋中の物が独りでに散らかってしまうので、どうどうと落ち着かせる。


「何時に帰るの!また僕はほったらかしか!」

「過保護だなぁ〜……夜勤の日とそんなに変わらないでしょ、むしろ日付変わる前には帰れるんだから。ほったらかしって、いつものことじゃん」

「他人には時間を割くくせに」

「勝手に居着いてるのはそっちでしょ」

「たまには僕の手伝いもしろっての!」


この構ってちゃんめ。
ローワンとは大違いだ、わがまま放題なんだから。

しかし手伝えと言われても、この辺りの墓地なら私よりダリルくんの方が断然詳しいし……今さらしてやれることなんて。


「じゃあこうしよう。僕も連れていけ」

「えぇ〜〜?」

「別に構いやしないだろ!どうせ相手に僕のことは見えないんだから」


どうせ、なんて言いつつ、ぷいと顔を背けてしまうその後ろ姿は、何処と無く寂しそうだ。
……私が彼にしてやれるのは、その姿をこの目に写すことだけ。彼が、存在していることの証明になることだ。


「……分かったよ」


息を吐くように、そっと答えた私に、ぴくりと彼の肩が跳ねる。
ダリルくんは膝を抱えた格好のまま、ちらりと私を見て、それからぽすんと私の隣に座るように移動してきた。


「昔、彼≠ニこうやって映画を見た気がするんだ」

「……そうなんだ」

「ひどく世話焼きなひとだったから。僕の食事を気にかけて、よく部屋でごちそうしてくれた」

「うん」

「僕、それがすごく嬉しかったんだ。……素直に礼のひとつも言わなかったけど」


尖らせていた唇は、いつの間にか弧を描いている。
ゆらゆら震えるすみれ色には、いま何が見えているだろうか。おぼろ気な記憶から、必死に彼≠フ面影を手繰り寄せているのだろうか。

嗚呼、本当にちっとも敵いやしないんだ。


「ダリルくん、前よりも彼≠フこと、思い出せるようになったね」

「うん。……あの空き家に居たら、きっとずっと思い出せなかった」

「そうだね、……毎日頑張ってるからだね」


ディスクを再生機器に挿入すると、リモコンを持たずしてチャンネルが切り替わる。
また彼の隣に、少し距離をあけて座り直すと、照明がぱちんと落とされてテレビの明かりだけがほの暗く部屋を照らし出した。

一昔前の、それでも映像が美しいSFアドベンチャー。テーブル脇に積まれた他のディスクには、昔ながらのアメリカンカートゥーンのロゴも入っていて、私が好きなものやいま流行りのものとは違うことを改めて意識したりして。
彼が生きたのは、私が生まれるよりもずっとずっと昔。映画とは違う。残されるべくして残ったものじゃない、ぜんぶ偶然。私がこの町に越してこなければ、あの空き家を通りがかることもなかった。

いま、こうして彼が隣にいることだって、みんなみんな偶然の産物なのだ。


膝を抱えた体勢を崩さない彼は、テーブルに並べられた菓子にもカップに入ったドリンクにも、手を伸ばさない。触れることもできない。
食い入るように映像を見つめる瞳は、何か彼≠フ手掛かりを見つけようと、思い出そうと懸命だ。


映画がつまらないわけじゃない。でも、結局彼と同じ世界を見ることはできないのだと分かって、俯きながら夕食をつついた。



「おまえのおかげもあるよ」



ふと、呟かれた言葉。

聞き間違いかと思って今一度隣の彼を見ても、視線は相変わらずテレビに向いたままだったけれど。


「おまえと過ごす時間が、思い出させるんだ」



結局、最初から最後まで、私は彼≠フ代わりのままなんだろう。
それでもいいと思った。ひどく悲しそうな面持ちで、自分のこともままならないくせに、大切なひとのことを思い出したいんだと言う彼を、手伝ってやりたかった。

馬鹿だなぁ。どんなに力を尽くしたって、ダリルくんの一番は彼≠フままなのに。
これほど不毛な恋があるだろうか。


「……そっ、か」


とてつもない嬉しさと、同じくらいの虚しさに襲われる。
掠れた吐息混じりの答えは、テレビの雑音に溶けて消えた。

一緒にいる時間を削るのは、彼の傍が心地よくて、同じくらい胸が痛むからだ。


「はやく、見つかるといいね……」


精一杯の強がり。きっとこぼれた涙に、隣の彼は気付いていない。

私があけたままの二人の距離は、それきり映画が終わったところで埋まりはしなかった。



***



翌日。前もってメールで連絡された待ち合わせ場所に向かう私と、隣をふわふわと着いてくるダリルくん。


「なんか気合い入ってない?」

「そんなことないよ」

「いや、絶対あるね」

「ないってば」


クローゼットの奥にしまいこんでいたワンピースを引っ張り出して、普段は着もしないフリルつきのカーディガンを羽織って。化粧は元々しないから、いつだったかいのりにもらったネックレスをつけた。パンプスはローヒール、でもいつものスニーカーに比べればずっとましだろう。
いつも同じ白い病院服のような格好をしているダリルくんは、私をてっぺんから爪先まで眺め回して、奇妙なものでも見るような顔をした。

昨日、寝る前に決めたんだ。
叶わない人をいつまでも追いかけていないで、新しくすてきな恋をしようって。
まだまだお友達気分だけど、せっかくのデート≠ネら幾分かはおめかしをして行こうって。


それでも、まだちょっぴりドキドキしてしまうのは、いま隣にいるのがダリルくんだからで、いつもより華やかな格好の自分を見られているからだ。
なかなか片想いを諦めるというのは、難しい。


時間ぴったりに待ち合わせ場所に着けば、いつもバイトに着てくるよりおしゃれな服とブーツに身を包んだローワンを見つけた。


「お待たせ」

「ううん、俺もいま来たところ」


夕方日暮れ時。ビルの隙間に沈む太陽の光が眩しいね、なんて言えば「君の髪の色みたいだ」とか、そんな口説き文句がローワンの口から出るのを聞いたのは初めてだ。


少しだけ緊張してきた頃、さぁ行こうと先導してくれる彼の隣をついて歩く。さりげなく足並みを合わせてくれるところも彼らしいはずなのに、今日ばかりはなんだかいつもと違って感じた。


ふと、さっきまで私の左隣を占領していた男の子の姿を探す。
どうせ見えないんだから、とデート中も堂々と横にいるものだと思ったのに。
あまりキョロキョロすると、ローワンに不思議がられてしまう。信号で止まった隙に来た道を振り返って、私は気が付いた。


(…………まさか)


待ち合わせ場所から一歩も動けていない彼は、瞬くことも忘れてこちらをじっと見つめている。
遠くからでもその姿が鮮明に見えるほど、生憎私の視力はずば抜けて良い。

今日ほど見たくなかったと思った光景はない。


みつけた、と彼のくちびるがゆっくり動いて、ぱたぱたと眦から雫をこぼす。

信じられなくて、信じたくなくて、それでも彼は瞠目したまま視線をそらさない。


私は、隣の彼≠見上げ、その穏やかな微笑みに息を止めた。
心臓が凍りついたかのようだった。



ローワンは、前世の彼≠セ。





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