お隣さんと私


私の朝は、少し遅めだ。


「いい加減起きろって〜」


テレビが、勝手についている。
お昼のバラエティーも見飽きたのか、チャンネルをいくらか回したあとで、彼は指を一振り。それでぷつんと電源が落ちる。
ふわふわ漂いながら私を見下ろしてくるゴーストが、むくれた顔で器用に宙返りを決めた。


「サーシェ!」


私にしか聞こえない声で騒がれるのだから、寝坊助の私にぴったりの目覚ましだ。


「今日は昼まで寝るの……」

「おーきーろーよー」

「昨夜の夜勤明けなんだからさ……まだ13時じゃん」

「僕が退屈!」


毛布をかぶり直しながらもごもご話すと、ダリルくんは今度逆さまになってこちらを睨み付けた。どんなに動いても家具に当たることはないし、重力を無視した体勢だってお手のものだ。

そもそも、私が起きたところで、言うほど退屈を凌げるとも思わない。私よりむしろ彼の方がお喋りであるし、本を読んだり音楽を聞いたりして時間を潰すのがほとんどだ。


「そんなに暇なら、いつもの彼£Tしに行けばいいでしょ……」

「おまえが起きないと行くに行けないだろ!ほっといたら一日中寝てるんだから」


そう、バイトのスケジュール然り、朝の目覚まし然り、彼はなにかと言えば私の生活を管理しようとする。
以前それが煩わしくて怒ったところ、彼なりの言い分を聞かされて納得してしまったのだ。


「せっかく生きてるのに!」

「それを言うのは、ずるい」


人肌恋しくて傍にやってきたこのゴーストだけれど、当然ご飯も食べなければ眠りもしない。疲れ知らずで、なんでも出来るけど、何にも触れられない。そして、私以外の目にはめったに写らない。
私の傍に居れば居るだけ、死者としての自分を自覚すると言っていた。当たり前に出来たことはほとんどが不可能になった。生前のたらればによる後悔だって、言わないだけで抱えるほどあるだろう。
だから彼は、私に「生きている時間を無駄にするな」と怒る。疲労という感覚を忘れた彼は、もはやそれを概念としてしか捉えられない。

それに加え、ダリルくんは「彼≠ェ生活習慣は整えるべきだって言ってた」と自慢げに話すのだから、私に勝ち目などない。彼は、ほのかに残っている彼≠フ記憶やその人間性に忠実だ。


中途半端に目が覚めたおかげで、お腹がモノを入れてくれと訴え始める。仕方ない、起きて何か食べよう。


「おっまえ相変わらず料理へたくそだな!」

「うるさいやい、自分が食べれるんならそれでいいのっ」

「オムレツくらい焼けるようになれよ!」

「毎日練習してるでしょ〜」

「それで途中で失敗していつもスクランブルにして誤魔化すんじゃん!」

「…………。」


まったく、小うるさくて自己主張の激しいゴーストだ。
両親のいない私だけど、お母さんというものがいたらこんなふうなのかな、と思いを馳せた。



***



また別の日のこと。
ダリルくんが起こしてくれたおかげで、ギリギリゴミ出しの時間に間に合った。家にいる時間が不規則なせいで溜め込みがちなんだけど、彼はもっぱらきれい好きなので、ゴミ箱から溢れるまで放置する私にはとやかく小うるさい。
ゴミ捨て場から戻ってきた私を見て、気がついたように瞬く人がいた。隣部屋に住んでいる彼女は、よくお昼頃に働きに出るようで、なかなか滅多に顔を合わせない。


「こんにちは」

「こんにちは。今から仕事?」

「うん、レコーディングと取材」

「今日も忙しそうだね」


楪いのり。18歳。EGOISTという名で現在売り出し中のシンガーソングライター。私と同い年であるとは思えないほど、彼女は至るところで活躍している時の人だ。
私も彼女の歌声に惹かれて、CDショップ店員だった頃は立場を利用して新曲のフラゲに勤しんだりしたものだ。それが、引っ越してきたら隣に住んでいたとあって、珍しくどもるほど驚いたっけ。

今じゃ、年も近い友人として、オフが合えば一緒にご飯を食べる仲だ。……そもそも、彼女は忙しさにかまけてあまり食事しない質なので、どちらかといえば夜遅く、私が夜勤を務める近所のコンビニで顔を会わせることの方が多い。


「珍しいね、サーシェ。早起き」

「あー……うん。ちょっとね」


まさかゴーストと、それも最近どころの話じゃなく同居しています……なんて言えようはずもない。
彼がうちにくるまでは、仕事のギリギリまで寝てるなんてことザラにあったし……不思議がられても仕方ないといえば、仕方ない。


「そういえば、シュウとは仲良くしてる?」

「うん」

「そう、良かった」


シュウは、CDショップ店員時代の同僚で後輩だ。EGOISTを私に勧めてくれたのも彼で、私はそれまで邦楽をあまり聞かなかった。趣味の幅を拡げてくれた上、好きな曲について語らうことのできる、私の数少ない友人でもある。

友達が少ないのはいのりも同じらしく、紹介したところ気が合ったようで……うまくやれてるようなら、何よりだ。


「今度、海遊館に連れていってくれるって」

「あぁ、なるほど……」

「?」

「なんでもないよ」


バイト増やそうかなぁ、なんて相談のメールが飛んできたときは、学業もあるんだから焦らずに頑張れば、とか適当なこと返しちゃったけど……いのりとのデート費用を稼ごうとしてたのかも。男の子は大変だ。
男の子といえば、うちに居座ってる透けた男の子は、生前そんな努力をしたことあったのだろうか。……いや、無さそうだ。むしろ彼≠フ方が、そういう気を回していそうだし。振り回されるより、振り回す柄だったに違いない。


「じゃあ、もう行くね」

「うん。気をつけて」


桃色の髪を揺らしながら、花とも石鹸ともつかない柔らかな香りをふうわりと漂わせて、ぱたぱたと駆けていく背中。あんな細っこい体で、来月には全国ツアーが待っているだとか。頑張ってほしいな。


「あ。そうだ、サーシェ。夜中のアレ、独り言?」

「んっ?」

「時々、話し声聞こえるけど」

「あ、あー。えっと、電話してて。ごめんね、気を付ける」

「わかった」


ダリルくんとの会話は、他人からしてみれば私の不気味な独り言。そりゃあぶつぶつ隣の部屋から話し声がしたら、妙だとも思うだろう。
しかし、このマンションそんなに壁薄かっただろうか。気を付けるに越したことはない。


今度こそ、エレベーターに乗り込んだいのりに手を振って、私は通路の一番奥の自室へと向かった。





「聞いてよ、今日さぁ……ってまた惣菜パン?たまには精のつくもの食べろって!」

「どうせ料理できないもの」

「書店勤めなんだからレシピ本ぐらい買ってこいよ!」

「本があったって作れるかどうかはまた別!」


夜、今日の仕事を終えて帰宅後、そんないつも通りの馴れ合いも程々に、大きな声を出してから「あっ」と口を押さえる。
そんな私を怪訝な面持ちで見つめるダリルくんは、今にも小言の続きが飛び出しそうなのをやや我慢している様子。


「なんだよ」

「あんまり大きな声で話してると、お隣さんに聞こえちゃう」

「そんなの、今更だろ?気にすることないじゃん」

「ご近所付き合いも大事なんだよ」

「ふぅん」


雑誌を広げた私に「話の途中!」とまた眉をつりあげるダリルくん。聞こえないふりをしていると、後ろ頭にぼふっと衝撃。


「物触れないくせに……」

「へっへーん、ポルターガイストも使いようってね!」


飛んできたクッションを、ふわふわ浮かぶ彼目掛けて投げるも、すかっとすり抜けるばかりか棚に当たって、いくらか積み重ねていた本がバサバサと崩れ落ちた。
やらかした、と慌ててそれを拾い片付ける私の後ろ、くすくすと笑う声にむっと閉口する。


「ずるい、こんなの不公平だ」

「僕が生身だとしても、おまえには当てらんないよ!」

「わかんないよ、案外弱っちいかもね」


あっかんべー、と下瞼を伸ばし舌を見せれば、負けじと彼も同じことをして見せた。

結局喧嘩になって、帰ったばかりのいのりがどうしたの?と訪ねてきた頃には、部屋がとっ散らかっていたことは、また別の話である。


prev next

bkm
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -