真相

朦朧とする意識。
遠ざかる光と僅かな音。

色を失っていく世界が眩しく感じて、ひとたび瞬けば、すこし色褪せた世界が私を出迎える。
古ぼけた映画フィルムのように、所々かすれた景色に目を凝らしながら、私は耳をすます。


僕が、こんなちんちくりんとぉ?


それは、だいぶ耳に馴染んだ、聞き覚えのある声とそっくり同じものだった。
視点は少し低い位置で、足元のブーツに目をやるほうが気兼ねしない心地であった。
よく磨かれたベージュブラウンの革靴を小気味よく鳴らせながら歩み寄ってきたそのひとは、不満そうに漏らすなり、ふと視線を私の後ろのひとに寄越しながら続けた。


「まだまだ子供じゃないか」

「来年には10歳になります」

「げぇっ、5つ差ぁ?ないない、幼女趣味とか絶対ないから」

「いまに美しい女性へと変貌を遂げるでしょう、ね?サーシェさま」


漸く見上げた景色には、星の粉を振り撒いたような綺麗なブロンドを揺らす彼と、私のお付きのものらしい使用人が相対する表情で言葉を交わしていた。


「すぐに年の差も気にならなくなりますよ」

「いーや、それはない。何年経ったところで、恙神家の坊っちゃんは癪にさわるし、桜満家の姉弟も僕からすれば……」

「女性は変わるものなのですよ、ダリル坊っちゃん。決め付けはよろしくありません」

「はいはい」


聞きあきた、と言わんばかりにぞんざいな返事を残し、彼は踵を返した。
どうやら認識の間違いだったらしい、坊っちゃんと呼ぶあたり、この付き人は私ではなく彼の使用人だろう。


「こんなのがメノーム家の直系とはね。……全部こいつのためだったってわけだろ?」

「そうとも言えますが……坊っちゃん、」

「別に隠すほどのことでもないだろ。許嫁だっていうなら、それくらいの秘密は共有してしかりだ」


秘密?首を傾げた私に、視線を合わせるよう腰を折った彼。ずいと近づけられた端整な面立ちが映る。


「そう、秘密。お前のための、お家再興を賭けた一大プロジェクトさ」

「………?」

「ま、形だけの許嫁なんて、慰めのひとつにもなりゃしないけどさ。しかも相手が9つのガキんちょときた」


「誰に向かってそんな口をきいてるんです」


新たに響いた声。上物のスラックスの隙間から覗き見える独特の背広姿の男は、黒髪を切り崩したような前髪をしている。
あまり見目に覚えはないものの、人を食ったような雰囲気そのものは見知ったものであった。


「嘘界」

「相手はメノーム家の将来を担う大事なお嬢様ですよ。ずっと格下のあなたは、もっと下手に出るべきです」

「……わかってるよ」

「本来ならば、許嫁なんて立場、勿体無いことこの上ない名誉。有り難く思わずにいるなんて不躾なまね、私が見過ごすとでも?」

「あーあーわかってる、わかってるってば!」


ぉ小言はたくさんだ、とでも言いたげに、颯爽と行ってしまった彼。目で追いかける視界に、不意に黒髪の男が写りこんだ。


「此度は、我が息子がご無礼を働いたこと、大変申し訳なく思います。どうかこの嘘界に免じて、ゆるしてやってはもらえませんか」


いいよ。小さく頷いた私の頭をそっと撫でる手のひらは、人肌並みにあたたかかった。



***



景色は移り変わり、気付けば私は、手入れの行き届いた庭に立っていた。
ひらひらと舞い誘うような蝶の姿を追い掛けていくと、庭の奥まった場所に彼はいた。
彼の足元の花に留まった蝶を興味深く眺めていると、平和なことで、と半分鼻にかけたような口調で言われた。


「ダリルくんは、ちょうちょきらい?」

「気安く呼ぶなよ、しかも君付けって……僕のが年上なんだけど。……まぁいいや、別に、嫌いじゃないよ」


意地悪ばかり言うわりに、質問には律儀に答えてくれる。
そういうところは、昔から変わっていないんだなぁと思わせられて、しみじみとしてしまった。


「おまえさぁ、」

「ん?」

「……なんでもない」


どこかぼんやりした表情で、花を摘む私を見つめる彼と視線が絡む。私は、思い出したように口にした。


「プロジェクトってなに?」

「え?……あぁ、そうか、お前は本当に何も知らないんだな」


それから彼は、訥々と語り始める。
私の家は嘗て市場を支配するほど名を馳せた商人の生まれの貴族であること。今ではすっかり名も廃れた旧家であるうちを、再び権威あるものにするため、高く売れる技術を開発している。それが、メノーム家の再興を賭けた一大プロジェクト。
彼はその技術協力をするセガイさんのおうちの養子で、より資金協力をする代わりに、開発の手幅を広げるため私との婚約を定められた身だと言い、そこで言葉を区切った。


「ま、よーするに大人の事情ってやつだよ」

「……ふぅん」

「お前、半分わかってないだろう」

「わかってるよ、……たぶん」


両手いっぱいに摘んだ花束を彼に手渡せば、受けとるなりひとつひとつ花をほどいて、いくつかに分けて茎を束ね始めた。


「ここだけの話さ、メノーム家の再興なんてどこん家も望んじゃいないんだよ」

「どうして?」

「市場を支配するっていうのは、何も綺麗な話じゃない。独占されようものなら、他ん家には損しかないわけだし、それだけの強みがあるのは裏社会に通ずるパイプがあるからだってもっぱらの噂だ」

「じゃあ、どうしてセガイさんはうちに協力的なの?」

「あの人の考えることはよくわからないよ、大方取り入って、利益のみならずあわよくばパイプのいくつかに顔利きできるようにしたいんじゃないの」

「……よくわかんない」

「だろうな、おこちゃまには難しい話だよ」


彼は手のなかにあったものを私の頭上に乗せると、「なかなか様になってるじゃん」と微笑った。
なんだろうと手にとってみれば、可愛らしい花冠だった。ありがとう、と笑顔になる私。



***



また一時映像が掠れて、次に見た彼は違う服装をしていた。私のも袖口や裾が違うものだったから、これは後日の光景なのだろう。
二人してまた庭の最奥に座り込み、悠々と流れていく空を見上げる。


「ダリルくん、見てみて。私も花かんむり、作れるようになったの」

「ふぅん、不恰好だけどね」

「あげる!」

「僕に?……いらないよ、似合わない」

「ダリルくんにって作ったのに」

「頼んでない。ほら、頭に乗っけとけよ」


彼に合わせて作ったはずのそれは、私の頭をすり抜けて首まで落ちてしまった。ぶかぶかに作りすぎたのだ。
明るく笑い声を上げる彼を睨み付ければ、彼はその視線から逃げるように仰向けに寝転がった。ムカついた腹いせに、同じ景色を見てやろうと私もすぐ隣に横たわる。


「此処はいいな、落ち着く」

「このお庭は、私もすき」

「下品なローズの匂いで充満してないし、色んな花があって綺麗だ」


梢の向こうに青々と広がる空を眺めて、彼は心底穏やかな声色で呟いた。
ふわふわと漂う雲を目で追いながら、夢を見るような心地のまま、問い掛けた。


「ねぇ、ダリルくん」

「ん?」

「前、誰もうちの再興を望んでいないって言ったけれど。ダリルくんも、そうなの?」


けれども、次に漏れた言葉は、とても穏やかなものではなかった。


「僕は、親を何者かに殺されたんだ」


寝返りを打って、こちらに背中を見せる彼。しばらく無言が続いて、悪いことを聞いてしまったと子供心に罪悪感が芽生え始めた頃、小さな声で彼は続きを話してくれた。


「僕がお前くらいだった頃のときだよ。ある日、パーティーがあったんだ。少し、表立って口に出来ないようなことを裏でしている貴族の会合のようなものだった。
もう、あまり覚えていないのだけど──……僕はその時、酒と香水の匂いに酔って、一足先に自室で休むことにしたんだ。夜更けもいいとこさ。僕の部屋は、パパ……父の部屋を過ぎたところにあったから、おやすみの挨拶をしようと一瞬立ち寄ったんだ」

「お父さまだけ?」

「母は遠い昔に逃げたよ。なんせろくなことしてなかったからね、親戚全部がグルだったから」


いま生きてるかは分からないけど、とぼやく彼。裏事情に首を突っ込んだのだ、逃げたところで処分されるのもわけない話。今こうして聞けば理解できるものの、当時の私はふぅん、とわかったような返事をして、そのくせ頭を捻らせていた。


「気が付いたら、僕は血だまりの中に立ってたよ。僕もひどく返り血を浴びていた。何者かの足音が遠ざかっていくのを聞いたけど、追い掛ける気力もなく僕はそこで意識を失ったんだ」


それからの彼は、お父さまと懇意にしていたセガイさんの好意で引き取られ、今日までを過ごしてきたのだそうだ。


「メノーム家が再興したら、裏社会のパイプを通じてあの日の犯人を探し出せるかもしれないんだ」

「パーティーにいたひとに聞けば?」

「無理だよ。僕以外はあのあとみんな殺されていた」

「………」

「復讐なんてくだらないことするつもりはない。でも……気がすまないんだ。だから、殺人鬼を見付けて、僕の手で始末する」

「…………、」

「そのためなら、婚約だろうがこの身を売ることになろうが、喜んで僕は駒になる」


きゅうに悲しくなって、彼を抱きしめた。
びっくりした彼は、私を振り返ってまた優しく微笑うのだ。



***



嗚呼、これが最後だ。


いつもよりもおしゃれなドレスに身を包んで、きらきらと装飾の施されたホールで、皆が楽しそうに食事したり、談笑したりしている。
私は彼を探して、大人の足元をすり抜けながらホール中を駆け回る。走らないの、とお母様の声がした気がする。


「ダリルくん!」

「ん?暫く見ないうちに背伸びたんじゃないか?いっちょまえに」

「伸びた!」

「ほら、プレゼント持ってきてやったから。引っ付くなって、動きづらい」


冷え込む真冬という季節のせいか、彼の肌はいつもより青白く見えた。ブロンドが相変わらず星屑みたいに煌めいてきれいだ。
受け取ったクリスマスプレゼント。開けてもいい?と訊ねると、すきにすれば、と素っ気なくも柔らかい声が返ってくる。

封を切ろうとした刹那、甲高い女の悲鳴が上がった。見計らったように何処からともなく火の手が上がる。パーティーホールは大騒ぎだ。


「いやぁ!助けて……っ!」


「お母さま!」

「待て、行くなサーシェ!」


彼に手を引かれて踏み留まるも、あちこちから悲鳴が上がって気が気でない。徐々に悲鳴がやんでくると、今度は燃え広がる炎に行く手を阻まれてしまった。


「なんだ……?何が、」


近付く足音。彼は私を守るように背に隠して、誰だと声を張る。


「誰だ、とは心外ですねぇ」


はっと彼が息を飲み込む。こっそり覗き込んだそこにいたのは、揺らめく炎の色に陰って顔のよく見えない、拳銃を手にした男だった。


「計画は残念ながら失敗です。次の段階に移行するとしましょう」


何者かはそう言うと、銃口を私に向けた。
彼は私を庇うように立つと、突き放すように私の背を押した。アメジストカラーの瞳が真っ直ぐ私を射抜いて、まだ火の及ばない方向を指し示しながら、彼は叫ぶ。


「サーシェは生きるんだ!早く行けよ!」


取り落としたプレゼントの小箱に目もくれず、無我夢中で走り抜けた。


遠くで銃声が鳴り響く。
涙で前が見えなくなりそうになりながらも、私はただひたすらに走った。
屋敷を出て、正面玄関で、誰かにぶつかる。私はそこで捕らえられ、何やら薬を嗅がされたのだ。


そうして、意識は閉じていく。
これで、終わり。あの頃のサーシェ≠ヘ、死んだのだ。
ダリルくんは、死んだのだ。



嗚呼、遠くで彼が、私を呼んでいる。
おなかをすかせている。血を、血をあげなくちゃ。
あれ?身体が、とても寒い。寒いよ。

───そっか。そうか、私、死ぬんだ。



頬に、あたたかい雫がぽたり、筋を描いて滴っていく。
真っ白になった意識の向こう、何処からか懐かしい花の匂いがした。


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