うまくいくとか、いかないとか、
そういう問題じゃないんだ。

やらなきゃいけないときがあるから。
勝たなきゃいけないからこそ、

闘うんだ。



19:うひと



「づああああ〜う」

「奇声上げんな」

「ぶっ」


投げられたクッションが顔面に命中して、変な声が出た。
投げた本人は、さして何事もなかったかのように医学書を紐解いている。


「何すんのー」

「クッション投げた」

「そうじゃないってば」

「何をさっきからあーだこーだと唸ってんだよ」

「思いつかないんだもん」

「何が」

「歌詞」

「歌詞ぃ?」


ぱたむ、と分厚いそれを閉じて、サンちゃんは頓狂な声を上げながらあたしに向き直った。

談話室のテーブルに広げたルーズリーフは真っ白のままだ。


「んー…わかんない」

「なんの歌詞だよ」

「作詞作曲羽無ちゃん」

「はぁ」

「お母さんがね、修行に必要だからって」

「どんなだよ」

「サンちゃんは、緋色さんのこととか、花泡炎のこと、知ってるんだっけ」

「んー。知ってる」

「そかそか。花泡炎を出しやすくするには、強い思いがなきゃいけないのはわかるよね?」

「ん」

「それで、お母さんがまずは気持ちを整理しなさい≠チて。
そんでね、その気持ちを一番表現出来るようにって」

「それで歌?」

「うん。ただの言葉じゃ操れないから、緋色さんは歌に乗せて思いを言霊にすることで強化して、花泡炎を使えるようにしたんだって」

「……悪い。全然わっかんねぇ」

「だよねー」


だらりとテーブルに突っ伏したあたしの頭頂部に医学書を乗せるサンちゃん。乗せられただけなのに重くて頭上がんないんだけど。どんだけ分厚いのこれ。


「思いを込める方法が、歌だっていうから」

「うん」

「いっちょ作ってみようと思って」

「おう」

「でも無理。思い付かないや」

「…昔はよく、歌ってたけどな」

「んー?」

「作詞作曲、羽無ちゃんのやつ」


あたしの頭に医学書乗っけたまま読み始めたサンちゃんが、ぽつりと言った。
何があったかなぁ、と幼少期を思い返すけど…だめだ、さっぱり出てこない。

小さい頃から音楽には興味があったから、いろんな楽器の練習はしてきたけど…自分で歌を作ったことなんて、あっただろうか。


「だめだー思い出せない」

「お疲れさん」

「ねーちょっとー重たいーサンちゃん頭の上で本読まないでよー」

「だが断る」

「コノヤロウ」


「こーら。女の子がそんな言葉遣いしないの」


頭が上げられないので目線だけで声のした方を見やると、お母さんが立っていた。
昨日とはうってかわってラフな格好をしているお母さん。ブラウスに羽織物を着て、すらりと黒ジーンズを着こなしている。


「あら可愛い。そのワンピース似合うじゃない」

「レースにフリルって可愛すぎない?せっかくだから着てるけど…」

「むしろピッタリよ。普段の服がカジュアルっていうか部屋着すぎるだけでしょ」

「部屋着って」

「年頃なんだからもう少し可愛いげのある服装しなさい。
サンちゃんだって思うでしょ?」

「昔はそういうのばっかりだったですからね、こいつ」

「懐かし〜!そうねそうね、詰め襟のワンピースとか着てたわ!」

「服の話はもういいから。
修行ならもう少し待って、歌がまだなの」

「嗚呼、ゆっくりでいいわよ。それは最後に使うから」


そう言うと、ゆったりと隣に腰掛けたお母さん。サンちゃんはあたしの頭に乗せていた本を持ち上げて自分の膝元に置くと、再び読み始めた。


「歌なしで、何やるの?」

「勿論、体力作りよ。さー外に出て!」

「この格好で!?しかも今から!?」

「なぁに?何かご不満?」

「あっあたしが運動音痴なの知ってるでしょ!!今からじゃ絶対間に合わないよ…っ、それよりも、早く強くなれるようなトレーニングとか、」

「羽無」


お母さんが真っ直ぐな瞳であたしを見据えた。がばりと身を起こした体は硬直し、視線を外せなくなる。


「簡単に強くなれる方法なんて、何処にもないのよ。力だけがあっても、それは強さを伴わない。だから鍛えるの。身も心も、ね」

「でも…」


真っ黒の瞳が煌めいて、あたしを捉えたまま放さない。射るように突き刺す視線が胸に痛かった。

ふ、と視線を和らげて、お母さんが笑った。


「言ったでしょ。此処でなら、あんたは強くなれるってね」


早く、強く。悩んでいる時間も惜しいんだ。
私がこうしている間にも、敵が動いているかもしれない。みんなが必死に力を磨いているのに、私だけ燻っているわけにはいかない。

頑張るって決めたんだ。弱いままのあたしで帰りたくない。


「…何を、すればいいの」


すっくと立ち上がったあたしを、サンちゃんが視線だけで追い掛けた。


「いいわ、まずは庭に出ましょ」


ウインクをして踵を返すお母さんを追い掛けるようにして、あたしは部屋を出た。






「宝探し?」

「そうよ」


庭に出て一番に言われたのが、トレーニングメニューでもなんでもない、この森に隠したあるものを探せ≠セった。


「あるものって何?」

「それは秘密よ」

「えぇ!?それじゃ探しようがないじゃん!」

「それを考えるから修行なんでしょうが。言われたことそのままにこなすんじゃ何も身に付かないわよ」


お母さんの無茶ぶりにあんぐり口を開ける。なんじゃそりゃ。


「制限時間は3日。間に合わなければあんたは日本に帰れない」

「えっ!?聞いてないよ!!」

「当たり前でしょう、今初めて言ったんだから。ヴァリアーはそんなあまっちょろい相手じゃないわよ」

「…………。」

「いい?時差と移動時間の関係で、あんたは皆より修行できる時間が限られてるの。実質あと今日を入れて5日よ」

「それだけっ!?じゃあ尚更、なんで昨日はお休みにしたの!?」


そう、今日はイタリアに来て2日目の朝である。
昨日は花の守護者に継承される逸話を聞かされただけで、休養のためにと何もしなかった。リングを首にぶら下げたまま、町まで降りてあたしは呑気にイタリア観光をしていたのだ。
勿論異論はあったけれど、到着してすぐに行動を起こすことはお母さんが許してくれなかった。昨夜はサンちゃんとたくさんお話をして、そのままサンちゃんのお部屋で眠ってしまった。
歌を作るように。それを言われたのは昨日の夕食の後で、観光に行っていた時間を歌作りに回すことも叶わなかった。


「お母さん、スケジュール滅茶苦茶じゃない!?」

「これでもちゃんと考えてるわよ。ほら、今はお母さんじゃなくて先生とお呼び!」

「…っ先生、異論が!」

「認めません。はいさっさと探す!」

「も〜!」


何を探すのか分からないのに、どうやって探せと!

闇雲に茂みに飛び込んで、草むらをがさがさと漁る。
とりあえずそれっぽいのがあったら片っ端からお母さんに見せるしかないな。



「……見付かりませんように」



お母さんがあたしの背中を見ながら、そんなことを呟いたのなんて、気付くはずもなく。
あたしはお昼御飯を食べることも忘れて、一心不乱に宝探しを続けた。



***



「瑠奈さん、あいつは?」

「絶賛シュギョー中よ」

「ふーん」



まだソファーで寛ぎながら医学書を読んでいる彼に声をかけられて、私は笑いながら答えた。
彼の分のハーブティーも淹れてカップを置いてやると、軽く会釈をしてからそれに手を伸ばす。


「…そういや、じじい帰って来ないっすね」

「……?そうね、言われてみれば…、今日にも帰るって、」

「いくら本部から離れたところにこの屋敷があるって言っても、3時間もあれば帰って来れる筈なんですけど…連絡、来てないですよね?」

「えぇ、」


不審に思った私は、本部に在職中のはずの夫に連絡をとる。
暫く長いことコール音が鳴り響いて、緊張感が張り詰める。


「………っ、あ、理久!?」


私は電話が通じたことにほっと息をつくけど、それも一瞬だった。


「……何が起こってるの?」


向こうから、戦禍の音が響いてくる。


『……瑠奈さん、そこにサンの奴、いますか』


夫の声が、やや震えている。
えぇ、と相槌を打つと、ため息をつくように、そっと彼は告げる。


「───!」


「どうしたんですか、」


ただ事ではないと察した義弟が体を起こす。
私は夫の言葉をそのまま彼に伝えた。



「───……お義父さんが、」

「!」


「重傷で、意識不明だって───」



ごとり。
分厚い医学書が床に落ちた音が、静かに響いた。



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