「中枢…?」

「そうよ」


辞めた、と散々言っていたくせに、スーツをきっちりと着こなしたお母さんが、重々しく腕を組んだ。


「いつの日か、こうなるだろうとは思っていたけど…

羽無にこの責務を負わせるには重すぎる。そう思ったから、私は羽無を裏社会に巻き込まないように何も知らせていなかった」

「なに、それ…」

「恭弥くんはまるで興味無さげ、って感じだけれど、今回の戦いで重要視されるのはリングなのよ。
確かに、守護者各々の力量も勿論大切よ。だけど、もっと大切なのは、それぞれが守護者として相応しいかどうか。
羽無の立場は、初代の時代以来相応しい人間が存在しなかったから、今まで無き物とされてきただけ」

「待って、何の話…?」

「今は分からなくていいわ。この話をするには、少し時間が掛かるもの。
それに、話をするために必要なリングも、今はお義父さんの屋敷にある。

言ってしまえば、羽無、イタリアに行かないと…

あんたの命が危ないのよ」


苦渋の色に表情を歪めたお母さん。申し訳無さげなのが、望んであたしをこの世界に引き込んだのではないと物語っている。
あたしの手を掴んでいた恭弥の手のひらに、僅かながら力が込められる。


「………行ってきなよ」

「え、」

「イタリア。」

「……でも、」

「君にしか、務まらないんだろ」

「………、」

「僕が聞くべきじゃない。羽無が聞かなきゃ、意味ない話なんだ」

「……でも、」

「大丈夫。並盛の風紀を乱すやつは、僕がぐちゃぐちゃになるまで咬み殺しておくから」

「………」

「信用出来ないの?」


並盛の風紀を正すため。そう言って、骸のところへやって来て、ぼろぼろになるまで戦った恭弥。
また彼があんな大怪我を負うかもしれないと思うと、気が気でなかった。

あたしは、ひとつ心を決めて、けれど自信の無さから、俯いて小さく問うた。


「…………お母さん、」

「うん?」

「………イタリアに行って、修行したら……
皆のこと、守れるようになる?」


今度は、守られるだけじゃなくて、みんなの力になれるように。

女の子だからって、外野扱いされるのは嫌だよ。
もう、ここまで事情を知っているのに。


「なるわ」


明るく微笑んでくれたお母さん。
絶対よ、と頷くその姿に、未知へ挑む不安と大切なひとを守りたいという堅い気持ちから、あたしは引き結んでいた唇を緩めた。


「行く」

「……わかったわ」

「イタリアに行って、強くなる。
怪我の手当て以外に、出来ること…増やしたいの」

「大丈夫よ、その気持ちがあれば」


本当は、怖いんだ。
あたしが並盛を離れてる間に皆に何かあったらって。
あたし自身が巻き込まれることもそうだけど、それ以上に皆があたしの手の届かないところでどうにかなってしまうんじゃないかという、恐怖。

だって、相手はただの不良じゃないんだよ。
あたしたちよりずっと大きくて、強くて、殺しのプロフェッショナルで、業界でもトップクラスの技術を誇る裏社会の人間なんだよ。


「恭弥、」


怖くて、声が震えた。
ぼろぼろになって、それでもあたしを繋ぎ止めようとしてくれたそのあたたかい手のひらが、今も優しくあたしの手のひらを包む。


「無茶、しないでね」

「ん?」

「大怪我とか、したらやだよ」

「僕を誰だと思ってるの」

「相手はいつもの不良じゃないんだよ!?
骸みたいに…ううん、それ以上に強いかもしれない、
なんでそんな平気な顔するの…」

「…………はぁ、」

「っ!?いひゃい!!」


ため息をついたかと思ったら、あたしの頬をぐにっと引っ張った。
ぐにぐに引き伸ばされて、痛くて変な声しか出なくなった頃。

真っ直ぐな鋭い黒曜石の瞳が、あたしを射抜く。


「僕を誰だと思ってるの」

「ひぇ、」

「僕は、負けない。負けたりなんか、しないんだよ」

「れも…」

「でもじゃない。

信じてよ」


痛みなのか、その言葉に含まれた強い意志に安心したのか。
視界が歪んできて、ぽろりと滴が頬を滑るようにこぼれ落ちていった。

引っ張られていた頬から手を離すと、ぽんぽんと頭を優しく撫でる恭弥。
泣き虫を直したいんだ。そう思い出して、あたしはぐしぐしと目を制服の袖で拭う。


「ん。信じる」

「そう、」


呟くようにあたしが言うと、恭弥が微笑ったような気がした。
くしゃりと前髪を崩すように頭を撫ぜられて、少しの間会えなくなるのが寂しいなぁと思わず感じてしまう。


「帰ったらちゃんとお仕事するね」

「ん」

「ごめんなさい」

「ん」

「いって、きます」

「ん、」


頑張る。強くなるって、決めたんだ。

お母さんを振り返ると、ひらりと手にした航空券を見せて笑った。


「急ぐわよ。今からバス乗ったらチェックインギリギリなんだから」

「はいっ」

「必要なものは向こうに用意してあるわ。着替えとか全部ね」

「じゃあもう、」

「行くわよ。イタリア」


恭弥のそばを離れて、お母さんのもとまで小走りに寄る。
そのまま踵を返して屋上を出ようとするお母さん。続くように後ろをついて歩き、屋上の扉に手をかけたところで振り返った。


「ディーノさん、行ってきます」

「おう!気をつけてな」

「すぐ戻ります!」

「ツナたちのことはオレに任せとけ」


明るく笑ってくれたそのひとに安心して、最後に恭弥を見、手を振ってから屋上を出た。
階段下でお母さんが急いでと呼んでいる。

もう、うじうじしてる暇なんてない。


飛び降りるように、階段を駆け降りた。





「いいなぁ恭弥」

「何。気安く名前で呼ばないで」

「ラブラブじゃねーか」

「………うるさい」

「ボスもそろそろ身を固めること考えなくちゃなぁ」

「るせっ。いんだよオレはまだ」

「そう言ってる間に婚期は過ぎちまうもんだぜ」

「………。」

「ねぇ、無駄話するなら帰るよ」

「あっ!ナシナシ、帰るな帰るな!ほら、続きやるぞ!」

「そうこなくっちゃ」


トンファーを構えた少年は、にやりと妖しげな笑みを唇に湛えた。
青年は、少し呆れたように苦笑いを浮かべながら鞭を構える。


「ホントは、オレもお前に話があんだけどなー」

「いらない。余計なこと考えてると、死ぬよ」

「それはどうか、な!」


勢いよく懐に飛び込み、振り上げられたトンファーを寸でのところで避けると、青年は少年の手元を狙って鞭を振るう。
わざと避けることなく手首に鞭を絡ませると、少年はその勢いを利用して鞭を引き寄せ、反対の手に持ったトンファーを突き出した。


「っと、っぶねー」

「その余裕そうな顔、気に入らないな」

「まぁこれでも、いろんな死線掻い潜ってきてっからな」

「……なら、今度こそ死に目に遭わせてあげるよ」

「ったく、末恐ろしいガキだぜ」


踊るように無駄なく繰り出される攻撃。お互いの威力を利用した本気の掛け合い。腕を振るうと風を切る音が鳴り、ステップがリズムを刻む。
一貫性のない、油断を許さない攻撃の連続。息をつく間もないような見事な光景に、缶コーヒーを一口仰いだ中年男性は、関心のため息をついた。




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