煩悩惑わされて凡夫*/アルハイゼン


同期から真顔で「胸を揉むか」と迫られる話。攻主


 教令院で同期の男がいる。入学した奴らを数えれば数名、もしかしたら数十名単位で同期はいるのかもしれないが、本来のあまり社交的では無い、身も蓋もないことをいうのなら非常に面倒臭がりな性質のせいでかれこれ数年学生として身を置いているにもかかわらず、親しい者が片手で数えて足りるほどであるのが問題だ。とにかく、その中の二番目か三番目くらいに親しい学者仲間がいる。

アルハイゼンという男は俺よりもうんと優秀でクソが着くほどの真面目、堅物で初対面で話すと冷たい印象を持たれがちだが、その実、面倒見が良いことは知論派の彼と交流のある人間なら知っていることだろう。理性的な切れ長の目で見られると何もかも見透かされているような居心地の悪さを時折覚えるものの、そいつ無くして今の俺の地位は守られていなかっただろうから同じ男としても、学者としても尊敬している。

つい最近、入用でアルハイゼンの研究室に邪魔する機会があったがその時も自分なら管理し切れず溢れさせているであろう資料や書籍も全てカテゴライズして整理整頓していたようだし、デスク周りも必要最低限のものだけを置いていて、偏屈で自堕落な人間の多い中では珍しいタイプの人種ではあると勝手に分析している。

そんな男が研究室から出てきた俺を見るやいなや、瞳孔もやや開き気味でその長い足のコンパスを使って目の前に歩いてきた。え、怖。睡眠を数日取ってないまま萎びたキノコンのように共有スペースのベンチで倒れ込んでいたこちらも何事かと思わず面食らってしまう。それでも一度休息の姿勢を覚えた身体に鞭打ってまで起こすまでには至らなかったのだが。

「随分長いこと研究室に缶詰め状態だったようだな。」

形のいい眉を片方だけ器用に上げて、こちらに問い掛けてくる男の声色はいつも以上に抑揚がない。たぶん、そういう時はこちらのやり方に不満があって何か物申したい時。男の僅かな感情の起伏さえそれなりの付き合いで把握できるようになっていた。

「んー、そうだね。割と?今回はプロジェクトの予算にも関わるもんで中途半端な内容は許されない感じだったんだよ。」
「そうか。君はたしか…」

男の耳障りの良い声がなんの面白みもない「いかにも」な俺のプロジェクトの名前を紡ぐ。手入れもしていない唇はカサついてそうだったが、生憎お互いそんなことを気にするような関係性でもないし、こいつは几帳面そうな見た目だがそういう繊細さを持ち合わせてはいない。そもそも男同士、野郎のそんな所をいちいち気にかける必要もないわけで。直ぐに興味は失せ、老朽化の進んで不穏なひび割れが目立つようになっている天井に目線を移す。ジメジメとした気候のせいかカビが生えている。そろそろここやべぇんじゃねぇか。キノコっぽいの生えてるし。上から崩れて降ってきたらいいのに、気に食わないあのクソ頭でっかちの頭上にでも。

「そーそ、そんな感じ。」
「随分、……適当なんだな。他人がやることに口を出すつもりはないが、教令院という狭き門の通行証を渡された学者としては些か責任感に欠けるんじゃないか。」
「だって別にそんな内容、俺がやらなくったっていずれ誰かが問題視して取り組んでただろ。くだらない研究だってお前も思ったんじゃねぇの?」
「いや、前にもらった論文の草案についてのディスカッションをした時は君らしい視点からの分析だと思ったが。」
「あー……そういう模範解答みたいなフォローね。俺らしさって言えば聞こえはいいけどさ、要は普遍的過ぎてつまんねぇってことじゃん。そういうのって出来るやつに言われても皮肉にしか聞こえねぇよ。」

打てば響く鉄のように、アルハイゼンの言葉をそのまんま受け取って、ボヤいていた内容が聞かれたら幻滅されるようなものだったと気がつくも時すでに遅し。数日間の不眠でストレスと過労が限界を迎えていたせいで頭は思ったより働いていなかったらしく、自分のメンツを守るために他人に「言ってもいいこと」と「悪いこと」の判断も出来なかったらしい。普段から要らぬ事ばかり吐き出す忌々しい俺の口は今もこうやって俺を気遣ってくれた友人を傷つける言葉ばかり紡いでいく。

謝って事を収めなければならないのに。分かっているにもかかわらずスラスラと腹の底で燻っていた醜い嫉妬や劣等感を吐き出してしまう。

「この研究だってさ、今は上から下らないって笑われてるけど、いつか俺よりずっと煽てるのが上手で優秀な学者サマに丸パクリされるんだよ。核心的なこと思いつきました!ってさ、俺のアイディアをぜーんぶ参考?後学のために?
笑えるよな。俺が歯ァ食いしばって必死に築いた足場を当たり前みたいに踏んづけて、ちょっと媚びへつらうのが上手いゴマすり野郎ばっか贔屓しやがる。独創的でもないつまんねぇって誰でも思いつくとか散々俺の事コケにして笑ってた奴らがさ。」

何もかもぶちまけて、時々吃ってそれでも汚い膿を全部吐き出すよう、吐き捨てるようにアルハイゼンにぶつけていた。皮肉にも俺が嫌いな自分より優秀な人間にそうやって反論の余地も与えないままぺちゃくちゃと話してみれば幾分かスッキリした。感情が揺さぶられたせいか視界がぼやけている。こんな事で泣くような心の弱さをよりにもよって自分よりうんと優秀な同期にさらけ出したくなかった。情けなくて、惨めで、腹が立つ。

「お前はいいよな。センスあって、お前にしかできないことがある。カミサマにも選ばれて、俺みたいな凡人とは大違いだ。神の目が降り注いで祝福を受けた人間、それだけで付加価値が着いてるんだ。俺みたいな人並みにしか結果を出せない凡夫からしたら羨ましくて、大した努力もいらないお前らが……心底憎たらしいとさえ思う。」

言語化すれば余計に自分が哀れになると分かっていたのに、小さな嫉妬心は次第に育ち自分だけでどうにかできないほどの劣等感の塊に育っていた。

「はー……アホくさ。こんなことお前に言っても何もならねぇって分かってたんだよ。アルハイゼン、みっともなく八つ当たりして悪かったな。謝って許されるとは思ってないが、詫びに今度なんか好きなもん奢るからそれで手打ちにしてくれよ。」
「……いや、気にする事はない。ここ数日間で君も追い詰められていたんだな。精神的な余裕を失っていることは予測できた。その上で話しかけたのは俺だ。」
「それでも、俺は気にするけど。」
「なら、食事の件は楽しみにしている。」
「いいけど。薄給だし大したとこ行けないぞ。」
「何も店の食材と単価に価値を見出しているわけでは無い。俺こそ先程の言動は配慮に欠けていただろう。君が上と他の学派の者達と板挟みになっているのは随分前から生論派の学者たちからも心配されていたことだからな。」
「よく分かんねえけど……?……だめだ、全然頭回ってねぇな……悪いけどちょっと仮眠取ってくるわ。……飯の件はまた明日にでも都合いい日教えてくれ。」

疲れ切っていた。連日に重なる疲労で上限を超えてどこかネジがぶっ飛んでしまっていた反動でピンと張った糸が今にも切れそうになっている。覚束無い足取りで廊下を歩いていると段々全身が床に沈みこんでいくような錯覚を覚える。このままだと廊下でぶっ倒れそうだな、なんて考えていたら、左の足に鈍い痛みが走ってそのまんま地面にひれ伏す羽目に。

「痛ッ、」

転けた。何もないところで。

「大丈夫……では無さそうだな。手を貸そうか。」
「あー……クソ……わりぃ、頼む。」

差し出された手を掴んでよろよろと立ち上がると思い切り捻ってしまったらしく左足がつきつきと痛んだ。庇うように体重をかけて立っている俺を見たアルハイゼンが無言で両手を広げた。

「いや、何その手」
「歩けないのなら研究室まで運んでやろうと思って。」
「さすがにそれは嫌だけど?!誰かに見られたら笑い物にされるだろ。」
「君がそのようなことに拘りを持つとは意外だな。男一人を抱えるの確かに俺でも少々手こずるかもしれないが、君は細いし先日の健康診断の結果から体重もそれほど変動していないようだから、心配はしていない。それにここなら人通りの心配もない。」

やけに力説してくるな、と引きながらも片足を庇うように不格好な体勢で歩みを進める。この際健康診断の結果云々は無視することにした。この男の不可解な行動をいちいち真に受けて考えていたらキリがない。

痛みはあったが、少しでも無理をしていると見なされたら本当に抱えられてしまいそうなので、どうにか歯を食いしばって歩いて、よろめいて……

結局アルハイゼンの肩を借りることにはなったが研究室兼仮眠室として使っている自分のスペースに戻ってきた。既に提出の終わったレポートのアウトラインを汚く羅列した紙切れをどうにか机の上にとどめながら奥の仮設ベットに寝っ転がると、何故かアルハイゼンが我が物顔で俺のベッドの脇に座った。

「そうだ、少し前、学会で耳にしたのだが」

そして、口を開いて

まるでコーヒーでも飲むかと聞くような気軽さで。僅かに上擦った声色もよくよく注意して聞いていなければ気が付かなかった程の変化だった。思わず、は?と、今度は体を起こして、男を凝視するしかない。聞き間違えであったのかもしれない。そうでなければおかしい。俺の耳がイカレていなかったのなら、真面目が服を着て歩いているような男がありえない提案をしている。

「……徹夜明けで耳までおかしくなっちまったらしい。悪いけど、もう一回言ってくれねぇか。」
「うん、俺も羞恥心に遅れを取って少し婉曲した言い回しになってしまったかもしれない。」

こいつにも恥ずかしいなんて気持ちあるんだな、とかそもそもそう思うなら妙なこと言ってくるなよ、だとか。

「俺の胸を揉むか」

胸を揉むか。胸、それは男にも女にも存在する体の部位だ。首と腹の間に存在する場所で、胸腔には心臓、肺といった人体の主要な器官はここに詰まっている。そのため深刻な損傷があった場合は一番最初に処置をしなければならない。性差として男は大胸筋が発達しているが女の胸は乳腺と脂肪により膨らみがある。

男のロマン、デカければデカいほど挟んでもらいたくなる。一部の人間はこういった乳房へ異様な執着を見せる者がいる、ということを知ったのは正論派の偏屈な後輩が持ち歩いていたそういう本から得た知識である。あまり一般的では無いものの彼らの性癖はBreast Fetishism、つまり胸への性的倒錯、部分性愛として分類されているらしい。

「……は?」

理解が追い付かず現実逃避さえ始めた俺とは対照的にアルハイゼンは普段通り、ただでさえ凛々しい眉毛をさらにキリッと険しく。嫉妬が生まれないほどの精悍な顔で至極真っ当なことを言っています、と言わんばかりに男は自分の胸を明け渡すと宣言している。

「君は極度のストレス状態により追い詰められた状況だと俺は判断した。そして、先日の学会で他者との触れ合いにより凝り固まった筋肉をほぐすことが出来るという研究結果が発表されたばかりだったが、……そうかここ最近多忙だったなら君たちのチームは欠席だったか。」
「いやいや、俺もいたけどさ。分野があまりに違いすぎてまともに聞いてなかったというか、万年独り身の俺には実用性に欠けると思ってスルーしたというかなんでそれがお前のおっぱい……いや、その……胸?男のだぞ?野郎の乳を揉むことになるんだよ、おかしいだろ」
「学者ならば柔軟に知識を受け入れ、好奇心を持ち、分野、学派の垣根を越えて自分自身の研究に活用するものだ。そして個人の思想に口を挟むのは心苦しいが男女の性差だけで判断するのは、今の多様性を受け入れなければならない風潮においては些か角が立つから俺の前以外ではやめた方がいいな。」
「それらしく言ってるけどお前に手出して白い目で見られるのはこっちなんだが?!やっぱりさっきのこと怒ってただろ!?」
「いや、全く。君の言葉が不快だと思ったことは一度もないよ。寧ろこうやって腹を割って話す機会が増えるのなら好ましい傾向だと思っているのだが……もし少なからず君の心の中に俺への罪悪感があるのなら、こちらの提案も呑むべきではないか。」

ぐぅの音も出なかった。つまり、アルハイゼンの言い分は少しでも悪いと思ってるなら態度で示せ、お前に拒否権があると思っているのか、である。

「あきらめろ」

その言葉とは裏腹にアルハイゼンはこの状況を楽しんでいるらしい。少しばかり意地悪く口角を歪めた様さえ絵になるなんて、この世の中は理不尽の極み。

**

緩やかな膨らみは女のそれとは程遠いが引き締まった身体に見合った筋肉の隆起が上下している。服飾を全て取り去ったアルハイゼンは俺の股の間に座る形で収まった。体格のいい男なのでこちらはそれなりに足を広げなければならなかったため股関節に負担がかかっているのだが、向こうは全く気にした様子もない。

「遠慮する必要は無い。これは君のために俺が望んでしている事だからな。」

後ろを向いたアルハイゼンが、うろうろとさまよっていた俺の両手を掴む。そのまま誘導されて、彼の深緑のインナー越しに充てられた。手のひらまで体温が冷えきっていたせいか、ぴくりとアルハイゼンは肩を僅かに揺らす。

何が悲しくて同期の胸を触っているのかと嘆かわしいような、理解不能の現状に思考放棄したまま、それでも悪ふざけ半分と先程のやらかしに対する後ろめたさでなんとなく従うしかない。

ええいままよ。諦めて、山に触れる覚悟を決め伸ばした指先がふにゅり、と。沈み込む感触、一瞬だけ意識がテイワット大陸の彼方にすっ飛んだ。

「面白い顔をしているな。」

たぶん真顔であるにもかかわらず、自慢げに胸を張っている。相手は少し仲が良くて仕事場で付き合いのあるだけの同期である。

「え?かたくない?むしろやわ……は?」
「フン、鍛えられた筋肉は女のものより上等だぞ。」
「アルハイゼン、おっぱい揉んだことあんの?」
「……なぜ君はいちいち下賎な考えに至るんだ。やはりストレスで知能も低下しているのか、いや元から単純な思考回路だったのなら言語機能が低下しているのも違和感もない。まぁいい……その質問に対する回答は控えさせてもらおう。」
「さりげなくディスるの止めろ。てか、ないんだ。意外だわ。」

頭の悪いことを言っている自覚はあったが真面目に生きている人間ほど一度箍が外れると知能が低くなってしまうのは仕方ないことだと思いたい。下賎ってなんだよ、お前だって俺に乳を揉ませてるだろ、意味もなく。浮かんだ文句は飲み込んで、中途半端に片胸だけ揉むのもなんだし…と開き直る。両手をこわごわと男の鍛えられた胸筋部に伸ばして、触れる。インナー越しのせいか、やや強めに捏ねても乳首の感触に当たらない。

ふに、ふにゅり

「ふふ、楽しんでるようで…ッ、なによりだ」

聖母のように、なんて言葉を男に使いたくはなかったが、かの***様だってびっくりな慈愛の込められた声で笑った男の吐息が当たりくすぐったい。

無心でもにもにとなだらかに隆起した大胸筋、もとい雄っぱいを揉む男と、それを甘んじて受け入れる男、訳の分からない構図が出来上がっているに違いなかったがそれに突っ込みを入れる者も居なかった。

「どうだ、この大胸筋は。女体では得られないぞ。」

一通り触り倒して、形容しがたい満足感を得られた俺を見た男が楽しそうに笑っている。
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