名前も知らない人形と契りを結ぶ*/スカラマシュ
攻主

体躯にそぐわない長身の槍を背負った少年が自身の洞天の池の中で泳ぐ鯉を眺めていた。

「おい、ちびっこ。」

なんとなしに呼びつければ不快で仕方がないと言わんばかりに顔を歪めるそいつ。反応が面白くて態と改めていない、なんて知ればどんな風に文句をつけてくるのだろう。

「__、その忌々しい呼び方を今すぐ変えろと昨日も言っただろ。」
「そう言われてもなぁ、俺はお前から名乗られてないし…まぁ名乗る必要もないのだが。」
「だから、僕は散兵だ」

昨日も同じやり取りをしたのに凝りもせず改めようとする態度が、怒りで開いた紫電の瞳孔が、必死にこちらに牙を剥く子猫のようでからかいたくなる。

「陳腐な名前だな。俺はたしかに少々俗世に疎いが人の子の名前でないことくらいはわかるぞ。」
「なら、呼び方はそれで充分だろう!」
「ははっ現世でのお前さんになんて興味無い。ここにいるお前はただのちみっこいガキ、それ以上でもそれ以下でもない。少なくとも俺にとってお前さんが何者であるかなんて関係のない話だって言ってるんだよ。」

俺の言葉に顔を歪め紫電を揺らめかせた散兵はぐっと唇を噛んで俯いた。

「あー…俺にとったらお前が誰でも構いやしないってこと。分かったかちびっこ。」

感情の機敏を読み取るのが得意でもそこに隠された本質を見抜くのは不得手だ。俯いたまま微動だにしない小さな頭をぎこちなく撫で回して、それでもじわじわと墨汁のように染み出してくる罪悪感を持て余した。自分でも驚く程生ぬるい言葉で小っ恥ずかしくなる。

「……僕は子供なんかじゃない。この身は見た目以上に歳を食っている。」

子供ではない、その言葉の意味を俺はなんとなく理解していた。傷を癒すために術を使った際、何の効果も無かった時から妙だと思っていたし、人離れした雰囲気には長く生きている分敏感なのだ。

「この身は雷神の人形として作られた」
「……へぇ、そうか。」

随分昔、数百年程前、稲妻の国を治めていた雷神が自身に代わり自国を統治するための依代を作り上げたことは旧友から聞き及んでいた。老いることの無い人形、将軍を一国の長として据え、永遠を統治させる忠実なからくりを作ったと。一体どのような技術を用いて奇跡の御業を成し遂げたのか知る由もなかったが、恐らくその中の一人が散兵なのだろう。人のように考え、行動し、感情を表に出すこともできる。自我の存在する人形をこうして目の当たりにすると神という存在がどれほど規格外のものであるか思い知らされる。

しかし普段の傍若無人な態度はナリを潜め紫電を揺らめかせる散兵はそんな無機質なものではなく、無垢な童子のようであった。親に置いていかれ帰る場所を求める迷い子のような目をした少年、神に捨てられた存在が俺のようなヒトデナシに拾われるなんてなんとも滑稽な話だ。

「そもそもこの器が人間のように姿形が変化し成長することはない。それは僕が人の理を外れた存在だからだ。」
「……あーそうだな。」

何を当たり前のことを、顔に出ていたのだろうか。理解されない苛立ちと嘲りを含んだ声色で散兵は話し続ける。

「滑稽だと思った?」
「いんや、別に。」
「ふーん。つまんないやつ。」
「悪かったな、つまらん男で。それでその雷神様のお人形がどうしてこんな死に絶えた場所に流れ着いてたんだ。」
「……分からない。けれどずっと知りたかった。心とからだ、肉体と精神を切り離せない存在のこと。」
「はぁ」

散兵はまるで恋焦がれているようだった。人という生き物に関心を持つと話す人形は異国の御伽話に出てくる姿そのもの。ただの餌に対してそれほど憧憬を描くことに意味などない。言葉にする事こそ無かったが散兵の好奇心に一種の同情さえ抱いた。

散兵を保護する数日前から洞天と外界を隔てる結界に乱れが生じたのを感知していた。廃棄された旧都市である淵下宮にはごく稀に学者や中央の深層に向かっていく冒険者がいる。恐らくそれの一味だろう、用が済めば足早に立ち去る、そう思ってしばらく様子を見ていたが一向に気配は消えない。それどころか日々日々弱々しくなっていく。

流石に可笑しいと思い空間の縫目を作り、弱っていく気配の元に向かい見つけたのは体のあちらこちらに傷をこさえ、文字通り満身創痍で苦しそうに倒れていたか弱い子供だった。意識も絶え絶えで息をすることすらままならなかっただろうに、好戦的な紫電の目でこちらを睨みつけてくる子供のその態度が気に入ったのだ。

恐らくただの人間ではないだろう。しかし放っておけばあのまま常世の闇に飲まれてしまう。それはあまりに惜しい。気がつけば自分よりも数回り小さな体躯を抱え洞天まで連れ帰っていた。

子供の傷が癒えた後、現世に送るつもりかと聞かれたら素直に頷くことは出来ない。散兵が人には話し難い事情を抱えているのは明らかだった。ならば守ってやらなければならないのは事実。忌々しい現世から攫い、この悠久の檻の中に閉じ込めることで可愛らしい人形を愛でることだって出来るに違いない。

そう魔が差しそうになるのを堪えて何でもないように取り繕う。

「……まぁ、俺も薮から蛇を突き出すような真似したくはない。だが人なんて種族は幾年の時を経ようとも本質は酷いもんさ。欲深くて愚かで、醜い生き物だ。」
「まるで何もかも見てきたみたいに話すんだね。もしかして君、その醜い生き物にコケにされてきたの?惨めに、こんな場所に閉じこもって、そうするくらい怖い目にでも遭った?」

にたり、と小生意気に三日月形に歪められた唇、つり上がった瞳、一つ一つのパーツを見てもどあの女と似ているとは思わなかった。髪と瞳の色は同じなのに随分印象が違う、的はずれな事を考えながら曖昧に笑うだけで誤魔化す。探るような視線を向けられて思わず肩を竦めた。

「勝手に捉えるといいさ。俺は神の座に付けるほど力もなければ岩神の重鎮達のような好事家でもない。無条件に人に慈悲を与えるなんて考えるだけでゾッとする。」

弱き者を守る、それが当たり前だと言わんばかりに構築されたこの世界の法則とは反りが合わなかった。

「だが人も人外も魂が肉体と結ばれている存在は移りゆくもの。俺の種族は過去に……人と共に暮らしていた頃があった。」

少年の顔が胡乱げに顰められる。ぽちゃん、と手に持っていた石を投げ込めば池の魚は驚いた様子で泳ぎ回る。

「けどあいつらの本性はクソみたいなもんだったよ。」

俺や俺の祖先を慕ってくれる民を愛するように。魔神でもない俺のようなロクデナシに信頼を置く彼らに報いる為、時に俺の種族は自身の身を犠牲にしても守ろうとしてきた。ずっと消えない痼に蓋をして。

「……昔話は好かん。けどお前さんの知りたいって気持ちは理解できる。」

だからこそ興味が湧いた。人の心を知りたがる人形はかつての自分と同じ道を辿るのか、それとも全く違う結末を迎えるのか。

「まぁ死に急ぐことはするなよ。」
「その言葉はそっくり君に返すよ。こんな頓痴気な場所で余生を過ごすには早すぎるんじゃないか。」
「ハッ、小憎たらしい餓鬼だな」

池の脇に生えている紅葉の木からはらはらと葉が舞い落ちて、水面に浮かぶ。
逃げ回っていた魚は姿を潜め、鏡のような水面には散兵と自身の姿だけが反射している。

いつの間にか影は消え去っていた。



散兵と名乗る少年、正確にはかの雷電公の身代わりになるはずだった人形を自身の洞天に招き入れてから暫く経った。

人の生活の習慣を損なって人間性を喪わせてしまうのは酷だと餌付けよろしく現世で仕入れたものを与えてみれば不服そうにしていた。がしばらくすればお気に召したらしく、頬を緩めて堪能している。もぐもぐと口を動かしている間は憎たらしい小言や皮肉を聞くことも無いため懐にいくつか忍ばせて、すかさず口に放り込むのが長ったらしい説教を回避する術になりつつあった。

ぽっかりと浮かぶ月、杵でついた餅のようなふっくらとしたそれは人ならざるもの達の力が最も活性化する満月だ。淵下宮と呼ばれる外界には月の満ち欠けはなく白夜の爛々とした光が世界を包んでいる。そのため情緒のない場所の外景ではつまらないと、この洞天にはテイワットの星空を反映させていた。

誰かが訪れることは想定していなかったが生活する上で快適さを重視し元々この洞天にもそれなりに手を加えていた。まさかそこに客人を招くことになるとは予想もしていなかったが。

「ちびっこ、少し散歩にいくか。」

書斎として作っていた空間に入り浸るか縁側で過ごすのが定位置になりつつあった散兵に声を掛けたのは、少年を洞天の中で半ば閉じ込めている現状を今更ながら危惧したからだった。

安全が保障された場所だからといって毎日毎日同じ風景を眺めているのでは気が滅入るに違いなく。枯色の死に損ねた兵器が彷徨く外界に行かせるのは気が引けたが、ここで半ば閉じ込めるような形で置いておくのは忍びなかった。

「……構わないけど」

もぐもぐと無心で咀嚼していた緋櫻餅を飲み込み懐紙を丁寧に折り畳んでから口を開いた散兵が躊躇いがちにこちらの様子を伺う。殊勝な態度に物珍しさを覚えた。外に出てもいいのかと言わんばかりに上目で見てくる少年の姿にチクリと胸を刺される。やはり要らぬ気遣いをさせてしまっていたらしい。

「元より禁止している訳では無かったからな。自由に過ごしてくれて構わない。」

積極的に外出を勧められなかったのは周辺の散策は少しばかり危険が伴うのと、ここ最近長らく変わらなかった大日御輿の人口太陽が切り替わったことがあった。

「悪いが落ちても助けてやれない。気をつけろよ。」
「フン、余計なお世話だ。」

軽口を叩きながら久々にやってきた外界、淵下宮は相変わらず寒々とした灰色の世界だった。足を踏み外せば途方もない奈落の底に落ちるため洞天と外界と繋ぐのはそれなりに神経を使う。

崩れ落ちた建物と異形の怪物が蔓延る無機質な空間に人間の気配はない。

「よし、大丈夫そうだな。」

ザリと下駄がむき出しの砂利を踏む音に反応して厄介な化け物が飛び出してくる様子もないし、死に損ないのからくりがこちらを捕捉しているようでも無かった。

「戦闘になった際の判断は任せる。札に元素力を込めれば洞天に戻ることができる……がそいつを使うのは出来るだけ敵を殲滅するか奴さんの追跡を振り切ってからにしてくれるとありがたい。場所が割れて襲撃されると処理が後々厄介だからな。」
「奴らにそれほどの知能はないだろうけど。…ふん、まぁいい。あんな雑魚相手に引けをとるほど僕は腰抜けじゃないさ。」

遠くの方で不格好に歩いていた遺跡守衛を見つけたようで散兵は長柄を構え向かっていった。その後ろ姿を見送ってから手頃な木に登って腰掛ける。久々の外の空気を堪能出来るほど気を抜けそうにない。ここからかなり遠いが大日御輿に設置した結界の付近に何者かの気配を感知している。鉢合わせして良い相手なのか都合が悪いのか俺には判断が出来ないが、警戒するに越したことはない。

「遅い」

元素を纏った長柄の穂は閃光の如く。何倍もの大きさの遺跡守衛の脆い関節を的確に斬り付ける。小さな身体に見合わない重撃と槍の射程範囲を最大限に生かし間合いに入らせない鮮やかな槍捌きは武道の道を極めた者に相応しい風格があった。

まさしく雷光、一閃の太刀に腕を切り落とされても尚、侵入者を排除せんとする死に損ないの心臓部分になる核に散兵は容赦なく刃を突き立てた。引きずり出されたそれを投げ捨てた鮮やかな手腕に一瞬だけ目を奪われる。

「見事だな。怪我はないか、ちびっこ。」

動力源を失い呆気なく崩れ落ちた遺跡守衛を一瞥した後、こちらに視線を寄越した散兵はフンと鼻を鳴らした。

「まさか僕が負けると思ったのか」
「心配はしてない。うん、普通に元気そうだな。ならいい。」

白い肌には傷一つ無いことを確認して、土埃の着いた頬を着物の裾で拭ってやる。最初の頃と比べたら随分気を許されたように思える。まろい頬の輪郭を撫でると柔らかな弾力が返ってくる。その戯れはなかなかどうして癖になる。ゆるりと紫電を緩めされるがままになっている姿は犬猫を連想させた。

「ん」

手を離そうとすればすりすりと頬を擦り付けられ、もっとと言わんばかりにせがまれる。最初の頃の警戒心はどこへやら。この数週間で大分懐かれてしまったらしい。

この少年の身を匿ってやるのにこの失われた文明の眠る場所は最適解とも言えた。それはかつての俺も同じだった。大陸の外、現神人が統治する島の大穴の向こうに迷い込んだ際はとんでもない場所があるものだと度肝を抜かれたが。

人の心を盗み読む妖怪、俗世の人間は俺ら一族をサトリと呼んでいた。だが実際は長命で生き物の感情の機敏に鋭いだけの化け物だった。何をどう捏ねくり回して人を化かす恐ろしい妖なんて伝説に残ってしまったのか知る由もないが。

最後に人間の世界で自身の名を告げたのはもう随分昔のことになる。俺以外の同族はとうの昔に消滅した。ここに身を潜めてそれなりに経つが、一度だけかつて一族の暮らしていた場所に戻ったことがある。しかしそこに広がるのは荒廃した土地と気味が悪いほどに大きくなった一本の紅葉の木だった。一族を祀った村はとうの昔に滅びていたのだ。

それが人ならざる者に依存した人の末路だ。その身に見合わぬ力はやがて食い荒らし、その身を滅ぼさんとする。彼らに望んだのは畏怖や畏敬の念などではなかったのに、それを理解されることはついぞ無かった。

それから何もかもから逃げるようにこの淵下宮に入り、自分自身の力を洞天の中に封じた。決して自身の力が外部に漏れることが無いように。珊瑚宮にあの村の経歴を全て抹消するよう依頼してから、どれほどの時間をここで過ごしたのかもう分からない。

俺は、元々人間を守る立場の存在だった。だが今はもうその名を口にする者さえいない。

「何考えてる。」
「……少し昔のことを、」
「ふーん」

興味無さげな返答に安堵さえ覚えた。自分で話しておいてなんだがあまり追求されたくない話題なので。

「君の過去なんて別にどうだっていいけれど、」

珍しいことに散兵は一瞬だけ言葉を詰まらせて言い淀んだ。

「…逃亡先はもう少しマシな場所を選んだ方が良かったんじゃないか。」
「ふ……ははっ!え?そこかよ、気遣われたと思ったら。確かにこんな陰気な場所に住処を作ったのは我ながらあまり…良い判断では無かったと今更ながら思うな。」

苦虫を噛み潰したような顔で、選んだ末に思いついたのがそれだったのだろう。それにしたって随分下手くそな慰めだ。

「ならフォンテーヌにでも移り住めばいい。君のような時代遅れには居心地が悪いかもしれないけど。それかスネージナヤ。あそこの冬は最悪だが一年中湿っぽい稲妻よりずっとマシだ。」
「気候の話だよなそれ、稲妻の悪口はお前でも怒るからな。」
「どうして?この国が憎くないの?」
「愚問だな、俺は稲妻の国が気に入ってる。ここの魚は美味いし、甘い物も種類豊富で、山の幸も潤沢、なにより白米の味はどこの国にも負けない。」
「食べ物の話しかしてないじゃないか。」

散兵は呆れたようにため息を吐いた。

「スネージナヤにはツテがある。君を連れていくにはちょうどいいと思ったんだけどね。」
「悪くない話だ。考えておこう。」

俗世から逃げてきた少年を一人匿っている間はこの領域の中で万が一の事態が起きた場合の対処をせねばなるまい。元々休眠を必要としない身体故大した苦でもなかった。



新月の夜だった。

ほぼ日課のようになっていた結界の探知を行っている最中に声が聞こえて、耳を澄ませる。間違いなくこちらを呼ぶ声だ。それがあんまり苦しそうなものでらしくもなく動揺してしまって、気がつけばすぐさま同居人に貸し出していた邸宅の方に向かっていた。

「__っ……ぁ、う……」

妙に艶かしい声だ。不審に思いつつ足を進めることは止めない。万が一、自身の気に侵されて彼の身に何か良からぬ変化が起きたのならすぐさまこの洞天から少年を俗世に戻す必要がある。真名こそ握ってはいないが、こちらとの縁はぷつんと糸のように容易く切れるか細いものでは無くなりはじめている。手遅れになる前に手を打つというのは必要な措置だ。

「ちび……散兵!おい大丈夫か、」

ためらいなく襖を引いて、飛び込んできたのは着物が乱れたまま散兵の体を申し訳程度に隠している様だった。寝着として渡した浴衣の紐は丁寧に畳まれ布団の脇に置かれていたが、乱れた衣は観賞魚の鰭のように美しく広がっている。

薄い肉の着いた太ももからふくらはぎにかけての曲線は幼さを残しているにもかかわらずしっとりと汗に濡れ艶めかしく、首元は月の光に照らされて青白く発光しているようであった。よからぬ邪念が過ぎる前に苦しげな呼吸を繰り返す散兵に慌てて駆け寄る。

いつもツンと澄ましたかんばせは余裕が無さそうに歪められていた。白い肌を上気させ、薄紅色に染まった肩から下、薄い胸板さえも惜しげもなく晒け出し浅く息を吐き出している。そこはかとなく淫靡な姿を目の当たりにし知らぬ内に喉がごくりと音が鳴っていた。

「あ、……__……どうしてここに」

この国の雷のような深い瞳に涙の幕を張った散兵が俺の偽物の名を縋るように呼んで、やがて正気を取り戻したようで目を見開いた。

「み、見るな!…ちが、これは、……そ、そもそも人の部屋に勝手に入ってくるなんて……」
「……悪かった。お前の声が聞こえたから。」

わなわなと怒りと羞恥心で真っ赤になっていく少年に手を出すつもりは毛頭なかった。いくら相手が見た目にそぐわない程生きた存在だとしても、それを言い訳に好き勝手するのは許されることではない。

「俺は遠くにいるから、気が済むまで」
「あ……ぅ、」
「処理するといい。今度は何も聞かないから安心しろ。」
「い、いやだ、」

ぽつりとこぼした少年の言葉を拾った耳を疑った。

「__、行かないで、」
「は、」
「君のことをかんがえるとあつくて、…こんなの……知らない」

半泣きでそう訴えかけてくる少年が伸ばしてきた両の手を俺は躊躇いなく取った。熱い、人肌より低い温度であったが確かに温もりを感じる、

「ん」

すりすりと気持ちよさそうにこちらの手を頬に当てたそいつの顔はあまりにも目に毒だった。

「……恐らくここの気に充てられたんだろう。ここは俺の…妖力が充満している。お前は域内で己の身を浸しすぎた。」

今ならまだ、切り離せる。現世にこいつを戻すだけだ。手遅れになる前に俺が逃してやらなければ。

「悪かった、まさかここまで侵食が早いと思わなかった。その体で少々酷だと分かっているが……出来るだけ早く手配する。」

一度、妖と呼ばれる人外と縁、契りとも呼ばれるそれを結んでしまった存在は二度と元の形には戻れない。それは人形であるこいつも例外ではないだろう。強く結びついた縁は互いの魂そのものを変質させるのだ。たとえ生まれ変わったとしても、輪廻の輪に乗ることも出来ず縛られた魂は片方が再び巡り合うまで地獄に行くことすら叶わない。

「いやだっ!ぼくを…お前も…ぼくを捨てるつもりか?……そうだ、__、ぼく、……僕の、名前、君はそれがほしいんだろ、」
「ッ、ダメだ」
「いいから……!」

次の言葉を紡がせる訳にはいかない。きっとそれを聞けば俺はこの少年の魂も何もかも自分の手籠にしようとしてしまう。恐らく真名を紡ごうと開かれた口を塞ぐために、散兵の手を押さえつけ、一纏めにしてから幼い唇を自身のそれで塞いだ。

「んん、ッ!」

酸欠でくったりとした散兵が抵抗する様子もないのを確認してからようやく唇を解放した。

「ぁ、う……」
「頼むから、言うことを聞いてくれ。俺はお前を縛るようなことしたくない。」

瑞々しい口内に舌を差し込んで貪り、腰が砕けるくらい甘やかして蕩けた顔を見下ろすことが出来たのならどれほど良かっただろう。征服欲と本能の赴くまま幼い躰を犯せばずっと飢餓に苛まれていた食欲も満たされたに違いない。
おおよそ同居人に向けるには相応しくない欲がもたげそうになるのを全て隠すために幼い子供に言い聞かせるような口調で諭すしかなかったのだ。

「すまない、許してくれ」

次第に虚ろに翳っていく紫電に乞うようにその瞼に口付けをして、押さえていた細腕を離す。手跡のついた散兵の白い手首を目の当たりにして俺は力なく笑うしか無かった。いつの間にか小さな同居人に随分入れ込んでいたらしい。

「……ん、__……」

術で意識を奪ったに等しいため暫くは目を覚まさないだろう。痛々しい引っかき傷に触れないよう乱れた衣服を脱がせる。汗でぐっしょりと濡れた服を身につけたまま放置してしまうのも気が引けて箪笥の中の替えの寝着に取り替えてやって、白魚のように傷一つない腹が穏やかに上下している様を夜明けまで見つめていた。
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