黄金屋の公子に勝てない/タルタリヤ
せっかくのチャンスだ、本気を出して俺を楽しませてくれ、ニヒルな笑みを浮かべているであろう男の声にぐっとスマホを持つ手に力が入った。某国からリリースされたオンラインゲーム。今では世界中にとんでもない数の旅人がいて、新しいキャラが出る度に青い鳥のトレンド入り(らしい。SNSを頻繁に確認しないので詳しくない。)毎回イベントも豪華で社会人のささやかな収入からお布施程度の課金額でも十分に楽しめる素晴らしいゲーム。友人の勧めでそのゲームを始めた時は時すでに遅し、他の夢中になるような趣味もなかった私はすっかりはまりこんでしまっていた。

仕事がおわって帰宅するや否や、いそいそと探索に向かわせていたチームの子たちから物品を受け取って、また別の子にお願いする。満タンになっていた天然樹脂を消費がてら初めてお迎えしたディルックという青年のキャラクターの強化素材集めに勤しみ、ようやく璃月という国のごたごたを解決して高所からの落下に恐怖しながら、さて稲妻に向かうぞ、という段階。

そこで初めてオオカミみたいな魔物や黄金屋の公子のような週ボスというものの存在を知ってチャレンジしていたのだが、強すぎる。特に黄金屋の公子の討伐に毎回唸っていた。

「ひえっ、一撃が痛っ、しんじゃ……」

操作しているキャラに回避行動をさせるけど遅かったのか衝撃波を食らったせいで体力の八割を持っていかれる。

「強すぎるし、もぅやだぁ…なんなのこいつ、きらい……」

泣き言を漏らしながらとにかく回避を徹底する。まだ第一形態なのに、既にピンチになってしまった。ベッドの上でじたばたと暴れながら瀕死になっても頑張っているディルックに持続回復効果のある食べ物を使って、キャラを切り替えた。今の私のパーティーの編成はメインアタッカー兼着火係としてディルックくん、雷の元素反応とサポート役でリサちゃん、たまたまガチャで手に入ったヒーラーの七七ちゃん、シールド役のディオナちゃんだ。

女の子三人に囲まれるディルックの旦那という構成が密かに気に入っていて育てているけれど、キャラの性能だとか相性なんて考えて組めるほどの余裕は無いのでいつも代わり映えしないものになってしまう。

私が挑戦時に選択したのは一番下から二番目のレベル70だ。キャラクターのレベルや天賦、聖遺物の強度は十分のはずなのに強すぎる。

衝撃波のダメージといい、第一形態の矢を食らった時のそれといい、明らかに数値が上がっている。はっきり覚えてはいないが、60だとこの段階のタルタリヤはそこまで強くなかったはず。耐久値もあまり自信が無いので近接戦に持っていかれると不利になるのは明らか。発火点はディルックのスキルを考えていたが、ちくちくとディオナちゃんで削って、余裕があればリサさんに切り替える。

あまり効率も良くないが、あまり近くに寄るとすぐノックバックを食らってしまうので出来るだけ遠くから攻撃を心がけていたのに。

「ッ、はや、」

瞬きする間に間合いを詰められた。第2形態の三角形を描くようにこちらへ切りつけ攻撃を行ってくるそれで雷元素を帯びた攻撃をもろに食らったディルックが吹っ飛ばされる。赤いゲージの体力すぐに次の即死攻撃に備えるためステージの隅まで走って付与された目のマークを外そうとするけれどスタミナに余裕もない。

ここで倒れるとかなりマズイ。

「…しまった」

回復上限が来ていてすでに瀕死だったディルックでは攻撃に耐えられなかった。私が育てている中で一番レベルの高いキャラが為す術なく倒された、という事実にショックを受けたのと、理不尽な難易度に舌打ちをひとつ。レベルは適正レベルの筈だ。むしろ少し低いくらい。回避を失敗しなければ倒せないはずはないのに向こうの攻撃の頻度はいつもより高いような気がする。それは気のせいに違いないのだけれど。

武器の強化素材を優先した方が良かったのだろうか。フィールドの敵もボレアスを筆頭に設置されているボスたちも世界ランクも下げれば少し攻略は楽になるだろうし。

そんなことを思いながら戦闘不能になったディルックからディオナに操作を切り替える。火力はまちまちでもレベル70なら体力もそこまで多くはないので回避さえ失敗しなければ倒せる。リサは敵の雷耐性が上がる為あまり使いたくない。

「勝てた…」

その日はなんとか、ほんとうにぎりぎりで勝利を収めて無事天賦素材を手に入れることができた。よくわからない瓶と何かの原型もドロップしたのでたぶん運がいい方だ。



悔しそうに顔を歪める彼女を想像したら背筋がゾクゾクして、双剣を持つ手に力が入っていた。「向こう」の西暦で20xx年xx月xx日、初めてこの世界、テイワット大陸にやって来て冒険を始めた旅人空、親愛なる相棒、そしてその操り主である女の子。自身がその存在を感知したのはいつだっただろうか。

小さな少女だか妖精のような見た目の生き物を連れて初めまして、と無愛想に挨拶してそれ以降口を閉ざしてしまった少年、その頃は少年の向こう彼女がいるなんて夢にも思わなかった。

けれどおかしい、と違和感を抱いたのは少年が無言でじっとこちらを見つめる視線だった。空虚なそれは自分を捉えているはずなのにどこか心ここに在らず、と言った風で。

もっともその違和感が確信に変わったのは彼、恐らく彼女の仲間として育てている誰かの元素スキルと呼ばれる技でいきなり北国銀行の受付に火の鳥を放たれたことだが。自分が目の前で見ていたのに誰も反応しないし、火災探知のベルさえ反応しなかったのだからおかしいと思わない方がおかしい。

あれなんで使ったんだろ、女の子の声に慌てて辺りを見渡していた。もしかしたら大人の女性だったかもしれない。低くも高くもない、ただ初めて聞いたはずなのにどこか懐かしく居心地のいい音色。
泣く子も黙る執行官、公子タルタリヤが呆気なく恋に落ちた瞬間だった。こんな突拍子もない出来事で心を掴まれるなんて思いもしなかった。俺の名誉のために誓うが心を掴まれたのは決してモンドの貴公子の元素爆発ではなくそれをうっかり発動させた女の子だ。
しかし下手すれば大火事になりかねない事故を起こした本人はどこにも姿が見えない。けれどそこにいたのは金色の三つ編みを揺らす旅人で、きっとその声の持ち主は彼と関係があるに違いない。

「ねぇ、旅人、君の秘密聞かせてよ。」

居ても立ってもいられなくて、二階から飛び降りるとすぐさま嫌そうな顔で見つめる旅人が渋々話を始めた。

「ふぅん、じゃあ君たちには見えないナビゲーターがいる訳なんだ。」

こくり、と頷いた旅人はわかりやすいくらい嫌そうな顔をしている。彼女の存在を俺に明かしたくなかった、と言わんばかりだ。
曰く、彼女は彼らの旅の手助けをするような存在であること。しかしそれは凡人が想像するような助言をするような助け方ではなく、まるで操り人形のように旅人自身の身体を操って直接的に行動を制限してくること、そして少し、いやかなりおっちょこちょいで抜けているということ。

「でも、あの子が俺の中にいるって思ったら心が暖かくなるんだ。声が聞こえていなくても繋がってるって。」

そう胸に手を当てて愛おしくて仕方ない、みたいに顔を歪めた旅人を当時の自分は馬鹿らしいとさえ思ったが今なら分かる。あくびが出てしまいそうなくらい弱っちい一撃で呆気なく倒される程度に「調整」される自分の体も最初は忌々しいと思っていたが慣れてしまえば多少の融通も効くということが分かった。

けれどあの子が一番大切に育てているのがモンドの赤い髪の大剣使いというのが気に食わない。そこには俺がいるべきだろうに。

「かのファデュイの執行官様が嫉妬か?」

毎回得意げに挑んでくるそいつに無性に腹が立ってボコボコにしてやった。きっと彼自身の意志で動いていたのなら避けられただろうが、あくまで操作主は「彼女」なのでそれに逆らうことは出来なかったらしい。

週に一度、どういう決まりなのかは知る由もないが必ずやってくる旅人たち。その向こうに彼女の姿が見えた気がした。

「俺を楽しませてくれ…__」

こちらが密かに名前を呼んだことなんて気がついているはずもない。一寸の狂いもなく放たれた氷の矢が掠めて頬に傷を作った。威力は弱いが確実に腕を上げてきている。どうせこちらが負けるのは確定事項だ。
そして今日も彼女と過ごす時間を少しでも稼ぐため、俺はズルをする。

**

今日も今日とて終わりの見えない書類と格闘して、今時珍しいくらい男尊女卑、学歴主義のろくでもない上司の相手をそこそこに帰宅したのは時計の針が10を回る頃だった。残念ながら昼のアップデートにインする暇なんてなかったので多少周りの目を気にしつつ電車の中でアプリを開く。スマホを横向きにすると明らかにゲームをしています!という雰囲気が隠せないのであまり好きではないのだが、樹脂を早く消費したいのとガチャの更新でキャラの復刻が誰なのか気になっていた。

そしてメニュー画面から新しく追加されていたガチャ画面、冬国との別れというバナーに暫く固まる。普段から祈願のピックアップ対象を確認していなかったし公式のSNSをまめにチェックしていないせいで彼が復刻だなんて知らなかった。

回す?いやでもガチャ石は温存したいし、水属性キャラはバーバラちゃんと行秋くんがいるからいらないかな。自身が捻くれているのもあって、なんとなくイケメンを売りにしている人気キャラを本命で回すのは抵抗があった。マルチでキザなキャラを使うのも少し恥ずかしいし、何よりこの前黄金屋でボコボコにされたばかりでこいつに頼るのはむかつく。今回は見送って、次復刻する子を回そう。

お知らせのところで次のピックアップを確認する。胡桃ちゃん、確か葬儀屋の女の子。大きな帽子とツインテールがかわいい。

既に胡桃ちゃんに心を射止められた私はまぁまぁ溜まった原石を彼女の為に捧げることを決めた。これと言って好きなキャラというのもまだいないのですり抜け、というのが来てもあまりダメージはないし、キャラの性能だけで強化する、しないを決めるのはあまりにつまらない。胡桃ちゃんは別。キャラのデザインがあまりにかわいい。

キャラの突破素材と天賦素材集め、途中で乗り換え駅に着いたので設置されたスタンドの機械をぼんやりと見つめながら無人駅にて列車を待つ。田舎の駅に駅員なんていないのでやろうと思えば無銭乗車が可能だろう。良識とモラルを持つ人間なので絶対にやらないが。

誰もいないのをいいことに座りっぱなしのデスクワークに疲れ切った足を思いっきり伸ばして、ぐったりと椅子に体重を預ける。ど田舎の駅のホームに行儀が悪いと眉を顰める者はいない。会社のある街の中心地よりずっと少ない数の広告が青白く光っていた。このクリスマスは大切な人と過ごす時間を大事に?ふざけてる。わざとらしい顔で笑う子供とその両脇を固める男女の写真がプリントされた大きな広告を出しているのは少し気が早すぎやしないか。まだ十月なのに。

「あー……ほんとにつかれた…」

あの辺りのせせこましい雰囲気はあまり好きになれず立地の悪い賃貸を手放せずにいた。そのせいで乗り換え必須、片道ほぼ一時間の大変な目に遭っているわけだが。

今日は家に着くのがだいぶ遅くなってしまうだろう。頭の中の冷蔵庫を漁る。炊いていた白米は朝の内にタッパに詰め替えていたのでチンするだけで食べられるし、ほうれん草と白身魚があるからムニエルと軽いスープくらいなら作れるだろう。でも、さすがにこの時間から食べるのは胃に悪いだろうか。うん、やっぱりほうれん草と白米だけにしよう。魚は冷凍して土日の分に回して、そろそろ豆腐の賞味期限も切れそうだからハンバーグにでもしようかな、なんて。

そんなことを考えていたら急に眠気が襲ってくる。

「次は____駅」

電車が来た。いつもより赤い、どこか古めかしいデザインの電車というより汽車のような変わったフォルムだ。もしかしたら開通◯年のアニバーサリーなんちゃらとか。

ふらふらと覚束ない足取りで車内に乗り込む。ふかふかとしたクッションに座ると体が沈み込むような感触が心地良い。あ、これは明日まで目覚めないかも、電車の中で寝たらまずいぞ、色々考えていたのにいつのまにか深い眠りに落ちていた。

*

トンネルを抜けたら雪国、なんて文章が日本文学には存在する。川端康成の雪国だっただろうか。文字通り長いトンネルを抜けた先、一面の銀世界が広がっていたということであるが、この素晴らしさを語るにはまずその後の風景描写の豊かさや挿絵のない文章だけで読者にその光景を鮮明に描かせる技術のすごさをつらつらと語らなければならなくなるので割愛する。
閑話休題、私はその列車のような風景を目の当たりにしていた。残業終わり、自宅にもうすぐ到着というところで見覚えのない電車に乗ってから、たぶんそのまま寝ていた。そして心地よい揺れにうっとりとしかけたところでぱちりと目を覚ました。

外は一面真っ白な雪景色で時折洋風の建物が見える。車窓の景色は電車のそれよりずっとゆったりとしていてこの妙な状況で無かったらじっくり観察していたかもしれない。

木目枠のソファは上品な色のクッションが用いられており体が沈み込むようで程よく受け止めてくれる。そして上質なテーブルの上には湯気を立てるティーカップがひとつ、そしてもうひとつ、向かい側に置かれている。通勤電車にしては上等すぎる。
疑問符をいくつも浮かべながら、身体を起こした。

「あれ、目覚めたんだ。」

ぱさりと身体にかかっていた上着がずり落ちそうになったのを反射的に掴んでいた。見るからに上等そうなそれを床に落とすのは気が引けた。

「?」
「何がどうなっているのか全くわからないって顔だね。」
「あ……あの、あなたは」

やたらイケメン、俗っぽい言い方をするなら顔のいい男。加工した夕焼けやちょっと格式高い喫茶店で濃いめのストレートティーを頼んだ時に出てくる色の髪の毛と深海のような瞳の青年が頬杖をついてこちらを見ている。多分寝顔を観察されていた。それはいい。別に減るものじゃあるまいし。けれど見知らぬ男にそんな隙を与えていたことの方が大問題だ。

「んー?君はよーく知っていると思うんだけどな。」
「……あまり突拍子もないことを推測だけで話すのは失礼だと思ったので。」
「アハハッ、それもそうか。うん、君の声やっぱり好きだなぁ。ずっと聞いていたいくらい心地いい。でも寝ている時も退屈しなかったけど君の目が俺を見ている時の方がずっと嬉しいかも。」

認めるには早い、けれど私は目の前のこの世に絶望したみたいな瞳を蕩けさせた男をよく知っている。何せついさっきピックアップガチャをスルーしようと決めた時に見たあの顔とそっくりなのだから。声まで同じなのだからそっくりのイケメンがコスプレをしているとは考えられない。タチの悪い夢か冗談であればどんなによかっただろう。

「まぁ、でも一応この場では初対面なんだし改めて自己紹介した方がいいかな。俺はタルタリヤ、ファトゥス第十一位『公子』とも呼ばれている。君にはそっちの方が馴染みがあるかもしれないね。」

深海の瞳をやわらかく細める男に指先が冷たくなっていた。こんなことが現実に起きていいのだろうか。まさか。
とっくに眠気は消し飛んでいた。訳の分からない状況に頭はついて行っていないのに、体はカタカタと震えが止まらない。夢だったらよかったのに。こんな。

「世界へようこそ、旅人さん……いや、___」

その名前を耳にして目を見開いた私に男がうっそりと唇を歪めていた。

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