お前誰*/トーマ
ここ、稲妻で外国人として流れ着いた俺に生きる術を教えてくれたのは彼だった。

「料理はさ簡単だよ。もしお前さんが人より大雑把だって自覚があるなら気持ち丁寧に食材を扱えばいいし、逆も然りだ。」

そう事もなさげに卵を片手で割ったなまえがこちらをちらりと一瞥して鍋へと視線を落とした。

「お前はまだここに来て日も浅いけど、嫌なことも色々な経験をしたと思う。特にお前の容姿とか、それを見た周りの態度とかな。」

思わず言葉に詰まってしまった。モンドから稲妻にやって来て、生活環境は大きく変化したものの、それに対してなにか思うことはなかった。元より自分は適応能力が高い人間だ。よっぽど劣悪な環境で無ければストレスを感じることも無かっただろうし、それはこの国で慣れない寝具に変わってからも同じだった。

「そ、んなことは、」
「いいんだ。お前さんのことを見てたら俺がここに来た時のことを思い出してさ。」
「え、君はてっきり稲妻出身なのかと思っていたけれど。」
「一応周りにはそう話してる。そっちの方が都合がいいし。」
「ならどうしてそれを俺に?そんな大事なことぽっと出の人間に話して大丈夫なのかい?」
「ん、何となくかな。」

知らなかった。俺がここに来て初めて友人になったなまえは稲妻人らしい顔つきで神の目も雷だった。右も左も分からなかった自分にここで生きていく上の知識や作法を教えてくれたのも彼だったのだ。

「ここは……なんつーか、男尊女卑……ううん、違うな……外国人と稲妻人、男と女、子供大人、って線引きがハッキリしてて国の人が持ってる固定観念や先入観も強い国だ。」

瞳を陰らせて彼の言わんとすることを理解する。ここに奉公でやって来てまだ日の浅い自分自身がすぐに経験したことだった。俺の髪の色や瞳の色、着ている服、所作、文化、そういったものはここの人間からみれば馴染みのないものに映るのだろう。

「けど、お前だからこそ出来ることは必ずある。この国の人間はお前のことを少しずつ受け入れるようになるだろうし、俺がいうのもなんだけど一度懐に入れた人間に対して情が厚いんだ。お前さんが慣れない異国の地でやってる努力を見た奴らはきっとお前のことを理解し助けようとする。」
「それは、君も?」
「っていうのは?」
「君も……俺の事を外国人だって線引きして、信用してない?」
「あはは、そっち?信用も何も俺はトーマのことはすげぇやつだって思ってるよ。」

否定も肯定もしない態度に無意識に不満を顔に出していたらしい。けらけらと笑いだして止まらなくなってしまったなまえが腹立たしくて背中を小突いたらわざとらしく咳払いを一つした。

「つまり俺が言いたいのは、今のうちにお前しか出来ないことを身につけて、誰かから必要とされるような居場所とか後ろ盾になる地位を手に入れろってことかな。それが今のお前に足りない所だと思うし。」

ほら、話は繋がっただろ、と得意げに笑うなまえはその後どれだけ聞いても彼自身のことを教えてくれなかった。

なのに。

「貴殿の神の目を押収しに参った。大人しく引き渡せば悪いようにはせぬ。」
「あぁ、俺にも来ちまったのかよ。別にこんなもん欲しくて授かった訳じゃねぇんだけどなぁ。」
「なまえ……!」

つまらなさそうに腰に着けていた雷の神の目を外して光に透かしているなまえは、なんの躊躇いもなく幕府の役人にそれを渡そうとしている。夢や望みを奪われた人間がどうなってしまうのか見てきたからこそ彼の未来が嫌でも予測できてしまって。

「あぁトーマ、遅かったな。お侍さんよ、ちょっと待ってくれねぇか。何心配しなさんな。このガラス玉はちゃんと渡すからよ。」

こちらを振り向いてひらりと手を振ったなまえがやってくる。

「よぉ、最近は忙しそうにしてたな。」

世間話なんてしてる場合か、早く逃げて、そう声を出そうとしたのにそれを彼の手で塞がれる。

「いいか、コレが無くなったあと自分がどうなるか、俺だって知ってる。だから失うものが何なのかも予想はついてる。」

家事で荒れた手がはするりと俺の頬に回った。刀を握った事なんて無さそうなタコのない手のひらを意識してしまって、慌てて邪念を振り払うように後ろ手に組んだ右手に爪を立てた。

「何から話せばいいんだろう、うん、まぁ時間ないし手短に。」
「待ってくれ、まだ」
「ダメ。待てない。あー、……あ、そうだ。まずはこれからの未来の話をしよう。目狩り令も鎖国もこれからどんどん厳しくなって多分国の中で色々あると思う。でも何もかも将軍様のせいって訳じゃないからさ、あんまり稲妻をきらいにならないでくれると俺は嬉しいかな。」

その瞳は何もかも見透かしたようで。彼に真っ直ぐ見つめられているだけでバクバクと心臓が大きな音を立てている。

「性別までは分からんが、もうすぐこの国に異邦人がやってくる。できるだけそいつの手助けをしてくれるとありがたいな。言われなくともこの世界の強制力でお前はそうするんだろうけど。
あぁお前にずっと隠してたことがある。前この国出身じゃないって言ったよな。なんなら俺、この世界で生まれた訳でもないんだ。ある日、突然迷い込んじゃってさ。ま、今となってはどうだっていい事だけど。」

つらつらと淀みなく話していくなまえの話に頭が追いつかない。異邦人、世界、この場におよそ相応しくない単語をうまく飲み込めずもしかして、彼は俺をからかうために呼び出していたんじゃないか、そう思えてさえきた。けれど彼の背後に見える役人は間違いなく偽物でもなんでもなくてやり場のない感情に怒りが込み上げそうにさえなる。

「最後に、お前のこと好きだったよ。」

は、と間抜けな声が漏れた。

「男からこんなこと言われても気持ち悪いって思われるのはよく分かってるから、すぐ忘れてくれていい。寧ろそうしてくれ。」

それを俺の否定の言葉だと見なしたんだろうか。小さく自嘲気味に笑ったその顔は初めて見た。彼は泣いていた。綺麗な瞳から涙を一筋だけ流して泣いていた。

「じゃあな、トーマ。達者で。」

どうして、君は抵抗しなかったの、俺の返事を聞かずにいなくなるなんて、そう責めることも出来ずに。伸ばした手は空を切って、彼は俺に背を向けてしまったのだ。

***

長い夢を見ていた気がする。今となってはあまり覚えてはいないが、悪夢では無かったように思える。夢の中の記憶なんてものは思い出そうとしてもそのきっかけも落丁した本のようにどんどん崩れていくものなので無駄な抗いなのだろう。

どうやら俺は何もかも失ってしまったらしい。そう気がついたのはふらふらと川沿いを自身の履物が濡れるのも構わずに彷徨っていた時に周りのことや自身の名前、直前に何をしていたか、一切のことを思い出せなくなっていた。

ただ手に握りしめていた一本の赤い簪だけが自身の手がかりになったのかもしれないが、それさえよく分からない。明らかに女物の装飾品を持っていたということは俺には姉妹か恋人が居たということなのだろうか。

どう考えても素性の分からない怪しい男だったのは自覚している。ボサボサの髪に何日も洗っていない薄汚い俺の身を保護してくれたのは抵抗軍に志願した息子を見送ったという老夫婦だった。親切にも彼らは記憶のない俺の事情を深く尋ねることなく息子の使わなくなったという反物や羽織、袴を譲ってくれた。

無償で衣食住の世話になるのは申し訳ないと高齢の彼らには荷が重そうな肉体労働全般の手伝いをすれば大層喜ばれた。

名前こそ失ってしまったが全く覚えていない訳では無い。この世界に存在する生き物や植物、雲の名前は思い出すことが出来る。スミレウリを煮た汁は布の染料として用いることができるし、鳴神神社から舞い落ちる桜の花びらは雷元素の力で具現化する。そんなこの世界で生きているのなら知っていて当たり前の知識を一つ一つ、照らし合わせてようやく自分が失っているのは知識ではなく記憶だったと知った。

そこで3ヶ月ほど、世話になっていた時に一人の男が俺の元に訪ねてきた。なんでも社奉行からの使いだと聞いていたものでそんな身分の者がこんな辺鄙な場所になんの用だと警戒したのは仕方の無いこと。訪ねてきた男の背丈は俺より高く、少し見上げなければ顔が見えない。

色素の薄い髪と新緑のような瞳から外国の人間で間違いない。洋装だったが稲妻らしいデザインのそれに何となく見覚えがあるような無いような。しかし、名前を思い出すことが出来ないのだから知り合いではないのだと思う。

「……やっと……やっと君をみつけた。」

俺を見て開口一番、男が言った言葉に首を傾げる他なかった。とろりと緑色の瞳を溶かしてこちらを捉えている男のそれに得体の知れない気味悪さを感じた。骨が軋むほど掴まれていた手首をそこままに俺がようやく発したのは恐らく薄情な言葉だった。

「あのさ、」



++
以下読まなくていい設定
男主は現代の日本から何かの拍子にテイワットに飛ばされた普通の男。元の世界に帰りたいと思いながら10年余の時間が経過し、いつの間にか稲妻で暮らしてた。普段は製造業の仕事の手伝いをしているが特にこだわりがあるわけではなく世話になった人の紹介でそのまま就職。異国から流れ着いてきたという外国人の男の噂を聞いて何となく仲良くなった。
神の目を授かったきっかけは元の世界に戻りたいという望郷。そのため神の目を失った後、そこまで築いてきた記憶の一切を失うことになる。知らない世界で今日まで生きていたのは元の世界にいつか戻れるという希望があったからこそなので。
本人も自分の中から何が無くなるのか察していた為、最後に1番仲の良かった男に色々ぶちまけてしまった。そのせいで記憶を失った自分がこれから押しつぶされるほどの愛を向けられるとも知らずに。

まさか自分の一番の親友から想いを告げられるとは思わなかった家司
自分が親友に向けるのが友愛なのかそれ以上のものなのか分からないまま、ずっと姿を晦ました親友を探していた。見つけ出したら手足を折ってでも自分の手元に置いておこうと決めていたし、自分の贈った簪を大事に持っていたということは合意の上だよな?と容赦なく囲い込む。
神の目が男主の記憶を奪ったのはむしろ都合がいいと思っているので二度と持ち主に返すつもりはない。たとえそれが自分の手元にあったとしてももし記憶を取り戻したのがきっかけで元の世界に帰るなんて言われたらうっかり自分の手に掛けてしまいそうなので。
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