夢の中に置いてきた少年が心配/魈
ふわふわ、浮かぶ。あれ、まだ夢を見ていたのかなあ。寝惚けたこと考え、頬をなでる草原の風と眠くなりそうな暖かい風に思わず目を閉じそうになって、誰かの声が聞こえた。

ぽやぽやとした思考のなか私の頬に触れたのは少年だったということに気が付いて首を傾げる。あれ、この子は誰だっけ、一瞬だけ違和感、そして思い出す、あぁ、モラクス君のとこの魈君。まだ名を与えられて間もない仙人だったか夜叉だったか。

「んん、おはよう、魈くん。」
「こんな所で寝ていたら妖魔に襲われます。」
「ふふふ、心配してくれたの?最近は魔物が増えているものね。」
「それだけではありません。仙気に魅入る悪しき者達がここらを蔓延っていると忘れたんですか。」
「あなたもそうなの?」

やや、問い詰めるような口調に揶揄いたくなっただけ。ほんの疑問を投げたつもりだったのだ。冗談交じりに聞いた。なのに大袈裟に肩を揺らして「そ、そんな不躾なことなど、あなたに害をなすのは余りに恐れ多い。」と。ふーん、つまらない。そう鼻を鳴らしてしまいそうな回答。

「うふふ、冗談なのに。魈くん、君は正直ですね。でもたしかにこの辺りは強い魔物がいるってモラクス君も話していたし注意しなきゃだめなのかしら。」

ぷちり、と引き抜いた花のついた名前も知らない草をふうっと吹いてみる。ふわふわ、ゆらゆら、綿毛が着いたそれは青い青い空に消えて手元に残ったのは用済みになった茎だけ。あぁ、「私の世界」ではあれを蒲公英といったのだったか。

「でも勿体ないわ。ここは少し前まで美しい花がたくさん咲いていた場所だったのに。ねぇ、貴方達もそう思うでしょう?目を覚まして、眠ってばかりじゃだめよ。」

気まぐれにほんの少しの仙気を込めて辺りに放つと空気が揺れた。先日の争いで土の色が目立っていたそこはみるみるうちに色鮮やかな花と草が芽生え、廃棄された兵装や行者からにょきりと若葉が顔を出し始める。季節外れのミントの爽やかな香りに頬が緩んで、それに答えるように周りはどんどん花で埋め尽くされていく。

真ん中には木の苗が根付いていて、新芽が生えている。愛でるみたいに芽を撫でるとやがてめきめきと育っていって、やがてそれは馴染みのある大木になった。

「これは……」
「梅花、梅っていうの。この世界にはまだなかった気がしたから。……うん、いい香り。」

鼻を寄せて吸い込むといっぱいに甘酸っぱい独特の香りが広がる。

「実がなるとね、それを収穫してお酒にしてたんです。梅酒って言って、サイダーで割るとしゅわしゅわの食感と梅の香りがたまらなくて。」
「あなたは……博識ですね。あなたの話は我の知らないことばかりです。」
「そうね、だって君よりも長い時間を生きて、人の世に紛れて生きてきたもの。」

梅の花をいくつか摘んで、可愛らしいそれに思わず笑みがこぼれる。

「梅は清廉の花詞を持つの。清らかで、汚れを知らない」

きっと仙人の彼の力の影響で小さな花はすぐ枯れてしまうだろう。この世界に花の保存方法はまだ一般的じゃない。

身体の中の構造を少し弄る。スイッチを切り替えるみたいに、草から水へ。手元に小さな水の球を作り出して、そこに梅の花を入れた。それからすぐ水から氷に。水球の中で浮かぶ梅をコーティングして溶けないように少しだけまた力を使った。

少しだけ昔やったテラリウムやハーバリウムと似ているかもしれない。

「複数の元素を一度に……?そんなこと、魔神でも」
「ないしょ。二人だけの秘密にしてね。」

氷の中に閉じ込めた梅花のビー玉もどきを魈に渡してウィンクをしてみる。彼は困惑しているからきっと通じなかった。文化の違いとはなかなか難しいものだ。

「これを持っていてください。私の力を少しだけ込めています。」
「良いのですか。」
「もちろん。きっと君の役に立ちますから。」

じっと渡したお守りを見つめていた魈はそれをしまい込んでなんとも言えない顔でありがとうございます、と返したのだった。

***

不意をつかれた。いつもみたいに戦地となって荒らされた花畑を元に戻そうと出かけた先。近くに沼地があって、竹やぶは薄暗くていつも不気味なそこを抜ければ小さな集落がある。先の争いで逃げ延びた彼ららのために少しばかり協力しなければならない。そういう契約になっているから。

「息災ですか。」
「エオス様、あなたのお陰でここもかつての姿を取り戻しつつあります。」
「それは喜ばしいことです。しかし肝に銘じておきなさい。私は君たちに微力ながら力を貸しましたが、それはきっかけに過ぎません。雨だれ石を穿つ、といいます。君たちの尽力は我々の力を借りずともいつか実を結びやがて私たちの力が必要ないくらい強力なものとなるでしょう。」

ゆらり、と羽衣がゆれてそこからぱらぱらと元素の残滓である星屑が溢れた。便宜上、この世界で名前のない自身をエオスと名乗り、各地を転々としている内にいつのまにか魔神としてこの地で信仰を集め始めてしまった。誤算であったが本来の戦争で荒れ果てた地を元に戻し、彼らに必要な知識を与えるという自身に下した使命は概ねうまくいっているだろう。

「畑にこの種を植えなさい。まだ名のない植物の種子ですが…毎夜水をやれば月の光を栄養に育ちます。そして君達の願いに答え、形を変えるでしょう。」

訪れた束の間の平穏に警戒を怠っていたのかもしれない。用意された部屋で休息を取っていたところで感じた殺気、こちらに向かって振りおろされた巨人の拳のような水の刃にすぐさま鏡型の法器を召喚して障壁を作って覆う。反動で大きく建物が揺れた。パラパラと壁が崩れて、その衝撃はおそらく村全体に伝わっていただろう。

「エオス様!」

すぐさまやってきた村の青年が慌てた様子で辺りを伺っている。

「また妖魔の仕業ですか。」
「いえ、おそらく先日討たれた魔神の残穢でしょう。」
「我々は、どうすれば…」
「案ずることはありません。しかし我々の闘いに巻き込んでしまったのは事実。同族として責任を持ってあなたがたを守ります。ここには指一本魔神の侵攻を許さないと誓いましょう。」
「ありがとうございます、貴方が居なければ今頃ここは!」
「……いえ、どうか頭を上げて。私の落ち度です。ここに長く力を注ぎ過ぎてしまった。彼らは私の仙気におびき寄せられてやってきたのでしょう。」
「あぁ…偉大なる理の神…貴方様は明日の身も危うい我々に多大なる恵を与えくださいました!」

信仰なんて集めるつもりもなかった。ここで自我を持った時、薄ぼんやりと自分が人の理から外れて、魔人、人間には魔神と呼ばれる存在に作り替えられていたことに気が付いてしばらく絶望し、たぶん三百か四百、ずっと眠ったままだった。

そこで初めて、彼らに会った。住むところもない、魔人同士の争いで焼け落ちた村から命からがら逃げてきたと言う彼らにほんの少し力を貸して、今の住居を与えたのはかつての自身と重なったから。

「…君たちには帰る家を、故郷を失って欲しくなかった。」

障壁を村全体に張り巡らせて、黒いモヤのような残穢に雷撃を放つ。

「若き人の子よ、君たちを私の問題に巻き込んでしまった事を深く詫びます。この結界はそう容易く破られることの無いものですので安心なさってください。勝手な事だとわかっていますが、私がここを訪れることは二度とないでしょう。」

言いたいことを放って、


「だ…いじょうぶ、私が、守るからね。」

吐き出した液体がごぽり、と深紅に染まっていた。朦朧とする意識のなか、自分の体内に留まっていた力が血と一緒にこぼれ落ちていくのを感じていた。

「私は、もう死にます。」
「っ、喋らないでください。我の仙力を注げば」
「ううん、もういいの。この世の天理から外れた存在はいつか根絶される運命だから。」

ぼたぼたと血を流しながら、それでも案外頭は冴えていて人外というのは丈夫なんだなぁ、魈にもたれかかりながら思った。

「死んだら、埋めてください。大きな星螺で穴を掘って、そうして天から流れ落ちる星屑を墓標に置いてくれる?ずっと、じゃなくてもいいわ。時々墓の傍であなたの話を聞かせて欲しいの。百年かそれ以上かかるかもしれない。けれどきっとあなたに、……逢いにいくわ。」

最後に大きな欠片を吐き出して、それが何であったのか分からないまま、私は目を閉じた。瞼の裏では眩い天の川が輝いていた。


***

理の魔神が死んだ、その噂は瞬く間に広まり、彼女の加護を受けた村や町は大きな悲しみと絶望に包まれた。中立を保っていた仙人や魔神が魔神戦争に巻き込まれることは珍しい事でもなかったが、中には岩神となったモラクスの信条に逆らう反逆因子だったが故、処理されたのだ、と囁くものがいた。

「なぁ、魈!お前いつもここからどこに行ってるんだ?」
「なんだ、小さいの」
「むっ、小さいは余計だ!」

***

ゆらゆら、揺れる。そよ風が頬を撫でる感覚に微睡む意識が起こされた。

「あれ…寝過ごした……」

遅刻、すぐさま頭に浮かんだその言葉に背中からじっとりと嫌な汗が吹き出す。出社時間はとうに過ぎてそうだ。慌てて飛び起きようとして、よく見れば自分が寝ていた場所は見知った小さなアパートメントではなく寧ろ見慣れない場所であることに気が付いた。

寝ていた場所の周りにはコンクリートジャングルとも呼ばれる現代日本社会では滅多にお目にかかれないような花が咲き誇っていて、私が目を覚ましたのもその花畑の中だったようだ。これだけの花が放つ鼻をかすめる甘い香りに不思議と不快感も感じず、いよいよこの場所が現実味を帯びてきた。

少し離れた場所の墓碑には私の名前が掘られている。まさかの死。なら私は死んでしまった後に生き返った存在なのか、とあっさり納得してしまった。あれから随分経ってしまったからなぁ、とうんうん一人で納得していたが、そこでふ、と気がつく。

どうしてこんなにこの世界に違和感がない?

現実でこんな場所に訪れたことは無かったはずだ。それに自室で寝ていたにもかかわらず花畑のど真ん中で呑気に、しかも全裸で寝ていたら流石におかしい事だって思わないか。

とりあえず服を着なければ。いくらここが人気のないだだっ広い平原だとしても全裸の女が彷徨いていたら問題になりかねない。

そう、思っただけだったのに、どこからともなく布が現れてするり、と巻きついた。フードの着いた上から被るタイプのシンプルな服だけど取りあえず体を隠すことは出来た。

とりあえずここにいても仕方ないから、街を目指そう。 幸い方角はなんとなくわかる。

よし、と張り切って途中で襲ってきた変な怪物から逃げ回りながら、あんまり高い山にひいひいといいながら降りて、えっちらほっちら歩いていったら大きな門が見えた。

「お嬢さん、もしかして仙人様かい。」

橋を守っていた武士のような装いの男に声をかけられる。

「仙人……というものはよく分かりませんが、初めてここに来たんです。観光です。」
「そうか、歓迎するよ。璃月へようこそ。」

迎え入れられたのは中華街によく似たどこか古い街並みだった。数百年前にタイムスリップしたみたいな、それでも不思議と見覚えのある地形にふ、と夢の中でみた光景が重なる。朧気にしか思い出せないけれどあの小さな街が何十年もかけて発展した、というのなら納得出来る。きっとあそこが海沿いの立派な国になったのだろう。

美しい街並みの中を歩ける感動を覚えながらやたら注目を集めていることに気がついて首を傾げる。もしかして何か作法を間違っていたのだろうか、異国の地でそんな風に不躾な視線を寄越されるとあまり気分のいいものでもない。それでもここには観光に来たわけだし、そう納得して気にもとめず歩いていたら後ろから近付いてきていた気配が立ち止まった。

「はじめまして、お嬢さん。」
「若き人よ、君は年頃の女を尾行するご趣味がおありで?」
「あはっ、そんなつもりないんだけどな。変わった格好で歩いている女性がいるーって噂されてるから気になってしまってね。喋り方からして君は仙人かな?それとも璃月に伝わる妖魔?」
「うふふ、ご想像にお任せします。君はご武人らしい装いですが軍人さんかしら。」

きゃらきゃらと笑っているが内心は少し焦りを感じている。整った容姿の男がいきなり話しかけてきて絡んでくるなんて経験、元の世界ではまずなかった。相手にそんな気がなくてももどぎまぎしてしまうのは事実。

「へぇ君はファデュイのこと知らないんだ。」
「ふぁでゅい、存じ上げませんね。」
「ならいい!それを知らないからって別に困ることもないだろうさ。でも先の岩王帝君の崩御で随分悪い方の話題になっただろうに名前さえ分からないなんて……やっぱり君、面白いね。」
「岩王帝君が崩御?嘘、あの子が、」

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